朝。長く地平線の下に沈んでいた太陽が顔を出し、街を陽光の裡に収める頃、紗夜は既に起きていた。基本的に早起きな彼女だが、今日はそれに輪をかけて早い。原因は解っている。昨日のことだ。
昨日の練習の帰りに紗夜は櫻華と千聖に出会った。――手を繋いでいた。明らかに、デートの帰りだった。ただそれだけだ。紗夜の理性はそう言っているのに、感情がそれを受け入れようとしない。
考えれば考える程に自分の裡で濁流のような黒いものが唸りを増していくのが分かる。それの名前を紗夜は知っている。独占欲、嫉妬、そういった愛や恋の対極であり、等位の存在であるもの。
千聖は櫻華と手を繋いでいた。自分は繋いだこともないのに。千聖は櫻華とデートをしていた。自分はしたこともないのに。そんな度し難い感情が胸中で渦を巻いている。押し留めようにも、押し留めようがない。抑えようとする度に、千聖の囁きがフラッシュバックしてくる。
――貴女も、彼が好きなんでしょう?
その言葉に秘められた意図は、果たしてどのようなものであったのか。考えるまでもない。考えるまでもないからこそ、紗夜はこうしてそれに囚われている。昨日の光景が脳裏にこびりついている。
それが虫の良い恋心であることは紗夜も分かっている。何せ紗夜は櫻華が差し出し続けた手を拒み続けたのだから。それが今になってその手を掴もうとしているなど、許される筈がない。そういう点において、紗夜は潔癖であった。
だがそれで簡単に割り切れる程、紗夜の感情は弱くなかった。そもそも日菜へのコンプレックスに悩んでいた頃の紗夜が櫻華の手を取らなかったのも、そうしてしまったら弱くなってしまうからだ。弱い自分など、櫻華に見せたくはなかった。
――皮肉な話である。紗夜は弱い自分を櫻華に見せたくなかったから彼の手を取らなかった。だが櫻華はずっと手を伸ばし続けながらそれが取られなかったが故に今のようになってしまったのだから。
結局、ふたりとも弱かったのだ。紗夜はその手を取って櫻華に頼るだけの強さがなく、櫻華は無理矢理にでも紗夜の手を取るだけの強さがなかった。たったそれだけの些細な、けれど致命的な嚙み合わせの違いが今にまで影を落としている。
「櫻華……」
たった一言のみの呟き。けれどそこにはたった一言に込められる思いが限界まで飽和していた。恋心と言ってしまえば簡単だが、実態はそう簡単なものではない。愛しさや独占欲、狂おしいまでの恋しさ。そういったものがない交ぜになった呟きであった。
そう。千聖の言う通りだ。紗夜は櫻華に恋をしている。それを分かっていて千聖は紗夜にあのように言ったのだろう。それはある種の宣戦布告。所謂三角関係とやらの証明であった。
では現状、その三角関係はどのようなカタチをしているのか。間違いなく正三角形でも二等辺三角形でもあるまい。きっとひとつの頂点のみが他ふたつから離れ、明後日の方に位置した歪なカタチをしている筈だ。
そんなことはない、などとどうして言えるだろうか。紗夜自身、自分のそんな考えを否定したいのは山々なのだ。しかし何よりも櫻華の音が雄弁に語っている。櫻華は紗夜に対して何か隔絶を感じているのだと。
そんなことを考える度に想像してしまうのは、千聖と櫻華が共に演奏をしているという嫌に現実味を帯びた
「そんなこと……」
ない、とどうして言い切れようか。仮に千聖から練習に付き合うように求められれば、櫻華は二つ返事で了承するだろう。千聖に限った話ではない。誰が相手でも櫻華は快諾するだろう。そして、何の屈託もない音を奏でるのだ。
一度は櫻華の手を拒んだ自分が今になって彼の手を求めているのが都合が良い話だというのは分かっている。それでも求めてしまうのは罪なのだろうか? ただ恋しいからという理由で独占したいと思ってしまうのは悪か?
そんなことはない。そう言って欲しい。それでも答えてくれる人なんていなくて、紗夜は息を詰まらせて掛布団の端を強く握った。自分の体温で温まっている筈の布団が、今はどうしてかひどく冷たく感じる。
紗夜の思いを真っ向から肯定することができる者など、少なくとも紗夜の周囲にはいまい。何故なら恋とはそういうものだと言える程誰かに恋したことのある人間は紗夜の知る限り誰もいない。その答えは彼女自身で出すしかない。
そうして悩んでいるうちに時間が経ったのか、枕元の時計を見ればそろそろ学校へ行くための準備をしなければならない頃合となっていた。今日は月曜日。いくら顔を合わせるのが辛くとも、正当な理由もなく休むのは紗夜の信条が許さない。
ベッドから出て、カーテンを開ける。露わになった太陽は常と何ら変わりなく、その輝きで紗夜の部屋を満たした。ただそれだけの何ら変哲のない自然現象。それなのに、紗夜にはその温かさが少しだけ恨めしかった。
「嘘だろ……」
その日の授業が全て終わった放課後。学校の図書室での自主学習を切り上げた櫻華が呟いた。その視線が向けられているのは外。朝のうちは晴れであった筈の天気は今、土砂降りとはいかずともそれに近い雨模様となっていた。
朝のニュースで放送していた天気予報では一日中晴れと言っていたのだが、どうやら予報が外れてしまったらしい。しかし予報を信じてしまっていた櫻華は傘を持ってきていなかった。いつもならば持っている折り畳み傘も忘れてきてしまっている。
大きなため息を吐いてから自習用の机の上に広がっている教科書や筆記用具を纏めて鞄に戻し、それを背負って図書室を出る。時間も時間であるためか廊下にあまり生徒の姿はなく、櫻華は独り昇降口に向かっていく。
道すがら教室を覗いてみれば、櫻華と同じように傘がないらしい生徒が途方に暮れていた。しかし櫻華は彼らに声を掛けることもなく、たった一度視線を遣るだけに留めてそのまま通り過ぎていく。
だがたとえ足早に昇降口に向かったとしても、そんな短時間で雨が止む筈もない。雨脚が弱ければ鞄を盾に家まで走ることもできただろうが、生憎とそんなことをすれば一瞬で教科書やノートが臨終してしまうだけの雨脚である。
「秋雨……というには時期が少し遅いか」
特に誰に言うでもなく放たれたその呟きはただ彼のことを知っている程度の人間が聞けばさして違和感を抱かなかったであろう。しかし彼をよく知る相手が聞けばそこにいつもの彼らしくない感情が隠れていることに気づいた筈だ。
櫻華は秋雨が好きではない。誰であれ雨天によって恩恵を得ることができる人間以外は雨は好きではないだろうが、特別櫻華は秋雨が好きではなかった。特にこうして何もせず雨音だけを聴いている時間は。
それは何のことはない、ただの理不尽な怒りだ。過ぎ去ってしまった過去に遺した意味のない憤慨だ。本来は祝福すべきものを素直に飲み下せない我儘な男の、無意味な感傷だ。
それを分かっていながら捨てられない自分にも腹が立つ。とうに終わってしまったものに思いを抱き続けているなど女々しいにもほどがある。そもそもその原因も他人が聞けば鼻で笑ってしまいそうな些細なものなのだから。
けれど余人にとっては些細なことでも櫻華にとってはずっと胸の中に居座ってしまうだけのものであることに違いはない。たとえその思いがどれだけ自分本位な下らないものであったのだとしても。
あの時こうしていれば。あの日もしも別なことをしていれば。そういうもうどうにもならないことに人が抱く遅すぎる感情。人々はそれを後悔と云う。であれば、櫻華のそれは後悔であろう。尤も、それは負け犬の遠吠えとも言うのだが。
分かっている。あの秋時雨の日、紗夜が自分の音を見失いそうになったあの日、傘を差し出すのは日菜でなければならなかった。手を差し伸べるのは日菜でなければならなかった。あれは紗夜と日菜の問題で、余人が干渉すべきものではなかった。
――けれど。それでも。
何故自分では駄目だったのか。運命というものが本当にあるのならば、それは櫻華のことを嘲笑っているに違いない。いつだって櫻華は遅い。彼がどれだけ他人の力になりたいと望んでも、運命とやらは彼に行動を許さない。まるで、おまえは無価値なのだと突き付けるように。
それを思い出させるから、秋雨は嫌いだ。その雨音が自分の努力を嘲笑うものの声であるような気さえする。そんな自意識過剰気味な内心を省みて、櫻華が短く冷笑を漏らす。そんな時、背後から櫻華に呼びかける声があった。
「っ……櫻華。どうしてここに?」
「紗夜。……いや、図書室で勉強してたんだが、傘がなくてな。どうしたら良いか分からなくて突っ立ってた。紗夜は委員会の仕事か?」
「……ええ」
そう言葉を交わすふたりの遣り取りは常に比べてどこかぎこちない。それはそうだろう。つい昨日あのような遭遇の仕方をしておいて、普段通りの対応をするというのはまず不可能だ。
いくら櫻華が鈍くとも昨日のあの瞬間、何かが変わり始めたことは解っている。だが何がどう変わり始めて自分たちはどうすれば良いのかなど櫻華だけではなく全員が分かっていないのだ。故にぎこちなくなってしまうのも当然というものである。
互いにどう接したら良いのか分からないまま、手探りで話している。10年近く積み上げた関係性など意味を為さない。むしろ長く同じ関係性を積み上げてきたからこそ、今更変わってしまったものを前に戸惑っている。
「傘、持っていないの?」
「お恥ずかしながら、な。いつもは折りたたみ傘を持ってるんだが、今日に限って忘れてきちまって」
「そう。じゃあ――」
――私の傘に入る?
紗夜が放ったその提案に、櫻華は一瞬自分の耳を疑った。ひとつの傘にふたりで入る、所謂相合傘。今このような状況で、まさか紗夜がそんなことを提案してくるとは全く思っていなかったのである。
しかし櫻華ができるだけ雨に濡れないように帰るには、紗夜の提案を受け入れるのが最善策である。それ以前に、提案している側である筈の紗夜がまるで懇願するかのような眼差しを向けてきているのでは、断るという選択肢など最初からない。
紗夜に向けて櫻華は無言のまま頷きを返し、傘を受け取る。紗夜と櫻華では10㎝程身長の開きがあるため、櫻華が差していないと彼が入れないのである。故にそのまま、受け取った水色の傘を開いた。そうして隣に入った紗夜の方に少し傘を傾ける。櫻華の肩は濡れてしまうが、少なくとも紗夜は濡れない。
傘に叩きつけられる雨粒。その跳ねる音は、まるで雨粒が傘の上でタップダンスを踊っているかのようだ。けれど櫻華はそんな陽気にはなれない。今も必死に紗夜と何を話したら良いのか考えている。どれほどそうしていたのか、不意に櫻華は後ろ側に軽く引っ張られるような感覚を覚えてそちらを見た。
その視線の先にあったのは、紗夜の手。櫻華の手と比べると小さなそれが、櫻華の制服の裾を掴んでいる。その孔雀青の眼はどこか悲しみさえ湛えたかのような気配を伴って櫻華を見ている。
その目から、櫻華は視線を外すことができない。まるで視線を外してしまえば、それが何かの終わりになってしまいそうで。その何かとやらに明確な答えがないのだとしても、櫻華にはそれができなかった。
「紗夜……?」
「ッ……!」
櫻華が声を掛けても、紗夜は何も言わない。しかし裾を握る手には更に力が籠められ、まるで櫻華に何かを伝えようとしているかのようであった。いや、事実そこに込められているのは力だけではない。
詰まる所、紗夜も千聖と同じであった。分かって欲しいのに、分かって欲しくない。伝わって欲しいのに、伝わって欲しくない。そういう心地の悪い、けれどどうしてか何の抵抗もなく受け入れることができる感情の渦の中にいる。
ふたりの様子を傍から見ている人間がいれば、非常に奇妙に見えたことだろう。秋雨の中相合傘をしているような仲でありながら、そこに皆が憧れるような綺麗な恋愛の気配はない。
傘の上で踊る雨の音が嫌に大きく聞こえる。時折横の車道を車が通っていくが、最早意識の端にすら引っ掛からない。だというのに、ようやく放たれた紗夜の言葉だけはどうしてかはっきりと聞こえた。
「櫻華……貴方、白鷺さんと付き合っているの?」
「付き合う……? いや、俺と千聖は別に……」
千聖。櫻華がそう言った途端、紗夜が息を呑んだ。櫻華が千聖のことを名前で呼ぶようになったことに、特に深い理由はない。ただ千聖自身からそう求められたからそうしたまでの話。
けれど、櫻華はそう思っていても他人もそう思うとは限らない。普通はそれまで苗字で呼んでいた相手を名前で呼ぶようになれば、何かあったと思うだろう。特にあのようなことがあった後ともなれば。
そして、櫻華は鈍くはあるが決して馬鹿ではない。昨日の自分と千聖の様子が客観的に見てどのようなものであったのかなど、考えるまでもなく答えることができる。現に言ったではないか。そういう風に見ている人もいるのではないか、と。
そう。たとえ千聖と櫻華が付き合っていないのだとしても、もうただの友人などと言える関係性ではないのだ。仮にそう言うのならば、それはただの現実逃避。責任から逃れようとする悪人に成り下がってしまう。
ならば、紗夜は? 千聖と櫻華の関係性をただの友人ではないとするならば、紗夜と櫻華の関係性はどうなのか。日菜と同じ親友? それとも、また別の何か? ――いや、もうとうに答えは出ている。
だがそれは無意識に蓋をしていた領域だ。櫻華でさえもうその中には何が入っているのかさえ分からない爆弾。或いは
櫻華の制服の裾を掴んでいた紗夜の手が離れ、傘を持つ彼の手を掴む。それだけなのに、櫻華の心臓が跳ねた。そこから伝わる熱と潤んだ目が、紗夜の感情を櫻華に訴える。逃げることなど許さない。目を逸らすことなど許さない。――鈍感でいるこどなど許さない。
「俺と千聖は付き合ってるワケじゃない。けど……」
「けど……?」
今の紗夜や千聖との関係性とどう定義すれば良いのか、櫻華には分からない。情けない話だとは彼自身思っている。けれど変わっていくもの、変わろうとしているものに名前を付けることなど、誰にできるだろうか。
櫻華は何も、変わらないことを至上としている訳ではない。だが、だからとて変わっていくものを前にして戸惑わない程、櫻華は適応力が高くもなければ枯れてもいない。特にその中心が自分であるともなれば。
逃げることは許されない、目を逸らすことも許されない。だが、悩む過程を省略して出した答えなど、誰も望んでいない。そもそもそんなものは答えですらない。故に、その言葉の続きはない。
「……歩こう。止まってると、邪魔になる」
「そうね……」
櫻華の言葉に思い出したかのように櫻華が手を離し、けれど完全に離す訳ではなく、再び櫻華の制服の裾を掴む。まるで、櫻華を繋ぎとめようとでもするかのように。その仕草に、櫻華の胸が痛む。
だが同時に何故今更になって、と思う自分が存在していることも彼は自覚していた。以前は彼がどれだけ手を伸ばしても掴まなかったというのに、今になって求められている。嬉しくはある。けれど、人間とはそう簡単なものではあるまい。
櫻華はずっと紗夜に手を伸ばしていた。けれどそれが必要とされることがなかったから次こそは誰かに必要とされるような自分になるため、そして何より今度こそは誰かの手を掴むために櫻華は走り続けてきた。
だが、もしも。もしも、それが
やがてふたりは碌な会話もしないまま櫻華の家である花屋の前まで辿り着いてしまった。そこはふたりが出会った場所。あまりにありふれている、もう日付すらも思い出せない始まりがあった場所。
「傘、ありがとな。……じゃあ、また明日」
「あっ……待って!」
古人曰く、出会いとは別れの始まりだという。だからなのだろうか。紗夜には店の中に去ろうとする櫻華が、まるでどこかへ行ってしまうように見えた。それが錯覚であることは解っているというのに。
投げ出された紗夜の傘が、石畳に落ちる。一瞬で飛ばされていくかに思われたそれはしかし、飛ばされるより早くに雨で満たされた。けれどそんなことは彼らの意識に端にすら留まっていない。
紗夜に抱きしめられている。振り返ろうとしたところで紗夜が動いたためか、正面から抱き合うような形で。幸い屋根の下だったため濡れることはなかったが、仮に濡れてしまったとしても彼らは気にしなかったことだろう。
まるで櫻華が離れることに怯えるように回された腕には少女らしい華奢な細腕でどうしてそこまで出せるのか分からない程の力が込められ、頭は胸板の押し付けられている。決して離すまいと、言葉ではなく語っている。けれど櫻華は素直に抱擁を返すことができなかった。代わりに出てきたのは、彼自身ですら押し留めようがない思い。
「――なんで……どうしてだよ……どうして、今になって、こんな……」
いっそずっと求められないままでいられたのなら、ずっと拒まれたままだったのなら、櫻華は自覚せずに済んだというのに。櫻華と紗夜の間にあった隔絶は、互いの弱さが致命的に噛み合わなかった結果なのだと。
櫻華の手を紗夜が取らなかったのは、決して櫻華の力が及ばなかったからなどではない。だが櫻華はそれを自分の力が及ばなかったからだと思い、独りで走るようになってしまった。それが、紗夜を傷つけるとも知らず。
しかしその間違いは櫻華だけに責がある訳ではない。複雑怪奇極まる人間の心が、言葉にせずとも伝わる筈がない。言葉にせずとも伝わる関係など空想の御伽噺だ。それがどれだけ近くにいる人であろうと。故にそれは、あまりに遅すぎる告解だった。
「御免なさい。でも、私は弱い私を貴方に見せたくなかった。弱い私を知られて失望されるのが……怖かった」
「失望なんて……!」
紗夜の弱さを見ても櫻華は失望などしない。彼はむしろ紗夜が自分に弱さを見せて頼ってくれることを望んでいた。自分自身に厳しすぎる紗夜の拠り所でありたかった。何故なら彼は紗夜をずっと見てきたのだから。
確かに櫻華は勝手に期待して、勝手に裏切られた気になっていたのだろう。但しそれは紗夜にではない。自分が抱いた理想像、決して叶う筈のない夢物語に、彼は勝手な思いを抱いていた。
言葉にしなければ分からないなんてことは分かっていた。分かっていたつもりだった。それがこの体たらくだ。分かっていたつもりで何も分かっていなかった。その所為で互いが望まない形で傷つけ合ってしまった。
「失望なんて、俺はしないよ。だって俺はずっとそれを待ってたんだから」
「……ええ、そうね。貴方はそういう人だったわね。昔も、今も。……分かっていたのに、私はそれを信じ切れなかった」
だが、もう言葉は交わした。であれば次は互いに分かったうえで傷つけ合うのだろう。誰も傷つかない世界など理想の上だけのもの。そんな
何故紗夜は櫻華に失望して欲しくなかったのか? 何故紗夜は櫻華が失望しないと解っていながら、虚勢を張ろうとしたのか? 全ての理由は、たった一言に集約される。
紗夜と櫻華の関係は変わろうとしている。最早元に戻す術はない。ならばせめて、決定打は自分で打とう。全てが終わった後、何もできなかったと後悔しないように。そう決心して、紗夜は少しだけ背伸びをした。
突然のことに櫻華が目を丸くする。同時に紗夜はやってしまった、と思った。生真面目な彼女らしい、触れるだけの
「ねぇ、櫻華。私の気持ち、伝わった?」
「……あぁ」
「そう――」
「――私、貴方が好きよ。たとえ……貴方が白鷺さんが好きでも、私は貴方を愛しているわ」