アシュラ・バトルシップ   作:蒼崎一希

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阿修羅は迷わず、戦場を目指す。


第二話

 夜も更けつつある横須賀鎮守府。その寮の一室で、ひとりの艦娘が携帯電話を手に通話を行おうとしていた。

「――横須賀の長門だ、夜分遅くにすまない。そちらの艦隊も無事に出撃したそうだな」

『えぇ、みんな士気は問題なしよ。あとは各艦隊が所定の海域に到達するのを待つばかり』

「そうだな。我が鎮守府は本隊担当だ、伊勢たちも思う存分、私の分まで戦ってくれるさ」

『えぇそうね、彼女たちの活躍、期待しているわ。さて、あなたが私に電話を寄越すなんて……、何か訊きたいことがあるんでしょ?』

 電話先の声の指摘に、長門はわずかに苦笑しながら窓際に椅子を置き、そこに腰を下ろした。

「流石千北提督……、私の考えなどお見通しか。そうだ、江口提督から耳にした例の謎の超戦艦についてだが……」

『あら、流石のビッグセブン様も自分より大きくて強い戦艦は気になっちゃうのね?』

 受話器の向こう側から千北の軽快な笑いを含んだ声が聞こえてくる。

「べ、別にそういうわけではないが……」

『そう、ならそういうことにしておくわ。ただ残念ながらまだ戦艦とは断定できていないわよ?』

「――まだ確実な情報がない、というわけか」

『そういうこと。ただ、久里浜絡みで少し気になる情報はいくつかあるわね』

 千北の一言に長門がわずかに身を乗り出し、眉間にしわを寄せる。

「久里浜絡み、だと……? あいつら、アレで懲りずにまたよからぬことを……ッ!」

『先進技術研究部第十一研究室の中で行われていた新型戦艦娘の研究開発計画が二年前に内部告発を発端として中止となっているのだけれど、その時計画を主導していた四名の主任研究官が中止直後に相次いで退役、郷里に戻った後全員がもれなく消息不明になっているそうよ』

「それが例の謎の影と関係があると?」

『それはまだ何とも。ただ、あの計画は金田元帥が熱烈に推進していた計画と言われていて、元帥には軍内外に無数の、そして絶大なるパイプを持っているわ。何らかの手段を使って極秘に計画を続行していても不思議ではないわ』

「その割には随分とその推論に自信がありそうな口調に聞こえるが……」

『その言葉、そっくりあなたに返させてもらうわ。こちらも今様々なチャンネルを使って情報を集めているわ。何か分かり次第江口提督と情報を共有するわ。もっとも、今は作戦の遂行が最優先だからすぐにとはいかないでしょうけど……』

「そうだな。まずは作戦だ。夜遅くにすまなかった。それでは」

『えぇ、おやすみなさい』

「――久里浜絡み、か」

 電話を切った長門が、先ほどと変わらない険しい表情のまま窓の外に広がる夜景に視線を飛ばしながら呟く。長門はゆっくりと椅子から立ち上がると重厚な扉を開き、部屋を後にしたのだった。

 

「えっ、新しい戦艦娘の生まれる可能性、ですか?」

 自身の執務室で壮大な書類の山脈に挑んでいた大淀の視線が上がり、来訪者の視線と接触する。

「あぁ。何か考えられることはあるか?」

 深夜の来訪者となった長門が腕を組み、真剣なまなざしで大淀の姿を捉える。

「そうですね……。長門さんもご存じのとおり我々日本の戦艦は開戦時に現役だったすべての艦が艦娘としてこの世界に存在していますから、考えられるものとしてはいわゆる『未成艦』と呼ばれる艦になりますね。グラーフ・ツェッペリンさんやアクィラさんが例として挙げられますが、少なくともわが国には艦船の形をある程度成した未成の戦艦は存在しません」

「そう、だよな……。では、周辺の他国ではどうか? 何かその類型に該当する艦は?」

 長門の執拗な質問に、大淀はメガネのブリッジを指で押し上げる仕草をしつつ、あれこれと思慮に耽る。

「そうですね……、思い当たる限りですとソビエトのソビエツキー・ソユーズ級、さらにアメリカのモンタナ級ですが、ソビエツキー・ソユーズ級は建造されたといってもせいぜい全体の約二割ほどですし、モンタナ級に至っては起工すらされていなかったはずです。あ、起工されていないということであれば、我が国にも大和型の次級とされる計画が存在したとされていますね」

「――では、大淀の考えるところではそれらの艦がグラーフやアクィラのように艦娘として存在できる可能性は」

「恐らく低いかと。もちろん可能性が全くないとまで断言はできませんが……」

「そうか……」

「ただ」

 大淀が机から立ち上がり、その顔を長門に寄せる。

「先ほども申し上げましたが可能性はゼロではありません。呉の伊五〇七のような事例も十分に考えられます」

「つまり、我々が艦艇として生きた世界とも、今我々が艦娘として生きている世界とも違う、今大淀が挙げたような戦艦が建造され就役していた別の世界が存在し得る、そういうことか……」

「友軍である我々の誰もがその存在を認知していない、それでも伊五〇七をはじめとする彼女たちは明確に艦娘としてこの世界に存在している。そうなると長門さんがおっしゃるような世界が存在しても、決して不思議ではありません」

「――ということはだ、我々の誰もが知らない戦艦が突然艦娘となって表れても、その推論上では全く以って不思議ではないと、そういうことになるのか……」

 長門はそういって腕を組みさらに深く考え込みはじめた。

「そういうことになりますね……。長門さん、今ここでまだ姿さえ見えていない相手のことを考えても仕方がありません。詳しくは佐世保の千北提督が調べられているみたいですし、私たちは作戦に集中しましょう」

「……そうだな。夜遅くに押し掛けてすまない」

「いえいえ、あれこれ気になってしまうのは人間の性というものですから」

「人間の性、か。――なぁ、大淀。ところで私たちは一体人間と呼べる存在なのだろうか?」

「――さぁ、どうでしょう?」

 長門の新たなる疑問に、大淀はただただ笑顔を浮かべるだけであった。

 

   ◇

 

「長谷川君! 状況は!」

「し、詳細不明です! 突然脳波信号が大きく変化! 一番艦覚醒しましたッ!」

「意識レベル強制低下信号送れ!」

「送っていますッ! 信号受け付けませんッ! ――これは、なんだ……!?」

「どうしたッ!?」

「艤装強制停止信号拒絶ッ! 非常管制系統を……、お、オーバーライドしていますッ! 管制員側のコントロール下から離脱!」

 牧野がコンソール側を振り返る。コンソールに座る管制員の絶望的な表情とかち合った牧野がコンソールにかじりつき、キーボードを叩く。

「――クソッ! クソッ! クソッ! なんだ、なんだこれはッ!? 何が一体どうなっているんだ……!」

【警告 第一拘束具に許容量以上の負荷が掛かっています 警告 第二拘束具に許容量以上の負荷が……】

 分厚い壁越しでも聞こえる金属の軋む音を耳にした彼らの顔がモニターから上がる。牧野はまるで何かに引き寄せられるかのように、まさに今不気味な軋みを上げる部屋に繋がる扉に飛びつき、ロックを解除した。

「ま、牧野大尉!? 一体何を!」

 呼び止めようとする管制員の声などまるで耳に入らないかのように、牧野は扉を開け放ち無我夢中で向こう側へと駆け込み、直後息を呑んだ。

 トラックが衝突しても歪まないとまで言われる強度を誇る金属で組み上げられた拘束具をギリギリと歪ませ、己の力にてその身を解き放たせようともがき、部屋に足を踏み入れた牧野を怒りを込めた視線で見下ろす『彼女』の姿が、そこにはあったのだ。

「貴様ァァァ! 今すぐッ! 私をッ! 闘わせろォォォ!」

腕が、脚が、艤装が、拘束具から上がる軋みの回数が増えるたびにじわり、またじわりとその可動領域が広がっていく。

 アクチュエーターなどの可動部からは火花が散り、想定外の負荷に限界を迎える機器類からは少しずつ白煙が上がり始めていた。

「大尉! 退避を! 大尉!」

 扉の向こう側から絶叫する管制員の声が軋みの中に消え入りそうになる中、牧野はまるで魅入られたかのように動けずにいた。

 目の前で今まさに迸る、狂的とも例えられるほどの圧倒的な力。

 ありとあらゆるものを打ち伏せ、捩じ伏せ、斬り伏せる。

 それをいついかなる時も実行可能な、比類なき力。

 我々が当初から渇望し続けていた存在そのものが、今まさにこの目の前に姿を現しているのだ。

「これだ……。我々が追い求め続けていた存在は……。まさにこれだ……」

 尻もちをつきながらうわ言のように言葉を発する牧野の目尻を、うっすら一筋の光るものが軌跡を描き、微かな光を放つ。直後、暴力的な力に耐えきれなくなった拘束具が断末魔の叫びを上げはじめた。幾筋もの亀裂がある点まで走ったその時、拘束具はその用途に耐えうることをやめ、いくつものただの金属の塊となって床に崩れ落ちた。

 床に落ちて轟音を立てる金属の塊で一寸前まで磔られていた『彼女』が、その両脚でしっかりと、まさに仁王立ちといった様相で立っていた。セーラー服のようにもボディスーツのようにも見える特徴的な装いを纏ったすっと伸びる長身、そしてその身をさらに大きく見せるかのような仰々しい艤装のボリュームが、圧倒的な無言の圧力をこちらへと向けてくる。

「出撃だッ! 貴様ァ、今すぐ私をここから出せェッ!」

「し、出撃って、一体お前はどこへ――」

 よろよろと立ち上がり反論しようとした牧野は次の瞬間、目の前の彼女に胸ぐらをつかまれてその身体が宙に浮く。

「戦場だッ! そこ以外どこへ赴けと言うのだッ!?」

「お、お前はまだ就役さえしていないんだぞ! そんなお前を戦場へなど――」

「能書き垂れている場合かッ! 戦況は刻一刻と変わるッ! 一瞬一瞬の判断の遅れが艦隊の、ひいては国家の危機を招くッ! 救いを求める仲間がいるならばッ! その身を挺して闘うことこそ戦艦の誇りッ! いいからッ! 早くッ! 出撃させろォォォォォォ!!」

 それなりの面積を誇る部屋中に響く咆哮のような声に震わされた牧野は、ただただ無様に首を横に振り続けることしかできなかった。その直後、彼女の背後から鈍い唸りが響きはじめたことを知覚した彼は、一拍遅れてその音がもたらす数刻先の未来を認識するに至った。

「や、やめ、やめるんだ……!」

 艤装の中でひときわ存在感を放つ五一センチ三連装砲の砲身がゆっくりと上がり、砲身を分厚く立ちはだかる隔壁へ向ける。砲塔内部から響く音が止み、直後その時は訪れた。

「主砲、装弾よしッ!」

「お、おいお前――――ッ!」

「打ちィィ方始めェェ! 用意ッ!」

 直後、彼女は掴んでいた牧野の胸ぐらを勢いよく放り投げる。決して小柄ではない彼の体躯がふわりと宙を舞った。

「撃てェェェェェェ!」

 掛け声から一瞬遅れて、彼女の横顔が紅蓮を背景にシルエットを描く。そこからさらに一瞬遅れて巻き起こった轟音と爆炎と衝撃波が、宙を舞っていた牧野の身体を乱暴に掬い上げ、何十メートルもの距離を一瞬のうちに吹き飛ばしその背中が壁へと叩きつけられる。砲煙と建物中から舞い上がる埃と砕け散った隔壁の破片が嵐となって襲い掛かり、牧野はありとあらゆる感覚を麻痺させるに至った。

「――急がねばッ! 紀伊型戦艦一番艦、紀伊ッ! これより出撃するッ!」

 砲煙を吹き払う勢いの声量で名乗りを挙げた彼女が煙の中から姿を現し、自身が穿った大穴から隔壁の外へと一歩を踏み出す。ドックのような滑り台状になっている岸壁を歩いた彼女は水面に足を一歩、また一歩と載せスッと立ち上がる。

「両舷前進原速ッ! 行くぞッ!」

 彼女は一瞬たりとも自身の背後を振り返ることなく主機を

唸らせると、早春の暗い海へ向かい勢いよく飛び出していったのだった。

 

「大尉ッ!」

 整備員が身を隠していた扉の影から飛び出し牧野の側に寄る。

「――ぅぁ、あ、あいつは……?」

「隔壁の穴から外へ! 外洋へ逃亡したようです!」

 彼の助けを受けながら立ち上がった牧野の全身を猛烈な痛みが駆け抜けていく。ようやく晴れようとする砲煙の向こう側の光景を目の当たりにした彼らの表情から、さらに生気が欠落していく。

 外部からの軍艦、さらには深海棲艦からの砲撃や爆撃にさえ耐えうるように設計された分厚い隔壁が、まるで障子紙でも突き破るかのようにいともたやすく打ち破られ、隔壁としての機能を完膚なきまでに破壊されてしまっていたのだ。

「――これが紀伊型の威力、なのですね」

「あぁ、想定通り、いやもしかすれば想定をはるかに上回る戦闘力を秘めているかもしれない。我々は――」

 額から流れる血で真っ赤に濡れる掌に視線を落とした牧野の意識がわずかに遠ざかる。

「我々はもしかすれば、この世界の人類の手にはとても負えない……、阿修羅をこの世に生み出してしまったのかも、しれないな……」

「阿修羅、戦艦……」

 阿修羅戦艦。

 管制員の発したそのフレーズがとてつもない力を持って牧野の中に染みわたる。

 恐らく今発揮された力は彼女の持つ本領のうちのほんのわずかであろう。本領を発揮すればこの何倍、いや何十倍にもなるであろうこのとてつもなく暴力的で暴走していく威力を、現状一体誰が律することができるというのだ? その強力な力は何者かの指揮下にあるからこそ戦力として活用することができるわけで、いかなる指揮下からも離脱してしまった今現在、その強さは最早ただの脅威でしかない。

 今この時に至って、牧野はようやく自らが従事していた物事のそこはかとない恐ろしさを全身を走る痛みによって文字通り痛感することとなったのである。

「――長谷川君、ただちに関係者を全員呼集。進行中の二番艦の状態確認。さらに覚醒作業工程を直ちに凍結だ。それと――、閣下へ緊急連絡だ。工廠にて非常事態発生、至急救援を求む、と」

 建物の外から消防車のサイレン音が聞こえてくる。牧野はじんわりと意識がもうろうとしていくのを知覚しつつ、静かに天井を見上げ続けることしかできなかった。

 

 それから二時間後、上海沖約一五〇キロの海上を航行していた中国海軍所属の軽巡艦娘・寧海旗艦の艦隊が黄海から東シナ海海上を高速で進行する艦娘と思しき影を電探上で探知し、司令部へ報告した。

 しかし、中国海軍側はその情報を何故か重要視することなく対応はその時点で終了。当然ながらその情報が日本側へ通報されることもなかった。

 

   ◇

 

 数日後、ブルネイ泊地の岸壁上には山城をはじめとする第一遊撃部隊・第三部隊の面々が顔をそろえていた。東南アジアの抜けるような青空と青い海から渡ってくる暑さを纏った風が、母港がまだ春前であることを忘れさせる。

「いよいよこの時が来たわよ!」

 この艦隊の指揮を執る山城が僚艦たちを前にいつも以上に気合の籠った声を出す。

「呉からの先発隊は予定通り航行中、提督からも『予定通り作戦を完遂せよ』と指令がきているわ。みんな! 私たちも進むわよ!」

 山城が目の前に居並ぶ面々を一人ずつ見やる。

「そうだね……、進むしかない。止まない雨は、ない」

「今度は夜でも、大丈夫」

「そうねぇ~、深夜は少し、ざわざわします~」

「最上、今度は衝突はなしだからねっ」

「大丈夫、今度は衝突しないって。ホントだよ」

「ホントかしら……」

 時雨が、朝雲が、山雲が、最上が、満潮が。

 重なった視線と発せられる言葉を通して、みんなの想いがひしひしと山城のもとへ伝わってくる。

 あの場所を、あの時を乗り越え、その先へ。

 全員の、気負わずそれでいて確かな想いを、山城はしっかりと感じ取っていた。

 最後に視線を重ね合わせた扶桑が小さく頷く。

「山城、行きましょう。レイテへ、ここにいるみんなで一緒に……」

「――姉さま! 了解しました。二戦隊・第一遊撃部隊・第三部隊としてスリガオを超え、レイテに突入します。行きます……!」

 力強く発せられた山城の声に呼応し、全員が一人ずつ静かに水面に足を下ろす。

「全艦、両舷前進半速! 複従陣の陣形へ!」

 それぞれの主機が唸りを上げ、全艦がゆっくりと複従陣の陣形へと並んでいく。

 ブルネイ泊地に所属する艦娘や人員の帽振れに答礼しつつ、山城は進路をスリガオ海峡へと向ける。

「山城、気負いすぎないで。大丈夫よ、今度は、あの時とは違うわ」

 不意に隣に陣取る扶桑から掛けられた声に、山城はハッとなる。

「山城、気をつけて。大舞台だけど、油断は全然できないんだ。僕も、僕も全力で守るから」

「ボクたちだって全力で守るよ! ね、みんな?」

 みんなの掛ける言葉ひとつひとつが、ピンと張り詰めた山城の心に力強く、そして暖かく染みわたっていく。彼女たちが浮かべる表情は凛として、それでいていつも通りの爽やかなものだった。

「――ありがとう、みんな! さぁ、行くわよ! 両舷前進原速!」

「はいっ!」

 僚艦から元気と優しさを受け取った山城は先ほどよりも幾分硬さの和らいだ表情で前を向く。すぐ前をほんのわずか前に勢い勇んで出撃していった第二遊撃艦隊の姿を認めつつ、山城は無線の回線を開いた。

「発・第三部隊旗艦山城、宛・第一部隊旗艦愛宕。第三部隊、予定通りブルネイ泊地を出撃。これよりスリガオ海峡を抜け、レイテ湾へ向かう」

 

   ◇

 

「――旅順警備府で謎の爆発音? それいつの話? そもそも誰も配置されていない無人のはずの警備府で爆発ってどういうことなの?」

 執務室で電話を取り上げる千北の声色に興味の色が広がっていく。

『数日前の出来事ですが、深夜とてつもない爆発音が一度響いた後に警備府内へ消防車や救急車が押し寄せたとの目撃情報が……』

「目撃情報って、中国海軍はその件正式に把握していないの?」

『そのようです……。私も気になって色々と調べて回っているのですが、どうやら旅順警備府にかなり以前から出入りをする存在があるとの未確認情報を耳にしておりまして』

「出入りする存在? あそこはもう閉鎖を前提とした休止状態になっているはずよ。現に中国軍からの査察報告書にもそのような内容で回答が――」

『なので我々も不審に思っているのです。――やはりこの爆発音と出入りする存在について何か……?』

「まだ詳しくは話せないけれど、その可能性があるわ。李上尉、あなたの軍務に支障のない範囲で結構だから引き続き旅順についての情報を調べてもらえないかしら? もちろんこの借りは後でしっかり熨斗付けて返すから……」

『千北大校のお願いとあらば、聞かなければ後が怖いですからな……。了解です』

「お願いね」

 千北は電話を切るとすぐさま受話器を取り上げダイヤルする。しばし流れる呼び出し音が、わずかにしびれを切らしそうになるのを堪えなければ、と思考し始めたところで、ようやく相手との回線がつながった。

「千北です。友枝次長、緊急にお耳に入れておきたい用件が」

 

   ◇

 

 その頃、第一遊撃部隊第一部隊ならびに第二部隊はタブラス海峡を抜け、シブヤン海を目指して比較的順調に航行を続けていた。

「まもなくシブヤン海だ……」

 武蔵の声色も、普段とは違う緊張感を帯びたものに変わりつつあった。

「大丈夫。今度こそ、きっと大丈夫」

 武蔵を落ちつけようとする大和の声も、やはり心なしか熱を帯びたものへと変わっている。

「愛宕さんっ、まだ第三部隊からの入電はありませんね?」

「えぇ、まだ……」

 愛宕がそう答えている最中、全艦の無線に空電が走る。

「来たわッ!」

 愛宕が無線の回線を開く。直後、全艦を緊張が走った。

 

『こちら第三部隊旗艦山城ッ! スリガオ海峡突入直後に無数のPT小鬼群に襲撃を受け最上・朝雲・山雲・満潮中破、時雨・扶桑小破! さ、さらに後方から数え切れないほどの戦艦棲姫に空母ヲ級、軽巡駆逐の艦隊が殺到中ッ! なに……、一体なんなのよこれッ! こんなの「あの時」以上じゃないの……ッ!』

「山城落ち着いて! 第二遊撃部隊はどうしたの? 別動隊は?」

『も、最上大破ッ! どうして、どうしてなのよ……!』

『こちら第二遊撃部隊旗艦那智ッ! こちらもPT小鬼群に囲まれて動けないッ!』

「――急がなければ。急がなければ、彼女たちを……、救えない……ッ!」

 サマール島沖約五〇キロのフィリピン海。その闇夜に塗りつぶされた海上を一筋の航跡が伸びていく。

 その航跡の未来が示す先にあるのは、スリガオ海峡。

「頼む……、堪えていてくれ……ッ! 私が、この戦艦紀伊が――」

 紀伊が電探の映し出す影に意識を飛ばす。微かに見える、敵の影。

「必ず助けてみせるッ!」

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