月明かりの欠片   作:いくらう

8 / 10
『雪原:ヴォルフ』

 

「失せろ、稀人(まれびと)

 

 言って手斧を向ければ、黄金のような髪を腰まで流した背の高い女は困った風に笑って小さく肩を竦めた。

 

「ううむ。そういう反応は予想していなかった。多くの土地では、私のような稀人はそこそこ歓迎されたものだったが」

 

 その声は、俺の知る人々にはない、不思議と心地よい響きを孕んでいた。エルフ、と言う奴か。降り積もる雪に並ぶほどに白い肌、それが顕著な長くとがった耳はしかし、刺すような寒さにあてられて先端は赤く霜焼けている。なるほど、歓迎されるのも分からないでもない。その中で、傷つき閉じられた右目だけは浮いていたが、十人いれば十人が美しいと称えるであろう容姿。歓迎されることはあれ、疎まれることはそうないのかもしれぬ。

 

「失せろ」

 

 だが、俺の態度は変わらない。

 

「ここより先は、我が一族の聖域。貴様のような異邦人が、踏み入るべき場所ではない」

 

 握りしめた斧を手からこぼれ落とす。しかし斧は足元の雪に埋もれることなく、手首に結ばれた紐でもって緩やかに吊り下げられた。

 

「押し通ると言うのなら、悉く屍となりてこの地に躯を晒せ。案じずとも、貴様の躯はこの地の獣の糧となろう」

「困ったな」

 

 苦笑いを崩さぬ女が思案する前で、俺は威嚇を強めて行く。垂れた紐を掴み、長さを調整し、手首を回すと吊られた斧が振り上げられ、腕を回せば頭上で斧が風を裂きながら暴れ出す。

 

「なあ、ええと、犬人(シアンスロープ)どの……ああすまない、赤毛の君、名前を……」

「異邦人に名乗る名など無い」

 

 振り回される斧の速度は、もはや残像のみが見える速度へと達していた。枯れ果てた針葉樹の並ぶこの場ではこのような武具はあまり好まれないが、俺の場合は別だ。この地の先へ踏み入ろうとした不埒者の頭蓋を、この武具で幾度となく砕いている。

 

 空が暗くなり、雪が強まり始めた。早く踵を返すなり、剣を抜くなりしてくれぬものか。俺から襲い掛かることは、一族の掟により許されていない。聖域――――禁足地へと踏み入ろうとせんものに、できればお帰りいただくのが俺の使命なのだ。本音を言えばここには長居したくないし、可能ならば、血の一滴も流したくない。

 

 

 

 【霊獣】の怒りを、買いたくはない。

 

 

 

 そのような俺の本心など知る由も無いか、エルフの女は腕を組み、何やらうんうん唸り始めた。

 

「どうしたものか……道も分からぬし……なぁ、どうにかならないか?」

「……道案内してやれば、二度とここに踏み入らぬと誓うか?」

「そうもいかんのだよなぁ」

 

 俺の提案に、女はまた肩をすくめることで返した。肩に積もっていた雪がざらざらと零れ落ちる。癖なのか、その仕草は。俺が苛立ちによって眉間に皺を寄せていると、女は何かに気づいたように、俺の背後へと目を向けた。

 

「ああ、そうだ」

 

 女は組んでいた腕を解いて、毛皮製と思しき防寒着のフードを被る。

 

「私には、気の置けない仲間がいてね……」

 

 瞬間、俺が振り回し続けていた斧を紐で操り後方へと突撃させれば、激しい金属音と共に斧が上へと弾かれる。俺はそれを確認する間もなくもう片方の手にも斧を取って、正面にいた女を警戒しながら後方の相手を確認するべく右へと体を向けた。

 

「………………」

 

 剣を抜き、斧を弾いたのは体格に優れた一人の男だった。背には大剣、そして背嚢。そして腰には今手にしている剣とは別に、もう一振りの剣を佩いている。防寒着のフードを目深にかぶっており、見えるのは厳めしく結ばれた口元のみ。人種は杳として知れぬが、向かい立つ女ともども、殺気を感じないのが不気味だ。それよりも。俺の後ろから現れたこの男は道中、まさか禁足地に足を踏み入れてはいないか。で、あればまずい。俺は緊張と共に男へと問うべく完全に振り向いたが、それより女が男へ向けて声をかける方が早かった。

 

「おーい。どこに行っていたんだ、君は。随分と探すのに苦労したぞ。まったく、少しは協力的になってくれたまえよ」

「………………」

 

 男が女の言葉にあからさまに不満げな顔をしたのが強くなる降雪の中でも分かった。そう、降雪が少しずつ強さを増している。

 

「まぁ、合流できたのだからよしとしよう。それよりも、そこの狼人どのを説得するのを手伝ってくれ。どうやらこの先に、入ってほしくないらしい」

 

 肩越しに女に目をやれば、その髪が大きく揺れるのが見えた。風が強くなり始めている。空模様もますます暗く、淀み始めている。

 

「ああすまない狼人どの、自己紹介がまだだった。まずそちらの男だが、【メビウスリング】だ。メビウスと呼んでやってくれ。彼は口が利けなくてね、代わりに紹介させてもらうのを許してほしい」

「喋っていないだけだ」

 

 メビウスリング、と呼ばれた男は女の言葉に不満を隠さず口を開いた。その表情を、さらに強くなった降雪が遮り始める。

 

「【エース】。話は後だ。退くぞ」

「ん、何故かね? 目的地は目の前だろう?」

「天気が悪い。後日だ」

「……ふむ」

 

 男に言われて考える仕草を見せた女の頭に、既に雪が厚く積もり始めている。これが、ただの天候の悪化なのか。俺はそれを、静かに、緊張を漲らせて見極めんとしていた。その集中を乱すように、女が風の中でもよく通る美しい声を上げる。

 

「と、そういうわけだ! 狼人どの、私たちは、君の言う通り今日は帰ろうかと思う! 時間を取らせてすまなかった! また後日、ゆっくりと――――」

「そこの男」

 

 俺は女の言葉を遮って、男に問いを投げる。女が不満げにむっとした顔をしたが、俺は無視して男に向き直った。

 

「…………ここに来るまでに、崩れた城壁じみたものを見たか? そこを超えてきてはいないか?」

「……ああ。崩れ、空いた場所を通った」

「そうか」

 

 男の問いを聞き終えた俺は素早く左の手斧を仕舞い、右の紐付きを振るって木の枝に引っ掛け、それを引くことで大きく跳躍した。そしてひと際大きな枯れ木の枝へと飛び乗って眼下の二人に向けて声を荒げる。

 

「着いてこい! 話は後だ、一旦この場を離れるぞ!!」

「…………どういうことかな」

 

 俺の言葉に首を傾げた女が、男に向けて問いかける。男も不思議そうだったが、俺の慌てように、周囲を警戒していた。それが功を制した。

 

 

 

 次瞬、雪を跳ね飛ばして駆けた男が女を抱え上げて飛びのくのと巨大な影がその場に降り立ったのは、正に紙一重の差だった。

 

 

 

「……そう言う事か」

 

 納得したような呟きを零す女の前に現れたのは、巨大な獣だった。馬のような造形でありながら、その体躯は遥かに巨大で、頭部には一対の角を生やし、全身に鱗のような結晶体を纏っている。そして身を震わせるような冷気を漏らすその姿は正しく――――俺の警戒していた――――【霊獣】、そのものだった。

 

「随分なのが出てきたな」

 

 男に降ろされた女が、背にしていた槍を抜いて小さく笑った。しかし、その眼前で霊獣が小さく(いなな)くと、突然横殴りの吹雪が吹き荒れて、それが過ぎたときには霊獣の姿はその場から消え去っていた。

 

「…………?」

 

 首を傾げる女、周囲を睨む男。女はともかく、男は緊張に満ちた佇まいであったが、俺からすれば不十分に過ぎた。アレは、そう簡単にどうにかなるものではない。俺は再び、二人に向けて声を荒げる。

 

「何をしている! お前たちとて、命は惜しいだろう!?」

「いやあ、そうは言うが……」

 

 何事か、呟こうとした女。その時、吹雪とともに再出現していた霊獣は女を踏みつぶさんとその巨体を持ち上げていた。

 

 振り下ろされる蹄。一撃で雪原に大穴を開けるほどの破壊力を持つそれを前にして、女は余裕を崩さない。気づいていないのか!? だが、俺が叫ぼうとしてももはや遅い。そのまま、女は成す術も無く雪原に赤い染みを――――

 

「我々、そう弱くは無いのでね」

 

 俺の幻視を振り払うかのように、女は槍を振りぬいていた。その威力は圧倒的に巨大であった霊獣の踏み付けを跳ね返すほどの威力だった。何が起きた、と目を見張る俺を尻目に、槍を振りぬいたままの女の肩を足場にして男が跳びあがり、そして、握りしめた長剣を横薙ぎに振り払う。

 

 

 

 周囲の雪を跳ね飛ばすほどの空圧を伴い放たれた一閃は、その一撃でもって霊獣の首を過たず切断していた。

 

 

 

 零れ落ちた首が雪に叩きつけられると同時に、その首と体がまるで散るように氷となって霧散する。俺はその光景を目にして、余りの事に呆然とするばかりだ。

 

「どうかな、狼人どの。我々、自慢ではないがそれなりに腕に覚えはある。この先に行くのを君が心配して止めていてくれたのなら、今のでその心配を払拭してくれはしないだろうか」

 

 にっこりと微笑んで女が俺に向け肩を竦めた。確かに、理解できた。あの二人が、俺が今まで見た異邦人の中でも別格の実力を持つという事。霊獣()()()()()()容易く撃破しうる、凄まじい実力だ。その気になれば、俺などさっさと始末してこの先に進めただろう。さらには、その目に宿る強い意志。物腰は柔らかであったが、伊達や酔狂で、この先に進もうとしているのではない事も分かった。何か、訳があるのだろう。そして、もうひとつわかった事がある。

 

 

 

「なんと言う事を……」

 

 

 

 彼らが完璧に、【霊獣】を怒らせたという事だ。

 

 再び吹雪が雪原を駆け抜け、枯れ果てた針葉樹を揺らす。果たしてそこには傷一つない、猛々しく鼻を鳴らす霊獣が再び出現していた。

 

「ふむ。なるほど。そう容易くないのは、向こうも同じか」

 

 【エース】と呼ばれたエルフの女が槍を振るい、穂先についた血を振り払う動作を見せる。だが、そこに血はついていなかった。僅かに凍り付いた結晶が残るのみ。エースは僅かに訝しんだが、メビウスリングが一歩踏みだすと視線を霊獣へと戻し、好戦的な笑みを見せた。

 

「まぁ、それなら何度でも倒すだけだ。生半な獣ではないようだが、一対二である以上……」

 

 吹雪が吹き、もう一体霊獣が出現する。

 

「二対二か。良いだろう。私たちに――――」

 

 吹雪が吹く。霊獣が現れる。

 

「二対三か。まぁ、なんとか――――」

 

 吹雪が吹く、霊獣が現れる。

 

「二対五か、うむ、その、少しだね……」

 

 吹雪。出現。

 

「七体か、少し手心を…………」

 

 吹雪、出現。

 

「十体か。ううむ、流石に………………」

「エース」

 

 吹雪、出現。もはや途切れることなく吹きすさび始めた吹雪によって閉ざされた視界の中ですら、十体以上の霊獣がこの場にいるのは明らかであり、もはや手に負えないのは明白だった。緊張に身を強張らせメビウスリングが一歩後ずさる。エースが顔を引きつらせながら霊獣を一体一体見据えて行く。

 

「……ひい、ふう、みい。十五体か。勘弁してはくれないか」

「エース!」

「逃げるぞ! 来い!!」

 

 絶望的な状況をわざわざ確認するエースに向けて俺とメビウスリングが叫んだその瞬間、霊獣の群れが一斉にこちらに向けて飛び掛かった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。