大手音楽配信サイトなどが複数存在している昨今、CDの売り上げ枚数というのは以前よりも少なくなっている。それぞれのCD売り上げ枚数はともかくCD売り上げ枚数を確認するというのは難しいが、それは間違いあるまい。
故に最近、CDというのはそれだけでなく何かしらの特典を付属して販売しているものが多い。アイドルのCDであれば握手会の抽選券やブロマイド、アニメのCDであればそのアニメのポスター、或いは声優が出演するライブの先行抽選券などが特典として挙げられる。それ目当てでわざわざCDショップや家電量販店に足を運ぶ者は少なくなかろう。
大人気動画投稿者さっくんこと駿河櫻華もまた、そういう人間のひとりであった。彼はその趣味のために、音楽方面に対する出費が極めて多い。店の手伝い対して度々貰う駄賃は、殆どそちらに消えていっている。特に、彼はCDで購入する主義であるから余計に。
この日、櫻華がショッピングモールのCD売り場で買ったのは最近放送が開始したアニメの主題歌とパスパレの新曲のCDであった。このご時世であるだけあって、どちらも特典付きで、アニメの主題歌の方はポスター、パスパレ新曲の方には握手会の抽選券が付属している。
正直な所、パスパレ5人のうち
用事を済ませてショッピングモールを出てから、腕時計を見る。現在時刻は11時程。少し昼食にするには早いかも知れないが、外食の場合正午頃に入ってしまうと相当待たされることになる。何事も早めが吉だ。
そうして少し歩き、櫻華が入店したのは街中にあるファストフード店。自動ドアが開くと同時に聞こえてきたのは店員の声と人々の喧騒。その喧騒を後目にレジの前に立つと、櫻華は勝手知ったる風に声をかけた。
「よう、丸山」
「あっ、櫻華君! いらっしゃい!」
そう言って朗らかに笑うのは桃色の髪をした少女。Pastel*Paletteのボーカル兼リーダーの現役アイドルであり、櫻華と同じクラスの友人である〝丸山彩〟である。アイドルなのに何故バイトをしているのだと思わなくもないが、櫻華はあえて何も言っていない。
彩を含め、このファストフード店には不自然な程に美少女がバイトをしていることで少々有名だった。彼女の他にはガールズバンド〝ハロー、ハッピーワールド!〟通称ハロハピのドラム担当〝松原花音〟とAfterglowのベース兼リーダー〝上原ひまり〟がバイトをしている。
後に並んでいる客がいないのを良いことに、注文しつつ少しばかり彩と話をする櫻華。その様子に店内にいる彩のファンから嫉妬の視線を向けられていることに櫻華は気づいているが、あえて何も言っていない。それは配慮と言うより、幾らか諦めのような気配さえあった。
櫻華が注文したのはチーズバーガーと炭酸飲料、そしてLサイズのフライドポテト3つ。トレーに乗るそれをレジに置き、彩が呆れ顔を浮かべる。
「ポテト、食べすぎじゃない……?」
「いいんだよ。好物なんだから。それに、ホラ、ギター弾くのにもエネルギー必要だし」
「なんだか釈然としないなぁ。……あっ、そうそう」
何か思いついたように言い、櫻華に耳打ちをする彩。そうして伝えられた言葉に驚愕して店内を見渡せば、店の奥の方、レジとは反対側の方で櫻華に小さく手を振る人物がいた。同時に、櫻華がため息を吐く。
その人物――千聖は長い髪を纏め、帽子とサングラスで変装はしていたが櫻華には一目でその女性が千聖であると知れた。尤も、向こうも櫻華には隠す気がないとばかりに彼を見ていたのだが。
半ば無視するようにして千聖から視線を外し、適当な席に座る櫻華。この店にはひとり席がないため、反対側の席は空いている。そうしてまずはチーズバーガーから食べ始めようとした時、鞄の中でスマホが鳴動した。出してみれば、画面にはメッセージアプリの通知。千聖からだ。
『あら。つれないのね。一緒に食べましょ?』
『何言ってんだ。勘違いされたら大変だろ? 丸山はバイトだから言い訳はつくが、お前は完全にプライベートだろうに』
世間的に大人気であっても正体が露見していないさっくんこと櫻華とは違い、千聖は大人気女優でありかつ人気アイドルバンドのベーシストである。今は火のないところにでも煙は立つ時代なのだから、少しでも火元になり得るものは排除しなければならない。
櫻華は千聖が苦手でも決して嫌いではない。むしろ真面目に仕事に取り組むその姿勢に好感を持っているし、尊敬してもいる。故にどれだけ自意識過剰でも千聖のリスクにならないように考えるのは当然のことだろう。
無論、そんな内心を吐露したが最後櫻華は恥ずかしさで悶え死んでしまうだろう。故に千聖にそれを言うことはないし、言うようなことでもない。返信して少しして、再びスマホが震える。
『そう。優しいのね』
「っ!?」
まるでたった今考えていたことを全て見抜かれているかのような内容に櫻華が息を呑む。直後、間髪入れずにメッセージが来る。
『冗談よ』
「……ハァ。これじゃあまるで俺がクソ勘違い野郎みたいじゃねぇか……」
学習しないなぁ、俺も。櫻華が呟く。千聖が櫻華を振り回すような言動をするのは、実のところこれが初めてではない。櫻華が千聖と出会った年、具体的に言えば中等部1年で同じクラスになった時から稀にあることだった。
櫻華が初めて千聖と話した時のことを、櫻華はよく覚えていない。国民の誰もが知っているような女優と話したとなれば浮かれて舞い上がってしまう男子生徒もいるのだろうが、生憎と櫻華はそういう人間ではなかった。
確かに芸能人と話して全く浮かれないと言えば嘘になるだろう。当時のことを櫻華はよく覚えていないし思い返す必要性も感じないが、少しは舞い上がっていたかも知れない。しかし千聖や彩といった人々と交流を持つことで、櫻華は生来の性格に輪をかけて芸能人に幻想を持たなくなってしまった。
少なくとも今の櫻華の目に千聖は芸能人というよりもただの同級生としてしか映らなくなっていた。だからと言って配慮を怠る程櫻華は楽天家でもなければ馬鹿でもないが。
しかし、メッセージアプリ上で話すのならば問題はないか。そう考えて櫻華はスマホに視線を落とす。だがいざ何か話そうと思うと、良い話題が思い浮かばない。櫻華が思案しているうち、先に千聖からメッセージが送られてきた。
『先日のライブ、大成功だったらしいじゃない。麻弥ちゃんから聞いたわ』
『大和も来てくれてたのか。ありがたいことだな』
千聖や麻弥はつぐみのように櫻華の心に巣食っている憧憬を知らない。そもそも櫻華の内心など紗夜ですら知らない。知っているのはつぐみや日菜といった数人だけだ。
櫻華はあまりメッセージアプリ上で話すのは好きではないが、今だけは面と向かって話さずとも良い状況に感謝した。千聖はアイドルである以前に女優だ。下手に隠すような真似をすれば逆に露見してしまっていただろう。
具体的に露見してどうなるという訳ではない。それはただの櫻華の意地。まるで自分語りのような行為が嫌で、加えて彼の憧憬に千聖は関係がない。けれど千聖は優しいから友人が悩んでいると知れば放っておかないだろう。櫻華にとって、それは我慢ならないことだった。
千聖だけではない。他者の人生という一輪の大きな花にとって、駿河櫻華は一匹の虫のようなものだ。ならば害虫でいてはならない。害虫は花を殺してしまう。どうせ虫であるのなら、蝶や蜂といった花の助けとなる虫でなければ。
『そういえば、貴方、いつもひとりでやっているけれどバンドを組もうと思ったことはないの?』
『あった時もある。でも、今はないよ』
『どうして?』
即座に返ってきたメッセージに、櫻華はすぐに答えを返すことができない。その理由は櫻華が抱くRoseliaへの憧憬にも関係しているし、それ以外のこともある。仮に伝えるにしても文面が長くなりすぎる。
長々と考えて、結局出てきたのは『色々あったんだよ』という投げやりな一文であった。これではまるで過去に何かあったようではないか、と櫻華が嗤う。何かあったのは紛れもない事実なのだが。
その後も色々と他愛のない会話を続ける千聖と櫻華。返事に気を遣って考え込んでしまうためか、いつの間にか櫻華の食事の手は止まっていた。そうしてどれほど経ったか、不意に聞き知った声が櫻華の耳朶を打った。
「困ったわね、席が……あら? 櫻華?」
「ん? ……紗夜か。席ないのか? なら、相席するか?」
「えぇ、貴方が良ければ、そうさせてもらおうかしら」
櫻華が千聖とメッセージのやり取りを始めてからそれなりの時間が経っていたらしく、店内は既に人でごった返していた。レジでは彩ら数人の店員が慌ただしく動いているのが見える。
紗夜の持っているトレーの上には櫻華のそれと同じく異様にポテトが載っている。彼女はRoseliaを含め親しい人間にポテト好きを隠そうとするきらいがあるが、櫻華には既に知られているからか、或いは同じポテト好きだからか隠そうとはしない。
ある程度長い時間放っておいたためか少し冷めてしまったポテトを片手で摘まみつつ、千聖から来たメッセージに返信をする。それを当然紗夜が見逃す筈もなく、注意が飛んできた。
「食事中にスマホを見るのは行儀が悪いわよ、櫻華」
「ああ、いや、それは解ってるんだが……」
あえてその先を言葉にせず、指で示してみせる櫻華。それに示されるまま紗夜はそちらを見て、千聖と目が合った。やはり変装はしていても紗夜にも分かったらしく、納得したような表情を浮かべる。
次いで、櫻華に向けられる睨めつけるような視線。いや、ジト目というのが正しいか。あまり紗夜から向けられることがない類の視線に、櫻華がたじろいだ。それでもポテトを食べる手は止まらない。
「仲良いのね、白鷺さんと」
「え? まあよく話す方だとは思うけど……」
つーん、とまたもや普段は見せないような表情を見せる紗夜。明らかに何か機嫌を損ねることをしたことは櫻華にも分かるが、他人の感情の機微に疎いことを自覚しているが故にそのまま思考を放棄した。
そもそも友人に女性が多くなってしまうのは、櫻華の境遇上仕方のないことなのだ。暮らしている商店街では同世代は女性ばかりで、学校も元々女子高だったため圧倒的に女子生徒の方が多いのだから。だからと言って女性慣れする訳でもないが。
恐らく、櫻華は世に言う鈍感とは少し違うのだろう。鈍感は気づかないことに罪悪感を持たないが、櫻華は気づかないことに罪悪感を覚える。櫻華は自分が気づかないことに気づいているのだ。
「……でも、いつも気づけないんだよなぁ」
「櫻華?」
日菜は〝分からないことが面白い〟と言うが、櫻華はそこまで前向きに生きることができない。分からないことは怖くて、それでも気づけなくて、だから途中で投げてしまう。櫻華の悪癖だ。
その癖をいつまでも直さないから、櫻華はいつだって
誰かが他者を求めていても、本当に自分で良いのか分からない。そのうちに別の誰かがその手を取って、櫻華の前には何もなくなる。だから櫻華が手を伸ばしても、誰も気づかない。誰の手も取れない者に、誰かに手を取ってもらう資格などない。
後ろ向きな気持ちで食べるポテトは、いつもよりも少しだけ塩辛い味がした。
夜。昼にファストフード店で櫻華や千聖と遭遇し、その後でRoseliaの練習を終えた紗夜は家でもギターを弾いていた。充電器に繋がれたスマホから流れているのはRoseliaの曲のひとつである〝Determination Symphony〟のギターパート。紗夜が弾いた音源ではない。それは櫻華が弾いたものだ。
どういう訳か櫻華はRoseliaの曲をあまり弾こうとしないのだが、以前一度だけ紗夜の前でRoseliaの曲を弾いたことがあった。その音源はその時に録音したものだ。他の誰も知らない、紗夜だけが知る
その音に合わせてギターを弾く。普段はしないが、まれに紗夜はそうやってギターを弾いていた。それは決まって櫻華について分からないことがあった時。彼の内心が強く現れるギターの音に合わせれば、少し分かる気がして。
紗夜と櫻華は幼馴染だ。その付き合いは長いために、互いに大抵のことは分かる――と紗夜は思っている。けれど、それでも他人だ。全てが分かる訳ではない。そこでギターを使うのである。謂わばギターがコミュニケーションツールのようになっているのだ。
やがて再生が終わり、音が止まる。それに伴って紗夜の演奏も止まった。最初から最後までノーミス。完璧な演奏である。それでも紗夜は不満げな表情のまま、ネックを撫でた。
「……櫻華は白鷺さんのこと、どう思ってるのかしら……」
口を突いて漏れる言葉。それが今、紗夜の胸中に蟠るものであった。ギター以外のものに興味を示さなかった頃では決して抱き得ない、否、自覚し得ない思い。無駄と切り捨てていた筈の思い。
――いや、その表現は正しくなかろう。以前でもきっと紗夜はその思いを抱いていた。ただそちらに注意を向けるだけの余裕がなかっただけで。それの源泉となる思いはずっと紗夜の中にあったのだ。
今更虫が良い話であるとは分かっている。それでも、紗夜が日菜へのコンプレックスに悩んでいる間にも
充電器に繋がれたままベッドサイドのテーブルに投げ出されたスマホを回収し、動画投稿サイトを開く。そうしていくつか高評価している動画の一番上にある動画をタップすると、ギターを構えた。流れ出すギターの音色。それはRoseliaの曲でも、ましてやアニメやボーカロイドの曲でもない。
曲名は――〝WHITE ROSE〟。
伸ばした手は何も掴むことなく空を切る。掴みたかった手は別の手と取りあって、先へと進んだ。
ならばそれは最初から手を伸ばしていなかったのと同じだ。自分の
次こそはきっと、誰かの手を掴むために。