動画投稿サイト、というものがある。
ひと昔ほど前までは動画編集、或いは大衆の目に触れる動画と言えばテレビか何かを想像したのだろうが、今はそちらを想起する者は殆どいまい。大体が動画投稿サイトか自らの好きな動画投稿者を連想する筈だ。
今では最大手となっている動画投稿サイトの設立が2005年であり本格的に名前が売れ始めたのが2006年、日本企業の動画投稿サイトに限ればその設立が2006年であるから、このジャンルがどれだけ急速な成長を遂げてきたか分かるだろう。
一口に動画と言ってもジャンルは様々だ。有名な所であれば商品レビューやゲーム実況、料理動画など。中には政治論議や真実かデマか分からないような芸能情報をまとめたものまである。
そしてメジャーなジャンルの中に〝歌ってみた〟や〝弾いてみた〟と呼ばれるものがある。名前からも分かる通りそれらは既に世に出ている楽曲のカバーをした動画だ。前者は歌で、後者は楽器を使ったもの。
似たようなジャンルであるが、両方ともに投稿している人は少ない。それはそうだろう。同じ音楽系であってもそれらは必要とされるスキルが根本から異なる。それらを他者から見ても高いレベルを維持するなど面倒なことこの上ない。アフィリエイトで食べていこうと思うのなら、どちらか一方に絞るのが賢明だ。
紗夜が今聴いているのはそういう〝稀な動画投稿者〟が投稿した動画であった。ユーザーネームは〝さっくん〟。歌ってみたと弾いてみたの動画共に高いレベルを誇り、かなりの視聴者数を叩き出す動画投稿者である。広告はどの動画にも付いていないから収益化はしていないのだろうが、仮にしていれば相当な額を稼いでいる筈だ。
無論、紗夜はそれほど動画投稿サイトを利用する訳ではない。そんなことをしている暇があるのならギターの練習をしている方が余程有意義だ、とも思っている。しかしその投稿者だけは別だった。
そのさっくんなる投稿者の正体を紗夜は知っている。櫻華だ。本人が言っていた訳ではないが、紗夜がその声を、演奏を聞き違える筈がない。間違いなく動画投稿者さっくんの正体は櫻華だ。
さっくんが主に投稿しているのは特撮番組やアニメの主題歌、ボーカロイド曲のカバー。時折自ら作詞作曲したオリジナル楽曲。高評価の数を見ればかなりの数で、高評価と低評価の比率を見てもさっくんがかなりの人気であることは疑うまでもなかった。
最近投稿された動画のコメントを見てみれば――無論、何件か俗にアンチと呼ばれるコメントもあるにはあるが――多くがさっくんの腕前を評価するコメントであった。中にはメジャーデビューを待ち望むような声もある。
そんな言葉を見る度、自らの内側から何とも形容しがたい思いが湧き上がってくるのを紗夜は自覚していた。それは嫉妬ではない。幼馴染が有名であるのは素直に嬉しい。故にその感情は別の所から湧き出ているものだ。
誰かが言う。天才ではないか、と。また別の誰かが言う。自慢か、と。その全てに対し、何を馬鹿な、と紗夜は思う。端的に言えば彼女は何も知らない人間が知った気になって櫻華について語っているのが気にくわないのだ。
昨夜眠っているうちにアップロードされた動画が終わり、イヤホンを外してスマホを鞄に放り込む。カーテンの隙間からは朝日の光が差し込んできて、電気が点いていない部屋を照らす。
「櫻華の演奏、やはり前よりも上手くなっているわね……」
当然のことであるのかもしれないが、初めに投稿された動画と最新の動画では腕前がまるで違う。それはギターも、歌もだ。その成長速度には目を見張るものがある。毎日の研鑽の結果だろう。
Roseliaでギターを担当し、日々血の滲むような努力を重ねている紗夜だが、その腕前は櫻華に及んでいないと彼女自身は考えている。それは続けている年月の違いの表れか。否。それを理由にするのは甘えでしかない。
紗夜も櫻華も、決して日菜のような万能の天才ではない。それでもふたりは努力を重ね、ここまで至った。その関係性は幼馴染であると同時に
「私も、負けていられない……!!」
花咲川学園。元は女子のみが在籍を許された中高一貫校であったが数年前から共学になった学校である。そのため現在では男子生徒も在籍しているのだが、元が女子高であるだけに圧倒的に女子生徒の方が多い。
周りは女子ばかり、というと性格によっては鼻の下を伸ばしてはしゃぎながら生活する男子生徒もいるのだろうが、生憎と櫻華はそういう人種ではなかった。しかし女子との付き合いができない訳ではない。ただ必要以上に姦しいのが苦手なだけだ。
そのため昼休み、櫻華は教室を離れて昼食を食べる。その時間の教室は基本的に授業の拘束から解放された反動で喧騒に包まれているが故に、櫻華にとっては非常に居心地の悪い空間なのだ。無論、友人から誘われればその限りではないが、その友人もあまり騒がしい場所が好きな性質ではない。
教室を離れた櫻華が向かったのは昇降口近くにある花壇であった。そこから見える校庭では運動系の部活が昼の練習に勤しんでいる。それを横目に櫻華は花壇の横に座り、制服のポケットから音楽プレーヤーを取り出す。そうしてシャッフルで再生を始めると、アイドルらしいポップな前奏が流れ始めた。
その曲は最近リリースされたばかりの〝Pastel*Palettes〟の新曲〝もういちどルミナス〟。櫻華はあまりアイドルの曲は聞かないが、パスパレだけは例外だ。パスパレだけはデビュー曲である〝しゅわりん☆どり~みん〟から全てのCDを買っている。そういう意味では最古参のファンのひとりとも言えるだろう。
それを聴きながら弁当を開けると、その中身はサンドイッチであった。商店街にある〝やまぶきベーカリー〟というパン屋――そこのひとり娘も櫻華の幼馴染のひとりである――の食パンを使って櫻華の母が作ったものだ。
一緒に入っていた手指消毒液で手を消毒し、サンドイッチに手を伸ばす。そうしてそれに口を付けようとした時、不意にイヤホン越しでも聞こえる声が彼の耳朶を打った。
「イマドキの中高生に大人気! 謎の動画投稿者さっくんとは……」
「ッ!? この声は……」
明らかに櫻華に話しかけている声のする方へ、櫻華は恐る恐るといった様子で振り返る。その様子はとても親しい友人に話しかけられたというものではなく、さりとて嫌いな相手に話しかけられた訳でもない微妙なものである。
果たしてその視線の先にいたのはクリーム色の長い髪をした、小柄な少女であった。その少女はしてやったりといった表情でスマホをポケットに仕舞う。対して逃れられないと悟った櫻華が大きくため息を吐く。そんな仕草をしながらも少女の声が聞こえやすいように片耳からイヤホンを外すのは、いかにも彼らしい。
その少女の名前は〝白鷺千聖〟。元子役の若手女優でああり、パスパレに所属するベーシストでもある。櫻華と同じくクラスは2年A組。加えて中等部でも何度か同じクラスになったことがある、所謂腐れ縁とも言える仲であった。
「白鷺……なんでお前がここに? 松原やら丸山と飯食ってるんじゃないのか?」
「それが花音も彩ちゃんも用事があるらしくて……どうしようか考えてたら教室から出て行く貴方が見えたのよ」
「見えたのよ、じゃねぇよ。なんで俺なんだよ」
櫻華の抗議を無視し、櫻華の対面に座る千聖。どうやらその場から離れる気がないらしいと気づいた櫻華は再び大きくため息を一度吐くと、無造作にサンドイッチを頬張った。マスタードの酸味が口の中に広がる。
櫻華と千聖は中学からの同級生であるが、櫻華は未だに千聖のことがよく分からなかった。そもそも住む世界が違うだとか、そういうことではない。少なくとも櫻華の目の前にいるのは『アイドル』白鷺千聖
千聖から櫻華に向けられる感情は、櫻華の基準で言えば〝興味〟だ。だからこそ、分からない。確かに駿河櫻華は奇妙な男ではあるが、他者から興味を向けられるような男ではない筈だ。そんな益体もないことを考える櫻華に言葉が投げられる。
「見たわよ、昨日の動画。また上手くなったんじゃない?」
「そう思ってくれるなら毎日練習してる甲斐があるな。……でも、駄目だ。何かが違う」
あまり要領を得ない櫻華の言葉に千聖は更に問いを重ねるも、櫻華から明瞭な答えが返ってくることはなかった。それはそうだろう。何かが違う、と感じている櫻華自身が何が何から違うのかよく分かっていないのだから。
自身の音が嫌いなのではない。そもそも嫌いであるのなら弾いてみた動画をネットにアップロードするような真似などしないし、したとしても爆発的に人気になることもなかっただろう。櫻華の音には感情が乗る。嫌いであるのなら、それは視聴者にも伝わってしまう。
故にそれは櫻華自身の裡で帰結する問題であるのだろう。それも自覚できておらず、それどころか音にすら現れないのだから相当なものだ。ぶつぶつと小さな声で呟く櫻華に千聖は咳払いをぶつける。
「まぁいいわ。それは私が干渉すべき問題ではないもの。……それより、さっきの記事のことだけれど……」
「あぁ、あれネットの記事だったの?」
「当然じゃない。私は貴方を渾名で呼ばないわ。それで、貴方、デビューしたりCD出す気はあったりしない?」
千聖の問いに櫻華がむう、と唸る。その仕草は言外に自分こそがさっくんであると認めているようなものだが、それこそ今更というものだ。既に花咲川の中においてさっくんの正体が櫻華であるのは広く知れ渡っている。
さっくんの人気はかなりのものだ。視聴者数や高評価数と低評価数の比率だけで言えば低く見積もっても中堅以上の地位を築いている。実力を加味すれば更に上位にいくだろう。客観的に見て、それは間違いない。
だが櫻華が自分の演奏や歌を動画にして投稿しているのはあくまでも趣味、そして自分の腕前が世間でどこまで通用するのかを確認するためだ。そこにそれ以上の意味はない。尤も、有名になることは気分が悪い訳ではないが。
「……今はその気はないな。俺は今で十分だ」
「あら、残念。その気があるのなら事務所を紹介してあげても良いのだけれど」
本気か冗談か分からない笑みでそう言う千聖。睨むようにその眼を見ても、感情の機微に鈍感な櫻華では現役女優の本心を見破ることはできない。そんな会話をしているうちに櫻華の弁当は全てなくなっていた。
プレーヤーから流れる曲も何曲か移り変わり、次に再生が始まったのはパスパレの曲である〝ゆら・ゆらRing-Dong-Dance〟。それと同時に櫻華は開いた両手を空中で構え、ギターの演奏に合わせて動かし始めた。所謂エアギターである。
譜面はない。持ってもいない。櫻華はただ何度も繰り返し同じ曲を聴き込み、演奏の中からギターの音を抽出し、自分の裡に落とし込んだのである。それはこの曲だけではない。櫻華はそれを何度もやっている。
「随分と熱心なのね」
「まぁな。俺にはこれと花くらいしかないから、真剣にもなる」
何気ない言葉であったが、それは何気ないが故に櫻華の本心であった。千聖はそれに何の言葉も返さない。やがて曲の再生が終了し、櫻華の手も止まる。
「ていうか、今更だがお前ここにいて良いのか? ハイエナ週刊誌にでも撮られたら、勘違いのでっち上げ記事書かれちまうぞ?」
「貴方となら勘違いされても良い……と言ったら?」
「ッ……ハハッ、そんな心にもないこと言ってると、嫌われちまうぞ?」
まるで役者か何かのように気障ったらしい言い回しをしているが、櫻華のその声は明らかに震えていて、内心の動揺を隠しきれていなかった。千聖は感情の読めない表情で櫻華を見ている。昔からそうだった。いつもそうだ。駿河櫻華は白鷺千聖に振り回されている。
――故に、櫻華は千聖が苦手だ。