騎士型アラガミとのファーストコンタクトから一週間が経った。
誰も欠けずに極東支部への帰還を果たしたブラッドだったが、カズマは瀕死の重体で、すぐに集中治療室に搬送された。
シエルの迅速な応急措置と医師の懸命な治療のおかげで、カズマは何とか一命をとりとめた。しかし、治療から一週間経った今でもカズマの意識は戻らず、病室のベッドで眠り続けている。
シエルは一人、カズマの病室へと続く廊下を歩いていた。
時刻は午後一時。普段ならゴッドイーター達で賑わう極東支部なのだが、今は灯を落としたかの様に雰囲気が暗く、静かだ。
カズマの負傷の報告は他のゴッドイーター達に大きな衝撃をもたらした。彼を慕うゴッドイーターは多く、皆意気消沈していた。特にカズマを慕っているエリナとカノンは落ち込みようは通夜の如く、ろくに戦えない程だった。
病室の前に着いた。
シエルは返事が返ってこないと分かっていながらも、病室の扉をノックした。
むなしい沈黙の中、シエルは少し待ってから扉を開いてお辞儀をしてから入った。
「失礼します」
病室に入ったシエルは、カズマのベッドに近寄って、その横にあるパイプ椅子に座った。
眠るカズマしかいない個室には、花束や菓子等の見舞いの品に溢れ、彼がどれだけ慕われているかが、うかがい知れる。
「こんにちは、カズマ。今日も来ましたよ」
シエルは眠り続けているカズマに語りかける。
意味が無いと分かっていてもそうせずに居られなかった。
黙っていたら、現実に真っ正面から向き合わなければならない。そうしたらシエルは泣いてしまいそうだった。泣いて、哭いて、心が折れてしまう。それだけは避けなければならない。自分はブラッドの副隊長、カズマの右腕だ。彼が居ない間は自分がブラッドを率いなければならない。故に泣くなどの醜態はさらせない。
「ふう、まだ君は寝ているのですか?」
視界に、点滴に繋がれたカズマの傷だらけの腕が入った。それを意識的に目をそらして、見ないようにする。
「君が実は怠け者で、寝るのが好きというのは知っています。だから……だか、ら……」
言葉がつっかえ、嗚咽が洩れそうになる。
深呼吸して気持ちを落ち着かせようとして、失敗した。
唾を呑み込んで、また失敗した。
カズマと一緒に過ごした楽しい日々を思い出して気持ちを切り替えようとして、大失敗した。
もう限界だった。シエルの目から透明な雫がボロボロとこぼれる。擦っても拭っても、次から次へと透明な雫は流れ続けて、止められない。
「カズマ……見て、見てください。……私は君が居ないと、こんなに駄目、なんです……君が必要なんです……」
限界に達したシエルは蹲り、遂に泣き出してしまった。それでも声を殺して泣いたのは、職務をまっとうしようとする彼女の責任感の表れだった。
どれくらい時間が経っても泣いて、泣いて、涙が止まらず、止まらない涙を拭い続けていた。
「寝ている人間の側で泣くな。縁起が悪いだろが」
不意にカズマの声が聞こえ、シエルは思わず顔を上げた。
顔を上げた先には、ベッドに横たわりながらシエルに咎めるような視線を送るカズマの姿があった。
「カ、カズマ……?」
シエルが我が目を疑うように凝視する中、カズマは体を起こす。
一週間寝続けて筋肉が鈍ったのか、手こずりながらも体を起こした。
そして、カズマはシエルに向き直った。
「おはよう、シエル。俺が寝ていた間の事を報告して欲しいが、今は死ぬほど腹が減っているから何か食う物を持ってきてくれ」
あまりにも普段過ぎるカズマの言動にシエルは更に涙を流した。だが、今度の涙は悲しみによるものではない。嬉しさによるよるものだ。
シエルは感極まってカズマを抱き締めた。
そして、シエルは思い付く限りの言葉でカズマをなじった。
「馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿! 君は馬鹿です! 大馬鹿です! とんでもない大馬鹿野郎です! どれだけ私達が心配したと思っているのですか!」
普段の彼女のクールで知的な様子からはかけ離れた稚拙な罵倒。
しかし、想いを伝えるのにはそれで十分だった。
カズマは子供をあやす様にシエルの背中を優しく叩いた。
「心配をかけて悪かったシエル。反省してるからこの辺で勘弁してくれ」
「本当ですか?」
体を密着させたまま、シエルはカズマの顔を覗き込むように向き直った。それにより、必然的に上目遣いになる。
体を密着させたシエルからは、女性特有の甘い香りが漂い、カズマの鼻腔をくすぐる。華奢な彼女の体を抱き留める腕からは暖かな体温が伝わってくる。彼女の豊かな胸は形を変えるくらいにカズマの胸板に押し付けられていて、その感触に否応なく心拍数が上がる。
シエルの潤んだ瞳がカズマを見つめる。
どこか扇情的な雰囲気が立ち込め、カズマは思わず生唾を飲み込む。
はっきりと言って、カズマはシエルを一人の女性として愛している。仕事中は上司と部下の関係だが、プライベートで彼女を異性として意識したことは何度もある。
カズマとシエルが見つめ合っていると、シエルが誘うように目を閉じて、桜色の艶やかな唇を小さく突き出した。
ここまで好きな相手にお膳立てされて引く男は居ない。
カズマはシエルの全てを受け取ろうと彼女の唇に自身の唇を近づける。
また、シエルはカズマに全てを捧げようと彼の唇に自身の唇を近づける。
あと2㎝、あと1㎝、遂にカズマとシエルの唇が重な━━
「あっ! カズマが起きてる!」
━━らなかった。
ナナの声により、行為は中断され、カズマとシエルはお互い弾かれたように体を離した。その際、シエルは思いっきりカズマを突き飛ばしてしまい、カズマは病室の壁に後頭部を強く打ち付けてしまった。
ゴズン! と言うような危険な音がしたのに気付かず、シエルは慌て立ち上がってナナの方に体ごと振り向いた。
そして、シエルは両手をわたわたと振り乱し、必死に弁明する。
「ナっ、ナナさん。これは違うんです。私とカズマとの間にやましい事など無くむしろ無さすぎるのが問題で……あっ今のは聞かなかったことにしてください。私はただカズマの目を……そう! カズマの目を見て瞳孔反応から彼の健康状態を探ろうとしたのですからやましい気持ちなど一切無くてですね……!」
シエルの言葉の羅列にナナはポカンとしていた。
一緒に来ていたギルが、ナナの背後から病室の中を覗いた。その時、ヤバイ物を見つけてしまい、声をかけた。
「なあ、カズマが死んでないか?」
「え?」
「へ?」
ギルの言葉で我に帰ったシエルとナナがカズマを見た。
ベッドの上ではカズマが白目を剥きながら泡を吹いて倒れていた。
「「カ、カズマ!」」
シエルとナナが同時に叫んだ。それがナースコール代わりになり、看護師がすぐに駆け付けた。
「━━これに懲りたら二度と病室では騒がないでください。良いですね?」
「申し訳ありませんでした」
「ごめんなさあい」
看護師の桐谷ヤエに叱られシエルとナナが揃って頭を下げる。
取り敢えずそれでよしとして、ヤエは頷いて病室の退出した。
しかし、ヤエはカズマの病室の前で何か思案するように立ち止まると、胸ポケットから一冊の手帳を取り出した。
手帳からまだ使っていないページを千切ると、何かを書き込んだ。それをネームプレートの下に張り付けると、そのまま仕事に戻った。
ヤエが残したメモ用紙にはこう書かれていた。
『患者に対する一切の暴力行為を禁ずる』
ブラッドの問題行動によって変な注意書きが生まれた瞬間であった。
ヤエが去った病室ではブラッドの面々が顔を合わせていた。
カズマはベッドの上であぐらをかいて、後頭部のたんこぶに氷嚢を当てている。その表情は憮然としていた。
ギルは元凶であるシエルに非難の目を向ける。
対するシエルは自分に非は無いと言わんばかりにナナを流し見る。
そして、ナナは理不尽な怒りを向けられている気がして、戸惑った様子であちこちに視線をさ迷わせていた。
「えっとお、取り敢えず、復活? おめでとう、カズマ」
「ありがとうな、ナナ。だが、許さん。本調子になったら取り敢えずお前は俺の対人格闘訓練に付き合って貰うぞ」
「うぇ!? なんで!?」
「カズマ、その訓練に私が参加しても?」
「シエルちゃんまで!」
「ワリィ、庇い切れねえよナナ」
「なんでよ、ギル!」
ナナは知らない。
カズマとシエルが良い雰囲気になっていたのを邪魔されて怒っているのを。
ギルはカズマとシエルが何をしていたのかを察しているので、理不尽だとは思いつつも知らぬふりをしていた。
「さて、ふざけるのもここまでにして、お前たちの報告を聞かせて貰おうか」
急に周りの空気が引き締まった。
ここに居る全員が仕事のモードに切り替わったのだ。
だが、それでもナナは先に言っておきたかった。
「お帰り、カズマ。君の目が覚めてくれて嬉しいよ。君が居ないとおでんパンが美味しくないからね」
ナナは柔らかな表情でそう言った。
それに続いてギルが口を開く。
「やっとのお目覚めだな、相棒。言っとくが、俺達にはやることが山ほどあるんだ。だから俺らは簡単にくたばんねえし、お前も死なせねえよ。絶対にな」
ギルは口の端を釣り上げて言った。
最後にシエルが優しく微笑みながら言う。
「私達は全員でブラッドと言う一つの生き物です。だから誰一人として欠ける事は私が許しません。隊長である君なら尚更です」
一人一人の言葉がカズマの胸に染みる。
(また心配をかけちまったな。まったく、相変わらず成長しない人間だ、俺は)
心配してくれる人が居る事を再認識したカズマは、目頭が熱くなるのを感じながら顔を俯かせる。
でも、それも少しの事。晴れやかな表情を浮かべた顔を上げると、シエルとナナとギルの顔を見渡して、不敵な笑みを浮かべた。
「俺もお前たちの顔が見れて嬉しいぞ。付いてくるんだったら何処までも付いてこい」
「「「了解!」」」
全員の意志が一つになった返事を聞いて、カズマは反撃の為の策を練り始めた。