「じゃ、ハロ。行ってくる」
「ルスバン? ルスバン?」
「おう」
「サミシクナイ! サミシクナイ!」
「大丈夫だ、夜には帰ってくるさ」
Aiとは想えない天邪鬼ぶりをここでも発揮しながら、ハロが床を転がる。くすりと笑ってニールはハロを撫で、両手を広げると、本能──に当たるものがAIにあるのかは分からないが──には逆らえなかったのか、ハロがぴょんと胸に飛び込んでくる。
そのまま抱きしめると、ハロは目を点滅させて「ハロ、イッショ、ハロ、イッショ」と主張する。
「一緒に行きたいのか?」
「タノマレタラ、タノマレタラ」
別に頼まれたらついてやらんこともない、ということらしい。
ツンデレさんめ、とニールは笑って頷く。
「オーライ。一緒に行こうぜ」
ハロは腕から抜け、蓋を開閉させながら跳ねた。
それを見ながらニールはアタッシュケースの中身を確認する。外側を金属で覆われ、相応の重量があるそれには三つの銃が入っていた。
一つは、消音狙撃銃──VSS。愛称をヴィントレスといったそれは、サプレッサーとストックが取り外されている。
あとの二つは、全く同じ形の拳銃──アーセナル・ファイヤーアームズのストライク・ワン。旧ロシアでストリージと呼ばれていたものだ。それは脇のホルスターにしまって、鞄を閉じる。
いつ何時テロが起きてもおかしくないこのご時世ということもあって、ニールは数年前の裏稼業の時と同じようにそれを持っていた。今着用している私服もあいまって、鞄の中身を知っている者からすれば彼はスナイパー以外の何者でもない。
クロゼットからコートを取り出して羽織る。黒く光沢の抑えられた上着は、夜の街や路地裏であればニールを溶け込ませてしまうだろう。
「よし、行こうか。久々の地上だ」
色付きの眼鏡で目元を隠し、鼻までをコートに埋めたニールは口許をふと緩めた。
「では、一時間後にここで。刹那、フェルト、各自頼まれているものを買ったら自由にしよう」
「うん」
「了解」
ティエリアの提案に、刹那とフェルト・グレイスが頷いた。
三人がスメラギに命じられたのは買い出しだ。出航してメメントモリを破壊し、地上に落とされ、その後すぐにピラー崩壊があったのだ。カタロンに協力をして貰えたが、様々なものが不足しているのは言うまでもない。
ひっそりと海中にプトレマイオス2を沈め、ティエリアと刹那、フェルトはクライド軍港に潜入していた。
「じゃあ、また」
「ああ」
三人はそれぞれ必要なものを書いたデータを手に、別方向に歩き出す。
フェルトはミレイナ・ヴァスティに頼まれたものや、終わったあとに休憩をとる場所を考えながら街へと向かった。
同時刻、私服に着替えたグリシルデ・シュミットはフォルトゥナの出入口にいた。
『ゼルデ、今からできる最大限のお洒落をして、私と出掛けてくれるかしら? 上官命令よ』
マテリア・グレイの言葉に悪意や下心は感じ取れなかったが、地位を盾にされると頷くしか無かった。何かあればよべとエイヴィリーにも言われている事だし、とゼルデは私服に着替えて、マテリアを待っているのだった。
今できる最大限のお洒落とのことだったので、ゼルデは持っている数少ない見た目を考えた服を着ていた。黒いタイトのアコーディオンスカートに、ブーツと白いブラウス。ゼルデの気に入っている色の組み合わせである。化粧は薄く唇にリップをするのみで済ませて、髪は軽く整えただけだが。
コツン、と靴音が、ゼルデの目の前で止まる。
端末を弄っていたゼルデが顔を上げると、白いシャツに紺色のカーディガン、黒いスキニーの装いでマテリアが立っていた。
「はあい、ゼルデ。待たせたかしら?」
その佇まいに、肉体の性別こそ違うが「お姉さんみたいだな」──口をついて出そうになったのをこらえる。
「……いえ。そんなこと無いです」
「お姉さんみたい、じゃなくてお姉さんって思ってくれた方が嬉しいわねぇ」
なんだか心読まれてない? と首を傾げたゼルデに微笑んだ。
「アナタはわかりやすいわ。思っていることがすぐに顔に出るもの。じゃあ、行きましょ?」
「は、はいっ。えっと、どこに……?」
「アナタも女の子なんだから。お洒落しないとダメよ」
「今の私は軍人ですよ。そんなこと……」
「いいから。エイヴちゃんだっているでしょう? 帰ってきたあの子を吃驚させたくない?」
「エイヴィリーはそんな関係じゃ──」
「ほらほら歩いた歩いた。お姉さんは、ちゃあんと分かってるわ」
ゼルデの手を引いて、マテリアが女性物の服屋へと入る。早速とばかりに店員に声を掛けるマテリアを見て「これも悪くないかな」と折れてしまったゼルデは、「私は流されやすい訳じゃないのよ、違うのよ」などと言い訳をしたのであった。
「──よう、お嬢さん。相席してもいいかい?」
要件が全て終わり、カフェテリアのテラスで休憩していたフェルトに掛かる声。
「……ん、」
行き交う人を眺め、カップを傾けていた彼女はその言葉に顔を上げた。
その視線の先に立つのは、薄く色のついた眼鏡を掛け、季節の先取りをしているには重たすぎる黒い外套を纏った男。栗色の髪は横で編まれていて清潔な印象を与えるが、賑わう街に似つかわしくないその装いと、足元に転がるバレーボール大の黒いロボット。怪しさ全開の外見も気にならず、フェルトはその男に目を奪われた。
「あな、たは……」
「誰かと待ち合わせているなら悪いな」
「……い、いえ。そんなことは……ええと、どうぞ」
戸惑ったようなフェルトの言葉に、男──ニールは、「助かる」と微笑んで、対面の椅子に腰を下ろした。そうしてニールは荷物を置き、碧眼を伏せてふと息を吐いた。
フェルトは驚きのあまり、ニールを見つめたまま声を出せなかった。対してニールの方もどう反応していいかわからず、困ったような表情を浮かべる。
二人の間に、心地の悪い沈黙が広がった。
なぜこんな態度を取られているのか、なぜここに彼がいるのか。双方疑問を抱えながら時間が過ぎていく。
やがて店員がニールのもとにコーヒーを運んできて、「ごゆっくりどうぞ〜」と引っ込んだ。ニールは氷の浮いたグラスを黒い手袋のまま持ち上げて、一口飲んでテーブルに戻す。
この世に他人の空似という言葉があるのは知っていても、フェルトはそれを目にしたことは無い。
「あの」
「なあ」
二人が口を開いたのは同時だった。
「お先にどうぞ」
「先にどうぞ」
お互いに譲り合って、彼女の方からは話してくれないだろうと察してニールは尋ねる。
「お嬢さん、名前は?」
ああ、口説いてるみたいになっちまった。複雑な表情で俯くフェルトに、ニールは名乗ることにした。
「名前を聞く前に俺が言うべきだったな。俺は、」
「知ってる」
「え?」
「ニール……ニール・ディランディ。それが、貴方の、名前……違う?」
動揺したままのフェルトに出来たことは、ニールの言葉をさえぎって名を告げる事だけ。己の記憶と目が間違っていないのならば、目の前の男はきっと彼だと。あの日、彼が教えてくれた本当の名が現在のものであるかはフェルトにはわからない。それでもフェルトには、そう言わずには居られなかった。
今のニールにとって、その呼称は正しかったようだ。ニールは戸惑いながらも訊ねた。
「あ、ああ……それで、お嬢さんは?」
フェルト・グレイスであると、彼女は答えることが出来なかった。
「……マレーネ・ブラディ」
「いい名前だな。よろしく、マレーネ」
代わりに名乗った偽名。それを懐かしい声で呼ばれて、フェルトは答えられなかった。フェルトには確信があった。ニールに忘れられてしまっているのならば、自分の名前を呼んでもらう価値はない。そして呼ばれてしまえば、自分はきっと泣いてしまうと思ったから。
「なあ」疑問を覚えて、ニールは訊いた。「俺の名前、どこで知ったんだ?」
泣きそうに、フェルトの──マレーネの目が細められたのを、ニールは心配げに覗き込んだ。
噛んでいた唇を戦慄かせて、フェルトは言った。
「……貴方に、聞いたの。五年前に、宇宙で」
フェルトの言葉に、怪訝そうな顔をする。
彼女に会ったこともなければ、宇宙に行った記憶もない。
「俺は……」
口を開いたまま、言葉が出なくなる。真っ黒に思考が塗りつぶされる。自分が言ったのか、それとも誰かに言われたのか。闇の奥に誰かがいる気がする。でもその先を見ようとしても黒い靄がそれを隠し見えない。
闇だ。
何もない。
──何も、見えない。
「……ニール?」
「っ、」
「大丈夫? 凄く、顔色、悪い……」
紫紺の髪に赤い瞳、生真面目そうなテノールの声。知っている。知っているはずだ。記憶は無くても、体が、唇が、覚えていると言っている。
どうして何も知らないのだろう。どうして何も分からないのだろう。
「……ィエ、リア」
「ニールっ?」
俺は、忘れてしまっている。大切なことを、大切なものを、大切な、人を。
「ティエリア……っ!」
フェルトのことも頭から消えていて、右手で顔をおおったニールは呟いた。
色褪せる視界。
宇宙の中。
動かない仲間の機体。
応答しない彼は。
悪態をついて機体を飛ばす自分。
シールドを貫通して体を焼いた凄まじい熱。
「貴方は愚かだ」と非難する誰か。
ニールの脳裏に、フラッシュバックするいくつもの映像。
「マレー、ネ。君は、俺の事を、どこで……」
「わ、私は……」
回答をしかねて、フェルトは黙り込んだ。
心臓が早鐘を打ち、ニールは混乱したまま。緊張が最大級に達した時、
「マレーネ!」
立ち上がったニールはフェルトを抱き込んで床に伏せる。
直後──複数の場所から、轟音と悲鳴が響き渡った。
舞い上がる砂埃と物が倒れる音が折り重なって聞こえる。両目をぐっと閉じフェルトを庇ったニールは、それらが収まったと同時に目を開く。
「くそ……なんだってんだ……マレーネ、大丈夫か?」
「大丈夫……。ロ、っニール!」
目を見開いて、フェルトはニールを呼んだ。彼の眼鏡が割れて頬には深く切り傷が走り、じわじわと血が顎まで伝おうとしている。
「このくらい気にすんな、お前さんが無事ならいいさ。に、したって……」
ニールは爆風で倒れてしまったテーブルの下から、アタッシュケースを引っ張り出す。表面に僅かに擦り傷がついたがそれだけだ。
アタッシュケースを開いて部品を取り出し、組み立てた消音狙撃銃を持つ。ころん、と瓦礫の下から出てきたハロが静かに目を点滅させ、己の無事を主張した。
「静かにな、ハロ。分かってるとは思うが」
「は、ハロって、」
「こいつの名前。俺の優秀な相棒だ。マレーネは俺の後ろにいろ。これは多分……いや、間違いなく、テロだ」
柔らかい物腰から一転、鋭い表情になったニールは眼鏡を外してポケットへとしまう。傷跡の残る顔を日のもとに晒して、ニールは周囲を見渡しVSSのスコープを覗き込んだ。
静かに絞られる引き金。周囲の音に紛れて発射された亜音速弾は真っ直ぐに進んで、人に拳銃を向けなにやら怒鳴っていた男の頭を撃ち抜いた。即座の判断だった。
「……こちらロックオン・シューター特務大尉。至急応答を乞う」
しばらく時間があって、端末からオペレーターの声が届く。
『クライド軍港、ガイーシャ・ノトリアです。都市内で複数の爆発を確認、テロの可能性が高いと思われます。命令あるまで待機』
「了解。被害状況は?」
『軍施設には被害なし。都市部の十を超える箇所での爆発を確認しています。負傷者多数、……っ、犯行声明、来ました!』
再生される加工の入った男の声。仰々しい言い方をしていたが、要約すると『反連邦派のテロ』ということであった。
「くそったれが……」
「ニ、ニール」
「どうしたマレーネ。怪我でも」
「その……名前、ロックオン、って。それにニールは……軍人?」
悪態をついたニールに掛けられる声。フェルトの疑問は当然であった。名乗ったものとは別の名前で誰かと通信をしているなど怪しいに決まっている。
「……俺の名は、ロックオン・シューター。アロウズのモビルスーツパイロットだ」
ニール、ってのは俺の本名。皆には秘密な?
右手に銃を握ったまま、唇の前に人差し指を立てる。
予想出来たことだ。そのはずなのに、フェルトはまた、答えることは出来なかった。
『反連邦派は市民を人質に取っています。おそらく……』
『シューター特務大尉、今日はあれを持っていますか?』
オペレーターの声に、聞きなれた女性の声が割って入った。
「ミルティ少佐」
流石に姐さんなどとふざける状況ではなく、ニールは端的に答えた。
「ええ、持っていますが」
『ならばお願いがあります。既にシュミット少尉とグレイ大尉は街中にいるようですから。可能ならば合流しつつ、敵部隊を制圧してください』
「了解。二人の武器は?」
『既にスクワイアが運んでいるようですわ。貴方のL115A1も含めて。シュミット少尉に関しては、素手でも遅れを取るなど考えつきませんが』
「アッシュが?」
『基地に残っているようですわね。良いのか悪いのか……』
会話をしながらフェルトを庇い、ホルスターから抜いた拳銃のトリガーを引く。迷いのないその動作に酷く痛々しい表情をして、フェルトは俯いた。
ロックオンはもう、自分の知っているロックオン・ストラトスではないという事実を、叩きつけられたようなものだった。
「悪い、マレーネ。少し荒っぽくなるぞ」
「……だい、じょうぶ」
「強がりなさんな。君みたいな若いお嬢さんにはきついだろう」
そうは言ったが、目の前でニールが人を撃ち殺しても、怖がることの無いフェルトに「感情の起伏があまりないのか?」と思う。だが、僅かではあるが彼女は複数の感情をニールに見せてくれている。
あるいは慣れているのか。実は彼女が軍人だった──などという展開も有り得ないとは言わない。
「マレーネ。銃は扱えるか?」
「多分。訓練は受けてる」
「訓練? マレーネは軍人なのか……いや、今はいい。じゃあ、これは持っていろ」
ニールは二挺あるストリージの片方を渡す。フェルトは相応の重量のあるそれを受け取って、「珍しい、銃だね」と呟いた。
「アーセナル・ファイヤーアームズのストライク・ワン。かなり昔のモンだが、ちゃんと作動する」
ニールは閉じたアタッシュケースを持ち上げると、場所が分かっているらしく進路を変える。
そして再び、スコープを覗いた。今度も立ったままだ。その状態で狙いを外さず心臓を貫くニールはきっと、
(デュナメスに乗ってた時より……凄い……)
もう一発。不意に仲間が崩れ落ちていく様に慌てふためくテロリストたちを、ニールは正確に狙い撃った。
移動してはVSSを撃つことを繰り返しながら、ニールはフェルトを守っている。ハロも後方に注意しつつアタッシュケースを運んでいて、フェルトがストリージを撃つ機会はおそらくない。
「どんな時も
ニヤリ。つり上がった口角のまま、ニールは引き金を引いた。
ニールたちに背中を向けたまま、倒れる肉体には見向きもしない。
『ロックオン』
ゆっくりと距離を保ちながら狙撃ポイントを探すニールの耳に、通信が入った。
「アッシュ」
『スクワイアは貴方を補足しています。あと百メートル、そこで待ってください』
「オーライ。多少高いところから落としても問題はねえよ」
上空と周囲を見比べながら待っていると、大型の鳥のようなもの──四基あるスクワイアのひとつが、羽ばたきながらこちらにやってきた。
鳥でいう足に当たる部分にはアームがあって、そこに大振りな──と言っても小さなスーツケース程だが──金属製のケースが掛けられている。それを眺めていると、不意に左側から一人の青年が走ってきたのが見えた。黒い髪に赤銅色の瞳の彼は、十メートルほど離れたところで立ち止まる。
「お前、は……」
青年が、驚愕の表情でニールとフェルトを見た。
「マレーネ、彼は」
「私の、友達」
「そうだったのか。よかった」
「もう大丈夫。足手纏いにしかならなかったから……守ってくれて、ありがとう」
フェルトは拳銃を返そうと、ニールの背後から正面に出ようとして──
「いいや。お礼は、必要ないさ」
その額に、ストリージが突き付けられた。
銃の入ったケースの重い接地音だけが、二人の間に響く。