午後六時前。格納庫はほとんどの作業員が退散していて、残るのは整備士のリーダーであるマテリアと数人だけだ。艦にいる人間は三十人程度。だというのに、漂う緊張感故か、空気は重々しく感じられた。
アッシュはすでに海中へ潜り、ニールらパイロットもコクピットにおさまっている。ゆっくりと船のハッチが開いて、夕暮れの光が網膜を刺した。
『目標地点まで、距離二千。各機、出撃の準備を』
コクピットのスピーカーから、艦内放送が響く。
『機体をカタパルトデッキへ移動、射出準備完了。アイアス、発進です』
『了解。アイアス、エイヴィリー・ミシェル、出撃する』
深く呼吸をするニールのもとに、『ロックちゃん』と声がかかる。それに応じると、開いたウィンドウにはマテリアが映っていた。
『機体を少し調整したのだけれど、あとでレポートをくれるかしら? 具体的には、レスポンスの速度が上昇しているはずだわ』
「了解。二度目の出撃だからな。慎重にいくさ」
『前に貴方のアヘッドを調整したときも思ったけれど、ロックちゃんは機体を雑に扱わないから嬉しいわ。その慎重さは貴方だけでなく私が助かるものでもあるのよ』
「そりゃありがたい話だな。マテリアの調整はいつも精密ですげえよ」
『続いて、シュネーヴァルツァ。発進です』
『オーケー。シュネーヴァルツァ、グリシルデ・シュミット、出るわよ』
アレーティアが来るまで、ニールは狙撃専用にチューンナップしたアヘッドを使用していた。GNランスのような近接武器を装備することが基本であるアヘッドを、ライフル程度ならともかく狙撃武器を使うために調整することは容易ではない。
ニールの細かい注文に応え、アレーティアに乗る以前まで相棒として戦わせてくれたマテリアを、ニールは信頼している。マテリアは整備士だけではなく、設計士としても優秀だ。
今回の新型四機は、彼女が設計したものなのだから。
『アヘッド全機、出撃完了。アレーティア、リニアカタパルトデッキに移動します』
ゆっくりとコクピットの風景が流れ、やがて電灯だけの薄暗い空間へと停止する。
『射出準備完了。アレーティア、出撃です』
「了解。アレーティア、ロックオン・シューター、狙い撃つぜ」
その名の通りに。
コクピットの右側にセットされたハロが、無言で瞳を光らせる。
ニールは射出でかかる重圧に身を任せて、夕暮れの海上にアレーティアを飛翔させた。
真っ赤に燃える空と同化して、七機のモビルスーツが飛ぶ。
その先頭にはアイアス。その装甲を夕焼けに染めて、盾もオレンジ色を映していた。
『目標を確認。ガンダム、既に出撃しています』
『了解。エンゲージのタイミングはお前さんに任せる』
後方から、ニールが応答する。彼はアレーティアのフルシールドをぴっちりと閉じて、ミノムシのような状態で移動している。
眼前には、粒子のチャージを開始した砲撃型ことセラヴィーの姿。
『砲撃型の粒子のチャージを確認。──[[rb:戦闘開始 > エンゲージ]]!』
アイアスが両腕を前面に向ける。左右二十四の砲門が開き、圧縮粒子を放つ直前のセラヴィーにビームが降り注いだ。
『テッキセッキン、テッキセッキン』
敵艦からダブルオーが飛翔するのを、眼鏡を外したニールの目はしっかりと捉えていた。ハロの言葉と己の判断力を以て、ニールはアレーティアを操る。
『着弾無し。砲撃型の意識はこちらに向いています!』
『了解!』
数人の返事が重なって、セラヴィーに攻撃を開始する。不意打ちにより崩れた体制は立て直され、ソレスタルビーイングも交戦の準備は整ったようだ。
数百メートルほど離れた先に、GNソードⅡを握ったダブルオーの姿がある。
それをしっかりと両目で捉えて、接近してくるダブルオーを牽制しながらニールは問う。
『ゼルデは?』
『上空で羽付きと交戦。単騎での戦闘です』
『そろそろ狙撃型の出てくる頃合だ。援護は期待すんなよ?』
『期待してないわよ、ロックオン! 逆に私が援護するけど!?』
『お前さんの援護は援護にならないだろ』
『グリシルデ、ヘタクソ! グリシルデ、ヘタクソ!』
『下手くそで悪かったわね! ……く、流石に速いっ』
少しだけ和らいだ雰囲気は、ダブルオーの接近により瞬時に張りつめる。
ニールは機体の操作をハロに任せて、狙撃用のユニットを手に取った。右目でスコープを覗き、映るダブルオーの姿にすうっと焦点が合って──GNランチャーⅡから放たれた細い砲撃が、鋭くダブルオーを狙い撃った。
瞬時に取られる回避運動。だが、盾が無ければ間違いなく被弾していた。迫ってくる機体に砲身を畳み、GNガンブレードを抜いてニールは冷たく笑った。
──そして、衝突。
剣と銃身が鍔迫り合い、光を散らす。
『ようガンダム、近接戦は予想外か?』
『ッ、お前、は……』
接触通信によりもたらされる会話。困惑したパイロットの声を無視してニールは引き金を引く。
『あー、どっかの誰かさんと勘違いしてるんだろ? 残念ながら、別人だ』
音声のみの通信で、息を吸う音がはっきりと聞こえた。どうせ、考え込んだところで答えには辿り着かないのだ。その心当たりは、味方にいるのだから。そしてそれを誤認するほどガンダムのパイロットは愚かではない、はず。
『二個付きの、ガンダム』
両手に握られた銃で刃を受ける。近接には自信があるらしく、打撃を叩き込みに来た盾を畳んだフルシールドで防御。
『お前には、ここで、いなくなってもらう』
冷えきった声で、ニールは告げた。
狙撃型──ライルが搭乗していると思われる機体は、まだ出てこない。幸運なことに、一対一になれるというわけだ。
ニールは不敵に笑うと、操縦桿を操る。
眼前で放たれるビーム。それを瞬時に回避して、ダブルオーはアレーティアに剣を振り下ろす。鋭い一撃に即座に対応、格闘用に作られたGNガンブレードがその刃を受け流した。
アレーティアが離脱し、両手のガンブレードからビームを連射する。アレーティアは明らかに形勢不利と見えた。当たり前だ。近接戦闘を主体とする機体に、後方支援機が適うはずなどない。しかし、先刻からダブルオーは、少しのダメージもアレーティアに与えられていなかった。致命的となる攻撃は全て、寸前のところで回避されている。
圧倒的有利な距離で、まるで、この戦いの主導権を彼に握られているような。
何故、と刹那・F・セイエイは考える。それと同時に、ニールは言った。
『ハッ、何故……なんて、思ってるか?』
『──ッ!』
『何故だろうなぁ?』
く、とニールは笑う。ニールには、はっきりとパイロットの焦りが見えていた。そして刹那の取るであろう行動も、その次の行動も。
ここに限ってだけ言えば、フェイントを混ぜることに意味などない。ニールには、ダブルオーが次にとる行動が予測できていた。
『気付かないんだなあ。ガンダムパイロットさんよ』
『何のことだ……!』
彼の本能が危機を知らせたのだろう。装甲が薄赤く染まり、それに呼応してダブルオーが馬鹿げた速度で暴れだす。ニールは全く焦らない。寧ろ、アレーティアがダブルオーの攻撃を避ける精密さは上がったようにさえ見える。
『どうしてッ……』
『俺がお前さんの動きを予想できる、それだけだよ。簡単だろ?』
ガンダムの全身が赤く発光し、凄まじい機体性能を発揮することができるのをニールは知っている。しかしダブルオーの動きは変わらず予測できるまま。あとは、どれだけアレーティアを上手く操り、敵を落とすかを考えるだけ。
そしてニールは、シミュレーションと実戦を重ねてきた。ある時は生身で、ある時はモビルスーツで、繰り返し狙い撃った。何度も、何度も何度も何度も。
『狙撃手に負けるなんて、惨めだなあ?』
『ッ、負けるはずが……!』
焦った声が聞こえる。落ちたな、とニールは笑った。
既に冷静な判断など出来なくなっているはず。いくら性能が良かろうが、動きが良かろうが、パイロットの頭が冷静でなければ戦いの結果など見えている。
装甲が断ち切られたのを確認すると同時に、通信の向こうでニールが笑った。その声はひどく冷たく、乾いたものでコクピット内に響く。ダブルオーの右手足が失われたことを、モニタのウィンドウとアラートが喧しく知らせていた。
信じられなかった。
ダブルオーを装備したダブルオーが、これ程まで一方的に損傷するなど。
目を見開き、無意識のうちに刹那は呟いていた。
『いつの間に──』
『さあな』
ニールは言い放ち、ダブルオーを容赦なく蹴り落とした。派手な水しぶきが上がり、海中に落とされたダブルオーは、水泡を纏いながら深く沈んでいく。
『そこで少し、頭を冷やすんだな』
白い装甲が水に染まる姿を見下ろし、ニールはそう呟いた。
ダブルオーが深緑色の機体と戦闘状態に入ったのを見ながら、もうひとりのロックオン/ライル・ディランディは出撃の準備が整うのを待つ。ライフル型の照準器を覗きながらまだかまだかと焦り、ついで己を疑う光景を目にする。
交戦中のモビルスーツは一機。そのフォルムはジンクスにもアヘッドにも似ておらず、どちらかと言えばこちら──ガンダムのそれに近いように思えた。スラスターから吹き出す粒子の色はオレンジであることから擬似GNドライヴを搭載していることは間違いない。全身のカラーリングも赤ではなく深緑と黒をベースにしたもので、先日のピラー倒壊の際に自分を撃ったものだと理解した。
剣を振るうダブルオーの攻撃を受けているのはピストルの銃身。何故かは分からないが、恐ろしいほどの胸騒ぎを感じた。
いずれにせよ──近接戦闘に長けた刹那を相手に、点での攻撃しかできない拳銃で渡り合っているのだから、敵のパイロットは相当の強者だ。
『ロックオン、いけるぞ! 手間取って悪い……!』
整備士のイアン・ヴァスティから通信が入る。ライルはようやくかと保持していた照準器を戻し、操縦桿を掴む。
瞬間、全面モニタの向こうでダブルオーが海に叩きつけられる。凄まじい速度だった。墜落、と言えるほどの。
『刹那ぁっ』
ライルは叫んだ。水柱を立てて消えるダブルオーに不安が広がる。
『損傷軽微……っ。それより、すまない。直ぐに戻る』
明らかに損傷軽微ではない声。しかし構っていられる暇などない。続けてライルは問う。
『復帰までは』
『少しかかる。オーライザーのシステムがダウンした』
『わかった、俺は黒いのを迎撃する』
『待てロックオン、その機体には──』
『とにかく出る! このままじゃまずいだろ!』
プトレマイオスのハッチからケルディムが飛び立つ。GNスナイパーライフルを握るケルディムに敵機からのビームが放たれ咄嗟に速度を上げた。
『漸く来たか。遅かったな?』
当然だが、ニールの声はライルに届いていない。開いた距離の中でライルはライフルを構え、スコープを覗いた。同時に、レンズの向こうから見えるのは肩のランチャーを展開したモビルスーツ。得物こそ違えど、狙撃手二人の邂逅はこれであった。
双方が射撃体勢をとる。右眼に装備されたカメラアイと、頭部前面に装備されたガンカメラ。レンズ越しに視線がかち合って、瞬間、二人はトリガーを引いた。
放たれる二本のビーム。そこまでは同じ。しかし齎された結果は、全く違うものであった。
『ハズレタ、ハズレタ』
『外したんだよ。当てりゃ死ぬだろ?』
ニールはニヤリと笑って、狙撃ユニットを格納する。
狙撃手同士の戦い。その勝敗は、決していた。
ガンカメラの損傷。狙撃特化のケルディムからすれば、甚大と言える被害だ。対して、アレーティアは余裕をもって狙撃を回避していた。
ライルは即座にライフルを捨てる。敢えてのことか。ガンカメラを狙えるということは、頭部を吹き飛ばす事だってできたはず。狙撃では勝てないと、たった一度の撃ち合いで理解してしまった。この結果は、偶然ではない。正しい結末が、正しいルートでもって導き出されただけだ。
──こんな狙撃手が、アロウズにいるのかよ!
僅かに焦りが浮かぶ。ならば前に出るしかない。己の領域は遠距離ではなく、GNビームピストルⅡの連射能力を活かした近接戦だ。二挺のビームピストルを抜いて、ケルディムはアレーティアに迫った。
『くそっ、ハロ!』
ライルは繰り返し引き金を引く。ランチャーを畳む間も与えずケルディムはビームを撃ち続けて、アレーティアの銃撃をシールドビットで防ぐ。
当たらない。何度やっても、掠めることすらできない。逆にこちらは、シールドビットが無ければ被弾していた。狙撃機体が本来苦手とするはずの近接戦闘で。
だが、アレーティアを操るニールの方もギリギリであった。ライルに悟られてこそいないが、刹那のものと違い先の読めない攻撃に神経がすり減っていくのを感じる。思わずと言ったふうに打撃を加えてきたピストルに一瞬衝撃を受けながら、ニールはケルディムに乗ったライルへ声を掛ける。
『速いだけじゃ、当たらねえよ』
『……な、』
『違うだろライル。銃っていうのはなぁ』
やはりパイロットは弟──ライルだったらしい。声を聞いた彼は動揺のあまりか一瞬、攻撃の手を止めてしまった。
『こうやって扱うんだよ』
『っ兄さん……!?』
その隙をニールが見逃すはずもない。GNガンブレードから連射されたビームが、ケルディムの装甲を撃ち抜いて破砕した。
『ああそうだ、お前の兄のニール・ディランディだよ。なあ、ライル』
軽い調子で放たれていた言葉が、不意に低く沈む。
『どうしてお前さんはここにいるんだ?』
『……なんで、』
その問いに、ライルは驚愕した。だって、兄は自分と同じロックオン・ストラトスの、先代で。己の復讐の為に命を失ったガンダムマイスターで。
『兄さんこそ! どうして生きて……なんで、アロウズなんかにいるんだよ!』
『答えろ、ライル。久々の再会がこんな形なんて、兄さんは悲しいぞ?』
少しだけ、かつて兄弟として会話をしていた時のような声色でニールが言った。しかしあまりに衝撃的な事実にライルは会話を忘れてしまう。
それを察してか、ニールは回線の向こうに向かって告げる。
『分かったよ、ライル。降りてこい、話をしよう』
アレーティアがガンブレードを腰に納めて、ニールは機体をプトレマイオスのある孤島へ向けた。本当に話をする気なのだとライルは理解して、アレーティアを追う。
正確に言うならば、ライルにはそれしか選択肢がなかった。死んだと思われていた、唯一の肉親を何の躊躇いもなく撃てるほど、ライルは冷徹になりきれていない。
ニールはちらりと島の向こうを見る。注意して見なければわからないほど、精巧なカモフラージュをしたガラテアが、上陸した所だった。大型の鳥ほどのサイズのスクワイアが飛翔する。母艦の落ちるまでは秒読みだとニールは呟き、アレーティアを地面に下ろした。
「ハロ、機体を頼む」
「マカサレテ、マカサレテ」
コクピットのハッチを開く。アレーティアから降りたニールは、対面するケルディムから降りてくるのを待ってヘルメットを脱いだ。
「な……」
記憶にあるものとは違う、兄の姿に、絶句した。
髪の色も、目の色も、最後に見た時と変わらない。しかし、その瞳が宿す光は、表情は、自分の知るニール・ディランディとはかけ離れたものだったから。
数年間で伸びたのであろう栗色の髪は横で編まれていた。その顔から首にかけてにはひどい傷跡が走っていて、悲惨な状況からの生還を連想させる。なにより衝撃を受けたのは、失ったと聞いていた右目がじっと、こちらを見つめていること。
喜ばしいはずの兄との再会を、ライルは素直に喜ぶ事ができなかった。
「久しぶりだな、ライル」
「兄さ、」
瞬間、耳に残る破裂音。直後に凄まじい違和感が両肩から走って、さらに二発、銃声が轟く。
冷たい視線でライルを射抜き、ニールを撃った右手には、スナイパーとして世界を駆け回っていた頃から使用していた拳銃──ストリージが、握られていた。
今度は両足。太い血管を避けての正確な銃撃は、ライルを殺したい訳では無いことを示していて。しばらくふらついたあと、ライルはバランスを崩して転倒した。
その姿を見ながら、相変わらずライルは甘いなあと苦笑して、ニールは彼の元へ歩み寄る。
「はは、ヘルメット被ったまんまじゃ、聞こえねえよ?」
ニールはヘルメットに手をかける。思いのほかあっさりとヘルメットは外れて、自分と同じ、しかし傷跡のない綺麗な顔が夕焼けのもとに晒され、苦しげに歪められていた。
「にー、さん……どうして……」
ライルの瞳は絶望と混乱を宿していて、信じられない、と言いたげだ。
とぼけている──としか思えない。どうして、など。
「どうして……? どうして、だと……!?」
無意識に低く唸るような発声になる。怒りが身体の奥から湧き上がって肩が震える。
「紛争根絶なんてふざけた理念のもとに動く、テロリストのお前が、それを、言うのか?」
「兄さん、なにを言って」
「父さんも母さんもエイミーも、テロで死んだ! そして俺も、お前たちの武力介入に巻き込まれて、右目と右手、左脚を失ったッ! なのにお前は……お前は……っ!」
激情のまま放たれた声は唸りに近かった。ライルには訳が分からなかった。ライルが聞いているのは、兄であるニールがロックオン・ストラトスで、仇を討ち果たす為己の命を失ったことだけ。だというのに、ニールはテロを──ソレスタルビーイングを憎悪し、ライルに銃口を向けている。
かつて、自分が属していた組織をこれ程までに憎み、滅ぼそうとするなど有り得るのか? 有り得ない、とは思わない。だが、ニールは言っていなかったか。右目と右手、左足を武力介入で喪失したと。
兄の怪我は……少なくとも右目は、仲間を庇って出来たものではなかったのか?
その違和感を口にする前に、ニールが言った。
「……いや、それをお前さんに言ったって仕方ないな。──[[rb:アロウズ > こっち]]に来い、ライル。ソレスタルビーイングは、お前のいるべき場所じゃない」
ニールの言葉に、ライルは目を見開いた。
「兄さん、は」
「俺はテロが憎い。だから、アロウズに志願した。お前さんもそれなりの理由があってそこに居るんだろうけどな……それは、間違いなんだよ、分かるな?」
優しささえ見える微笑みが、ライルに向けられる。幼い頃、なんども見たはずのその表情に、言い様のない恐ろしさを覚えた。
「な? ライルなら、分かるだろ」
ライルは自身の表情筋が引き攣るのを感じる。
兄の言い方は、わがままを言った弟に言い聞かせるような、そんな言い方だった。少なくともライルには、そういうふうに見える。そしてその隙間から覗く昏い感情が見間違いでないのなら、──兄は、間違いなく狂っている!
ニールは笑顔のままで、ライルの顎を捕らえた。
「ぐ……」
「頷くまでは、離してやらない」
『いいお兄さん』の顔をして、ニールはそう言った。
身を捩って逃れようとするがかなわない。ぐっと傷口ごと肩を押さえられて、痛みに体が跳ねる。じわじわと広がる痛みに苛まれながら、ライルは戸惑いを隠せずにいた。
俺が間違っているのか? 兄の乗るはずだったレールの上に、いるのが? 兄の言うように、アロウズが正しいのか?
カタロンは、ソレスタルビーイングは、間違っているのか……?
微笑むニールが、何か自分と違う、恐ろしいものに見える。どういうことだ。何が兄さんをこんな風にしたんだ。混乱する思考の中で薄ら寒いものを感じ、ライルはこくこくと頷く。
「いい子だ」
強く顎を掴んでいた手が離れる。頭を撫でるニールの手は優しくて、やはり兄は狂っているのだと確信した。そして。
動くならば、
「っ、ライル!」
ここしか、ない!
ニールを突き飛ばしてライルは走る。血を流し縺れる足に躓いて、その横を銃弾が掠めた。
「俺は、兄さんとは行かない! アロウズのやり方は、間違ってる、ぐあっ!」
肩を再び銃弾が貫いた。立ち上がり、拳銃を握ったニールの表情は、能面のように無かった。残るのは、暗い炎のような殺気のちらつく双眸だけ。
「兄さんは、間違ってる……!」
ハッ、とニールは非対称に唇の端を吊り上げた。
「テロリストにそんなことを言われるとは思わなかったよ。……なら、どんな手段を取られても文句は言わねえよな。俺はお前を、殺してでも連れていく」
降下用のワイヤーを掴んで、ライルはコクピットに上昇する。流れた血で手が滑り、身体をいくつもの拳銃弾が抉る。
コクピットに収まるまでが永遠のように感じた。数発の銃弾に貫通された身体が灼熱の痛みを訴え、操縦桿を握る手が震える。それだけではない。兄が迷いなく銃口を向け引き金を引いたことに、ライルは衝撃を受けていた。
「兄さん……俺、は……っ」
発した声は、震えていた。
「ライル。俺は」
口に出した言葉は殆ど同じであるが、対照的に、ニールの声は殺意と怒りに研ぎ澄まされていた。
冷静にコクピットに乗り込み、ニールは掛けられている狙撃用のユニットを下ろす。
行動すらも対極にあって、離脱しようと飛翔したケルディムに向かって肩のランチャーを展開、ぎらりとその瞳を輝かせ、ニールは目標を捉える。威力を小に設定。照準器を覗き、トリガーを絞った。
瞬時にケルディムの右手が撃ち抜かれ手としての機能を喪失する。兄には殺す気がないのだ。殺してでも連れていくとは言ったが、重傷程度で済ませるつもりらしい。方向転換をした直後に、今度は右足が半壊。
『くそっどうすれば兄さんを……』
目の前をアリオスとシュネーヴァルツァが通り過ぎる。高機動機たるアリオスに追随するモビルスーツ、と目を見開いたライルに再びビームが発射された。
ニールが設定したビームのレベルは、中。モビルスーツであれば手足が消し飛ぶ威力だ。
ケルディムにはもう、攻撃を回避する余裕はない。
あったとしても距離が近すぎた。
ニールの指が、引き金を絞って。
粒子が充填される銃口の輝きが、ひどくゆっくりに見えた。
そして──