それから二日後、北極点に存在する下村元帥の秘密基地では、不知火が熱心に訓練を行っていた。蒼龍が操る艦載機の群れに対して回避行動を行いながら一機ずつ丁寧に撃ち落としていく。朝潮はあのビスマルクのゲルマ式格闘術と極めて酷似した格闘術を使うことが元帥から聞かされており、その速度に振り回されずに的確に砲撃を浴びせる訓練である。
この訓練当初は10機ほどの艦載機を打ち落とすだけで精一杯であったが、今では大破判定を食らうまでに30機ほどの艦載機を打ち落とすことが出来るようになった。彼女の目的を果たすためにも、朝潮を倒さなければならない。例え、元帥も含めて不知火が朝潮を倒すことを想定していなかったとしても、
「はい。今日の訓練終わり。不知火ちゃん。今日は昨日よりもだいぶ動きが良くなっているわね。これなら、明日の戦いもばっちりよ」
「いいえ、朝潮と戦うにはこれでは不十分です。蒼龍さん、相手はビスマルクさんから師事を受け、それと遜色ない……ということは想定したくありませんが、それに近いレベルの動きをしてくることが想定されます。私は明日彼女に勝ち望みをかなえたい。もう少しだけ訓練に付き合っていただけませんか?」
不知火はその静かな闘志を滾らせていた。その言葉に蒼龍は一呼吸空けた後くるりと後ろを振り向きながら弓矢を構えた。
「確かに、朝潮ちゃんがビスマルクさんと同じくらい強かったら、どうしようもないけれど、それは私たちが訓練をしない理由にはならないわね。分かった。今日はとことん訓練しましょう」
不知火は蒼龍に一礼して訓練は再開された。そして、日が傾く頃、一通り満足いく手ごたえを得て、彼女はシャワーを浴びていた。コンディションは最高潮、今の不知火は自分の持てる力のすべてを発揮できるだろう。そんな彼女に背後から艦娘が一人抱き着いてきた。彼女は卯月。
「どうしたぴょん? やり切った女の顔をしているみたいで、明日の準備は絶好調ぴょんね。ぷっぷくぷー」
「卯月ですか」
「うーちゃんってよぶぴょん」
不知火は卯月をはねのけ、ぽっぺたを伸ばしながら、何をしに来たのか尋ねた。彼女は第一種接触禁止指定艦娘。まかり間違っても彼女が朝潮と戦う事はない。
「明日の戦いについての話ぴょん」
「朝潮の異常について話すことは禁じられているはずです。連戦において何戦目まで異常を隠しておけるのかも重要なポイントです、そのルールを曲げることは許されません。気持ちだけ受け取っておきます。ありがとうございます卯月」
「違うぴょん」
「違うとは?」
「不知火の対戦相手は朝潮じゃなくて陽炎のままぴょん」
不知火は雷に打たれたような衝撃を受けた。確かに、陽炎や朝潮が対戦相手を陽炎のままにするとそんなことを言ってくる可能性はあったが、朝潮の提督がそれを許すはずがないと、その可能性を候補から外していた。朝潮に対しての闘志は陽炎に対しての怒りに代わっていた。
「どうしたぴょん? 不知火の目的達成のためには朝潮が対戦相手よりも都合がいいんじゃないぴょん? もっと喜んだらどう?」
「そういう問題ではありません!! 陽炎、不知火を怒らせたわね。陽炎、その選択を後悔させてあげるわ」
不知火の表情が今まで見たこともないくらい歪んでいた。
「こいつは大変なことになったぴょん」
3日間の特訓の末、陽炎は不知火に対しての攻略の手がかりをつかんでいた。しかし、どこまでいっても訓練は訓練、後は実戦でぶつかるしかない。しかし、その前に
「しかし、朝潮ちゃんに叢雲ちゃん。本当にいいの?」
朝潮たちはその言葉に顔を見合わせた後、ゆっくりと口を開いた。
「まあ、良い訳はないわよね。でも、ここを逃したら妹さんを助けられないんでしょう? あんたはそのことだけに集中する。いいわね、全力をぶつけてらっしゃい」
「かつてのドイツの文豪ゲーテの言葉にこういったものがあります。自らの信じたものが自らの道となるのだと。わたしたちも応援していますよ」
彼女らの声援に後押しされて、卯月の待つ鎮守府の部屋の一室に入るためにドアノブに手をかけた。その時である。田沼提督が陽炎の肩をたたいた。
「陽炎、お前の思いが不知火に届くといいな」
「届くといいわじゃないわ。届かせて見せる。必ず」
そういってドアを開けると、いつの間にか北極の基地の一室に移動していた。
「今回は速いじゃない」
あたりを見渡すと、朝潮と叢雲も一緒に連れてこられたようで、あっけにとられていると、不知火が顔を出した。
「私が頼みました。陽炎、あなたの愚かな選択の結末を、それを支持した彼女らに見せることで、私の留飲を下げさせてもらう事にしました」
控えめに表現するなら、不知火はキレていた。殺気が全身を駆け巡り、にこりと笑ってはいるが、それは肉食獣が獲物に対してとびかかるまいと自分の押し殺しているようなそのような印象を抱かせる表情であった。しかし、そのことは陽炎も望んでいたことだった。
「本当にいいの? それだけ大口をたたいて負けたら恥ずかしいわよ。恥をかく人数と質は少ないほうがいいんじゃない?」
陽炎の言動は不知火の心に火をつけた。卯月はこの状況を陰でニヤニヤしながら見ているのだろうか、一向に顔を見せない。そんなことを朝潮が思っていると、大淀が姿を現した。
「では、時間です。不知火ちゃん。別の部屋に行きましょう。陽炎ちゃんはそのまま待機してくださいね」
大淀に連れられて不知火は部屋を後にした。
不知火は大淀に連れられて部屋を出た後、冷静さを取り戻していた。姉妹のうち自分だけが異常を見出されて、数々の要人を暗殺してきた血塗られた腕でも、とうに心など壊れたと思っていた彼女の心に確かに熱がこもっていた。
もし、朝潮が似たようなことをいや、ほかの艦娘がそんなことをしたとして、彼女は今のように激昂しただろうか? いや、絶対にそんなことはないと断言できる。不知火は彼女の前では暗殺者ではなく以前の彼女に戻れるのだ。それを実感することが出来た。
ゆえに、彼女の目的を達成するためには本来喜ぶべきことであるはずの倒すことが容易な陽炎に対戦相手が変更されたことに対して激昂したのは、単に陽炎に砲を向けたくなかったのだ。
そのことを実感した。おかしかった。笑みがこぼれてきた。笑ってしまった。不知火は狂ったように笑う。
「不知火ちゃん? 大丈夫ですか?」
大淀は私がいきなり笑い出したことに対して心配し声をかけた来たが、問題はない。彼女を倒せば不知火の望みは叶う。姉に砲を向けるのは辛いと先ほど自覚してしまったが、耐えられる。そうすれば不知火の望みは叶うのだから。
「ええ大丈夫です。行きましょう大淀さん」
大淀は心配していたが、不知火はその心配をよそにその足取りは軽い。もう迷いも怒りもなかった。
不知火が人工海域にたどり着くと、陽炎は所定の位置にもうすでに着いていた。不知火が移動したのだから当然ではあるが、ほんの少し相手のほうに波や風向きのコンディションを確認する時間を与えてしまったことにはなるが、そのことが勝敗に影響を与えるほど不知火と陽炎の戦力差は低くない。
「あら? いい顔ね。てっきり挑発をしてくるかと思ったけれど、少しはましな顔つきになってきたじゃない」
「挑発には乗りません。2日前と同じように当然勝つ。それだけです、正直朝潮と陽炎では陽炎、あなたのほうが相手しやすい。私がアナタの立場だったら、このまま引き下がって朝潮と交代しますね」
その言葉に、陽炎は腕を組み、うんうんうなり首を傾げた後ゆっくり口を開いた。
「いや、それは嘘でしょう。もし、あんたが私の立場だったら多分私を助けるために全力を尽くしたと思うわ。たった一人の肉親が、生まれ持った力が暗殺向きだった、それだけの理由で何人もの要人を殺めて、最後にはこんなところで艦娘の力を図るための試し石としての役割をしている。そんな状況に私がなっていたとしたら、あんたは必ず私を救いに来るはず。違う?」
不知火は答えない。
「おしゃべりはそこまでです。そろそろ始めましょう」
「そうね。お互い離れて長いから、言葉だけでは止まらない。古くさい言い方になるかもしれないけれど、こぶしで語り合うとしましょう」
こうして、戦いの火ぶたが切って落とされた。
「……陽炎」
不知火は戦いが始まった瞬間陽炎がとった行動に唖然としていた。主砲すらも構えず艤装を全力で稼働しながらこちらに突進してくるというものである。不知火と陽炎との距離は500、自殺行為である。
不知火は後退しながらゆっくりと陽炎に狙いをつける。すでに異常を発動しており、陽炎はこの手の動きを気付くことすらできない。確かに距離が十分近ければ、彼女の行動は理解できる。異常を持たない艦娘が不知火の異常を攻略するのに最も有効な手段は不知火に狙いをつけられるよりも早く彼女に砲撃を加えることである。
彼女の艦種が戦艦等の不知火よりも射程の長い主砲を持っているならそれも有効だっただろう。もっと言えば、戦いを始めた距離が50メートルほどだったら、彼女の策も有効だっただろう。しかし、現実は違った。
「陽炎、残念ですよ。これでは、先日の戦いのほうがいい勝負ができたといえますね」
不知火はそういいながら引き金を引いた。射程距離からは少しだけ遠いが、回避行動すらとれない陽炎にはこれで十分だ。あとはこれを数発陽炎の特攻が止まるまで、続けるだけの簡単な作業だ。
しかし、不知火はその光景に目を丸くした。不知火が引き金を引いた瞬間、陽炎がその瞬間だけ回避行動をとり、不知火の砲撃をすんでのところでかわしたのだ。先ほどまで余裕をもって戦いに挑んでいた不知火から余裕が消えた。
「今のタイミングね。どんどん行くわよ」
陽炎は不知火にそう話しかけながら、艤装をフル稼働して突撃してくる。一体どうやって、陽炎には不知火が砲を向けている動きすら見えていないはずなのだ、回避などできるはずがない。
しかし、万が一不知火の砲撃を何らかの方法で探知しているとしたら、全速力でこちらに近づきながら向かってくる陽炎と、それに後退しながら砲撃を浴びせる不知火、どちらが速いかなど明白である。
「ずいぶん余裕そうですね。そんなに嬉しかったんですか? 距離はあと450、全部かわせるものなら、やってみてください」
しかし、不知火は冷静だった。確かに、偶然か必然か陽炎は不知火の砲撃をかわしたのだ。それを認めざるを得ない。さすが陽炎だ。が、彼女の口ぶりから不知火の砲撃のタイミングはわかっても、彼女は不知火の砲撃が見えているわけでも、かわせたかどうかすら分かっていないのだ。
ゆえに最適解は彼女に向けて黙々と砲撃を加え、本当に砲撃を食らっていないのか疑心暗鬼に陥らせることであるが、先ほどの発言は、彼女に対する純粋な賞賛であった。彼女の望みをかなえるための最大の障壁は朝潮ではなく彼女の姉の陽炎になったことを今認めた。
そして、第2、3の砲撃をかわされ、第4の砲撃はかわすタイミングが遅くよけられなかったようで、小破相当のダメージを彼女に与えたが、彼女は衝撃を受けたそぶりを見せない。これで、不知火の砲撃を探知してはいるが、砲撃行為そのものは見えていないという不知火の予測は確信に変わった。距離250、このまま砲撃を浴びせ続ければ勝利するだろう。
しかし、不知火の砲撃は陽炎にかすりもしない。近距離になればなるほど、両者の距離が近くなり、回避精度が落ちるはず。なのになぜかどんどんと回避精度が上がっていった。認めるしかなかった。陽炎の練度は不知火の予測を大きく超えており、異常という優位性をはぎ取られた不知火が窮地に立たされていることに、不知火は後退を止めた。
「あら? 鬼ごっこはおしまい?」
「認めますよ。私の知らない間に相当な濃密な時間を過ごしていたんですね。すさまじい艦娘に成長したようですね。妹として誇りに思いますよ」
不知火の発言に陽炎は赤面し、鼻の頭をかきながら、
「ふふん、まあね。どう? この私を見直したかしら」
そんな事を言っている陽炎に対して、砲撃を浴びせれば決着がつくだろう。しかし、不知火はそうはしない。そんな方法で勝ったとしても、彼女に勝ったことにはならない。不知火は生まれて初めて。いや、忘れていた思いを思い出していた。
「だからこそ!! 私はお姉ちゃんに勝ちたい!!」
不知火はそう言いながら腰を落とした。不知火の策はこうである。距離はたった100メートル。駆逐艦の射程距離内である。ここから先の距離は駆逐艦の主砲とは言えども食らえば即大破の一撃必殺の距離である。
ゆえに、不知火は陽炎が砲撃を撃つのを待ち、それをかわした後砲撃を加えることにした。もし、先にこちらが砲撃を加えたとしたら、陽炎は確実にその硬直を狙ってくる。異常もなしでここまで追いつめてくる艦娘を彼女は知らない。
「行くわよ。不知火」
全力で艤装を吹かしながら陽炎が近づいてくる。距離50、まだ彼女は撃ってこない。いつまでも待つつもりだ。40,30……その時、不知火の脳裏にある言葉がよぎった。「朝潮示現流」そういえば、彼女は朝潮と数日間共に過ごしていた。
もし、この状態になった時を想定して、朝潮示現流の技を接近戦でカタをつけられる技を一つでも身に着けていたとしたら、そう思考したときにはもうすでに陽炎に抱き着かれた後だった。まずい、不知火は全身を硬直させ、数秒後に来るであろう衝撃に備えた。
しかし、その数秒後は永久に訪れなかった。
「不知火。やっと捕まえたわ。帰りましょう。そうして、また一緒に暮らすの。私があんたを日の当たる世界に戻してあげる」
不知火はその時初めて、不知火を抱いている腕に敵意がないことを感じ取った。数年間離れ離れになった妹に対する心優しい姉の抱擁だった。不知火は陽炎に勝ちたいと思った。勝ちたかったことを自覚した。しかし、陽炎はそうではなかった。不知火を取り戻す、それが彼女の勝利であった。ゆえに、その戦いはかみ合わないものだった。
「陽炎……あなたの考えはよくわかりました」
不知火はそう言って陽炎の腹に主砲を向け引き金を引いた。
「あーあ……失敗しちゃったなあたし」
不知火に敗北し第一鎮守府に戻された陽炎は、後悔の念にさいなまれていた。不知火の異常から繰り出される主砲をかわし、彼女に砲撃を浴びせる。それだけで彼女の望みは叶った。しかし、それはできなかった。愛する妹に、たった一人の肉親の意思を無視してまで連れ帰ることが本当に、正義なのかずっと考えていた。ゆえに、彼女は自分の本心をぶつけて彼女に説いた。それがはねのけられた。それだけのことなのに、後悔が止まらない。
「陽炎!! ぼうっとしている場合ではいけません。今から北極に行きますよ」
そんな風に黄昏ていると、朝潮が防寒具を手に、そんなことを言ってきた。
「朝潮ちゃん……不知火にははねのけられてしまったわ。それに、北極なんて」
「いいえ、もう一度です。不知火には陽炎の思いが通じたと思います。陽炎の熱の深さも、愛情の強さも、家族には自分の気持ちを正直に伝えられないものと聞きます。もう一度行きましょう」
陽炎はそんな風に非現実な提案をしてくる彼女がたまらなく好きだった。彼女はもう一度だけ立ち上がる決意を固めた。
「話は聞かせてもらいマシタ。北極に行くのは現実的ではないネ!! 卯月を探して連れてってもらいまショウ!! ウサギ狩りの時間ネ!!」
金剛がそういいながら、部屋に飛び込んできた。二人は顔を見合わせなるほどと歓声を上げる。ウサギ狩りの時間だ!!
そんな騒ぎを聞きつけ、不知火が部屋に入ってきた。
「陽炎……これは何の騒ぎですか?」
「ああ、不知火さん。不知火さんを助けるために、北極に行くために卯月を探しに行こうと思います。不知火さんも探してくれますか?」
「……いや、あのウサギいつも横須賀第一鎮守府にいるわけではないので、多分見つからないと思いますよ。ほかの手を考えたほうがよろしいかと?」
陽炎はそれもそうねと言いながら別の案を考えることにした。卯月がいつも横須賀第一鎮守府にいるわけではないというのは同じ基地に所属していた不知火が言うなら真実なのだろう。……その時、陽炎ははっとした。
「不知火!! どうして!!」
「ああ、元帥に頼んで陽炎と同じ鎮守府に配属させてもらえることになりました。これからよろしくお願いしますね。お姉ちゃん」
不知火はさらっとそんなことを言ってきた。陽炎の目的が達成された瞬間だった。