「うぇぇぇぇん!! 痛いよ痛いよぉ!!」
長門を拘束した後、提督たちが捕らえられていた小屋に行くと、10歳前後の少年がまるで誰かに殴られたかのような打撲痕を押さえながら泣きわめいており、長門を見つけると彼女に抱き着いた。
「おお、よしよし。辛かったね。頑張ったね、えらいぞえらいぞ」
「長門お姉ちゃん……」
「大丈夫、もう提督に解放をお願いしたりはしない。約束する」
彼女がそう言った時に、プリンツはハッとした。そういえば彼が腫らしている頬は、先ほど彼女に拳をめり込ませた場所と一致している。先ほどの長門の爆発的な戦闘能力の向上は彼に何か関係があるのだろうか。そんな風に思考していると、長門はこちらを向き、口を開いた。
「その様子だと、本当に何も知らされていないんだな。……すまないが、一つ頼まれてくれないか」
「何? ここから逃がしてほしいとかだったら、さすがに聞き入れられないけれど?」
「私と深雪、後は上の方で見張っていた白雪の処分は免れないだろうが、初雪の事は見逃してほしい。彼女はまだ我々の仲間と言う訳ではないんだ。もちろん、監視等がつくことは仕方ないが、どうかお願いしたい。後は、ここから保護されてどこかに移動される提督の卵たちの移動先を調べて、彼らがどうなるかを注視してほしい」
と言う願いだった。プリンツは首を縦に振った。
彼女にそう言ったものの、艦娘の処遇を提督代理である彼女らに自由にする権利はないので、数時間後にこの事件を聞きつけて久しぶりに鎮守府に帰ってきた佐倉大将とビスマルクに話し、約束はできないが何とかしようという返答をもらった。
「しかし、よく頑張ったわね。敵の基地に侵入して人質を救出するなんて、護身用に少し格闘技を齧らせておいて良かったわ。すべては万事塞翁が馬と言うやつね」
「はいすべてビスマルク姉さまのおかげです。今回の敵の首謀者である長門は彼女自身が『解放』と呼ぶ謎の力を使って、通常の艦娘とは思えない力を持っていましたが、ビスマルク姉さまの教えにより何とか彼女を拘束することが出来ました」
プリンツの発言を聞いて、ビスマルクは表情をこわばらせた後、彼女の肩を揺さぶった。
「解放? アナタ、解放艦娘と戦って生還できたの!!?」
ビスマルクがそう驚きながら聞いてきたので、彼女に解放艦娘とは何かを訪ねると、彼女は概要を教えてくれた。プリンツはそれに対して絶句していた。
「要は艦娘の戦闘能力5倍上昇じゃないですか!!? もしかして、私かなりピンチでしたか?」
「ええ、もしプリンツが彼女を止めていなければ、あなたはおろか、基地に応援に来た電達すらまとめて全滅拉致されていた可能性があったわね。しかしそれゆえに多くの制約が付きまとう。その一つが、提督に対してのフィードバックね。完全にダイレクトとはいかないまでも、解放艦娘のダメージは同様に、それを解放した提督にフィードバックされる。
長門を倒したとき、その半径5キロ以内、彼女を目視できる地点に彼女を解放した、彼女を操る黒幕ともいうべき犯人がいるはず。覚えはないかしら、彼女を倒したときに、その周辺に彼女を倒したときと同じ傷を体に負った提督が、それが今回の黒幕よ」
なるほど、だから……しかし、そうであれば危険だ。あの少年が解放艦娘を自在に作り出せるのであれば、彼女の言うように黒幕なのだとしたら、このことは伝えなければならない。顔を晴らし泣きべそをかいていた彼のあの姿が虚構でない保証はないのだ。
ビスマルクに対して長門を解放艦娘にしたのは10歳の少年であること、そしてその予測が正しいとするのならば、彼が艦娘と接触する可能性のある施設に移送すべきではないと、もしビスマルクの言うように今回の黒幕であった場合、また施設に所属の艦娘を解放艦娘に変える恐れがあるからである。
そこまで伝えると、プリンツの話を黙って聞いていたビスマルクは口を開いた。
「なるほど、あなたの懸念はもっともだわ。しかし、それはないと断言できる。艦娘を解放艦娘に変えるには双方にとてつもない信頼関係が必要なの。一朝一夕で関係性を構築するのは現実的ではない」
「でも……」
「プリンツ、あなたは仮に解放艦娘にならなければならない状況だとして、その相手が例の彼でなければ嫌でしょう?」
「はい」
「まあ、そうでしょうね。そして、相手も多分同じ気持ちだと思うわ。と、このくらいの信頼関係が必要なの。あの少年にとって、長門は姉かもしくは母親のようなそんな存在だったのでしょうね。しかし、そうなると……」
「どうしたんですか? 長門の行動に気になる点でも?」
ビスマルクは少し困った表情を見せた後、こちらを一瞥した後に口を開いた。
「私の感性がおかしいなら指摘してちょうだい? 10歳の少年が一人の艦娘と解放状態に持っていくまで信頼関係を構築できたという事は、そう言う風に仕向けた第3者の思惑があったのではないかしら。例えば、もしも艦娘にも太刀打ちできない強大な敵が現れた時に、それに対する先兵として解放艦娘部隊。そのために、幼いころに複数の提督の卵を解放艦娘を運用するために、育てていて、その施設がグラーフの信奉者に狙われたとか」
「なるほど、それならつじつまが合います。このまま提督を育てても、いずれ解放艦娘用の提督として使いつぶされるならば、いっそグラーフの信奉者に用心棒か何かとして保護してもらった方がいいと、それが提督の卵に対して母性を目覚めさせてしまった長門の判断だったと、そして、その解放艦娘運用計画の首謀者が佐倉大将だと勘違いした彼女らとのすれ違いが起こってしまったわけですね」
プリンツはビスマルクの言う事に肯定した。それを聞いて、彼女は頷くとそうと決まれば調査してくるわと言って佐倉大将のもとに急いだのだった。ビスマルクが去った後、彼女はビスマルクに聞こうと思っていた彼女自身の変化に対して聞きそびれてしまったのである。彼女は自室に戻り、ベッドにあおむけに寝るとリンゴを一つ持ち、空に放り投げた。
何度かリンゴを投げ落ちてきたリンゴをキャッチする。そして3回ほど投げた後、彼女は上に上がっていくリンゴに対して意識を集中させた。
すると、一瞬リンゴが少しだけ下がったのである。やはりだ。そして、リンゴは元通り上に上り、最高地点で停止し、下に落ちてくる。ほんの一瞬リンゴはその一瞬だけまるでカメラのフィルムを逆回しにしたかのように下に下がったのだった。
同じだ。先ほどの戦いで長門が拳を一瞬だけ止めたかのように見えたが、あれは止めたのではなく、戻ったのだ、長門の動き全体が、いや、長門だけではない。おそらく、時間そのものがあの地点だけほんの刹那巻き戻り、そして、それにプリンツだけが逆らい彼女に対して一瞬早く拳を叩きこむことが出来たのだ。
覆水盆に返らずと言う言葉がある。やってしましまったことは取り返しがつかないということわざであるが、後々鍛えていけば、できる範囲が広がっていけば、盆に返らないはずの覆水を盆に返すことは出来るだろう、失ってしまった数々の大切なもの、しかし最後に残った大切なものを失わないために、彼女は彼女に宿ったその力を鍛えることにしたのだった。