「……【ツチノコ】って知ってるか?」
「つちのこ?」
背負った包帯まみれの男の問いにあたしが怪訝そうな声を返すと、男が首を縦に動かすのが背中の感触で感じ取れた。
「ああ。なんでも極東の島国に棲む伝説的な
「うわぁ、眉唾」
「俺は夢があっていいと思うけどなぁ」
言って男が小さく笑うとあたしは一瞬警戒を忘れて、それにつられてくすくすと笑った。
オラリオ各所にある
この街は、そういう場所だ。私も所属する、【イシュタル・ファミリア】を頂点とした者たちの元で、あらゆる欲が渦巻き、それが放たれる場所。立ち並ぶ酒場で酒を飲み、上機嫌になって女を買って、一夜の夢に溺れる場所。
ほら、街角に視線をやればきょろきょろと恥ずかし気に視線を彷徨わせた少年の手をその種族性からはかけ離れた艶美な服を纏った女エルフが取って、路地裏へと消えていく。
ここは『歓楽街』。人が人である限り逃れえぬ欲望を吸って育つ大樹。オラリオの最も輝かしい暗黒面。
その中を行くあたしは、人々の好奇の視線を一身に集めていた。イシュタルに属する中で最も下級の、客を取ったことも無いような下働きのサポーターの女が、まるで星の如き高級娼婦のように。
それはあたしが背にする、一人の男のせいだ。
全身に汚れた包帯を纏い、そこから黒い瞳を覗かせる男。このオラリオに住む者なら殆どの者が知るであろう、余りに悪名極まった一人の冒険者。
この男は数多の異名を持つ。味方を殺し、その武具を奪い取って戦った【
本名は
団長の命により彼を求めてダンジョンに潜った私たちは、そこで彼に同行の条件として折れた自身の足の代わりを誰かがするように要求された。そして、立候補した血気盛んな娼婦たちを避けて彼が選んだのが私だったのだ。いい迷惑だと思ったが、話してみると意外と会話の出来る奴だったのは幸運というべきかもしれない。
そんな事を思いながら、視界の端に揺れる包帯まみれの手に視線をやった。今の彼はその身に纏った包帯によって自身の真実を覆い隠しており、今向けられている視線の理由はその奇異な装いに対する嘲笑と好奇ばかり。
もしもこの包帯の中身を知れば、その内訳はすぐにでも畏怖と恐怖に塗り替えられるのであろうが。
あたしはそこまで考えてちょっと溜息を吐きたくなった。そんな奴を自身がこうして背負っているという事実を再認識したことが少なからず心の中にもやもやした何かを積もらせる。
しかしそんな様子を気にかけることも無く、轟く雷名が噂でしかないのかと思わせるほどの気軽さで背の【黒い鳥】が訪ねてきた。
「……なあ、あんたはそういう面白い話持ってないのか? 仕事柄、いろんな客から話を聞くこともあるんだろ?」
「………………あたしはまだ見習いだから。それに、ドワーフに相手してもらいたがる奇特な奴は、オラリオにだってそう居ない」
「ふぅン。そういうモンか?」
「そういうモンだよ」
「そうか」
【黒い鳥】は言って黙り込んだ。実際、そういうものだ。
混沌とした迷宮都市オラリオ。その娼婦界隈、あるいは性事情はそれ以上に混沌としている。まだ業界に足を踏み入れて日の浅い自分にもわかった事だ。
ドワーフは背が小さく、ずんぐりむっくりで、筋肉質。あたしもその例には漏れない。小さいのが好きな人なら
――――『英雄になりたい』なんて、稚気じみた夢。あたしのように辿り着く場所も見えず、日々を足踏みして過ごしている者なんてザラなのだ。借金のカタとはいえ大ファミリアに拾われ、故郷の家族に最低限の仕送りが出来ているだけ、あたしはまだまだマシな方。日々を暮らすのにも困り、浮浪者同然の生活をしている者もいるのだ。
そう、あたしはマシなのだ。迷宮に潜ることもほとんど許されず、やることはファミリアの雑務家事ばかり。まぁ、なりたくもなかった娼婦として大成してしまうのと、どちらがマシなのかと言えば、今の方がマシだと自身を納得させるしかないのだが。
「……はぁ」
思わず、溜息を吐く。背にした男の存在を忘れた、油断だった。
「なんか不満でもあるのか?」
首だけを乗り出させて、【黒い鳥】が楽しそうに問いかけてくる。その、予想以上に近かった彼との距離にぎょっとなってあたしはちょっと身を逸らしたが、あたしに背負われた彼との距離は変わる事は無かった。
「……別に、個人的な話」
「そっか。現状が不満か」
彼の平然としたままの言葉に、あたしは目を見開いた。
「今日は天気もいい。さよならさせてやろうか、【イシュタル】の奴」
その二の句に、あたしは背筋がぞっとした。さよなら、さよならとはなんだ。『人が神を殺してはならない』。神を殺せるのは神だけ。誰もが知る秩序だ。それを破れば当人だけではなく、その郎党もろとも死罪。ならば、なんだ。どこか、
あたしは【黒い鳥】の横顔をちらと見た。その見開かれた目は、『おはぎ』『おいしい』と書かれた旗を背負って立ち尽くす場違いな義手の男へと向けられていて、からかわれたのだと気付いたあたしは【黒い鳥】をその場に放り出したくなる自分を抑えながらしかめっ面になって歩くスピードを上げた。
「あーっ! 急に速度上げんでくれ折れた骨に響く! ぎえええ!!」
「…………くふっ」
ずんずんと歩いてゆけば背にした【黒い鳥】が面白いように悲鳴を上げるので、あたしは思わず小さく笑みをこぼし、速度を緩める。すると【黒い鳥】は痛がるのを唐突にやめた。そして、まるで痛みなど微塵も感じていなかったのかと思えるように小さく笑う。
「ハハッ……まぁ、なんだ。『依頼』なら【止り木】で受け付けてるからよぉ……さっきの話、本気で考えるときは声かけてくれよな、頼むぜ…………クキキ…………」
言い終えると、【黒い鳥】は歯を見せて、奇怪で胡乱な笑い声を残して黙り込んでしまった。対するあたしは、彼の言葉の意味をしばし思案する。
さっきの話というのは、あたしの抱える不満の話だろう。彼はそれの解決に力を貸してくれるつもりなのだろうか? やはり改宗か? だが、それには恩恵を刻んだ主神による許可がいる。なら、あるいは――――
……やめだ。あたしは首を横に振って、頭の中で育ちかけた危険な思考にふたをする。今はまず、この背負った男を本拠に連れて行くのが先決だろう。女性がほとんどのイシュタル・ファミリアではできないような会話ができたのは楽しかったが、あまり変な事を吹き込まれても迷惑だ。なら、もう話すことも無い。
そう結論付けたきり、あたしは【黒い鳥】に言葉をかけることなく、向こうもそれを感じ取ってかあたしに話をふる事も無く。無言のままで、【イシュタル・ファミリア】の