深夜の静まり返った住宅の一室に携帯電話の呼び出し音が大音量で鳴り響く。ベッド横のテーブルでぶるぶるとそのボディを震わせる小さな折り畳み式携帯へ向かい、布団の中から大雑把に伸びた手が一度二度と空振りの末ようやく携帯電話を捕まえる。未だ被ったままの布団の中に引っ込んだ手が携帯電話を開く。画面に表示された着信相手の名前を確認したところで携帯電話の主は布団を引っぺがし、上半身を起こしながら電話を取った。
『――米田くん、寝ているところすまないが、久里浜関係で至急対処が必要な事案が発生してね、霞が関まで来てもらえないか?』
「――只事ではないようですね、わかりました、今すぐ向かいます」
部屋の主である彼女、米田知美海軍中将は一度電話を切るとすぐさま電話を操作し、電話機を耳に当てる。
「――米田よ、至急車を用意して」
言うや否や米田は電話を切ると、ベッドから抜け出し出立の支度にかかり出した。先ほどまでの眠気眼な表情は、海軍総司令部所属の将官の顔へ切り替わっていた。
霞が関の官庁街で一際その存在感を放つ歴史あるレンガ造りの建物。そんな瀟洒な建物の中に居を構える組織のひとつ、軍令部に割り当てられたフロア、その一室の中へノックの音が響く。誰何に対して部屋の主の部下が名乗り、彼は扉の向こう側の人間に入室を促した。
アイロンがけしたかのようなキッチリとした礼と共にひとりの士官が入室し、その彼の案内に従い部屋の主が到着を待ちわびていた存在がゆったりとした足取りで部屋の中へ現れた。
「次長、米田中将をお連れ致しましたッ!」
「ご苦労、あぁ……、米田くん、何か飲み物でもいるかね?」
この部屋の主、軍令部次長である友枝は視線をするりと先ほど入室してきた米田へ向ける。
「いえ……、いや、そうですね、コーヒーをブラック、濃い目にお願いできるかしら?」
「だそうだ」
そんな友枝の指示にドア脇に立つ士官はハリのある声で返答し、急いで部屋を後にする。
「――友枝先輩から直接呼出しとは、『蔵王』に乗艦していたときに艦長室に呼び出されたとき以来、でしたかね?」
部屋を後にした士官の後姿を見送ったところで米田がそういうと笑った。
「『蔵王』か……、もう二十年近くも昔の話か。確かあの時も深夜だったか……。呼び出しの理由は……、忘れたな。まぁ、昔話をするために呼び出したわけじゃない、とにかく座ってくれ」
彼に促され米田が応接セットのソファに腰を降ろす。友枝は身を翻し部屋唯一の窓に背を向けるように誂えられている執務机に向かうとその上に置かれた茶封筒を手に取り、こちらへと戻ると自身もソファに腰かけ、手にしていた茶封筒をテーブルに置き米田へと差し出した。
「――先日の『未確認の艦影』騒動の正体が先ほど判明した。紀伊型戦艦一番艦『紀伊』、というそうだ。現在展開中のレイテ沖大規模作戦に出撃中の佐世保鎮守府所属の山城旗艦の艦隊が、スリガオ海峡にてこの艦娘に救援されたそうだ」
「救援された? その艦隊の状況は?」
救援、という友枝の発した言葉に米田が微かに身を乗り出す。ちょうどそのタイミングで先ほど彼女をこの部屋へ案内してきた士官が舞い戻り、お盆に載せた湯気を立てるコーヒーの入ったカップをテーブルの上に載せ、再び扉の外へと消えて行った。
「安心したまえ、中破被害が複数出ているが全艦健在、スリガオ海峡で待ち構えていた突入艦隊の数倍以上の数と推定される深海棲艦艦隊は殲滅したそうだ。もっとも、その敵艦隊殲滅の戦果のうち、半分以上はその紀伊が叩き出したもの、という速報結果が入っているそうだが」
友枝の言葉の前半部分に安心して給仕されたカップに手を伸ばしコーヒーを口に含もうとした米田の手が止まった。
「半数以上を? 戦艦がですか?」
「そうだ、空母じゃない。戦艦が、一隻で、敵の駆逐艦だけでなく戦艦クラスを屠ったそうだ。それでいて中破判定クラスに辛うじて判定される程度の損害。まさに化け物だ。だが、今回寝ている君を叩き起こした理由はそこじゃない。その茶封筒の中身が、目下の本丸だよ」
そう友枝に促された米田が茶封筒を手に取り、その中に収められた書類の束を取り出し目を通し始める。速読で瞬く間にめくられていく書類の枚数が増えれば増えるほど、彼女の表情が驚愕の色に染まっていく。最後の一枚に目を通し終えた米田が視線を上げ、何かを言おうとして口をつぐみ、再び書類に視線を落とすという動作を繰り返す。
「二年前に倫理的問題、さらに『人為的な能力改変等を行った艦娘の建造を禁止する』長崎条約に抵触する恐れがあると指摘されて中止となったはずの新型戦艦娘の開発計画が極秘に、正規の承認を得ることなく生き残っていた、事実ならばこれだけでも大問題だ。それに加えその非正規極秘開発計画を遂行する場として海軍施設が、それも国外に所在する廃止前提の休止状態と租借国に報告している場所が不正使用され、あまつさえ所在国の軍もしくは警察組織へ発覚からの通報を口封じさせるために何らかの利益供与を行った可能性が否定できない」
そこで友枝が言葉を切り、失礼、と一言断った上で制服の裏ポケットからタバコのパッケージを取り出すと火をつけ、紫煙を胸深く吸い込み、吐き出した。
「旅順警備府での原因不明の爆発騒ぎから今回の紀伊の発見、いや遭遇と呼ぶべきか。その間の間隔は艦娘が旅順からスリガオ海峡までほぼ全速力で航行した際の所要時間とほぼ同一。断片的な情報だけでこれだけ集まっている。そして、計画中止の際、この『新型戦艦』は二隻建造することが想定されていた……。米田君、これから何をするべきか、皆まで言う必要はあるまい?」
友枝のその言葉に米田が深いため息を漏らす。
「この事はどのセクションまで報告を?」
「とりあえず国防大臣には速報を上げている、君の名前込みでね」
「――大臣はなんと?」
「事態収拾に必要な行動の命令権限を君に一任するとのことだ」
権限を一任する。その言葉を受け止めた米田が一言断り、携帯電話を取り出した。呼び出し音がしばらく鳴り続けたところでブツリ、と音が切り替わる。
「米田です。大至急呉の輸送艦隊司令に輸送艦一隻の緊急出動準備指令を発令して。えぇ大至急よ。これからそちらに向かうわ、よろしく頼むわね」
そういって米田は電話を切り、手にしていた友枝から渡された資料の束を掲げてみせた。
「こちらの書類はこちらで預からせていただいても?」
「もちろん。それに久里浜を洗うきっかけも、旅順警備府関係の資料の大半は君の可愛い『弟子』の努力の賜物だ。君の役目に役立つなら彼女も喜ぶだろうさ」
彼女、その言葉で米田は該当するひとりの軍人の顔を思い浮かべた。頭が切れて勘が鋭く、ふと気が付けば相手の懐に入り込んでしまう、私の下から『提督』として巣立った、そんな彼女の顔が。
米田は再び電話を手に取ると電話帳を探り、もう一度耳に当てる。こちらは先ほどよりも長く呼び出し音を響かせていたが、ようやく呼び出した相手の声が耳に響いた。
「夜分遅く失礼いたします、海軍艦隊総司令部の米田です。黛司令、情報保全本部へ緊急に提供する必要がある情報がございまして」
「なんということだ……、にわかには信じられん……」
深夜の電話による会談申し入れから数時間後、米田の姿は霞が関ではなく市ヶ谷にあった。
応接セットで米田と相対するひとりの男が、彼女から手渡された資料の最後に添付されていた一枚の引き延ばされた写真、中国海軍の北海艦隊司令官と総政治部の政治委員と握手を交わそうとする元日本海軍技術士官の姿を捉えた監視カメラのコピー画像に視線をジッと落としていた。
彼女たちが今まさに会談を行っている場所の名前は情報保全本部司令官室。そして写真を見つめる男こそ、国防省内の情報保全を司る組織・情報保全本部の司令官である黛幸雄少将であった。
「――米田中将、この資料の情報を信用して、本当に大丈夫なのでしょうね?」
「軍令部の友枝次長と佐世保鎮守府司令官の千北の集めた情報です。私は彼らを信用しておりますし、なによりその『ネタ元』のおふたりについては、あなた方の方がよくご存じなのではありませんか?」
米田の返しを受け取った黛が三度写真に目を落とし、深くため息を漏らす。
「――ネタ元の確度については十分承知いたしました」
黛がソファから立ち上がると、夜明けに向けてうっすらと明るさを取り戻し始めた窓際へ向かう。
「それにしても米田中将、今回中将は問題を把握次第すぐに私へ直接この情報を提供されましたが、中将はお考えになられなかったのですか、私が『あちら側』の人間であるということを。政財界だけでなく陸海空軍満遍なく『崇拝者』を持つ彼のことです、陸軍出身の私だってその筋の可能性は十分にあるかと思われますが?」
そういった黛の掛けるメガネのレンズが朝日を反射して白く染まる。
「ご心配に及びません。黛少将へだからこそ早急にこの案件を預けるべき、そう判断したまでです。あちら側に潰された『陸軍特殊機動旅団構想』の立案者が、肩入れするとは到底思えませんもので」
米田が引っ張り出した過去を背中で受け止めた黛が眼鏡のブリッジを押し上げ、米田へ向き直る。
「なるほど……。中将が『世界で初めて艦娘を率いた司令官』となられた理由がよくわかりました。承知いたしました、今回のこの案件の調査、預からせていただきましょう。何か進展がございましたら、こちらからご報告を」
「よろしくお願いいたします。それでは、こちらはこちらでやるべきことがありますので、失礼いたします」
そう言うと米田はソファから立ち上がると黛へ一礼し、足早に司令官室を後にする。黛はその後ろ姿を見送ると執務机の電話機を取った。
「――黛だ、早朝から悪いが至急調査してほしい事案がある。あぁ、大至急だ」
「――私よ、今からまた霞が関に戻るから、車の方を正面玄関へ、お願いね」
情報保全本部司令官室を辞した米田が慌ただしく廊下を歩き、突き当たりのエレベーターへ乗り込み正面玄関へと降りていく。時間帯が時間帯ゆえに他に乗る者もないエレベーターは一階まで直行し、ドアが開いた。
正面玄関へ向けて歩を進める米田の視界に、よく見知った人影が飛び込んでくる。米田は相対したその人影へ向かい、目前で一歩横にずれ、道を開けた。
「――誰かと思えば米田君かね、こんな朝早くから精が出ているようだな」
その姿を目に留め、その歩みを止めた男、金田功は敬礼する彼女を一瞥してからそう言葉を発した。
「元帥こそ、随分お早いご出勤で」
「なに、歳を取ると目覚めが随分と早くなってしまうものでねぇ。米田君、君も十分覚悟しておきたまえ」
「心得させていただきます。……そういえば、ご近所ということで元帥にご忠告が」
恭しく金田の言葉を受け止めた米田が何事かを思い出したかのような表情を浮かべ言葉を続ける。
「最近近所を猛犬がうろついていると噂話を耳にしたものでして……、なんでも噛みついたら中々離さないとか」
「ほぉ、それは初耳だな。せいぜい噛まれぬよう気を付けるとしよう、忠告感謝するぞ」
「恐縮です。それでは、私はこれで」
米田は再び金田へ敬礼し、足早に正面玄関前に止まる自身専用の送迎車の後部座席へ納まり、市ヶ谷を後にする。金田はその様子を無言で見送った後、周囲を取り巻く同行者を引き連れ、庁舎内へと消えて行ったのだった。
「――明石、ちょっといいかしら?」
ノックの音に続いて扉の向こう側からの声に、部屋の主である明石は机から離れると扉を開け、訪問者である佐世保鎮守府司令官・千北恵理子大佐を招き入れた。
「お疲れ様、早速だけれど紀伊の状況はどうかしら?」
「今のところ大きな問題はないかしら。損害状況は中破区分の下の下、といったところね。話を聞いている限りだと相当激しく戦っているみたいだけれど、それでこの損害判定で済んでいるこの装甲性能には驚かされているわ」
千北は明石の机に置かれていた紀伊についての所見報告書の草案を彼女から受け取るとそこへ記載された内容を目で追っていく。
「――艤装能力、制服の装甲力場発生能力、何より艦娘本体である肉体の基礎能力……、確かに、これまで確認されている艦娘をことごとく上回っているわね」
おまけに入渠所要時間に修復コストの跳ね上がり方も尋常じゃなさそうね、と千北が苦笑いを浮かべる。
「それどころではありませんよ提督、彼女、艤装構造も制服の装甲力場発生のメカニズムも、そして肉体そのものの構成要素も、今まで確認されてきたドロップ、もしくは正規のドックで建造されてこの世に生を受けた艦娘と大幅に異なっています。私の見立てでは、現在確立されている艦娘誕生の理論では、このような艦娘は生まれないかと……」
明石は草案を記した紙の別の部分を指差しつつ千北へレクチャーを行う。それを手を顎に添える仕草のまま黙って聞き入ったところで、千北がゆっくりと顔を上げ明石を見定めた。
「明石、紀伊の基本諸元についてはデータまとまっているかしら?」
「はい、基本的な面についてはある程度は――」
「いいわ、今まとまっている限りでいいわ、そのデータもらっていいかしら? それと、この所見報告書の草案のコピーも」
「それは構いませんけれど、基本諸元はともかく所見報告書はまだ草案ですよ?」
何かに急かされているかのような千北の様子に明石が疑問の表情を浮かべる。
「ある程度の基本諸元とこれだけの『特異点』がまとまったものがあれば新規発見艦種の軍籍申請書類には最低限の補強になるわ。詳しい報告については後日追加の報告書を情報を精査できた段階で追加提出すれば事足りるわ。今はとにかく彼女の『根なし草』状態の解消が先決よ」
「――――あの、提督。その、本当にこの鎮守府へ編入するのですか、紀伊を」
より真剣味を増した千北の表情を伺いつつ、明石が訊きにくそうに自身の疑問を口に出した。
「そうよ? 何か問題でもあるかしら?」
「いえその、大淀から断片的に話を聞いていたら、その、少し心配になってきてしまって……」
「心配? 紀伊がかしら?」
「いえ、彼女のことではなくて、その、彼女のこと、『上』のほうと色々とあるんですよね? その、もし万が一提督に圧力が掛けられてクビになってしまったらって――」
明石の中に芽生えた疑念を口に出した直後、千北は彼女を丸くした目で一瞬見つめると、ゆっくりと、やがて盛大に笑い声を上げ始めた。
「ちょ、ちょっと笑い事じゃないないですって! 私は真剣に――」
「――ごめ、ごめん、まさか『提督も少し修理したほうが良いみたいですね』とか普段から言ってるあなたの口からそんなシリアスなセリフを聞くとは夢にも思わなかったから、つい――」
「わたしだってたまにはシリアスになったりもしますよ!」
「本当に悪かったわ、この通り!」
先ほどまでのシリアスな状況から一転して少しばかりコミカルな空気に一変したところで、千北が少しばかり表情を引き締めて言葉を続ける。
「大丈夫よ、あなたが心配したような事態に陥らないようにすでに手は打ち始めているわ、心配しないで。それに、紀伊は山城たちの命の恩人よ。『家族』を救ってくれた命の恩人には優しくすることこそ人情、そうは思わないかしら?」
「――すみません、提督」
「いいのよ、あなたの言いたいことも分からなくはないから。それじゃ、少し書類借りるわね。コピーしたらすぐに戻すわ。引き続きよろしく頼むわね」
千北はそう言い残して明石の部屋を後にすると、急ぎ足で廊下を進み、司令官執務室から少し離れた場所に構える大淀の個室の扉を叩いた。
「明石から紀伊の現時点判明分の基本諸元書類と修復作業の所見報告書の草案を借りてきたわ。軍籍申請書類、超特急で仕上げましょう」
大淀が開けた扉を潜った千北がそう捲し立てると、早速明石から借りてきた書類をコピー機にかけ始めた。大淀は一瞬だけコピー機前に立つ彼女の後ろ姿を一瞥すると、何も言わずに机の上のパソコンに書類のテンプレートを表示したのだった。
「――よし、これで提出しても問題なさそうね」
「では、この内容で米田中将宛へ送信しますね」
「えぇ頼むわ」
千北は大淀の隣に引き寄せていた事務椅子からゆっくりと立ち上がり、画面上の送信完了の表示を確かめ彼女の肩を叩き労う。ふと視線を窓へ移すと、映し出される佐世保湾の景色は深夜の漆黒から朝焼け色へすでに移ろっていた。
「――結局、徹夜になってしまいましたね」
ぼんやりと立ち尽くしていた千北へ声が掛かる。振り返った先には湯気を立てるコーヒーカップふたつを手にした大淀がそのひとつをこちらに差し出した状態で立っていた。
「ありがとう、いただくわ。こちらこそ、いきなり徹夜作業に付き合わせて悪かったわね」
「お気になさらず、これでも艦娘ですから。それより、軍籍申請についてこの後は米田中将直々に動いてくださるそうですし、提督こそ一度お休みになられた方が――」
「――そうしたいのは山々なんだけれどね、もうそう経たずに入港する艦娘がいるもの。出迎えと若干一名に小言の準備しておかないと」
受け取ったブラックのコーヒーを一口含み、千北はそう言って笑みを浮かべる。その直後内線の呼び出し音が部屋の中へ鳴り響いた。
『――お疲れ様です提督。先ほど山城から連絡が入りました。まもなく全艦で佐世保湾へ入るそうです』
「分かったわ、連絡ありがとう」
千北は受話器を置くとカップの中に残るコーヒーを一気に飲み干し朝焼け色の窓に背を向けた。千北は空になったカップを大淀に手渡すと部屋を辞し、一路岸壁へ向かい歩き始めたのだった。
明け方の佐世保から約半日後、市ヶ谷に所在する国防省の庁舎内の一室に、受話器を握る金田の姿があった。
電話を受ける際の渋い表情のまま受話器を置いた金田はゆっくりと執務机から立ち上がり、窓の外に広がる早春の市ヶ谷の景色に視線を送りつつ、先ほど電話口でのものを含む、ここ数日中に受けた報告をゆっくりと反芻していた。
紀伊の建造元である旅順警備府からの脱走。
極秘計画であった紀伊型戦艦建造計画の露見。
旅順警備府に未だ残る『二番艦』と残存人員の回収作戦がすでに発令済みであること。
そして、脱走した紀伊が昨日佐世保鎮守府へ入港し、先ほど佐世保鎮守府所属として艦娘として活動するために必要な軍籍の申請が受理され、その受理に『世界で初めて艦娘を指揮した司令官』であり、各鎮守府の司令官、そして艦娘から強い信頼と尊敬を受けている者、海軍総司令部の米田中将が関与していること。
「状況はあまり、芳しくはないな……」
金田がため息と共に言葉を零す。
だが、ここで現状をただ黙って受け入れてしまえば、長年温め続け、実現のためにありとあらゆる犠牲を払ってきたこれまでが無駄となってしまう。
それだけは。
それだけは断じて容認できない。
心の奥底に昏い闘志を燃やし始めた彼は窓から視線を外すと執務机の電話機を取った。
「――私だ。例の件だが、搬入場所は確定しているのかね? ――何、横須賀での調査を検討中? 貴様馬鹿かッ! 久里浜だッ! 久里浜へ変更させるんだッ! ――理由? そんなものどうとでも捻りだせるだろうッ! 佐世保の奴も含めて、とにかく久里浜へ集めさせろッ! これができなければ貴様の椅子はもうないものと思いたまえッ! いいなッ!?」
金田は沸騰した感情を言葉と力双方で受話器に叩きつけどっかりとその身体を椅子に落としこんだ。
「全く、何が『先進技術研究室室長』だッ! 先も何も全く見据えていない、上の様子ばかり伺う愚か者ではないかッ! やはり奴では上手く回ることも回らん、やはり早急のすげ替えがいるか……」
金田はそう不満げに零すと再び電話機を手に取ると、次なる一手を打つべく行動に移るのだった。
「――では同行できる艦娘は一名で確定と……。はい……、はい……、分かりました。はい……、はい……、では、明朝〇八〇〇出発ですね。はい、では、何卒よろしくお願いいたします。失礼いたします」
千北はゆっくりと受話器を置くと、深いため息を漏らしながら執務机を囲むふたりの艦娘、大淀と由良の顔をそれぞれ見やった。
「――というわけよ。とりあえず一名でも誰か別の子の目を付けることができたのはよかったけれど……」
そこで千北は言葉を区切ると深く考え込みはじめた。
艦隊総司令部より『明日戦艦紀伊を久里浜の特自艦技研・先進技術研究室へ出頭させよ』という命令を受諾したのは今から数時間前、佐世保の海と街をぐるりと取り囲む山々に夕陽が沈んでいくのをまさに見送らんとする頃だった。
特自艦技研・先進技術研究室。
それは艦娘、正式名称『特殊自立艦艇』に関する研究開発を行う海軍の専門組織・特種自立艦艇技術研究本部内のセクションのひとつであり、横須賀にほど近い久里浜に拠点を構え『今後必要になる特種自立艦艇の装備、さらには人類独自設計の新型特種自立艦艇開発に向けた研究』を担当している。
そしてこの研究室は以前より、『いたずらな秘密組織構造』や『倫理的問題のある研究の推進』を問題視されており、そして今回の戦艦紀伊の建造に関しても、その研究内の『艦娘に対する倫理的問題』が問題視されて中止に追い込まれるまで計画を主導し、そして紀伊の完成に大きく関わった四名の元海軍技術士官が所属していた組織でもある。
その先進技術研究室へ『戦艦紀伊の不具合等洗い出しのための検査』のために送り出せと、艦隊総司令部を通して命令が文字通り飛んできたのだった。
千北は即座に米田へ連絡を取り、最終的に『同伴艦として艦娘一名の同伴を認める』との命令発令者からの言質が取られたものの――。
「――できればこの案件に関与する子は減らしたいのだけれど」
千北が悩んでいるのはその点であった。
先進技術研究室は最高機密を多く抱える組織である故、そこへ関与した者はことごとく『機密抵触者』として面倒な管理を受けることとなる。もちろん軍に所属する存在である艦娘には機密が付きものではあるが、その場所に待っているのはその中でも飛び切りの最高級機密だ。そしてこの先待っているであろう任務はまた別の『機密』を抱えかねない案件である。関係者は極力減らしたいのが司令官としての偽らざる気持ちだった。
直後、
コンッ、コンッ。
司令官執務室の扉から大人しめなノックの音が響く。
大淀と由良に目配せをしたところで、司令官が扉の向こう側の存在へ誰何する。
その名前を聞いた千北はその訪問者を呼びいれ、扉がゆっくりと開く。
「提督、その……、入渠中の紀伊の様子なんだけれど」
わずかに心配そうな表情を浮かべる訪問者をじっくりと一瞥したところで、千北は決断し、口を開いた。
「時雨、今日の今日で申し訳ないのだけれど……、その紀伊に関して、あなたに就いてもらいたい任務があるの」
ごとん、ごとん。
乗り込んだグレーのワンボックス車が路面の段差を吸収する感触を確かめた時雨がふとスモークフィルムの貼られた窓の外に視線を送る。『大村航空基地』と記された表札を目に留めたところで、ワンボックス車は再びゆっくりと加速して厳重に柵で区切られた敷地内へと足を踏み入れた。車は迷うことなく敷地内の道路を進み、最終的には一気に開けた領域、エプロンへ躍り出ると一目散にその中央部で待機する一機の輸送機の側まで進み、車は止まった。
「あの機へ搭乗を」
ドアを開けた運転を務めた迷彩服の男に言われるがまま、時雨は薄い水色一色に塗装されたプロペラ機へ歩を進める。
車が進んできた方向へ振り返れば、時雨たちを乗せた車のあとをぴったりとついてきたモスグリーンのトラックの幌が開けられ、その中に梱包された状態で収められている仰々しい戦艦娘の艤装がフォークリフトで降ろされる様子がそこにはあった。
「――本当によかったのか、私なんかについてきて」
そこへ背後から、『あの時』以来久しぶりに耳にしたもうひとりの搭乗者の声が掛けられる。
「いいんだ、紀伊。僕が自分から進んで決めたことだし、それに――」
時雨は背後に佇むもうひとりの搭乗者・紀伊と相対すると、離陸準備を整えつつある輸送機を背景にして笑って見せた。
「大規模作戦明けの休暇に、とびっきりの機密とやらを覗いてみるのも、面白そうだと思ってね」