月明かりの欠片   作:いくらう

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『隠れ里:オーベック』

 

 

 

 机に広げられた羊皮紙に、窓から僅かな光が射し込み始める。外を見れば周囲を囲む森の向こうにわずかに見える空が白み始め、朝が来るのだと空を通り過ぎる鳥の群れが示していた。

 

 【ラキア王国】の遠く北西。エルフを主とした数十人の避難民が住まう隠れ里。女神【ネメシス】を主神とした【ネメシス・ファミリア】の拠点でもあるここに逗留(とうりゅう)し始めてから一週間。その間俺は、ひたすらに提供された古書の解読に勤しんでいる。

 

 まだそう長く居付いているわけではないが、ここでの生活に不自由はなかった。もともと目立たぬように――――ラキアによって狙われることが無いように――――してきたためか、ここの住人達は皆慎ましく、俺の事を詮索してくることもない。まあ、俺が殆どの時間をこの与えられた家の中で過ごしているというのもあるが…………そういう点でも、居心地が悪くないのに違いはなかった。

 

 俺はそこで一度羊皮紙をまとめ、開いていた本に栞を挟んで閉じ、机の脇に除ける。古いエルフの、それも狭い地域で使われていた文字で書かれたその古文書は俺の求める<魔術書(スクロール)>に類するものでこそなかったものの、十二分に向き合う価値のある代物だった。それでも一週間かけて一冊読み解ききれぬというのは笑えない話ではある。このまま時間をかけすぎてしまっては、ネメシスの眷属たちを助けた以上の対価を受け取ってしまうことになりかねんが…………俺は机に置いてあった古ぼけた魔石灯の明かりを消し、一度眉間を揉んで立ち上がる。そろそろ睡眠をとらねばまずい。俺は暗がりに足をもつれさせぬよう、慎重にベッドへと向かう。

 

 それを見計らったかのように、扉を数度叩く音がした。

 

「や。起きてたかな、オーベック」

 

 返事も待たずに扉を開け入り込んできたのは夜より黒い長髪を持ち、しかし村人たち同様の粗末な服装に身を包んだ女、いや女神。

 

「…………ネメシス。せめて許可を貰ってから扉を開けてくれ。何が起きても知らんぞ」

 

 この薄明の中でもはっきりと輝くような美貌の女神に俺は苛立ちを隠さず忠告する。だがそれにネメシスはうんざりしたような顔で肩を竦めた。

 

「そうは言うけど、集中してる時の君ってノックに返事しないじゃないか。そのくせ家に一歩踏み入った瞬間には気づくけどね」

 

 呆れを隠さぬネメシスに俺は反論の術を持たなかった。それほどまでに俺が古文書の相手に集中しているのは事実であり、そのために幾度となくノックを聞き逃したのも事実であり…………なので、ひとまずこの話題は脇に置いておく。

 

「それで? こんな朝早くに何の用だ。俺は寝る所でな、手早く済ませてくれると助かる」

「あからさまに誤魔化した…………まあいいや、ちょっと相談があるんだ。座ってもいい?」

 

 俺が促せば奴は机の向かいに椅子を引いて腰かけた。俺もまた先ほどまで周囲を照らしていた魔石灯に再び火を入れ椅子に腰掛ける。

 

 ……相談、相談か。俺は置いたままだった水の入ったジョッキに口をつけて喉を潤しながら、ネメシスの持ってきた案件の内容を想像する。この一週間、ネメシスは交わした制約通り俺に住処を提供し、里の者たち――――様々な里から逃れ、集ってきたエルフたちが持ち出してきていた貴重な書物を俺に提供していた。最初、里の者たちは自身たちの僅かに残された拠り所であるそれを俺に提供するのに難色を示したようだが、そこはネメシスがどうにか説き伏せたらしい。

 

 俺の知るエルフの気位の高さを考えれば全くもって困難な事であったことは想像に難くないが、彼ら彼女らは里をラキアによって焼かれ逃げ延びてきた身。未だラキアは先日の襲撃の下手人として周辺を捜索しているだろうし、隠匿の魔術によって里が隠されているとはいえ、万一を考えれば俺という戦力を里に置いておくことがために背に腹は代えられなかったのだろう。

 

 それでも、ラキアが本気になりでもしたら時間の問題なのだろうが。

 

「……それで、相談というのは何だ? まだ読み明かすべき文書は多くてな、時間を無駄にしたくはない」

「実は知り合いと連絡が取れてね、これはお知らせしなくちゃと思ってさ」

「知り合い? 何者だ?」

「うん。魔法にすっごい詳しい神。君なら興味を示すかと思って」

 

 伺うような薄い笑みをこちらに向けるネメシスに、俺は思案する()()をした。

 

 神というものは地上においてその全能たる【神の力(アルカナム)】を封じられた全知無能の存在――――とされている。だが、実態はそうではない。神々の中でも一部の何らかの権能を司る神ともなれば、その身に着けた技術や持ち得るもののみで一般の人間とは一線を画す能力を発揮する。

 

 例えば、世界に散らばる美の神たちがその美貌でもって人々を惑わし魅了するように。あるいは鍛冶の神たちがその技術を用いて、文字通りの神域の武具を鍛造するように。

 

 だとすれば、魔に関連する神ならば。

 

「…………対価はなんだ?」

「ん、そこから聞くんだ」

「無償の奉仕はするのも、されるのもごめんだ。お前も、それはもう知っているだろう?」

「まあね、じゃあ端的に話そっか」

 

 ネメシスは俺の事実上の承諾を得たことに気を良くしてか、満面の笑みを浮かべて頬に手を添えた。俺は奴の一言一句を聞き逃すことの無いよう耳をそばだてる。まあ、奴も『応報の女神』を名乗るもの。度を越えた対価など要求しては来ないだろうが…………。

 

「実はさウチの眷属(子供)たちが前の襲撃で返り討ちにあったせいで自分たちの力に悲観的になっちゃったみたいでさ…………教えてあげて欲しいんだよね、戦い方を」

「断る」

 

 俺の先刻までのネメシスへの信頼は音を立てて崩れ落ちた。学徒に何を求めているんだこいつは。一方で、俺の拒絶など想像だにしていなかったという顔でネメシスが身を乗り出す。

 

「ちょっとお!? 拒否するの早くない!?」

「当然だろう。俺は国とやりあうやり方は知らん、学徒だぞ? ラキアとやり合う術を知りたいというのなら、それこそ軍師でも連れて来た方がいい」

 

 俺はため息をつきながら首を横に振った。当然の返答だろう。確かに俺は自身の魔術を使うことで、この里の者たちに対したラキアの部隊を引かせはした。だがそれが限界だ。あれ以上の成果など出せようもないし、むしろあの成果をもう一度出せと言われても困るのが現実だ。本当の意味でラキアのような大国とやりあうには力も数も足りなすぎる。ここでの生活は危険もなく、得るものもしっかりもらっているが……命を危険に晒せと要求されるのならば、引かねばなるまい。

 だが、この里から逃げ出す算段を仮にとはいえ俺が立て始めたのに気づいたか、ネメシスはまっこと申し訳なさそうな顔で謝罪してみせた。

 

「あー…………うん、言い方が悪かった、ごめん。教えて欲しいのは魔法を使った戦い方だよ。彼らのそれぞれに合わせた、ね」

 

 苦笑いしながら言って、こちらの反応を伺うネメシス。確かに、それならばまだわかる。国に対する群を指導する力が俺にない以上、求めるのは個々の力を底上げする事だろう。それはわかる。だが…………。

 

「魔法の使い方を……エルフに? 人間の俺がか?」

「うん」

 

 俺の問いに呆気なく首を縦に振るネメシスを見て、思わずげんなりとした顔をして腕を組んだ。

 

 前提としてだが、エルフと言うのは基本的に短命種たる他の種族を見下し、真実それが種の特徴としてまかり通るほどの魔の才能と長命を持つ生物種だ。生まれながらにして魔に愛され、他の種族においてはごくごく稀に天稟(てんぴん)の才を持つ者のみが身に着ける()()()()()【魔法】を、種に属するものの多くが身につけているというのは知識以前の常識だ。故に、【魔】に対する誇りの高さは他の種族の比ではない。事実、俺よりも強大な魔法を使えるものなどこの里にすら数多くいるだろう。故に――――

 

「――――奴らが認めんだろう、そんなのは」

「皆が願ってるんだよ、そんなのを」

「本気か?」

「本気だよ」

 

 俺の言葉にネメシスは二度首肯を返した。それも即座に。予想していたかのようだ。しかしありえるのか、それは。エルフが人間に、実績も何もない、同志ですらない、流れの術士に教えを乞うなどと。あり得ない、と断じる俺の心中を察したか、ネメシスは真剣極まりない瞳でこちらを見つめてくる。

 

「まあ、それだけ君の戦い方に思う所があったんだろうね。自分たちよりも魔に愛されていないクセして、魔を操る(すべ)でもって自分たちを窮地から救い出して見せた、君の姿に…………ここにいるのはあくまで避難民たち。意欲や才能はあっても、その使い方を教えられる人はいなかったから」

「いない……? これだけ居てか?」

「そういう人たちはこれだけの人たちを救うために…………ね」

「…………そうか」

 

 その言外の意味を俺は読み取った。そういった戦えるものたちはラキアとの戦いで、自らの里や今ここにいる避難民たちを守るために散っていったのだろう。その復讐のために独学で磨いてきた力が通用せず、あまつさえ外様の、本来魔道において格下であるべき俺に救われた…………そう聞いてみれば、教えを請いたくなる気持ちも分からないでもない。古文書を読み解くのに想像以上の時間がかかりそうであり、それが負債になっていくだろうという先の見立てもあって、俺の心がネメシスの頼みを受ける方向に傾くのに時間はそうかからなかった。

 

「……分かった、請けよう。だが期待はするなよ。エルフに魔の使い方を教えるなど、想像だにしなかったことだ」

 

 前途多難だと態度で示す俺に、しかしネメシスは安堵したかのように目を細め、口角を小さく上げて見せる。

 

「請けてくれるんだ。てっきり考えてはもらえても、結局断られるんじゃないかな~って思ってた」

「お前も馬鹿じゃない……この条件と魔の神との対面が対等になる、そう考えて話を持ってきたんだろう」

「まあね、()()にはそれだけの価値はあるはずだよ」

「お前のそういう所は疑っちゃいない…………それに」

「それに?」

「学院の真似事は初めてじゃない………………()()()にものを教えるのは、悪くなかった」

 

 しがない使い走りの、学徒ですらない殺し屋であった俺の、ただ一人の生徒。奴とのひとときを思い出して、俺は目を閉じる。書斎とは名ばかりの、廃墟に(しつら)えた拠点での初対面。あの淀んだ祭祀場で<魔術書(スクロール)>を二人で読み上げながらの、短くも忘れることなどない語り合いの日々。並び立って技を振るい、強敵と相対した一幕。そして別れ。あらゆる思い出が脳裏に去来し、通り過ぎてゆく。

 

「…………ふう~ん?」

「なんだ、その顔は」

 

 その姿をとても興味深そうに見つめていたネメシスの思わせぶりな声を聴いて、俺は奴に怪訝な顔を向ける。ネメシスはそれを見るとどこか納得したかのように、あるいは誤魔化すようにどこか悪意を感じさせる笑みを浮かべた。

 

「いやあ~、別に? 隅に置けないねえ君も」

「何の話だ」

「いやいやあ、別に、何でも! つっけんどんの唐変木(とうへんぼく)だと思ってたけど、それは間違いだったみたいだね」

 

 俺がこの里に来てから一番の笑みを見せるネメシスを見て、俺はこの里に来てから一番のため息をついた。

 

「ハァ…………何を勘違いしているのかは知らんが、俺とあいつは教師と生徒、それ以上でも以下でもなかった。お前が想像していそうなことなど何もない」

「本当に?」

「事実だ」

「じゃあその人とどういう感じで別れたの?」

「………………………………………………言う義理はない」

 

 ネメシスの質問に、俺はそっぽを向き長い沈黙を挟んだうえで言葉を濁した。あいつと過ごした時間も、交わした言葉も、教えたことも、教わったことも、あいつがどれだけ優秀だったかも、何一つ教えるつもりはない。だが、それをまたしても都合よく解釈したのか、ネメシスは俺が見た中で一番楽し気だった先ほどの笑顔を満面の笑みともいえるようなそれで更新してくすくすと笑った。

 

「あのさ、やっぱ君ツンデレの素質あるって。自覚ない?」

「ない。そもそもなんだそれは、凍原(ツンドラ)の言い間違いか? あまりいい思い出はないぞ」

「知らなくていいよ、その方が私は好きだから。じゃあまた。詳しくは皆起きてきてから詰めよっか」

「おい待てネメシス……! まだ話は」

「終わったよ、それよりも早く寝た方がいいんじゃないかな? 新任初日から寝不足なんて洒落にならないよ、()()! おやすみ~」

 

 言って立ち上がったネメシスは足早に扉に向かい、振り返ることもなく家を出て行ってしまった。その背を見届けて、俺は思わず天を仰いでため息を吐く。

 

「はあ…………」

 

 忙しくなる、それは間違いないだろう。今まで四六時中やっていた古文書の解読や写しに加え、エルフたちへの教導も加わる。まあ、全員ではあるまい。エルフというのは一般的に人間同様、いや人間以上に歳をとると頑固になる。そんなものは人間に自らの種の誇りである魔について教えを請うたりはしない。大方危機感を覚えた若者が数人と言った所だろう。その程度なら何とかなる……はずだ。見捨てて逃げるのも寝覚めが悪いし、そいつらをできるだけ鍛えて古文書の解読を終え、そうしたら次の地へと旅立つ。そこからはまた、今まで通り根無し草だ。

 問題はどれだけかかるかの見通しが立たない所だが…………古文書の解読もいつまでかかるかさっぱりわからない以上、むしろつり合いは取れていると言える。教え子とする者たちに才ある者がいれば、解読の手伝いまでやらせるのもありかもしれない。

 

 あとそうだ、学院の真似事の前に一つ。俺がここを去るまでラキアに挑まないこと。それだけはどうにか、約束させなければならない。

 

 …………ああ、考えることが山済みだ。まったく疲れる。

 

「………………お前の相手をしていた時の方がましだったかもな」

 

 愚痴を吐いたところで寝不足による眠気が今更やってきて、頭も回らなくなってきた。とりあえず、今後の事は目を覚ました後の俺に任せよう。そう心に決めた俺は立ち上がるとそのままベッドに横になって、今はただ休息することに努めるのだった。

 

 

 

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