やがて僕は荒潮に呑まれる   作:ANMC

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覆水盆に返らず

 男は、パニックになっていた。先ほど、ボタンを押し、プリンツの動きを封じたはずだった。最愛の提督を失い、その艦娘の心に傷をつけることで、後に彼女が所属する提督の言う事を従順に聞く人形を作り上げる。それが彼の使命であり、これまで何度も行ってきたことである。

 

 

 しかし、ボタンを押して動きを止めたはずなのに、そのボタンは破壊されてしまった。どういう事かは分からないが、男はボタンを取り出している間にそれが壊されていたようで、それに気が付かず、ばらばらになって原形をとどめない装置の破片のボタンだった空間を押して彼女の動きを止めた気になっていたらしい。

 

 

 そして、そのまま自身のズボンを下したようだ。……ありえない。何か飯にヤバイ薬でも入れられていたのかのと、自身の奇行の異常さに恐怖していた。

 

 

「ねぇ? いったいどういう事? 教えてよ……提督は……○○はどこ?」

 

 

 男に話しかけてくるプリンツの表情には嫌悪と憎悪が入り乱れていた。もし、彼女の望んだ答えを言わなければ、羽虫のように潰されてしまうだろう。しかし、男には彼女の望んだ答えを言うことは出来ない。なぜなら、彼女の望みは永久に失われてしまっているからだ。

 

 

「先ほども言っているじゃないか。君の持っているボックス、それが彼のすべてだ。それとも、不要になった肉体の残骸の事を言っているのかい? それなら裏の焼却炉の前、粗大ごみ置き場に捨ててある」

 

 

 それを聞いて、プリンツは焼却炉の前にある粗大ごみ置き場に急いだ。なぜ、彼女は私に怒りをぶつけなかったのだ? 艦娘の力があれば文字通りバラバラにできるはずなのに……。

 

 

 焼却炉の前の粗大ごみ置き場に、彼は捨てられていた。ウロニウムの過剰投与により、体の大部分が艤装化し硬直しており、表情からは何も読み取れない。その脳みそは取り外され、空洞が出来上がっている。プリンツはボックスを取り出した。

 

 

「絶対!! 絶対取り戻して見せるからね」

 

 

 プリンツは意を決した。『覆水を盆に返す(リアリティー=リムーバー)』は時間を巻き戻す異常、であれば、彼がウロニウムを過剰投与され脳を取り外されるまで時間を巻き戻せば彼を救うことが出来るはずだ。

 

 

 先ほど、スイッチを押されて動きを止められた後乱暴されそうになった事実を時間を巻き戻してスイッチを破壊して変化させたように。絶対できる。私と提督の物語がこんな結末は許せない……。彼女は提督の亡骸を抱きながら意識を内に内に集中した。

 

 

 

 ビスマルクが意気消沈しながら鎮守府に帰ると、鎮守府は大騒ぎになっていた。プリンツが提督を連れて脱走したというのだ。それで艦娘総出で彼女を探していると聞かされたが、詳しい話はあとで聞くことにして少し仮眠をとることにした。

 

 

 こうして寝室に入ると、そこには脱走したことになっているはずのプリンツがベッドに座っており、その手にはボックスが握られていた。そして、脳みそを抜かれた提督の死体が椅子に座らされていたのだった。

 

 

「ビスマルク姉さま……なんでこんなことになっちゃったのかな? わたし、○○と一緒に、彼の隣でささやかな日常を過ごしたいと思っていただけなのに? なんで彼はこんな目に合わなければならなかったの?」

 

 

「ごめんなさい。私の認識が誤っていたわ。提督の脳髄を艤装に改造して艦娘に組み込むことで提督の力のないものでも提督としての指示を艦娘に行使できる装置、そんなものが蔓延していたなんて、想像もしていなかった」

 

 

 日本ではこういった問題は起こらなかったのである。深海棲艦と人類の最初の会敵、ファーストコンタクトの時点で、国を守った自衛隊に所属していた人間のほとんどが深海棲艦によって全滅させられてしまったからであり、その後に下村元帥が自衛隊のみならず国の中枢をほぼ掌握したからである。

 

 

 しかし、欧州では佐倉大将の活躍もあり、軍の士官がほとんど残ったままだった。つまり権力を維持したまま彼らが新体制でもそのまま力を振るえる土壌が形成されてしまったのである。

 

 

 そんな中、欧州でも提督としての才能を持つものを探す事業が行われたのであるが、その際に目を付けたのが国内で秘密裏にボックスの研究をしていた者たちである。軍上層部はずぶの素人が提督の才能があるという理由だけで、軍の中で力を持つことを好ましく思っていなかった。そうならないように、提督の力を持つものをボックスに改造して艦娘に組み込むことで元の軍の士官たちを提督として力を振るえるようにする。

 

 

 倫理観との板挟みに苦しみながらも、彼らはそういった決断を下したのだった。そして、ビスマルクと佐倉大将も難しい決断を迫られていた。ボックスを悪と断じ、それを利用し提督としての力を振るっているものをすべて糾弾すると、欧州のほとんどの鎮守府が機能停止してしまう。

 

 

 明確にボックスを使用していないと断言できるのはたった5か所、これは欧州内にある鎮守府全325か所中1パーセント未満である。ゆえに、新たなるボックスの製造を中止し、現存するボックスは新たな提督が誕生し次第、随時入れ替えることが正しい選択だと考えていた。

 

 

 しかし、私のかわいいプリンツ、その提督をボックスに変えるなど、明らかにこれはこちらに対する挑戦だった。舐めやがって!! 必ず報いをくれてやる。ビスマルクはそう心に誓うのだった。

 

 

 

 プリンツはビスマルクに助けを求めたが、それは聞き入れてはもらえなかった。一度ウロニウムを過剰投与されて体が艤装化してしまった人間を元に戻すことは、現在の医学ではできない。日本にいる彼女の知り合いが、艤装化された提督の意識を機械に組み込み仮想現実としてその世界で日常を過ごさせ、その日常の中の趣味の一環として、現実の艦娘に提督としての力を振るわせるゲーム『艦隊これくしょん』を開発しているらしいが、それもいつになるかわからない。

 

 

「プリンツ、今日はもう寝なさい。今後の事は明日話し合いましょう」

 

 

 そう言ってビスマルクは部屋から出て行った。プリンツはベッドに横たわり、涙で枕を濡らした。そんな時である、一人の艦娘が枕元に立っていたのだった。金髪に白っぽい服装、氷のように冷たい視線。彼女がグラーフツェッペリンであることは一目でわかった。

 

 

「何? もしかして、あなたはテロリストの?」

 

 

 彼女は何も答えない。ただ懐からボックスを取り出しこちらに見せてきた。

 

 

「それは?」

 

 

「失礼だな。彼は私の提督だ。1年前にボックスにされてしまったが、明るく周りに気を配れる優しい少年だった。彼を育てる任務を与えられた私は、最初はその任務に疑問を持ったものだが、不愛想な私にも仲良くなるために色々な話をしてくれて、心がほだされて行った。彼を育てる任務を与えてくださった上官に感謝したりもした。

 

 

 そして、彼が提督として育った暁には私を彼の初期艦として配属してもらう約束をしてもらい、私はそれだけが望みだった。しかし、それがやつらの策だったのだ。提督をボックスに変えて艦娘に組み込む際に、その艦娘との絆が強ければ強いほど成功率が高くなる。ただそれだけの理由のためだった。彼を私に育てさせたのはな」

 

 

 もはやどちらが悪なのか分からなかった。話を聞くと、そんな風に提督をボックスに変えられた、その被害者たちが結集し、グラーフの信奉者を名乗り、軍の様々な悪事を働く施設を攻撃しているという説明をした後、彼女はプリンツに対して手を差し伸べた。

 

 

「君も、君の提督のような犠牲者を増やしたくはないはずだろう。私の手を取ってほしい。君も同志として、我々の助けになってほしい」

 

 

 プリンツは彼女の手を取った。

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