満潮は霞に説得される形で、執務室に入室した。霞の話では呉に侵入してきたプリンツたちがまた呉に侵入してくるかもわからず、少しでも戦力を回復するために単冠湾から朝潮の艤装が届けられ、その運び手として鈴谷が送られて来たらしい。
その過程で、霞が謎のマスクを被り謎の極めポーズをしていた事に対して疑問が残るが、朝潮や鈴谷が同じような格好をしているのを見るに、大方上手く言いくるめられたのだろう。
「全く、まあ良いわ。しかし、朝潮姉さん付き合う相手は選んだ方が良いわよ」
「心配いりません。ドイツの文豪であるゲーテは言いました。人を見かけで判断してはいけない。師匠も艦娘パワーの高い艦娘に悪い艦娘はいない。そう言っていました。彼女ほど艦娘パワーが高ければ、悪い艦娘ではない筈です」
朝潮はえっへんと腰に手を当てて胸を張っているので、よほど自信があるのだろう。満潮は彼女の人を見る目を信用してはいなかったが、事前に鈴谷が単冠湾の大将の艦娘であることを聞いていたので事を荒立てる必要はないとハイハイと軽口を叩くだけに留めておいた。
「まあ、良いわ。馬鹿話はあなた達だけでやって頂戴。私はとっとと報告を終わらせて、次の作業に取り掛かる事にするわ」
満潮はそう言いながら書類を霞に手渡した。霞はその書類を一瞥すると、「満潮、最近オイルの消費が少し激しいわね」と言った後に再び書類の方に目を向けそれをぺらぺらとめくり始めた。
オイルの消費が激しいという事は満潮自身も把握している事で、ここに来るまでのハイペースな出撃や呉襲撃に備えての連日の特訓により艤装自体が痛んでいるのかと思っていた。それを他の艦娘にも指摘されるほど劣化が進んでいるのならば今度工廠で見てもらおうかしら。そんな事を考えていると、鈴谷が満潮の手を握った。
「何よ」鈴谷は答えない。彼女の手を持ち上げ、角度を変えながら何回か握りを強くしたり弱めたり、頭を捻り時々唸りながら観察する。そして、一通り満潮の手を観察し終わるころに、
「ふぅぅん、この子に異常(オリジナル)が発生しているね」
オリジナル? 鈴谷が何を言っているのか理解できなかった。
「オリジナル? 何よ、変な遊び? 変な遊びなら私の知らない所でやってってさっき言ったじゃない? ……なによ。みんななんでそんな目で私を見るの?」
が、彼女がそう言い放った瞬間執務室の空気が凍った事から、彼女自身の体に何か重大な事が起こった事が満潮にも理解できた。
「はぁ!? そんな、嘘よ。第4鎮守府には例の事件が発生してから所属した全艦娘に対して検査を行った時に、異常(オリジナル)が認められたのは荒潮だけ、それも司令官を取り込んだ際の一次的なもののはず」
満潮には霞がそう言って声を荒げている理由も、彼女がなぜ声を荒げている理由も分からない。ただ、彼女は気づいてしまった。
「さぁ、前にイブちゃんが話していた事が、あってさ。鈴谷はまたイブちゃんテキトーな事言っていると思っていたんだけれど、事実だと思った方が良いみたいだよね」
満潮の周りには半透明の彼女に似た小人が彼女に向けて視線を送っていたのである。そして、彼女は思い出した。荒潮が狂乱に取りつかれたときに、恐怖の眼差しを向けながら放った妖精の仕業と言う言葉を……。
「満潮……大丈夫ですか?」
よほどひどい顔をしていたのだろう、顔面蒼白で過呼吸気味の満潮を心配して朝潮が満潮の肩に手をのせる。その手の先から朝潮に似た小人が満潮の肩に乗っかろうとしてきたのである。
「いやぁぁぁ!!!」
その瞬間、満潮は身を屈めたと同時にまるで黒板をフォークで引っかいたような『ぎぃぃぃん』と言う音があたりに響き渡り、間髪入れずにガラスの割れるような音が満潮の耳を襲う。ハッとしながら彼女は目を開いた。
しかし、彼女が目を開けると朝潮の姿はそこにはなく、その延長線上にある窓ガラスが割れていた。満潮が……朝潮を窓に突き飛ばした?
「ワーオ、これは予想外だね」
霞と鈴谷は満潮に視線を向ける。そして、視線を維持したまま霞は口を開いた。その声はこんな事があったにもかかわらず落ち着いており、満潮の耳には倒すべき敵に対峙する残忍な態度に感じられた。
「鈴谷、下に落ちた朝潮姉さんを頼むわ。私は満潮の方を」霞のその声を聴き、鈴谷は割れた窓から執務室を飛び出した。何か、何か弁解をしなければ、処刑されてしまう。彼女はパニックになりながら言葉を紡ぐ。
「違うの、これは……私じゃない、そうよ!! 妖精よ!! 妖精がやったのよ!!」
奇しくも、彼女が放った言葉は狂乱した荒潮が満潮に対してはなった言動と同質のものであった。霞は頷き、彼女の言動が正当なものであることを理解した。
「ええ、分かっているわ。その妖精さんを止めるためにあなたを一時拘束させてもらうわ。抵抗しなければ、痛くしないから手を重ねて前に出しなさい」
その上で、満潮が拘束されない理由にはならない。それが満潮には分かってしまった。自分の意志とは無関係のおそらく主砲の発砲、それに伴う友軍艦娘への攻撃、幻覚、解体されるには十分な罪状である。
「いやよ。わたしの所為じゃないの。こんな事で、こんな事で未来が閉ざされるなんて嫌!! 嫌!! 嫌!!」
満潮がそう言って頭を抱えると、また黒板をフォークで引っかく様な音が鳴る。まただ。またやってしまった……。
満潮が恐る恐る目を開けると、霞の上着の胸元が何者かに切り裂かれていた。彼女の左手からは血がしたたり落ちていた。そこで冷静だった霞は声色を強めながら話を続ける。
「全く、人の話を聞きなさいったら、これ以上抵抗するなら痛い目に合わさなきゃならなくなるの」
霞は肉体の損傷によって強制的に展開された艤装を雲散霧消させた。これは満潮に対する敵意がない事の今できる最大限の意思表示であったが、狂乱している満潮にはそんな事は頭に浮かばない。
「そんな事言っても、私には何がどうなっているのか分からないの!! 何が朝潮姉さんを窓から吹っ飛ばしたのかも、何が霞の腕を切り裂いたのかも!!」
「分かっているわ。分かっているうえでもう一度言う。手を重ねて前に出しなさい。そうすれば、それが勝手にあなたの意志と無関係に他人を傷つける事がない様にしてあげるわ」
そう言いながら霞は満潮に歩み寄り右手を彼女に向けて差し出す。今度は満潮自身も目を開けていた為、何が起こったのかを理解した。いや、どうしてこうなっているのかはまるで理解できていないのだが、霞の手首に満潮の意識は集中させられ、その後3か所、具体的には執務室に置かれているボールペン、割れた窓ガラス、壁に打ち付けられ外れそうな釘に意識が集中される。それがどうなるのか、満潮は本能的に理解できた。
「やめて、ねぇ、止めてよ……」
そして、3か所にあったものが、満潮の意志とは無関係に霞の手首に向けて高速で打ち出される。
「だめぇぇぇ!!!」
刹那、3か所から同時に飛んできた飛翔物を霞はそれがさも同然であるかのように知覚し、それを掌でキャッチしたかと思うとそれを満潮に向けて開いて見せて来た。満潮は腰を抜かし、それを確認した後に霞は口を開く。
「これがあなたの異常。視界にいるものを別の所に移動できる力。最初は朝潮を窓にぶつけて、二回目は私を部屋外に吹っ飛ばそうとしたけれど、私に異常をぶつけられて無力化された。まあ、その時の異常無力化による罰(ペナルティー)は肩代わりしてあげたけれど、それによってあなたの異常は私自身を吹き飛ばす事が出来ないと理解した」
満潮には念動力があり、その力で朝潮や霞を吹き飛ばし、朝潮に対しては成功したが、霞に対しては成功しなかった。そして、霞に成功しない事が分かったので、小型のものを彼女にぶつけるように戦法を切り替えたのだと説明する。なぜそんな事が、と満潮は話を続けようとするが、彼女の背後に忍び寄る陰に、この時の彼女は気づけなかった。
「終わったようだね」
突如として満潮の視界は彼女の顔に被せられた何かによって塞がる。が、後方から「うん、逆だね」と言う声が聞こえ、彼女の頭に被せられた何かが回転させられ、やがて満潮の視界が戻る。ちょうど目の前にいた霞がどこから取り出したのだろうか、鏡を持っており、満潮の顔面に『フルムーン』と書かれた、彼女の言うところの奇抜な見た目のマスクが被せられていたのである。
「このマスクは異常が暴走した艦娘に被せると、暴走を止める事が出来る不思議なマスク。満潮ちゃん、君に発生した異常と言う現象は特別な事ではあるけれど、特異な事ではないんだよ。霞ちゃん、朝潮ちゃん、そして鈴谷、この場にいる全員異常艦娘、いわば君と同種の艦娘ってわけ」
彼女が後ろを振り向くと、そこには執務室の椅子に座っている鈴谷と、彼女の膝で寝息を立てている朝潮の姿がそこにはあったのだ。と、同時に……。
「ちょっと待って? その、異常とやらを抑える為って、私はしばらくこのバカみたいなマスクを付けてなきゃならないの?」
鈴谷は頷いた。その日、謎の美少女マスクドフルムーンの噂は第一鎮守府を駆け巡った。霞と満潮の奇行に鎮守府中が困惑し、また朝潮が何かを吹き込んだのだろうと言う根も葉もない俗説が鎮守府には既成事実として定着していった。