『港町オリヴァー:ジョシュア』
オリヴァーポート。ヴェルド海を望む海岸線沿いにあるこの港町は今、全盛を迎えている。
ここ二年の間に起きた海洋系モンスターの急速な減少と、それによる海産資源の大豊漁。それによって漁師たちは皆豊かになり、そのうわさを聞き付けて入植者が増え、安全な海を目当てにした観光業者までが集まる。それに留まらず、多少遠回りでもモンスターによる襲撃が少ないこの海域を中継点とする船も増え、富も人も大いに沸き立っている。
そんな、希望と熱気に沸く町の一角を、男が歩いていた。
白く歪んだ『目』のエンブレムを背に刻んだ上着を纏う、2Mに届かんばかりの長身。白い髪を後ろへ撫で付け、顔には壮年に差し掛かったと思しき皺を刻みながらも、その肉体には全盛の張りを残す。武具の類は今は手にしていないが、見るものが見れば、男の手には得物を握り締め続けたもの特有の
――――名を、ジョシュア・オブライエン。ギルドより下された【
日か上り、海から戻ってきた漁師たちが魚を引き揚げる喧騒から遠く、近年造成されたばかりの住宅地を彼は穏やかな顔で進んでゆき、そのうち港の活気が静かになる程の距離を歩んだころ、『CLOSED』と看板を出した喫茶店の戸を開き、中へその身を滑り込ませた。
「いらっしゃいませニャ! ってジョシュアさん! いつもご苦労様ですニャ!!」
「ああ、
「はいニャ! 少々お待ちを!」
愛想よく笑う看板娘の
「……開店一時間前だ。仕事熱心なのは構わないが、俺にまでそれを要求するな……」
やってきたのは、この世の全てに疲れたような目をした大柄な
「今日は何の用だ? 仕事時間外に俺を働かせるとなれば、贅沢な出費になるというのはわかっているだろう」
「わかっているさ。だが一度、お前の意見を聞いておきたくてな」
「何?」
贔屓目に見ても乗り気でない男に対し、ジョシュアは懐から幾枚かの羊皮紙を取り出し、近くのテーブルの上に広げて見せた。
「これは?」
「先日、【
ジョシュアの言葉を聞くと、男は書類を手に取り僅かな合間に目を通し終える。そして煙草を灰皿でもみ消しながら煙交じりのため息をつき、椅子を引いて座ると天を仰いで寄り掛かった。
「【嵐】と【無名】に喧嘩を売るとは、どこの命知らずどもだ? うんざりだ……竜種の相手は【谷】のだけでも手間だと云うのに……何をしたのか分かってやっているのか……?」
「同感だ、あそこは【黒竜】の傘下にない竜の集う地。近年は竜たちも遠征をせずに大人しくしている以上、無暗に刺激するべきではない」
「そうだな……」
「だが黒竜自身の動きも気にかかる……。谷の結界をいかに抜けてあの島に出現しているのか、そもそもの理由も分からん……」
「眷属の竜どもが現れないのも不思議なところだ。単身で来るからにはあそこに何かワケがあるのだろうが、情報がまるで無くてな……ハア……」
「【メラナット】か…………」
ジョシュアは窓へと、外の景色へと目をやった。いくつもの漁船が浮かぶ海の向こうに霧と、そこに映る島の影が見える。【メラナット】。何らかの要因にて周辺海域は常に霧に包まれ海流が逆巻き、向かった者はいても戻った者のいない魔の島。古代、何らかの戦いがあった――――そう付近の古遺跡に残された石板にはあったが、その信憑性を証明できるものはない。この海域を通過するようになった船たちもあの島だけは大きく避けて航行している。
そんな魔の島が更なる魔性、怪物の頂点たる【黒竜】の飛来によってオリヴァー周辺のモンスターたちを遠ざけているらしい、というのは皮肉であるが……その事実を知るものはこの街で権力を持つ、恐怖よりも実利、街の豊かさを取った数名、そしてこの店の店主とジョシュアくらいのものだ。
その現実にか、彼方の島を睨みつけるジョシュアに、座ったまま天井を見つめる男は忠告するように肩を竦めた。
「ひとまずだ……下手に動くのはやめておけ。近頃は世間がきな臭い。【EGF】が相変わらず無辜の民の支持を広げているし、【ラキア王国】にも動きがある。おまけに遥か【テルスキュラ】では主神と主力が海を渡ったらしい」
「……【カーリー・ファミリア】のアマゾネスたちが? この時期に何の目的で……」
「さあな。オラリオ方面に向かったとのうわさを聞いたが、事実であればロクな事にはなるまい……」
男はまた一度天を仰ぎため息をつくと、看板娘の持ってきたコーヒーカップに口をつけ、今度はうつむきながらため息を吐いた。
「まずい。お前はフィーカを淹れるのが一向にうまくならないな」
「ニャんですと!? 前言われた所はちゃんと
「沸騰したばかりの湯を使ったろう。客に出せるようになるには、またしばらくかかりそうだな……」
「う゛うっ……しょ、精進しますニャー…………」
とぼとぼと肩を落として歩いてゆく看板娘に一瞥もくれることもなく、書類に再度目を通しながら男はちびちびとコーヒーを口にする。その様子が少し不思議に思えて、ジョシュアは彼に尋ねてみることにした。
「そのコーヒー、聞く限りでは失敗作なようだが……飲むのかね?」
「まずいフィーカにはまずいフィーカなりの味がある。うんざりするが……その選択も、人間の特権だ」
視線を寄越さず、達観したような顔で書類を読み続ける男にジョシュアは一度苦笑いをして、踵を返し店の戸へと向かう。その途中、立ち止まって首だけを巡らせると、手をひらひらと振って男に別れの挨拶をした。
「君が言うならそういうものなのだろう。ではな【オキーフ】。私は仕事に戻るとするよ」
「次は営業中に喫茶の客として来てくれ。でなければ事前に話を通すことだ」
「ああ、了解した。また来る」
そう言って、ジョシュアは店を離れてゆく。オキーフと呼ばれた男はそれからしばらくコーヒーにちびちびと口をつけ書類を読んでいたが、煙草に火を点けようとした瞬間にカウンター奥から響いてきた「ニ゛ャーーーー!!!」という悲鳴と何かが砕け割れる音を聞いて額に手を当て、書類を懐に突っ込みうんざりとした顔で席を立った。