こんにちは。私の名前は《ミリン》です。始まりの街にいるいわゆるリタイア組と言われちゃう人達の一人です。
戦いをしないといってもご飯を食べたりするのにはお金が必要でいくつかクエストをしないといけません。でも私は不器用なので誰でもできる簡単なクエストですら失敗してしまいます。今も《マドラさんの引っ越しクエスト》をしている最中なんですが途中で見かけた可愛い猫を追いかけていたら迷子になってしまいました。
この引っ越しクエスト、アイテムストレージに満タン以上になるくらいにマドラさんの家具などを入れなくてはいけません。ストレージ以上に入れることで動きに制限がかかり殆ど動くことができなくなってしまいます。
本来はその状態で5軒隣の家に行くだけの簡単なクエストなんですがバカでドジな私は迷子になってしまいまともに動くこともできないまま街を彷徨っていました。
始まりの街の他のプレイヤーはどこか投げやりで暗い雰囲気が蔓延しています。助けてくれるプレイヤーなんてきっと居ません。ましてバカでドジで不器用でおっちょこちょいな私のことなんて気にかけてくれる人なんて居る訳がありません。
「はぁ……」
とはいえ万が一の可能性も考え最近よく人が集まっている噴水広場まで来てみました。
そこでは夕方辺りから《デュエル》が行われています。なんでもこの街で嫌われていた人が戻ってきてデュエル屋さんというのをやっているらしです。
はじめはその人をボコボコにするために行われていたようですがその人がとても強いらしく今ではなんと46連勝中だそうです。
もはやちょっとしたイベントのような感じになっていて今日も腕試しに挑戦する人で賑わっています。
「あの……クエストで困っていて、助けてくれませんか?」
「誰か、引っ越しクエストを手伝ってくれませんか?」
何度か声をかけてみましたが地味で存在感のない私のことなんて誰も見向きもしてくれません。
私は一生このままなのでしょうか。一生このゲームの中で過ごすんでしょうか。このゲームの中で死んでしまうんでしょうか。
不安と悲しみがこみ上げてきました。賑やかさから逃げるように物陰で泣いてしまいました。
「どうかしました?」
どれほど泣いていたでしょうか。気づくと目の前に栗毛の男の人が立っていました。優しそうな笑顔を浮かべてこちらを見ています。
「あ、な……なんでもないです」
私は咄嗟に気持ちを隠してしまいました。すぐに気づきました。栗毛の男の人は先ほどデュエルで色んな人と戦っていた人だったからです。
賑やかな輪の中心でしかもあんな強さ、きっと攻略組の人で私とは縁のない人です。色々な感情が私の気持ちを覆い隠そうとします。
「さっき助けて、って言ってたように聞こえたので。おせっかいならすみませんでした」
「え、聞こえてたんですか?」
「えぇ。あんなバカ騒ぎに女性は珍しいですからね。何かお困りですか? もしよろしければお話聞かせてくれませんか?」
栗毛で優し気な目をした彼は物陰でしゃがむ私に目線を合わせるように一緒に座ってくれました。無理に距離を詰めず少し離れながらニコニコと笑っています。
その優しさに強張っていた私の心が少しほぐれた気がしました。
「あの、実は引っ越しクエストをしてたんですけど……迷子になってしまってストレージも重たくて動けなくて、寂しくて……辛くて」
言いながら涙が零れてきてしまいました。栗毛の彼が空色のハンカチを差し出してきます。
「マドラさんの引っ越しクエストだね。あれはストレージ上限が超える特殊クエストだからなぁ。大変だったね」
「この街の人はみんな大変だから……助けてくれなくて、私一生このままかなって思って」
このゲームに来て初めて触れる人の優しさに辛かった思いが涙になって流れます。空色のハンカチがどんどん色を変えます。
「ストレージ上限が超えてもクエスト達成後は元に戻るんだよな。一人一回しかできないクエストだから検証できなかったけどクエストキャンセルしても戻っちゃうんだよなぁ。誰でもクリアできるクエストだったから検証できなかったけどもしかしてクエキャンが使えるかもしれない」
と思ったら栗毛の少年はぶつぶつと顎に手を当てながら呟いています。優しそうではありますがもしかしたらヤバい人なのかもしれません。
「今アイテムストレージって家具以外入ってます?」
「あ、いえ、クエストアイテムのみです」
「クエストの経験値と賞金は僕が補填しますので少し付き合ってもらってもよろしいでしょうか?」
「え、あ、はひ……え?」
私があっけにとられている間に彼は私の手を掴んで歩き始めてしまいました。鈍足状態の私は引きずられるように彼に引っ張られます。
本格的に変な人のようです。でも悪い人ではなさそうですし言ってることは分かりませんが助けてくれるようです。
栗毛の彼はあっという間にマドラさんの新居へと連れてきてくれました。
「ちょっとやって欲しいことがあるんですが、よろしいですか?」
「えーっとはい、なんでしょう」
「クエスト画面を開きながらマドラさんに話しかけてみてくれますか? その後ストレージのアイテムを渡すと同時にクエストをキャンセルしてみてください。」
「えーっと何の意味が?」
「いえいえただの実験ですよ。似たようなクエストが2層であって思いついたんですけど引っ越しクエが一人一回なんで試せなかったんですよね」
「わ、わかりました。やってみます」
意味は分かりませんが何かを調べてみたいようです。ここまで連れてきてくれたお礼もあるので言われた通りにしてみます。
「マドラさん、お引越しの頼まれた家具です」
「おやぁ随分と遅かったねぇ。重たかったろうにありがとうね。それじゃあ早速渡してくれるかい?」
アイテムストレージ画面が出るのでクエスト画面を同時に開き右手でキャンセルを左手でアイテム移送を行いました。
処理されたようで空中にはクエストをキャンセルしましたの文字が浮かびました。
「そしたらこれで転移してからすぐに始まりの街に戻ってきてくれますか?」
「はぁ」
そう言って渡されたのは転移結晶でした。転移結晶は色々とありますが指定した街や場所に一瞬で移動できるレアアイテムです。そんな高価なアイテムをポンと渡してくるなんて……少し不安な気持ちになりました。
「まぁまぁとりあえずやってみてください。ダメならダメでいいので」
彼が何をしたいかは分かりませんが結晶を使って転移します。すると私はまだ行ったことのない2層の街へ着きました。私は言われた通りすぐに始まりの街に戻ります。
そしてまたマドラさんの家の前まで連れてこられました。
「そしたらまたマドラさんに話しかけてみてください」
「またですか? わかりました」
「おやあんたかい? 重すぎたかねぇ、私に荷物。また何かあったら手伝っとくれよ」
「す、すみませんでした」
マドラさんのクエストは失敗扱いになっていたようです。こんな簡単なクエストもできないという事実に私の自尊心が削れて行きます。
「マドラさんがっかりしてました」
「失敗ってことだね。ふむふむ、ストレージってどうなってます?」
「家具がなくなってます。からっぽです」
「まぁそうですよね。ストレージ最大値は?」
「最大値……? なんかバグってるかもです。最大値が3倍くらいになってます」
「やった、成功ですね。クエスト受注バグです」
説明が難しくてわからなかったんですがNPCのアイテムをストレージに入れるクエストを渡すときにキャンセルをしてから街を転移し再移動して話しかけるとストレージにアイテムが残ったりアイテム情報が固定されるそうです。
「アイテムストレージは筋力値とレベル依存ですからね。これがタダで上がるのはかなり有力な情報ですよ。悲しいのはこのクエストは1度しか出来ないことと簡単なんで殆どのプレイヤーがクリア済みってことですかね」
「え? じゃあアイテム沢山入るようになったってことですか?」
「そうなりますね」
「すごくないですか?」
「すごいと思います」
栗毛の王子様はとても変わっていて私を助けてくれた上に何やらグレーなことをして私に力をくれたようです。
私は今日初めてこの世界に存在したように感じました。戦いもせず逃げて隠れて過ごしていた私。こんな狂ったゲームをワクワクした目で遊んでいるちょっと変わった王子様。
「よかったですね。ではこれで」
「待ってください!」
立ち去ろうとする彼の手を、思わず掴んでいました。体が動いてから理由を探していました。
ただ一つだけ分かるのが、ここでこの人を離してはいけないという予感だけです。つまりは女の勘です。
「あの、私とフレンド登録してくれますか?」
「いいですよ! 大歓迎です。むしろパーティを組んで一緒に戦いでも行きますか?」
「戦い……ですか?」
乙女の勢いに恐怖が追いつきます。
「やっぱり怖いですか? 勿論敵に負けて本当の命が無くなるのは怖いかもしれませんね。でもこんな楽しいゲーム、始まりの街だけで終わってしまうのはもったいないですよ」
それは確かにそう。でも鈍くさい私が敵と戦って倒すことなどできるだろうか。
「戦わなくたっていいです。僕と一緒に行きましょう。このゲームの楽しいところ沢山お伝えしますし、一緒に楽しみましょう」
「私でもできますか?」
「僕に考えがありますし、絶対にあなたを死なせません。必ず僕が守ります」
やっぱり変わっているけれど、王子様はやっぱり王子様だったようです。私にも女の勘と乙女心が備わっていたこととこんなにも胸がときめいていることに驚きです。この胸の高鳴りの行く末が後悔であるはずがありません。
「これからよろしくお願いしますね、僕の名前はスイレンです」
「よろしくお願いします! 私はミリンって言います!」
私の物語の1ページはきっと今日ここからなんだ。心の熱さであふれ出した涙を空色のハンカチで拭いながら、そう思いました。