なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
「手が出そう」という感覚を、ステラは生まれて初めて経験した。
激情の発散を、彼女は拳に頼ったことがない。
殺したいほど腹立たしい相手が居たとしても、「殺せ」と言えば国がそれを叶える立場。そして指のひと弾きで人間一匹を蒸発させられる魔術の実力。
どちらも、彼女に拳を握る必要性を与えない。
何より、二つを兼ね備えた彼女を本気で怒らせるほどの馬鹿は、そもそも彼女の前に立つことがなかった。
ついでに言えば、素手で打擲するなんて野蛮だという──貴種ならば人にやらせるか、最低限度杖か鞭を使えという価値観もある。
「お前の行動を許可制にした方がいいのではないかと、少し思い始めている」
ステラに用意された、街で一番の宿の、一番いい部屋。
流石に王都のそれと比べると格落ちだが、それでも豪奢で居心地の良い空間だ。
その中にあって、フィリップはふかふかのソファに座りつつも、しょんぼりと身を縮こまらせている。
対面のソファには呆れと怒りが綯い交ぜになった複雑な表情を浮かべたステラ。フィリップの隣には静かに行く末を見守る体勢のルキア。
構図としては二対一だが、実態としては一対一と傍観者が一人。
そしてフィリップがステラに口で勝てる道理はなく、またステラが怒っているということは、フィリップに重大な過失があるということ。
約束された負け戦だった。
マザーとの散歩を満喫し、ふわふわ気分で意気揚々と、口笛と小粋なステップで帰ってきたところにこの仕打ち。
門をくぐるなり「ポケットの中のものを出せ」と言われ、マザーに貰った光の球をルキアに預け──奪われはしなかった──無言で部屋に引きずり込まれて今に至る。
光球は、今はフィリップとステラの間にあるローテーブルにティーセットと一緒に置かれて、ちょっとしたインテリアみたいな顔をしていた。
「龍の死体は投石教会にあるのだろう? それでいい。それなら、公的には「王龍は聖痕者の攻撃で死にこそしなかったが、ダメージを受けたため飛び去って隠れた」という言い訳はできる」
そこまでは、特に無理のある言い訳ではない。
人間だって毒虫に刺された経験があれば、命に別状はなくともその生息域に好んで近付こうとは思わないし、見かければ距離を置く。
フィリップとしては王龍は逃げるより駆除する方を選ぶだろうとは思うが、王龍の性格を完璧に把握できている人間は、交戦経験を得た五人を含めてもゼロだろう。
「だが、これを見抜けない──これに気付かない魔術師はいない。これに気付かないような感覚で魔術師にはなれない」
ステラは発光するオブジェを示して言う。
別に爆発的な光を放つわけでもなし、やや白っぽいランタン程度のものだ。夜や暗室ならかなり目立つものの、ポケットに入れてしまえば明かりが漏れないくらい。
フィリップにはそう見える。
魔術適性皆無の、魔力を感じ取る力さえ殆ど持たない一般人からすると。
魔術師にしてみれば、地平線辺りからでも「なんか光ってるか?」くらいには気付けるほどの存在感があった。
感覚の鋭敏な者なら、それが極めて高度な魔術によるもの、或いは極めて危険なエネルギーを持っていることまで分かる。
ルキアが戦うところを見たことがあれば、その正体まで判別できる。
それほどに特別な、特徴的なものだ。
「『明けの明星』を知るお前が、これの危険性と特殊性を知らないわけがないな?」
「ここまでの規模のものを見せたことはないし、フィリップの魔術適性なら、これが『明けの明星』によるものだと判別できなくても仕方ないわ」
ルキアの援護は完全に無視された。
「どうしてこれだけは持って帰ってきた? 土産にしても、鱗とか牙とか、先の戦闘で剥離した残骸だろうと言い訳の立つものがあるだろう」
「な、なんか貰ったので⋯⋯」
ボソボソと答えながら、いやそういえば、とフィリップは小一時間前を思い出す。
そういえば、貰った瞬間は「これ僕死ぬかな」程度には警戒できていた。
そしてその後、マザーと手を繋いで帰路につき、ポケットに突っ込んで──殆ど忘れていた。
ポケットの中で爆発したら足どころか下半身が吹っ飛ぶ、いやそもそも全身が速やかに蒸発するのでは、なんて懸念と一緒に。
「なんか貰ったので、周囲一体を焦土に変える代物をポケットに入れて帰ってきました。その言い訳で納得するのは私とルキフェリアだけだ」
不味いどころの話ではなかった。
フィリップがのほほんと宿に帰って来られたのは、ステラの意思が──命令があったに違いない。
でなければ護衛部隊の魔術師が、きっと街に入る前から、可能な限り遠くで処分しようと砲撃してきたことだろう。
もしくはスッ飛んできて奪い去る……のは危険だから、放棄するよう説得してきたか。
「今はそれより、二人にどう言い訳するかを考えるべきね。龍の魔力を帯びた純エネルギー塊なんて代物を、どうやって手に入れたのか。⋯⋯罷り間違っても、戦闘の余波やうっかりで落としていくような代物ではないもの」
ステラの声に僅かに険が混じったのをフォローするように──感情の制御を誤った友人をというか、怒られの気配に身を縮ませているフィリップへのフォローだが──ルキアが話を切った。
龍貶しを新造するにあたり、素材をどこから確保したのかという話は問題になる。
特にノアとヘレナは、フィリップの持つ武器が古龍ベースから王龍ベースに変わったことまで看破できる“目”があるのだから。
一応「ルキアの魔術で吹き飛んだ残骸を拾い集めました」という言い訳は用意してあるが、光球もそうだと言って通じるとは思えない。
──しかし、二人だけで良いのだろうか。他の魔術師だって、光球の存在と特殊性には気付くという話なのに。
そんな疑問が明記された顔で首を傾げたフィリップに、ステラが呆れ笑いで言い添えた。
「
目と脳の精度が劣ると自覚していれば、自分の目で見たものより、自分の脳で理解したことより、教えられた“真実”の重みが勝る。
しかし同等であるという自負があり──事実として同じだけの能力があれば、ステラたちの
つまり、フィリップに追求が来る。
「⋯⋯なるほど」
「ついでに言うと、お前には「教皇庁の教育を受けている」という嫌疑が掛かっている。今のところはマルケル候からだけだが」
「えぇ⋯⋯? いやまあ、それがノア聖下に
頭痛でも覚えそうなステラだが、フィリップは「面白おかしい勘違い」に半笑いだ。
“叙勲者或いは高位の貴族”が他国に強く誘導され得ること、その可能性があることがどれほど不味いのか、ステラは懇切丁寧に教えてやりたい気分になった。
が、ぐっと堪える。
「難しい勉強ヤダ無理」以上の面倒臭さを感じさせてしまうと、フィリップが本気で逃げようと企む──国外逃亡も視野に入れ始める懸念があるからだ。
「⋯⋯何故だ?」
将来の逃げ道どころか逃げようとする可能性を潰したことなどおくびにも出さず、ステラは興味深そうに話題をヘレナからノアへ誘導する。
実際、本当に興味はあった。
なんかしたのかお前という意味で。
より正確には、親友のように面倒なことになっていないだろうなという意味で。
「うーん、まあ簡単に言うと、友達だからですね」
「待て、簡単すぎる。もう少し詳しく話せ、できればそこに至るエピソード付きで」
「あれ、話してませんか? 帝都のこととか、この前の天使襲撃のこととか」
それが全てですと顔で語るフィリップに、ステラは怪訝そうに目を細める。
言わんとするところを察して「なんです?」と問えば、「お前がその程度のことで友情を感じるとは思えないが」と結構な暴言が飛んできた。
私なら無いし、ならばお前も無いだろうと、表情が語っている。
長いお散歩と温かな部屋のせいで眠気を感じ始めているフィリップは、「はへぇ?」と欠伸混じりに聞き返した。
「僕が友情を感じるかどうかは、ノア聖下が僕に悪感情を向けるかどうかに、何も関係しないでしょう」
「……思ったより賢いじゃあないか」
本当に感心したような口ぶりで言われて、フィリップはむっと眉根を寄せ──しかし爆弾をポケットに詰めて帰ってきた身としては何も言えず、無言で紅茶に手を伸ばした。
◇
翌朝。
護衛部隊が出立の準備を着々と整える傍ら、フィリップたちは車列の側で待機していた。
町を出る前に済ませてしまおうと、ノアとヘレナに“事情の説明”をしつつ。
例の光球のことといい、フィリップが単騎で出撃したことといい、疑問は多い。
一応はイライザも話を聞いているが、そもそもフィリップが昨晩王龍を殺しに行ったことさえ知らなかった彼女には「実はね」とフィリップから別途説明がある。
勿論、邪神云々は省いて、王都の一部を吹っ飛ばしたやつを暴走させ、ヴィカリウス・システムまで使ってどうにか──という風に誤魔化して。
「……あれをあの子がやったってことですか? 相当ヤバい存在だとは思ってましたけど、そこまでとは」
ノアはフィリップを──正確にはそのポケットを指してステラに問う。
物理的な視覚には、ズボンが不格好にぽこりと膨らんでいるだけ。だが魔術的には爆光イルミネーション、どこからどう見てもとんでもない代物が入っているのが丸わかりだった。
カスみたいな魔術適性しかない人間との対比もあってなお目立つ。
当然乍ら、ノアがあの子と呼んだのは
その召喚物──ヴィカリウス・シルヴァだ。
「あいつの召喚術のことを教えたのは、魔王に挑むにあたって、最終手段の存在は開示しておくべきだと判断したからだ。ただしこれは最上位の国家機密に値する。もしも他の人間がそのことを知っていたら──」
言葉を切り、問うような視線を送る。
ノアは乾いた唇を舐め、浅くなりかけていた呼吸を意図的な深呼吸で整えた。
どうにか絞り出した「ハイ、黙ります」という返答は、それでも僅かに震えていたけれど。
「でも惜しいわね。それほどの力を持つヴィカリウス・システムという存在が、私たちに力を貸してくれないというのは。……確か、カーター君の命令に従うというわけでもないのよね?」
まだイライザに説明をしている途中だったフィリップだが、自分の名前に反応して意識を向けた。
ちょうどヘレナと目が合って、「はい」と端的に頷き、もうすぐ終わりそうな事情説明に戻る。
正直なところ「まあ大体そんな感じだよ」と言ってしまえば説明終了、くらいのところまで終わっていたのだが、昨夜ステラから変な嫌疑を掛けられているという警告を受けたのを思い出し、変に話すのを避けたのだ。
完全に濡れ衣だし、気になるなら全然調べてくれても──場合によっては投石教会に手を出して頭が爆発して死ぬかもしれないが──フィリップとしては別に構わないけれど。
「まず以て、シルヴァは森林外では全力を出せないもの。今回のこれだって、森ではない場所で無理やりに魔術を使おうとして偶然起こった現象で、狙って再現することは出来ないそうよ」
「惜しいというのは同意見だが、ヴォイドキャリア同様、不安定なものを確定要素として戦術に組み込むのは……。……今回のテストを鑑みるに、少しでも舐めたことをすれば、我々は瞬時に全滅するだろう」
意図を汲んだルキアとステラが言い添えれば、元々会話していたこともあって、ヘレナはすんなりとそちらと話し出す。
代わりのように、フィリップが説明を終えたのを見計らってノアが寄ってきた。
「魔王に付かないだけマシだと思うしかないね。ところでさ、例の魔力塊ってどうするの?」
「どちらかと言うとエネルギー塊なんですけどね。僕よりもっと上手く扱える人に渡します」
肩を組んで凭れてくるノアを、フィリップはぐいぐいと押し退ける。
流石に鍛えられているだけあって、片手で軽々と、とはいかない体重と体幹だ。
「相手の体格が自分より上でも、女性に“重い”は禁句よ」と、脳内で囁くイマジナリー吸血鬼が鬱陶しい。
「……私、何もできませんでした」
「でも生きて帰ってきた。だから“次”がある。……それだけで、僕たちはよくやった方だよ」
一夜明けてもまだ落ち込んでいるイライザを慰めながら、フィリップは愛想笑いに苦みを混ぜる。
あれだけ手も足も出ずに逃げ帰ってきた後で、彼女はまだ、アレに対して何かしら出来るつもりでいるのだから。
人間にはどうにもできないモノだ、
その七倍強い可能性がある魔王龍とやらに、これから挑まねばならないわけだけれど。
キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』
シナリオ31 『試闘、王龍グスタフ』 ノーマルエンド
技能成長:使用技能に妥当な量の成長を与える。
特記:フィリップ・カーター臨死等によりヨグ=ソトースが介入。世界の連続性が消失。正常性が一定値減少
ヨグ=ソトースが介入するような事案は発生しなかった。特記事項なし。