呉の侵入者の報告が霞のもとに届いたのは、舞鶴に入り出撃の準備をしている最中であった。状況は考えうる限り最悪で、電報を改ざんされ警備の油断を突かれ敵が呉近海に侵入しおよそ10分後には第一鎮守府との交戦が予想される。
そして、下関を警備していた提督とは分断されて救援は絶望的。仮に今から霞が戻ったとしても、戻る前に敵を撃退したにせよ全滅させられたにせよすべてが終わった後である事は明白だった。霞は数分前に談笑していた一人の艦娘に声をかけた。その艦娘は特型駆逐艦の磯波でおさげが特徴的な引っ込み思案な艦娘であり、彼女が待機している舞鶴第16鎮守府の秘書艦である。
「磯波、さっき、深海棲艦との戦い方の手本を見せるって言ったわよね」
「はい。えっと、最強の艦娘と名高い熊手の霞の戦い方を見て、勉強させてもらいます」
そう言いながら、キラキラとした眼差しを向けて来た。霞はそれを一瞥した後視線を逸らし、
「ごめん。今からの戦いは参考にならないわ。今日の戦いは忘れなさい」
それだけ言うと、霞は海に向かって走り出した。彼女の言っている意味を磯波は理解できなかったが、理由はすぐに判明した。彼女が着水した後身をかがめると、沖合数キロ先にいる筈の深海棲艦前線に瞬間移動したのである。少なくとも磯波にはそうとしか思えなかった。
そして、面食らっている深海棲艦に無慈悲な手刀が繰り出され、数十体の深海棲艦が手刀とそれに伴う衝撃波でバラバラになる。
「あれは! …提督、彼女は一体何なんですか?」
磯波は繋がっている司令官に向かって疑問を投げかけた。いや、ほとんど独り言のようなものではあったが、答えてくれないと彼女自身の常識が崩れ去りそうで、それに対して恐怖を抱いていた。
「あれは、熊手の霞の熊手の爪(ベアークロー)。艦娘の艤装は重力を操作して浮力を得ているのだが、出力の一部をコントロールして手刀の圧力で飛ばすことによって、絶大な威力を得る事が出来る。かつて呉に集結した100万を超える深海棲艦をたった一隻で沈め切った彼女の得意技だ」
とか言う、いったいどこの戦闘系少年漫画の主人公みたいな設定を司令官はベラベラとしゃべり始めた。もし、磯波が霞の起こした不可解な現象を見ていなかったとしたら、司令官の正気を失っていただろう。
ともかく、舞鶴で起こった事実だけ話すと、周辺に展開していた深海棲艦の群れは30分経たずに一隻残らず海の藻屑と消えていた。
ついに運命の時がやって来た。わたしたちに目視できる位置に鎮守府艦が姿を現したのである。支援砲撃の射程まであと500。鎮守府には最大4艦隊分の出撃能力があり、その内3艦隊を支援砲撃として使用できる。支援砲撃とは艦娘6隻分の艤装エネルギーを砲塔に集中して打ち出すという機構であり、離れた敵に対して使用するのが常であるが、第2の使い方として迫りくる深海棲艦に至近距離で当てるという第2の使い方が可能である。
一応、鎮守府周辺を守るシールドはその主砲に何発か耐えられるような設計にはなっているが、鎮守府同士の支援砲撃の打ち合いなど前例ないので、実際何発でシールドが機能停止するのか誰にも予測できない。
「まったく、朝潮示現流の呪いを防ぐために鎮守府のほぼ全員に朝潮示現流の事を吹聴してのがまずかったのですかね。それとも、……」
「今はそんな事を言っている場合じゃないよ。もう後2分程度で敵の射程に入るわ。腹をくくりましょう」
白雪がそう言ってわたしの事を心配してくれているようだった。悲観している場合ではないなと顔を上げて支援砲撃部隊に砲撃開始の合図を送ってもらうために白雪の方に向き直った時に、彼女の肩に妖精が止まっていることに気づいた。
「まずい。白雪」
これを失念していた。敵は提督を伴っている。そうであれば、妖精を飛ばしてこちらの行動を筒抜けにするためのスパイ妖精をこちらに向かって放っていてもおかしくはない。朝潮の見立てでは妖精を動かせる距離は艦隊に余生を取りつかせていない場合は100メートルほどが限界だとそう思っていたので、その可能性に気づいていなかった。
わたしは白雪の肩に乗っている妖精を握り潰した。すると、近くにおいてあった段ボールの中から、12歳くらいの少年が姿を現した。その子は、この前わたしが朝潮示現流オセロ術を教えていた少年だった。
「君……どうしてここに、避難しなきゃダメでしょう。お姉さんと一緒に行こう」
しかし、次の瞬間、敵の鎮守府艦から爆音と共に主砲が浴びせられた。それはおそらく熊手砲が置いてある塔の下部に着弾し、その衝撃と爆発音、そしてバリアが消費されたガラスを割ったかのような甲高い音が同時にわたしたちを襲った。妖精に気を取られ、敵に先制攻撃を許してしまった。わたしは無線を取りだした。
「第1艦隊出撃、第2から第4艦隊は支援砲撃発射!!」
それだけ言うと、白雪の方に向き直り、
「駄目です。敵艦は支援砲撃を撃ってきます。その少年をシェルターに避難させることは出来ません。この建物の中で一番安全なところに避難させてください」
「いやだ。僕はお姉ちゃんを助けるために来たんだ。熊本のおじさんがいないから、今はお姉ちゃんが敵と戦うんでしょう? 僕も戦うよ」
と言う駄々をこね始めた。
「朝潮ちゃんを困らせてはダメ。さあ、行くよ」
「待ってください」
その時である。朝潮の脳内に一つの可能性が浮かんだ。そして、それを打開するには司令官の協力がいつ用不可欠であることを……。
「君、本当にわたしたちを助けてくれるんですか?」
「朝潮ちゃん……何を」
「白雪ちゃん。指示は第2から4艦隊を次の艤装に交換後、準備出来次第敵の鎮守府艦に砲撃。わたしはやらなければならない事が出来ました」
そう言って朝潮は執務室を去った。彼女の心配が杞憂に終わる事を祈りながら……。
満潮達は第一鎮守府と敵鎮守府艦の丁度間くらいの海域で敵と遭遇した。敵は駆逐5軽巡1の水雷戦隊。夜の闇によって遠距離攻撃が機能しない時間帯を狙っているので妥当な判断である。そんな事を考えていると、司令官から通信が飛んできた。
「満潮。聞こえているかい? 俺たちの仕事は、敵の第一艦隊と交戦し、それを撃破後に敵鎮守府艦に乗り込んで敵艦隊のいずれかを無力化する事。そうなれば、支援砲撃の数が優勢になる」
「分かっているわ。つまり私たちの勝敗がそのまま全体の勝敗に直結する。そう言う事よね。全く、敵も私たちをずいぶんコケにしてくれたじゃない。全艦砲撃用意。撃てぇ!!」
満潮達はこの日のために司令官との特訓の後、熊本大将から艦娘に実弾を使う訓練を行わされていた。これによって艦娘を撃っても軽い吐き気程度で済むようになっていた。
故に、敵は反撃を受ける筈のない艦娘たちからの砲撃によって面喰い、3隻に主砲が命中し、爆発大破。こちらは無傷と言う圧倒的有利な立場に立つことが出来たのである。
「よし、ここで一気に決めるわよ。全艦突撃!!」
満潮が叫んだ瞬間、彼女は少しバランスを崩した。艦娘に実弾を使う訓練と言っても、相手が霞で彼女はほとんどかすり傷もしないような圧倒的艦の良さでこちらの攻撃をことごとく躱したので、実際に大破させて傷を負わす事には慣れていなかった。
しかし、それが功を奏した。右前方から放たれた何かによって、満潮はそれの直撃を免れたのである。しかし、其の爆発の余波で彼女たちは吹き飛ばされ、長良、初春は大破した。
「いったい何よ……あれは!!」
それはもう一つの鎮守府艦であった。呉第15鎮守府の鎮守府艦。提督が裏切ったので、その機能は停止させられていたが、新しく着任する提督のために簡単なロックを掛けただけにしていたようで、敵はそれを利用したようだった。
つまり、侵入したのは一隻の鎮守府艦だったが、そこには2人の提督が乗っていたのである。それを理解できなかった私たちのミス。敵は第一艦隊を囮にして私たちを海域のど真ん中で孤立させるのが目的だったのだ。
そして、無慈悲に満潮達に向けて支援砲撃第2射が照準を合わせる。
「ここまでなの……何もなせぬまま、ここで沈むの……」
満潮が絶望し、意識を手放そうとした時、放たれた支援砲撃を第一鎮守府から放たれた何かが弾き飛ばし、そのまま第15鎮守府に大穴を開けた。耳をつんざく破裂音は海面を空をともかくそこら一体のすべてを呑み込み、第15鎮守府艦は本来の主に会う事もなくその身を海底に沈めた。
「今のは……」
司令官は狼狽えている。敵艦は後退し、熊手砲の視覚になるような位置に移動し、それに乗じて満潮達も第一鎮守府に一時帰投した。
「あのバカ……」
あれは、絶望の危機に瀕したときに一度、満潮達を無敵の回避能力を持つ夕立から救った朝潮の得意技、荒潮が未来を作る一撃(ヴィクトリーストライク)と名付けた砲撃であった。