満潮達は困惑していた。雪風から事の真相を聞いていた満潮達は彼女の司令官が敵ではない事と、朝潮がその鎮守府艦を無力化した事を通信で知っており、後はそれを港まで運ぶだけで勤務終了の筈であった。
しかし、正体不明の艦娘プリンツと朝潮が戦闘を行っており、朝潮に力を分け与えている正体不明の提督によって彼女を援護すると、突然彼女らは海の上で肉弾戦を始めたのである。
「満潮ちゃんたち、キミ達はこの距離を保ちながら待機、もしもプリンツが朝潮の元を離れるようなら、砲撃でけん制して欲しい」
と言う朝潮の提督の指示の後、満潮達は朝潮とプリンツの肉弾戦を見せられることになっていた。
「状況は五分、と言ったところね」
わたしは困惑していた。敵が接近戦に応じた以上、ある程度近距離戦に対しての戦いの心得があると予測はしていたが、わたしと互角もしくはそれ以上の拳を放って来るとは予想していなかった。そしてその拳に技に見覚えがある。彼女は朝潮示現流に近い流派の拳法使いである。
プリンツは困惑していた。朝潮の異常が通用しなかったときのために、近距離戦での切り札を用意していると予測はしていたが、まさかビスマルク姉さまのゲルマン式格闘術に近い格闘術を習得しているとは思わなかった。彼女はこの泊地に来る前にビスマルク姉さまのいる佐世保第一鎮守府に所属していた事とはグラーフから聞かされていたが……もしや彼女はビスマルク姉さまが私を倒すために呉に送り込んだ刺客? そんなことを考えていた。
わたしの拳がプリンツの腹に突き刺さり、間髪入れず彼女の顎に蹴りを入れようとするが、その足を止めた。その瞬間、プリンツは顎の前で腕を交差し、ブロックの構えを取る。以前この朝潮示現流崩山を霞に止められた後、足を掴まれて叩きつけられると言った手痛い反撃を食らったことがあり、その経験がわたしの命運を分けたのである。
「へぇ、勘が良いわね。ビスマルク姉さまも私を倒すためにあなたのような刺客を用意しているなんて予想外だったわ。それとも、霞の指示かしら?」
「昔、それで手痛い反撃を食らったことがありまして。あなたこそ、わたしの朝潮示現流の技を知っているという事は、ダンケ仮面師匠を知っているという事ですか? 師匠と一体どんな関係なんですか?」
「それを聞いてどうするの?」
「もし、あなたがわたしの兄弟子ならば沈めたくはありません。ダンケ仮面師匠も自分の拳が悪い事に使われることは快く思っていない筈です。わたしの拳であなたを改心させます」
わたしのその声を聴いて、わたしの方に向き直り目を見開きながら睨みつけた。
「あなたがわたしの何を知っているの? 私のこの行いを悪だと断定するなら構わない。私のビスマルク姉さまが、私を否定するなら構わない。私を否定するならそのすべてに報いをくれてあげるよ」
その時、わたしは思い知った。ベアークローによる遠距離攻撃や近距離戦での打ち合いなどは、プリンツにとってみればお遊びであり、その気になればいつでもわたしを沈める事が出来たという事を……彼女は艤装の下に隠していた箱状の何かをポンと叩くと、その箱から謎の光が立ち込め、彼女を包み込む。
その光に包まれたプリンツは衝撃波を体の周りに発し続け、体が水面から少し宙に浮くと言う絶望的な光景が広がっていた。
「あれは、解放艦娘? いえ、解放艦娘は司令官がかなり近くに行かないとなれない筈です。彼女は一体?」
「これがボックスと呼ばれる艤装だ。解放艦娘と言う鎮守府近海でしか行えない艦娘の切り札。それを取り付ける事によって提督の力の範囲外でも使用できるいわば最終兵器だ。キミは不思議に思ったことはないかい? なぜ彼女らが多くの大将に敵対しているにもかかわらず今まで大規模に攻められてこなかったのか? その理由がそこにある」
わたしの問いに、綾瀬大将はプリンツが解放艦娘であると言う絶望をもって答えてくれた。もっと前に答えて欲しかったが、答えたところでどうにかなるものでもない。彼女としても、目の前の相手が解放艦娘になれない事を祈るしか手がなかったのだろう。
「朝潮ちゃん、解放艦娘の事は知っているみたいね。なら、抵抗しても無駄だって事は分かるでしょう? 四肢の力を抜くことをお勧めしますよ。そうすれば、一発で気絶できるから」
彼女の言っていることが優しさであることをわたしは理解していた。今まで互角の殴り合いを演じていたわたし達の内、一方が5倍の強さに変わったのである、勝敗は火を見るより明らかであり、抵抗すれば苦しむ時間が長くなるだけである。しかし、わたしは彼女に向けて構えを取った。
「何か手はあるのかい?」
綾瀬大将はそう聞いてきたので、わたしはこう答えた。解放艦娘が彼女とわたしの差であるのならば、彼女の解放状態を解けばいい。艤装の下にあるボックスを奪うか破壊するかして、彼女の解放状態を解く、幸いボックスの位置をわたしは把握している。何より、万が一の可能性を捨てて諦めると言う考えはわたしにはない。
「そう、残念ね。わたしも弟弟子をいたぶるのはあんまり趣味じゃないんだけれどなぁ」
そう言い切るか言い切らないかの瞬間に、プリンツは瞬間移動してわたしの鳩尾に一撃食らわせる。それに反撃の右こぶしを放つが、そこに彼女はいない。右後方にすでに移動していたようで、そこからの回し蹴りで私の艤装は中破し、15メートルほど吹っ飛び、水面をゴロゴロと転がっていった。
体制を整えると、すぐさまベアークローが襲い掛かる。それに合わせてわたしが魚雷を放り投げたので一瞬だけ敵が躊躇した結果、右に飛び跳ねる事で回避する事が出来たが、数少ない攻撃手段の一つを失ってしまった。
「速度の質が違いすぎる」
「どう? 力の差は分かってくれた? 一応、グラーフはあなたを仲間にするつもりだから、あんまり手荒な真似はしたくないんだけどなぁ」
何とか隙を付いてボックスを奪い取るどころではない。触れる事さえ不可能だ。わたしは目を閉じ、四肢の力を抜いた。
「ようやくあきらめる気になったようね。でも、安心して、目を開けた時にはあなたはグラーフによって歓迎されているはずよ」
プリンツの声が聞こえた瞬間、わたしは身を屈め後ろから首筋を狙った手刀を躱すと同時に、目を見開き頭上に見えた敵の顔面にサッカーのオーバーヘッドキックのような強烈な後方蹴りを食らわした。そのまま水面に手をついて体制を整えた後、顔を抑えている彼女の後頭部に両の手を握り振り下ろした後、九の字に曲がった体勢の顔面に膝蹴りを食らわせる。
「ようやく捕まえました。ここからはわたしの独壇場です」
そのまま敵の艤装にありったけの魚雷を放り込み機銃によって起爆。少し起爆させる距離が近すぎて朝潮自身も爆風で数メートル吹き飛んだが、5メートルほどの火柱が上がり、爆発炎上したので、無事では済まないだろう。
「ここまでしなければ勝てない強敵でした。悪くは思わないでくださいよ」
しかし、わたしがそう言ってほんのちょっと油断したタイミングで、海面が突如として裂け、3メートルほどの水柱が上がり、その余波による高波が発生したのだ。
「何っ!!」
「ふう、さっきは沈めたくないとか言っておきながら、完全に沈める気満々じゃない。しかし、もう油断しないよ。心をバキバキに折って屈服させてから連れていくことにする。仕方ないよね、下手に抵抗する朝潮ちゃんが悪いんだもの」
ピピピピ!! ピピピピ!!
「何の音?」
「アラームですよ。今までの戦いはこの音が鳴るまでの時間稼ぎです。解放艦娘に通常の艦娘が叶う筈がありません。解放艦娘には解放艦娘です、後は頼みましたよ霞!!!」
わたしがそう言うと同時に、第一鎮守府の屋上にある巨砲から放たれた弾丸が、プリンツの右主砲を貫いた。