『――ねえ、白い彼岸花の花言葉って知ってる?』
それは単なる気まぐれであった。幼い子供にありがちな脈絡のない発言。自分の知識で相手にマウントを取りたいだけか、或いはただ唐突に思いついただけか。少年の目前では孔雀青の髪をした少女が首を傾げていた。
少年の家は花屋であった。商店街の一角にある、ただ取り揃えている種類が妙に多いことだけが取り柄のどこにでもある花屋だ。少年はその花屋のひとり息子。そして少女は親に連れられて来た客。
そこに特別な関係性はない。ただ来店と共に出会って、退店と共に別れる。一期一会と言うことすら憚られる、極めて希薄な関わりだ。ただ親が何かを話していて、ふたりとも暇だったから偶然に話した。ただそれだけの出会い。
『知らない。本当にあるの、そんなお花?』
『あるよ。えぇと、リコリス・アルビフロラっていうんだ。……まぁ、今はウチにないんだけど』
ごめんね、と言って恥ずかしそうに少年は笑う。どうして謝ったのか少女には分からなかったが、ううん、と言って首を横に振った。しかし少年は本当に申し訳なさそうに薄く笑う。
花は少年の生きがいのひとつだった。物心ついた頃から花と共に育ってきた彼は至極当然のように花に興味を持ち、幼子故の脅威的な集中力と吸収力で花についての知識を蓄えた。或いは少年の行動は、誰かにその知識を披露したいがためのものだったのかも知れない。
数ある花の中で彼岸花、それも非常に珍しい
赤色の彼岸花と黄色の彼岸花が交雑した時に発生する、非常に珍しい種。少年が惹かれたのはそんな儚さもあるが、その姿こそのものでもある。そうして少年が答えを言おうとした時、少女が母親に呼ばれてしまった。どちらを優先して良いのか分からず、当惑する少女。少年はそんな少女に優しく微笑む。
『いいよ。答えはまた会えたら、その時に』
『……うん』
その言葉を最後に彼らの会話は終わり、少女は母親に連れられて帰り、少年は店の手伝いに戻っていく。時に何ということもない、ごくごくありふれた商店街の一幕だ。実は少女は双子で、その時妹は風邪を引いていたことも少年は知らない。
それが始まり。少年〝駿河櫻華〟と少女〝氷川紗夜〟の出会いであった。
駿河櫻華は花屋の息子である。物心ついた頃から花と共に育ち、当然のように花の知識をつけ、学校の休日は友人と遊ぶことよりも自主的に店番をして花の世話をしていることが多かった。誰が読んだか〝花を愛し、花に愛された男〟。それがいつしか自称に変わっていたのは最早笑えない話であろう。
そんな奇妙な男である櫻華だが、もうひとつ昔から続けている趣味があった。それがギターである。最早始めた理由すらも判然としないが、櫻華は昔からギターを続けていた。長く続けてきたが故に、その腕前も相当なものである。
商店街の一角にある店の中から聞こえてくるのは櫻華の奏でるギターの音色。とはいえそれほど大きい音でもなく、精々が店の前を通りかかると聞こえてくる程のものである。
それでも心の狭い者であれば近所迷惑だ何だと騒ぎ立てているのであろうが、この商店街にはそのような者はいなかった。むしろ隣人を大切に思うおおらかで寛容な気性の人間が多いせいか、櫻華の演奏は半ば商店街の名物と化していた。
だがたかがひとつの商店街の名物と侮る勿れ。その演奏は大胆にして繊細。相反する筈の属性を同時に内包しつつ、決して破綻しない。そして何より、櫻華の音には感情が乗りやすい。それは逆に言えば感情に左右されやすいということでもあるのだが、基本的に
今、櫻華が弾いているのは某有名RPGのボス戦BGM、そのギターアレンジである。故に歌ってはいない。特に練習した訳ではない、自分の記憶から掘り起こしたものを耳コピした即興のものであるから違和感もあるだろうが、演奏自体の完成度は非常に高い。
しかしそれを支えているのは才能ではない。櫻華のギターの才能はさしたるものではない。凡庸でないが才人ではない、そういった半端なレベルであったのだ。故に櫻華の演奏を支えているのは日々の継続、努力、研鑽だ。
そうして半ば無心で、しかしその奥底にあるものを音に乗せて吐き出すように演奏を続ける。そのうちに櫻華に話しかける声があった。
「演奏してるトコ悪いねぇ。ちょっと良いかい?」
「あぁ、おばちゃん。構わないよ」
知り合いの老女の要望に応え、櫻華は椅子の傍にギターを置いて立ち上がる。老女の希望は祝いの席で主賓に贈るような花束だ。それを聞いて、手早く迷わずに花を選んでいく。
櫻華が迷わずに花を選ぶことができているのは花の見た目故でもあるが、何よりその花言葉を覚えているからだ。たとえば祝いの席で贈る花束に
流れるような動作で花を選んでいき、慣れた手つきでそれを花束に纏める。続けて会計を済ませて花束を持っていき老女に渡して見送った後、櫻華は背後から声をかけられた。
「駿河君」
名前を呼ばれ、振り返る。果たしてそこにいたのは3人の少女であった。初めに櫻華に話しかけてきたのは、長く流麗な銀髪と金色の瞳を持つ少女。そしてその隣にいるのは見た目はギャルめいていながら何故か真面目そうにも見える、茶髪をポニーテールにした少女。
そして、最後のひとり。孔雀青の髪を肩より少し下まで伸ばした少々たれ目な黄緑色の瞳をした少女。唐突な来訪にも櫻華は狼狽えない。まるで来ることが分かっていたかのように。或いは、その気安さには客ではなく友人を出迎えるかのような気配さえあった。
一言で言えば、その銀髪の少女――〝湊友希那〟はお得意様と言える存在であった。尤も、本当にお得意様と言うにはあまりにも購入する品物が限られているのだが。
「よう、湊。いつものか?」
「えぇ。勿論よ」
その返答が返ってくるや、櫻華は一旦店内に戻っていく。友希那は『いつもの』としか言っていないが、それだけで分かるほど友希那は同じものしか買っていないのであった。
暫くして店の奥から戻ってきた櫻華の手にあったのは、一輪の青い薔薇であった。花言葉は〝不可能〟――ではなく〝奇跡〟や〝不可能を乗り越える〟である。元々は栽培ができなかったため『不可能』であったのだが、近年になってから栽培ができるようになったため花言葉が変わったという経緯がある花が青薔薇であった。
友希那に青い薔薇を渡し、代わりに代金を受け取る。丁度の金額だ。それをエプロンのポケットに突っ込み、半ば呆れめいた、しかし柔らかな笑みを見せる。
「お前も好きだねぇ。ソレしか買わねぇじゃん」
「当然よ。コレは〝私たち〟だもの」
毅然とした態度でそう返す友希那に、櫻華は肩をすくめて返す。櫻華としてもそれは知っているのだが、何度も同じものしか買わないとそうも言いたくなるのだ。尤もその冗談も友希那の前では無意味に等しい。
友希那が言う〝私たち〟とは彼女をボーカル兼リーダーとするガールズバンド〝Roselia〟のことである。今年になってから結成されたバンドだが、その知名度は高くプロからも注目されている。
そのバンド名の由来は青薔薇と椿。特に青薔薇は友希那の中でも相当に重要な位置を占めているらしく、こうしてよく買いにくるのである。友希那がお得意様であるのはすいうことだ。そうして櫻華が大きく息を吐いた時、ポニーテールの少女――〝今井リサ〟が口を開く。
「てか、青い薔薇って珍しいよね。アタシ、ここ以外で見たことないかも」
「まぁ、ウチはやたら種類が多いのだけが取り柄だし。ちょっと前までは物珍しさに惹かれた客か湊しか買っていかなかったんだが、最近売り上げが上がってきてな。何でだと思う?」
「私たちの影響……かしら、櫻華?」
櫻華の問いにそう答えたのは孔雀青の長い髪の少女、Roseliaの中では唯一櫻華と昔から付き合いがある所謂幼馴染――と言うには微妙な距離感であるが――である〝氷川紗夜〟である。
紗夜の答えに櫻華は無言で頷きを返す。この街で活動している学生バンドはいくつかあるが、Roseliaはその中でも間違いなく実力はトップだ。それ故にファンも多く、そのファンが時折買っていくのである。
「それじゃあ、また。次もよろしくお願いするわ。行くわよ、リサ」
「あっ、待ってよ友希那! じゃね、ふたりとも!」
そう言って去っていく友希那とリサ。その間際友希那は目くばせを、リサはウインクを紗夜に送る。櫻華にはその意図が分からなかったものの紗夜には分かったらしく、顔を赤くした。
視線だけで『帰らないの?』と問う櫻華。その櫻華の視線に向きになったかのように、或いは吹っ切れたかのように櫻華の方に向き直る紗夜。あまり見せない紗夜の様子に首を傾げる櫻華だが、その疑念に解答を与える筈もない。
「えー、オホン。……櫻華、まりなさんから今度ライブに出ると聞いたのだけど、本当?」
「お、おう。その予定だけど……」
櫻華がライブに出ると言っても、無論単独ではない。ただこの街にあるライブハウス〝
先程友希那とリサが離れてからというもの、やはり紗夜の様子はどこかぎこちない。花の機微には敏感でも人間の機微には疎い櫻華でも分かるのだから相当なものであろう。
居心地が悪そうに髪を弄りながら視線を右往左往させる紗夜。そんな紗夜を前に櫻華は何もすることができない。そもそもそのような状況下で適切に対応できるほど、櫻華は対人経験値が多くない。そうしているうち、櫻華は客に呼ばれてしまった。
「すいません、今行きます! 悪いな、紗夜。また学校で!」
「あっ……」
紗夜が何か言おうとするも、櫻華は客の対応に行ってしまう。その場にひとり取り残される紗夜。そうして帰路に着こうとしたその時、彼女の視界の中に一輪の花が入ってきた。
白い曼殊沙華。紗夜が初めてこの店に来た時に櫻華が紹介してきた花。その花言葉は――。
「本当、いつまでも鈍感な人……」
その言葉は誰にも届くことはなく、ただ高い青空に溶けていった。