モブウマ娘は引退した 作:マンハッタンカフェ実装感謝組
ウマ娘は精神的なストレスに対し非常に敏感である。
これは随分と前から言われていることで、研究結果からしても明らかな、ウマ娘の生態の1つである。
個人差のようなものはあるものの、人間に比べるとウマ娘は繊細な方らしい。
やはり、人混みは苦手だ。
お上りさんなのは自覚しているが、それでも東京都内の人の多さは慣れない。
東京駅で新幹線から在来線へ乗り換えたのだが、東府中駅までの電車はわたしにとってかなり苦痛だった。他人の視線にさらされるのが酷く不快なのだ。
車移動なら自分だけの空間で安心する。群れるのが苦手なわたしは、田舎の暮らしの方が似合っているのだろう。
しかしこの路線、意外にもちらほらウマ娘たちが乗っていた。しかも若々しく、恐らくはトレセン学園に通う子らなのだろう。私服でいるということは遊びにでも出ているのだろうか。
ふと、思い出す。
あまり友達を作れなかったわたしは、トレーナーと出掛けていたな、と。
あの頃は何を話していたっけか。他愛のない空っぽの、どうでもいいような雑談しかして来なかった気がする。……内容は、全くといっていいほど思い出せやしなかった。
1時間ほど電車に揺られ、東府中駅に着いた頃にはすっかり肩肘が凝ったような違和感まみれだった。改札の方へ流されるように向かいながら、大きく溜息を吐く。やっぱり、都会は苦手だ。
「――――時間通りだ。よく来てくれた」
改札を抜けて出入口へと向かおうとしたら、不意に声をかけられた。
聞き覚えのある声に顔を上げると、シャツとベスト、スラックスに身を包んだ……いわゆるトレーナースタイルのシンボリルドルフさんがいた。今日は、眼鏡をかけていないらしい。
「こんにちは。ありがとうございます、わざわざ」
「こっちのセリフだとも。遠路遥々よく来てくれた。……久方ぶりの府中はどうかな?」
「そう、ですね……。都会は人も、ウマ娘も多いな、と。改めて人口密度の格差を感じますよ。…………わたしには、田舎のほうが肌に合いそうです」
元より人付き合いが苦手な身だ。
独り暮らしでも邪険にされない、都会でもないド田舎でもない、中途半端な地方都市の隣町くらいが、わたしにはちょうどいい。
取り繕うのも面倒で素直にそう言うと「それもまた各々の感じ方次第だな」と頷いていた。てっきり「都会はいいぞ」とか言うかと思ったが違うらしい。
タクシーに乗って、妙に記憶に蘇る、見覚えのある道をゆく。後部座席に並んで座って、左隣のルドルフさんは無言だった。
十何年が経って、もう二度とここに来るとは思っていなかった。幾ばくかの年月が過ぎて通りの様相はちらほらと変わっていたが、全くの別物かと言われればそうでもない。そう、面影がある。
あの服屋は無くなったんだな、とか。あのスーパーマーケットはロゴが変わってるけどまだやってるんだな、とか。あのゲームセンターは廃墟になってそうな見た目だな、とか。あの更地は綺麗な商業施設になってたんだな、とか。あの路地のパン屋はまだやってるんだろうか、とか。
見れば見るほど、わたしの記憶が蘇ってくる。昔々、とうの昔に忘れたと思っていた思い出たち。
案外覚えているんだな、と。小さく嘆息した。
「…………街並みの代わりようはあっという間だ。学生から社会人になって、時間の流れは本当に一瞬だと感じる」
ふと、わたしと同じように車窓から外を眺めるルドルフさんが、ぽつりと呟いた。
トレセン学園で濃厚な日々を送っていた時、1日が酷く長く感じていた。
楽しくて、苦しくて。とてもとても、長い1日だった。
じゃあ、今はどうだろう。
仕事は、悪くない。めちゃめちゃ楽しいとか、そんなことはないけれど。
毎日腕を動かして、施術して。疲れるし、爺婆の話はやたら長いし訳がわからんし、そりゃあアンタが悪いだろという愚痴もダラダラ聞かないといけない。
良くはないが、悪くはない。そんな、起伏の少ない日々だ。
随分と様変わりしてしまった。
「…………後悔のない時間を、君は送れているかい?」
「え……っ?」
その問いに、わたしは酷く動揺した。
なぜ動揺したのか。
理由はわからない。
だと言うのに、わたしは目を白黒させながら、隣のルドルフさんを伺った。
「久方ぶりに再会をした……と言っても、私達の間柄は少し遠いが……先日君と話をしてから、私は考えていたよ。君がとても、過去に悔いを残してきている。そう思った」
それに、と。
「……私も後悔のない生を全うしているのかと言われたら、否だろう。自分を棚に上げて言ってしまうと……君は過去に囚われているように見えた。やり残したことがあるんじゃないのか、とね」
「やり残した、事……」
その言葉を反芻し、ヘッドレストに頭を預け、灰色の天井を見た。
後悔は、たくさんした。
レースでだって、何もかも。
でも、段々と忘れてゆく。
時が経ち、熱が冷め、記憶は薄れ、思い出せなくなってしまう。
黒いモヤモヤだけが心に居座り続け、不快感だけが沈殿する。
そうやって過ごす間に、わたしは何もかもを忘れていった。忘れられていった。
…………そう思いたかった。
記憶のずっとずっと奥に封じ込めて、丁寧に蓋をして、二度と思い出さないようにしていたかった。
だって、苦しいから。
逃げ出した現実に向き合えるほど、わたしは強くなかった。
わたしは、ゲームのモブキャラと変わりない。良くもなく、悪くもなく、話題にあがることなく、ただ粛々と生きて、死んでゆく。
輝こうとしていた。
「シンザンがきた、シンザンがきた、シンザンがきた、シンザンがきました!!」
食い入るように、その映像を何度も見返していた。
観客の歓声が音割れを起こすほどに、スピーカが震えた。
菊花賞。
東京レース場の最終直線。
そのウマ娘は、大外からグンと加速して、内を駆けるウマ娘たちを置き去りにしてゆく。
「シンザンの三冠バ達成ーーーーッッ!!!!」
わたしがそのビデオを見たのは幼少期の頃。
レースを見るのが好きな父がダビングしていたビデオの一つだ。
わたしと同じウマ娘が、走っていた。
全てのウマ娘の手本と言っても過言ではないほど、美しい走りをしていた。
輝いていた。
なりたい、と。
わたしは、隣で座る父に言った。
わたしもシンザンみたいに強くて綺麗なウマ娘になりたいと。
そう言うと父は、「じゃあ中央のトレセン学園に行けるようにならんとな」と笑いながら言った。
年端も行かない子供が、夢だけを無邪気に語る。
そこに待ってる苦痛と挫折を知らぬが故に。
ただただ、無心に憧れていた。
憧れが夢から目標へ変わるのは、そう遅くはなかった。
なれる保証なんてどこにもなかったのに。
幼稚園のウマ娘ちびっこ競争で一番を取った。
運動会でも出た競技は全部一番、リレーでもアンカーは当り前。
小学校に上がってからも、わたしは強いウマ娘になりたい一心で走ることに明け暮れた。ずっと我武者羅だった。
地元じゃ強かった。
わたしと同じくらい速い子もいて、必ずしも一番ではなかったけれど、そこそこやる方だった。
シンザンの走り方を真似した。
わたしの憧憬なのだ。
あの人こそ、わたしの目指す理想なのだ。
疑いもしなかった。
必死にトレーニングを続ければいずれなれると、勘違いしていた。
それから、わたしに才能が無いと気付いた……気付かされたのは、トレセン学園に入学して半年の頃だった。
後悔というものをどれほどしたのだろう。
数えることなんて、到底できない。
わたしの生きてきた軌跡に、後悔のない時なんてあっただろうか。そう思うほどに、わたしは後ろ向きだった。
オグリキャップや、イナリワンや、スーパークリークなど。
わたしと同じ世代にレースを駆けたウマ娘たちがいる。
輝かしい成績を収めたウマ娘。
それに比べてわたしは、何一つとして話題に上がらなかった。
三強たちの出走したレースの一つに、たまたま出走していたパッとしないウマ娘。
わたしに輝ける場所なんて無かった。
そもそも、輝く資格すら持ち合わせていなかった。
だから、わたしは、中央を去った。
後悔しかないあの府中が、わたしにはトラウマに見えてしまったから。
わたしの居場所はここじゃない。
戻ろう。
わたしの身の丈に合ったところへ。
背伸びしなくても、苦しまなくてもいい。
流されるまま、生きていける方へ。
何もかもを置き去りにして。