なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 お腹いっぱいで暖かいので寝ます。

 まぁ、気持ちは分からなくもないし、確かにこの書斎は居心地がいい。ルキアの膝枕で昼寝しているフィリップを、羨ましく見ていたことも何度かある。彼の子供的な生活サイクルは知っていた。

 

 ルキア──本来ならルキフェリア・フォン・サークリス聖下と呼ばれるべき高位貴族にして聖人を気後れもせず「ルキア」と呼び、ステラのことも一片の敬意も籠らないあだ名のような調子で「王女殿下」と呼ぶ。その神経の図太さも、よく知っているつもりではあったけれど──まさか、この得体の知れない空間で昼寝とは。いや、外が具体的に何時なのかは分からないので、一概に昼寝と決めつけるのは良くないけれど、そこはどうでもいい。

 

 「……いや、得体の知れない空間だと思っているのは、私だけなのだったか」

 

 ステラが盗み聞いていたフィリップとナイ神父の会話は、とても親しげなものだった。

 ナイ神父の心中こそ読み取れなかったものの、フィリップに対する尊重と敬意は確かなものだと分かる。フィリップの方も、ルキアやステラには見せない、年長者に甘えるような態度だった。

 

 あの二人の間には、確かな信頼関係があるのだろう。

 想定していた仮説のような、共犯関係などではなく──むしろ家族や友人のような、温かみのある関係性が。

 

 ステラは吐瀉物を拭い、いま洗ってきた左手を暖炉に翳して乾かす。

 温かく、心地よい、慣れ親しんだ炎の気配だ。精神空間ということは、これも実際は炎ではなく、魔術的に作り出された幻影に近いものなのだろうけれど、それでも落ち着く。

 

 「……謎の場所に変な奴、か」

 

 先ほど毒が入っていないことを確認した水と軽食に、もう一度指輪と魔力感知の目を向ける。

 変化がないことを確認して、彼女もフィリップ同様に安楽椅子に腰かけた。

 

 「…………」

 

 フィリップを指して「怪しい奴」と評さなかったのは、ステラがフィリップに一定の信頼を置いている証だ。

 

 ステラがフィリップを信頼する理由は、十分ではないにしろ、確かにある。

 

 彼の恐怖と苦悩を見ていた。

 それを乗り越えてステラを救おうとした彼の意志と、その強さを、右手の傷が物語っている。あれはステラに見せるための演技などではなく、本当に自分の喉を貫く一撃だった。

 

 彼に対する諸々の疑念は全く晴れていないけれど、彼の善性だけは証明された。短絡的ではあったにしろ、彼は他人の為に痛みを背負える人間だ。ステラと同じく、幼少期から人間の悪意に触れて来たルキアが傍に置くのは、きっとそういうところに惹かれてなのだろう。

 

 そしてフィリップは賢人ではないが、馬鹿でもない。精度はまだまだ荒いにしても、年相応以上に落ち着いて思考できている。知識の偏りや価値観のずれを窺わせる場面もあるが、会話の論理が破綻するようなこともないし、共通認識の構築速度も速い。

 

 この試験空間とやらを脱出するという目的も一致している。

 協力者として、十分ではないが不足でも無いといったところだ。

 

 サンドイッチを食べ終え、水を飲み干し、ステラも目を閉じる。

 

 「──はぁ」

 

 嘆息する。

 今後の展開次第では、ステラはフィリップを殺さなくてはならない。その事実が、心に暗雲を立ち込めさせる。

 

 現状、ステラがフィリップを殺す理由はない。どころか、守る理由すらある。

 彼の死が試験の終了に直結するのは大前提だが、ではそれはこの空間の消滅と同義か? 否、それは現状では判断できない。フィリップだけが脱出し、ステラが孤立するというのが一番望ましくない状況だ。

 

 そして、今後の探索によってフィリップの死による空間消滅、そしてステラの帰還に確証が持てた場合──ステラはフィリップを殺す。

 

 合理性と戦略性に基づくのなら、ステラは間違いなくそうすべきなのだ。

 フィリップの挺身に、輝かしいまでの善性と人間性に惑わされず、冷徹に、冷酷に、彼を殺すべきだ。

 

 良心が咎めようと、とか。罪悪感に苛まれようと、とか。そんな但し書きは必要ない。普段のステラなら、まず間違いなく一片の躊躇も無く、寸分の後悔も無く実行する。

 それがあらゆる選択肢に優越する支配戦略だから。そんな理由で、彼の善性と人間性を踏みにじる。

 

 それを辛いと思う程度には、フィリップの見せた善性、人間性は輝かしいものではあったけれど──まぁ、惜しい程度だ。行動を決定づけるほどのものではない。

 

 

 嘆息して目を開けると、そこは先ほどまでいた暖炉の前では無くなっている。

 しかし、知らない場所ではない。よく見知った、馴染みのある我が家、王城。その一室だ。

 

 眼前には豪奢なベッドに横たわる老婆と、幼子──かつての自分がいる。

 

 「……またか。いい加減にしてくれ」

 

 これは夢だ。何度も、何度も、この十数年間何度も見てきた、過去の回想だ。

 誰が何と言って、何と答えて、何をするのか。それを完璧に覚えた観劇に等しい退屈で陰鬱な時間だ。──早く、覚めてくれ。

 

 ステラの願いに反して、夢の登場人物たちは台本に沿って動きはじめる。

 

 「ステラ、こちらへ」

 「……はい、おばあさま」

 

 ステラの祖母、前王妃が病床に臥せったのは、今から10年以上も前のことだ。ステラは当時4歳で、ステラの主観では腰ほどの高さのベッドから、漸く頭が出るくらいの背丈しかない。

 

 その低い位置にある頭を撫でながら、祖母が語り掛ける。

 

 「ステラ、今日はどんなお勉強をしたの?」

 「今日は、統治学と経済学、あと、歴史の授業もありました」

 「そう、頑張っているのね」

 

 祖母は柔らかに微笑み、幼いステラの頭を撫でる。

 眼前の自分はにこりともせず、「頑張るも何も、次期女王としては当然のことなのに、褒められているぞ?」と内心首を傾げていたことを思い出し、我が事ながら苦笑が浮かぶ。

 

 幼子の思考にいちいちケチをつけるのがナンセンスだと、勿論理解しているけれど──やはり自分のこととなると別だ。

 

 「じゃあステラ、問題。王国の統治体制は?」

 「専制君主制です、おばあさま。おとうさま……じゃなくて、国王が制定する法により国民を統治し、しかし国王の持つ権利の一切が法の制限を受けない形式です」

 「正解。よくできました」

 

 祖母が頷き、幼いステラも当然のことと頷きを返す。

 いまのステラは苦い笑いを浮かべるだけだ。賢しらぶったガキには──昔の自分には、羞恥心すら催す。

 

 「ステラは、この統治構造をどう思う?」

 「どう、とは?」

 

 質問の意図を測りかねたように反問したステラに、祖母は少し考えて言葉を重ねる。

 

 「統治の形として最善だと思う? 一人の人間が国全体の、王国で言えば6000万人もの人間の進む方向を決定づけてしまう。そんな形が、正解だと思う?」

 

 ──当時、王国は戦争の危機に瀕していた。

 より正確に言えば、内紛の危機に。前国王と確執のあった大公が軍を集結させ、現国王の武力排除を計画していた。数年後には王国が派兵し、ルキアやヘレナといった極大戦力によって完膚なきまでに壊滅させられるけれど──祖母が生きていた頃は、まだ戦争の気配と、それを引き起こした前国王への糾弾の声があった。

 

 祖母はそんな空気に中てられ、体調を崩し──問題の解決を見ることなく、この世を去った。

 

 別に、それに思う所があるわけではない。

 君主がベッドの上で死ねるのは、国が平和な証だ。寝台で家族に看取られて死んだ王の名前は暗記できても、断頭台や食卓、酒宴の席で死んだ為政者の名前は覚えきれない。

 

 まぁ、だから。

 眼前の自分と意見が一致するというのは、心に多少の波を立てるけれど。いま同じ質問をされても、ステラの答えは変わらない。

 

 「統治の形に拘る時点で、全て不正解でしょう」

 

 専制君主制も、立憲君主制も、議院内閣制も、法を持たない軍事国家も、信義を法代わりとする宗教国家も、差異はない。

 

 専制君主制は個人或いはごく少数の人間が意思決定権を持つため、意思決定が素早い。しかし、誤謬に気付きづらいという欠点もある。

 意思決定権を個人ではなく議会という総体に持たせる議院制は、誤謬を無くせるという触れ込みだけれど──意思決定の遅さという欠点があるくせに、意思決定が正しいとは限らない。人間という間違える存在の集合が、間違いを生まないわけがないのだから。

 

 統治の正しさに、政治体制は関係ない。統治体制で変わるのは意思決定の早さだけだ。

 

 ならば──

 

 「無謬存在による独裁。これが、政治体制における理論最適解です」

 

 その答えに、祖母はなんと答えたのだったか。それを見る前に、夢はいつもここで終わる。

 寝起き特有の倦怠感を覚えながら目を開け──一口には形容しがたい表情のフィリップと目が合う。

 

 「あー……えっと、とりあえず、おはようございます。殿下」

 「……あぁ、おはよう。人の寝顔を、そうまじまじと見るものではないぞ。……どうした?」

 「いえ、別に。何でもありません」

 

 この状況で昼寝とか正気か、と。自分のことは完全に棚上げして愕然としていたフィリップは、ステラの訝る視線を適当に躱す。

 

 「それより、そろそろ浴場に行ってみませんか? 確実に敵がいるので、殿下は──」

 「いや。万が一お前が敗北、或いは死亡した場合、魔術の使えない私一人が残ったところでどうしようもない。戦闘になるなら尚更、一緒に行くべきだ」

 

 鍵を示しつつそう言うと、ステラがそれを遮る。

 

 そりゃあ、単純に1対多が2対多になるのはありがたいけれど、フィリップにステラを守る力はない。

 より正確には、使える魔術全てが何かを守りながら戦うことを想定していない。対人攻撃魔術もあるにはあるが、外観と残虐性に問題がある。あとは極大火力のクトゥグア召喚。相手は死に、味方は狂う。バカの考えたラインナップだ。

 

 しかし、フィリップは今や、なんとなく現代魔術っぽい、少なくとも現代魔術と言い張れないこともない外観と威力の魔術を手に入れた。

 詠唱や接続プロセスにはステラ発狂のリスクがあるけれど、クトゥグア召喚のように確実に発狂するわけでもない。……たぶん。

 

 つまり、切りにくいだけで、切れない切り札というわけではないのだ。

 やっぱり大躍進だよなぁ、と。この場にナイ神父がいればまたぞろ「でも弱いじゃないですか?」と言われそうなことを考えつつ、ステラに予め警告しておく。

 

 「殿下、僕が「対爆防御」と叫んだら、目と耳を塞いでくださいね」

 「例の爆破魔術だな。分かった」

 

 流石の理解力だと感心しつつ、これは迂闊なことを言えないなと内心冷や汗をかく。

 ステラが耳を塞いで、フィリップが限界まで小声で詠唱すれば、まぁ聞こえはしないだろう。目を閉じていれば、術式に含まれるハスターの居城との接続プロセスを見て発狂することもない。破壊痕も現代魔術のものと見分けがつかないだろうし、こちらは見られても問題ない。それに、たぶん部屋自体、空間自体は傷付かないようになっている。好き勝手ぶっ放せるわけだ。

 

 「……よし、じゃあ行きましょうか。ナイフは──」

 「持った。私が前衛を張ろうか?」

 

 ふむ、と。フィリップは暫し考える。

 

 中に何がいるのかは不明だが、ステラが「音」と表現した邪悪言語、あれをフィリップが聞き取れたということは、比較的人間に近い器官を持つ存在だ。

 シュブ=ニグラスのように人間とはかけ離れた形状の存在が使う邪悪言語は、フィリップにすら「音」として捉えられる。意味は分かるが、発音は理解も再現もできない。

 

 つまり、中にいる神話生物は人型。少なくとも直視して即発狂するような外観ではないはずだ。

 

 魔術は使えなくとも戦闘能力のあるステラが前衛を張り、フィリップは後衛から領域外魔術で攻撃する。このツーマンセル方式は理に適った戦術と言える。

 しかし、中にいるのが人型個体()()とは限らない。

 

 「まずは部屋の外から、中に何がいるのか確認しましょう。大丈夫そうなら、前衛をお願いします」

 「分かった。……中に何がいるのか、当てがありそうな口ぶりだな?」

 「……いえ、最悪の想定がある程度ですよ」

 

 ホントに迂闊なこと言えないなぁ、と頭を掻きつつ、居心地の良い書斎を後にした。

 

 

クトゥルフ神話要素の強さ塩梅

  • 多すぎる。もっとナーロッパ強くていい
  • 多いけどまあこのぐらいで
  • ちょうどいい
  • 少ないけどまあこのぐらいで
  • 少なすぎる。もっとクトゥルフしていい

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