やがて僕は荒潮に呑まれる   作:ANMC

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 よろしくお願いします


やがて僕は荒潮に呑まれる
目覚める


 

 僕はその日、自分自身を失った。

 

 

 

 

 なにかが始まる日と言うものは唐突に始まるものである。大柄な熊のような男と小柄なサイドポニーの少女に連れられ、わたしは小学校の前に連れてこられた。正確には廃棄された小学校を作られた呉第4鎮守府の前に立っている。

 

 一通り整備されてはいるが、くすんだ校門や、赤いペンキで塗り固められたモルタルの質感はそれが廃棄されていたという歴史を如実に示している。

 

わたしは艦娘と呼ばれる第2次大戦に建造された戦闘艦の名前を冠した兵器を扱える改造人間であり、その中の朝潮型駆逐艦1番艦朝潮がわたしである。ぱっつんと整えられた黒髪に肩の長さでそろえられた後ろ髪で、小学校中学年のような背丈のわたしはこの小学校のような建物に通っている児童であると言われても違和感がない。

 

因みに、私を連れてきたサイドポニーの少女は朝潮型10番艦霞型の艦娘である。

 

「怖い? 大丈夫、みんな最初はそうよ。じきになれるわ」

 

 わたしがほんの数秒だけ鎮守府の前で足を止めると、霞はそう、声をかけてきた。彼女にとってはいつもの光景なのだろう。大柄の熊のような背丈でタンクトップを着ている男は一見温和そうに見えるが、呉第1鎮守府最強の提督であり、この霞は艤装に改造なしで適合し、自在に操る事ができたと噂される天才である。

 

 故に、呉鎮守府全体の守りの最後の砦としてほとんど出撃する事はなく、もっぱら事務処理とたまにわたしのような艦娘の素体を送り届ける重要な任務を担っている。

 

 わたしは思い出していた。ここに来る前に数か月間ほど横須賀の泊地に世話になっていたのだが、その時にわたしを指導してくれた戦艦の口癖を、

 

「大丈夫。昔の文豪、ゲーテは言いました。自分自身を信じてみるだけでいい。きっと生きる道が見えてくる。わたしはこの為に訓練を積んできたの……積んできました」

 

 自分自身を信じてみる。ある事情でこの世の無常を憂いていた私を救ってくれた言葉であり、その戦艦がよく話してくれた言葉である。

 

「大丈夫よ。あんたの司令官には敬語を使えばいいけれど、このクズの事は今いないものとして普通に話しなさいな」

 

わたしは吹き出してしまった。霞がおそらく冗談で言ったのだろうか熊みたいな男は足を止めながら。

 

「おいおい、霞ぃ俺は大将だぞ、偉いんだぞ」と、おそらく何十回も繰り返されたであろうやり取りを始める。おそらく、わたしの緊張をほぐす為だろう。この門をくぐると、彼らにできることはほとんどないのだから……。

 

 わたしたちは背中に固有の適合した艤装を取り付けることで、水の上を自由に移動することができ、艤装に装備された主砲や魚雷などと言った兵器を打ち出すことができる。無論、そのようなオーバーテクノロジーめいた兵器はその仮想敵がいなければ机上の空論で終わるのが常である。

 

 その敵は諸外国でもなければ、ましてや人ですらない正体不明の化け物と言ったらそれが出てくる前に住んでいた人類は笑うだろうか? しかし、現実はその化け物はオーストラリアと南極を呑み込み、この国の沿岸部の人間の半数を呑み込んだ。人類はその化け物を深海棲艦と呼称し恐れたらしい。

 

 その当時の最新鋭のミサイルや戦闘機と言った代物は深海棲艦を吹き飛ばすことはできたが、約3時間後には元通り再生する。なぜか、艦娘の背負う艤装だけはそれを倒すと再生の際に艦娘の艤装として再生させることができたので、わたしたちは増やされ、各地域の各拠点に配属され日々、人々の暮らしを守っているのである。

 

 そんな使命を背負っているわたしには正体不明の化け物と終わらぬ死闘の渦中に放りこまれると分かっているのに、恐怖はなかった。ただあるのは疑問だった。

 

「大丈夫です。大将が偉い人なのはわたしも霞もわかっていますよ」

 

 わたしはにこやかに彼に笑いかけると、男は「うおお、朝潮はかわいいなぁ」と叫びながら抱きしめようとしてきたので、霞に制裁された。鳩尾に正拳突きが見事に入り『ドズン!!』という鈍い音と共に、彼は体を九の字に曲げた。

 

「このクズ。マジであり得ないったら」

 

「単なるスキンシップじゃないか。スキンシップ」霞の渾身のこぶしから瞬時に回復した男はおどけながらそんな風におちゃらけてみせた後、さて、そろそろ引き継ぎに行くかと、歩みを再開した。

 

 校門をくぐり、下駄箱が置いてあったと思われる入り口から、突き当りを左方向に曲がる、ちなみに右方向にはもともと体育館だと思われる建物が広がっており、そこには何やら大きな機械が数台置かれていた。

 

 そして、数メートル歩くと、熊本大将はその足を止めた。

 

「私達が付いていけるのはここまでだ。後はそこの廊下を進んで右に曲がった先に艦娘がいるはずだから。その娘に案内してもらいなさい」

 

 わたしはそれを聞いて怪訝そうな顔をし、霞は俯いた。

 

「大将はここの提督に会っていかれないのですか? わたしはそうすると思っていたのですが」

 

 男は何も答えない。ただ後ろを振り向き、数歩下がると、右手の手のひらの上にあるナニカを握り潰した。その瞬間、朝潮は男から漠然とした恐怖と重圧に押しつぶされそうになった。下半身は痙攣し一歩も歩くことさえ、いや、全身の筋肉が言う事を聞かず、這いずる事さえできない。

 

「私の提督としての適性は最上クラスで、縁を結んでいる艦娘の力を他の提督以上に引き出すことができる。一方で、縁を結んでいない艦娘には悪影響があり、近づくと今の君のように全身の神経がマヒする。

 今までは、仮に縁を結んでいたが、引継ぎをする以上、そのままにしておく訳にはいかない。さようなら朝潮、縁があったらまた会おう」

 

「ごめんね。朝潮お姉ちゃん……お元気で」

 

 薄れゆく意識の中、わたしは彼らのその声だけを覚えていた。

 

 

 

「あらあら、あなたが新しい私達の仲間ね。よろしく、朝潮姉さん」

 

 わたしが目を覚ますと、茶髪の私と背丈の少女が膝に手を置きながら覗き込んできた。その小悪魔風な見た目や口調には見覚えがある。彼女は朝潮型駆逐艦4番艦荒潮である。

 

「ありがとう。その通りよ。熊本大将にこの鎮守府につれられて来たのだけれど、熊本提督は……えーと」

 

因みに熊本大将とは、先ほどまで一緒にいた男の名である。わたしが覚醒したての脳髄から先ほどあった記憶を思い出していると、荒潮はわたしの口に手を当て、

 

「いいのよ。あの人は呉鎮守府の最終兵器で、私たちにとっては毒。これは何十回も繰り返されていることだから私も慣れているわ。うふふふ」

 

 彼女はそう笑いながら、わたしの手を取り、歩き出した。廊下を進み、突き当りを左に曲がる。

 

「荒潮、わたしは熊本大将には突き当りを右に進むように言われたのだけれど」

 

 わたしは顔をしかめながら荒潮にそう伝えた。まだ覚醒して間もなく記憶も曖昧模糊で本当にそうかと聞かれれば自信はないのだが、わたしの疑問に荒潮はこちらに振り向きながら、

 

「ああ、それね。セキュリティー上、熊本大将にはうその情報を教えてあるの。もし誰かがさっきの会話を盗聴していた場合、わたし達を追って右に曲がるでしょう? そうしたら警報が鳴るようになっているわ」

 

 なるほどとわたしは相槌をうった。と同時にここが侵入者を警戒する軍事施設であることを実感させ、少しだけ恐怖させた。その後しばらくは何の会話もなく廊下を進んでいく。少し緊張しているわたしに荒潮が時折振り向いて笑いかける。

 

 

 

「ここには26の教室を改造した部屋があるけれど、そのうちの1部屋を提督の気分次第で執務室として使っているわ。そして、その部屋は私と順番に回ってくる秘書官、そして、第1~4艦隊の旗艦しか知らない。そして艦娘を呼び出すときは執務室ではない部屋に艦娘を呼び出して、スピーカーで用件を伝えたり、あるいはそこに提督が行く感じにしているわ」

 

 廊下を抜け階段を上がり、2-1と書いてある教室を開けながら彼女はそう言った。わたしが部屋の中を見ると、そこには教卓を改造したような執務机が置かれ、その前には勉強机が数個並べられている。そして気にも留めてはいなかったが、教室は廊下側からは窓などを通して見えないようになっており、窓には反対側の窓には鉄格子がはめられている。

 

「と言うことはこの建物は執務室以外の機能は果たしていないということ? 司令官を守るためとはいえ、少し過剰ではない?」

 

「あらあら、めったなことを口にするものではないわ。姉さんのその発言は司令官が臆病者であると言っていると捉えられかねないわ」

 

 わたしは荒潮のいたずらっぽく言ったその言葉に顔を青くして、

 

「ちが、わたしはそんなつもりで言ったのでは、……中世の文豪ゲーテは言いました(言っていない)。口は禍の元と(ことわざ)」

 

「うふふふ、心配しないで朝潮姉さん。司令官に告げ口なんてしないわよ。でもぉ、仮に私が言ったとしても、司令官は優しいから聞き流してくれるわよ」

 

 なんというか手玉に取られている感はあるが、おそらく彼女はここの司令官に絶大な信頼を勝ち取っているのだろうと、わたしは感じていた。その証拠に、艦隊の旗艦でも秘書官でもない彼女が彼の執務室の場所を把握しているのだから。

 

そんなことを考えていると、誰かが全力疾走で近づいてくる。彼女は金髪に左右の特徴的なお団子髪、身長は高校生ぐらいだろうか。おそらく、彼女は長良型軽巡洋艦の阿武隈である。

 

「朝潮ちゃん!! どうして何時まで経っても来ないのぉ!! 提督がちゃんと熊本提督に突き当りを右って伝えたはずなのにぃ!! おかげで建物中を探し回る羽目になったんだよぉぉ!!」

 

 彼女はそう言ってわたしに抱き着いてきた。わたしは混乱した。

 

「阿武隈さん。わたしは防犯上の問題で、熊本大将にはうその情報が伝えられているとお聞きしましたが?」

 

 そう言うと、彼女は眼を見開きながら、

 

「そんな訳ないよ!! あなたをここに連れてきた人、この呉全体で一番偉くて国全体でもベスト10に入るくらいには強いんだよ!! 防犯上の理由とは言え、うそ教えているなんて彼の耳に入ったらこの鎮守府ごと抹殺されちゃうよ!!」

 

 と、ものすごい剣幕で叱られた。

 

「すいません。……荒潮。どういうことなの? 荒潮……」

 

 その時、初めてわたしの周りから荒潮がいなくなっている事に気づいた。

 

 

 

「ははは、それは災難だったね」

 

 その後、阿武隈に事情を話したわたしは、執務室に連れられた後、荒潮から受けたいたずらを司令官に告発した。今も腹の虫がおさまらない。それを司令官は笑って聞き流す。

 

 司令官は執務机に座っている為身長はおおよそでしかわからないが、大体170前後の少しやせ形の青年で、瓶底の眼鏡をかけている。年齢は20前半のように見え、司令官と呼ぶにはあまりにも若いが、この国の提督たちは大体このような年齢の人々が多いという事は事前に聞かされていたので、わたしは余り驚かなかった。

 

 阿武隈は頭を抱えながら、わたしの話を一通り聞いた後、

 

「まったく、提督は甘すぎます。荒潮ちゃんが提督のお気に入りとはいえ、許されることではないですよ。荒潮ちゃんには今度きっちりとお仕置きをさせてもらうからね」

 

 彼女はその特徴的な髪を触りながら、司令官の方を向きそう言った。司令官はぼりぼりと頭を掻きながら話をつづけた。

 

「まあ、その話はまた後でするとして。朝潮、第4呉鎮守府へようこそ。まずは君と僕との間に縁を結ぼうと思う。手を出してくれ」

 

 司令官はそう言うと、手を差し出してきた。わたしは「こちらこそよろしくお願いします司令官」と言いながらその手を握った。刹那、わたしの体に稲妻が走った。

 

 痛みともかゆみとも知れぬ奇妙な感覚にくうぅと嗚咽を漏らしていると、彼は机から一枚のカードを取り出した。そこには朝潮改二のイラストと文字、レベル85と書かれていた。

 

「君を第1艦隊の旗艦として任命する。今、君と私に縁を結び、このカードの艤装とパスをつないだ。……体験して貰った方が早いかな。朝潮、艤装の展開を許可する」

 

 司令官がそう言うと、私の背中にずっしりと重い何かが出現し、両の手には私の手の倍ほどの大きさの主砲が現れた。訓練の時には、用意された艤装を担いでいたが、まさか実際の艦娘は司令官の命令で何もないところから艤装を出現させることができるとは思ってもみなかったのである。

 

「これが、君の艤装だ。あと、あまり起きて欲しくはないが、緊急時には艤装を展開したいと強く望めば、艤装が展開されるようになっている。無論、君に対する脅威がその場になければすぐに艤装は霧散し一応記録にも残るから下手なことはしないようにして欲しい。後は……阿武隈、艤装の展開を許可する」

 

 司令官がそう言うと、阿武隈の背中から船の形状を模した艤装と両の手に主砲が出現した。わたしからは死角になっており、自分自身の艤装はおおよそしか見えないが、阿武隈の艤装を見て、わたしの背中にいったいどのようなものが生えているのかをおおよそ想像することができた。

 

「長良型軽巡6番艦、阿武隈。行きます!!」

 

 彼女がそう言いながら得意げにポーズをとっていると、司令官は阿武隈の姿が描かれたカードと何やらファイルのようなものを取り出した。そのファイルには艦隊これくしょんという文字が書かれているようであった。彼はそのファイルを開き、わたしと阿武隈のカードをそのファイルのページの一つにしまった。

 

「司令官? それはいったい何でしょうか?」

 

「艦隊運用をサポートしてくれる物だ。今、君を第1艦隊の旗艦に、阿武隈を2番艦に配置した。さあ、カメラを切り替えるよ」

 

 司令官がそう言った直後、わたしの目の前に、わたしが現れた。え、え!?とわたしが叫び、周りをきょろきょろしているが、目の前の私がそうしているだけで、わたしの視点は動かない。ただ、耳元で阿武隈の笑い声が響いてくる。わたしを見ているわたしの視点が、阿武隈の視点であることに気づいたのはそれからしばらくの事であった。

 

「朝潮ちゃん、最初はびっくりするわよね。提督は配置した艦隊の旗艦と視覚と触覚の一部を共有し、旗艦を通じて同じ艦隊に配置されている艦娘の視点を見ることができるの。もちろん、艤装を展開している間だけだけれどね」

 

これによって艦娘の能力を強化し砲撃などの命中率を高め、艤装に秘められた機能俗にいう大破ストッパーや旗艦は轟沈しない、カットイン等の副産物を得ることができる。と、阿武隈は続けた。

 

「裏を返せば、艦娘が司令官の命令なしに艤装を展開した場合は敵に対する攻撃の命中率は低くなり、耐久以上の攻撃を受ければ旗艦であっても轟沈し、弾着観測射撃と言ったものの恩恵も受けられなくなるという訳ですね」

 

 司令官は頷き、わたしは今まで引っかかっていた疑問が晴れた。司令官の力を借りなければ、わたし達は深海棲艦を打倒することができない欠陥を備えている。つまりは私たちの一部が造反したとしても、司令官の力を借りなければ、深海棲艦やほかの艦隊を打倒することができないという事実が、わたし達に司令官に従わざるを得ない状況を作り出している。そう理解できた。

 

「駆逐艦とかならば、最悪近づいて砲撃すれば運よく当たるかもしれないが、空母とかはその状態で出した艦載機はもう二度と戻ってこないと考えておいた方がいい。だから、万が一僕に何かあったら、すぐに鎮守府に戻ってほかの鎮守府の提督に助けを求める事になっている。そんなことはほとんど起こったことはないけれどね。艤装、収納」

 

 司令官は立ち上がってそう言うと、わたしと阿武隈の艤装はパキンと言う甲高い音を立てて光となって霧散した。

 

「さて、今日の要件は終わりだ。君に渡した艤装はかなり練度の高い艤装ではあるが、その力に君自身が慣れるために明日から演習に参加して慣れていってもらうが、今日はたぶん疲れただろう、阿武隈。彼女を部屋に案内してあげなさい」

 

その後、わたしは阿武隈に案内されて、小学校のすぐそばにある公民館を改造した建物の一室の前についた。どうやら、この4畳ほどの部屋がわたしの寝床になるらしい。わたしは阿武隈にお礼を言った後、彼女が帰った後、わたしは疲れがたまっていたせいか、泥のように眠った。まさか、ついて早々高レベルの艤装を用意され第一艦隊の旗艦に任命されるとは思っていなかったので、期待と不安に胸を躍らせながら。

 

 

 

「起きて、朝潮姉さん」

 

 わたしはその不快な声を聴いたので寝返りを打つふりをして、壁に掛けられた時計を確認する。大体就寝してから5時間時間が経っており、時計の針は深夜1時を指していた。声の主は荒潮、数時間前わたしを罠にはめ、阿武隈に迷惑をかけた艦娘である。

 

 荒潮はそのままわたしの顔のそばに顔を近づけてきたので、わたしはウガァァと言う気勢を上げながら彼女に飛び掛かり、彼女のおでこに頭突きをかました。ごつんという鈍い音を立てながら、彼女はのけぞり。

 

「あらあら、酷いことをするのね」

 

 と彼女はいつもの調子で特に悪びれる様子もなく被害者ぶっていたので、わたしは彼女に教育的制裁を加えようと考えたが、彼女の手に提げてあるビニール袋の中身を確認して、その気力が失せた。

 

「荒潮、夜食を用意してくれたの?」

 

「阿武隈さんに部屋に着くなり寝ちゃったって聞いたから、摘まめるものを用意してきたの。朝潮姉さん、ここに来てからまだ何も食べていないでしょう?」

 

 彼女はそう言いながら、袋から揚げパンやキャラメル、チョコレート等々の私の大好物を次々と出してきた。いやいやと首を振った。わたしはモノにつられて妹に対する教育を中断するようなちょろい艦娘ではない。

 

「こんなもので買収される朝潮ではありません。朝潮型駆逐艦ネームシップをなめるな」

 

 わたしがよだれを垂らしながら、誘惑と戦っていると、荒潮はしおらしい顔をして「ごめんなさい。こんな事で許されると思っていなけれど、司令官に朝潮姉さんが来ると聞いて、早く仲良くなりたくて、見に行ったら丁度朝潮ちゃんが倒れていて、成り行きで案内しようと思ったの。阿武隈さんには先にそう言っておくべきだったわ。本当にごめんなさい」

 

 などと言うものだから、わたしは

 

「そう言う事なら、許しましょう。その昔、中世の文豪であるゲーテは言いました(言っていない)。罪を憎んで人を憎まず(孔子)。一度の過ちは一度の成功で取り返せばよいのです」

 

 そう言って、わたしはありがたく夜食を頂いた。お腹が一杯になって先ほどのイライラも解消されたので、完全勝利というものだ。揚げパンを頬張っている間に、荒潮がぼそりとちょろいと言った気がしたが、おそらく気のせいだろう。

 

 

 

「朝潮姉さん。どうしてこの鎮守府に朝潮姉さんが送り込まれてきたのか? 疑問に思わなかった? あなたはこの鎮守府で初めての朝潮姉さんではないし、たぶん練度の高い艤装を渡されたと思うから、前の朝潮姉さんは艤装ごと轟沈して沈んだわけでもない。いったい前の朝潮姉さんはどうなったのか、知りたくない?」

 

 わたしが戦利品を頬張り、一息ついたころ、荒潮はそう切り出してきた。それはわたしの喉に引っ掛かった小骨のように思っていた疑問であり、おそらくしばらくの間は誰にも聞く事が出来ないだろうと思っていたので、

 

「それは、ここに来る前から疑問には思っていたけれど、ほかの艦娘に私の前の朝潮はどうしていなくなったの? と言ったことは私からは聞けないと思っていたの」

 

 そう、荒潮はそう言って話をつづけた。

 

「前の朝潮姉さんは……正体不明の深海棲艦に食べられたの……」

 

 それは、わたしにとって衝撃的なものであった。

 

「でも、艤装が残っているのはおかしいわ。深海棲艦に食べられたのならば、艤装が残っているはずもない……それに」

 

 ここに来る前、筆記科目で散々習った。艦娘は艤装を纏うと、深海棲艦に対して一定の効果を持つバリアを纏う。その力場によって水面を移動しているのだが、そのバリアはかなり強力で仮に深海棲艦がそのバリアに素手で攻撃しようものならば、触れた腕が消し飛ぶほど強力であり、故にそれらは深海棲艦が一定以上近づいてこられないような力場を常に形成するように進化したのだが、わたしは自分の常識によってそれを反論した。

 

「そう、知っているわ。でも、その日現れた深海棲艦はその常識からは外れたものだったの。朝潮ちゃんは中破轟沈と言う単語を知っている? 中破の状態でとどまっていた艦娘が、大破を経由せずに轟沈する現象。

 無論、ほとんどが司令官の見間違いや不注意によるものだけれど、その中の一部の原因とされている存在、深海棲艦type-γ。不運なことに、その日朝潮姉さんは艤装と右腕を残してそれに丸のみにされてしまったの」

 

 中破轟沈、教材ではその存在が否定され、その証拠や記録が残っていないにも関わらず幾人もの司令官がその現象に遭遇したという事例が存在している存在しない現象。にわかには信じがたいが、

 

「信じられない。でも、そうでなければ前の朝潮が艤装を残して轟沈することの説明がつかない……という訳ね」

 

 さらにわたしは艤装が轟沈レベルのダメージを受けて沈む寸前、勢いよく艤装が融解して着用した人をあらかじめ指定した鎮守府まで送り届けるといったセーフティ機能が搭載されていることは知っており、もし発動しなくても着用者が出撃中に轟沈判定が出ると艤装が融解する機能だけは確実に発動するようになっているので、着用者が死亡し艤装だけが無事などと言うことは本来起こりえない。

 

「そう、私は朝潮姐さんを食べた深海棲艦を許せないし、私の仲間やほかの艦娘が奴の毒牙にかかる可能性があると思うと、夜もおちおち眠れないわ。そして、朝潮姉さんの中には司令官の精神の6分の1が眠っている」

 

「6分の1?」

 

「そう、あの日第1艦隊旗艦であった私たちが出撃中に朝潮姉さんが突然謎の深海棲艦に飲み込まれたわ。普通は艦娘が轟沈するときに、司令官はその艦娘に対するあらゆる感覚情報を切るのだけれど、咄嗟のことで、朝潮姉さんに対する情報を切れなくて、彼女に送っていた6分の1の司令官のエネルギーがそのまま飲み込まれてしまったの」

 

 荒潮はため息をつき、その当時のことを思い出しながら話しをつづけた。その時の旗艦であった彼女の深い絶望は計り知れないものだろう。

 

「そして、自分を食われた司令官は一時気絶し、司令官の力を失った私達の艦隊は無力化されてしまったの……私達に出来たのは朝潮姐さんを置いてその場から逃げ帰ることした出来なかった。いえ、私はその場に泣き崩れ取られなかった朝潮姉さんの艤装を抱きかかえて、私もここで朝潮ちゃんと死ぬと駄々をこねる事しかできなかった」

 

 彼女は自嘲気味にそう言って、乾いた声で笑った。

 

「朝潮姉さんは死んだ。でも、奪い取られた司令官の力はまたあいつから奪い取る事が出来る。……朝潮姉さん、そこでお願いがあるの。あいつから奪い取られた司令官の力はおそらく残っているであろう朝潮姉さんとのつながりの残滓から奪い取ることが出来るわ。その残滓から力を引き出して力を取り戻すことができるのは、あなただけなの。お願い力を貸して」

 

 荒潮は涙を流しながらわたしに懇願してくる。艦娘の力が通じない危険な化け物。それを出会って数時間しかたっていない人たちのお願いで倒しに行く。普通に考えれば、断っても問題ないのだろう。つまりわたしは普通ではなかった。

 

「心配しないで荒潮。前の朝潮の敵と、司令官の力を取り戻す。わたしに任せなさい。中世の文豪ゲーテは言いました(言ってない)。為せば成る、なさねば成らぬ、何事も、成らぬは人の、なさぬ成りけり(上杉鷹山)」

 

 わたしがどや顔でそう言うと荒潮は笑いながら「知らないけれどゲーテはたぶんそんなこと言っていないわ」と返してきた。その通りである。無論、この約束は彼女を安心させるための一次しのぎの嘘である。今のわたしにそんな力はないから。

 

 しかし、それを本当にする。わたしは心にそう誓った。

 

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