Fate/GRAND Zi-Order ーRemnant of Chronicleー 作:アナザーコゴエンベエ
「おい、それでいつまで下水道にこもるつもりだ?
こんな場所ではおちおち執筆にも励めん。環境が悪い。やる気も出ない。
最悪暗さと湿気は我慢するとして、机を寄越せ机を。
俺はこの鬱屈とした状況に対する恨み節を、一体どこへぶつければいい?
決まっている、ペンとインクと紙だ。さっさと外から拾ってこい」
場所が悪いと言いつつ、低い声の少年は愉しげだ。
黒衣の男はそんな言葉を向けられ、帽子を深く被り直す。
「別に出るなとは言っていないがな」
「馬鹿め、こんな状況になっている街で俺がうろついてみろ。
瞬く間に死んでいるだろうさ!」
そう言って笑い飛ばす青髪の少年。
彼はサーヴァントであるが、戦闘力はそこらの魔術師と大差はない。
今の新宿に蔓延る悪人が相手では、正面から殴り倒されるのがオチだ。
シェイクスピアの創作が原因なのか。
今のこの街に生きる者は、例外なく神秘を帯びている。
一般人、ただのチンピラさえほとんど魔獣のようなものだ。
そんな相手に対し、少年では大したことはできない。
「……生憎だが、まだ動けん。まだ相手の目的が見えん。
俺が姿を捉えられていいかどうか。それがまだ分からん」
そう言った男が、少年に視線を向ける。
「お前には分かるか、ハンス・クリスチャン・アンデルセン」
「――――」
呆れた顔を浮かべる少年、キャスター・アンデルセン。
恐らく自分はシェイクスピアに対するカウンターだろう、と。
そう認識しているが、彼にも分からない話だ。
情報が足りないし、何より彼は人から情報を読み解く者。
誰とも顔を合わせていない状況で、探偵の真似事などできるはずもない。
「……まあ、そうだな。しいて言うなら、不自然極まりない状況。
これが目的と関わりないはずがない、はずだが……」
「やはりシェイクスピアの運用はおかしいか」
「当たり前だ。善悪で括って語るのは業腹だが、今回はそういうものだ。
“物語”が大きな意味を持つ世界。
シェイクスピアの記したストーリーに従い、跋扈する登場人物。
それがただの足止めのクリーチャーとしてばら撒いているだけならばいい。
だが、あれらは全てこの特異点の付属物。
リア王のような連中はオマケ。本命は、物語と強く結びつくこの
だがそれでは、
「悪党は最後に負けるもの。それをあのアーチャーが理解していないはずがない。
奴が、“悪が勝利し、栄える物語”の登場人物だったならそれもありだ。
だが言うまでもなく、あれの結末はヒーローと競い合い滝壺に真っ逆さま。そこがゴールだ」
物語に従うなら、あの黒幕は最終的に敗北する。
そうなる世界観を自分で整えさせている、ということになるわけだ。
わざわざこれだけ手をかけて、自分が負ける舞台を整える。
そう考えれば、狂気の沙汰だ。
男が顎に手をあて、悩み込む。
「―――逆に。その後を補完するつもり、という可能性は?」
「B級映画の発想だな。まあ肝心のシャーロック・ホームズの方は復活したが。
あの最悪の悪党は滝壺に落ち、死亡した―――かに思われていた。しかし実は生きていた! いま蘇る復讐鬼! 危うし、シャーロック・ホームズ! タイトルにはリターンズとでもつけるか?」
笑うアンデルセン。
そんな彼がひとしきり笑った後、片目を瞑って吐き捨てた。
「本人がシェイクスピアに書かせる
ある意味では真っ当だな。神話が時代ごとに編纂され規模を増していったように、現代の物語はそうして膨れ上がっていくわけだ」
「不満か」
「別に? だが続編を望まれる側としては、言いたい事くらいあるさ。お前だって見たくはないだろう? 愛を取り戻した男が再び愛した
からかうようにそう言うアンデルセン。
それに対して肩を竦めて返し、彼は黒衣を軽く揺らした。
そうして、ふと。
「……あのアーチャーだけではなく、アサシンもそうか」
「ほう、アサシンの真名も割れていたのか。で、何者だ」
彼は闇に潜みながら、この新宿の動向を見ていた。
聖杯戦争に集った七騎。
その中からセイバーとランサーが破棄され、幻影魔人同盟が立ち上がり。
そうしてその時点で、彼らカウンター・サーヴァントが呼び出された。
今もバイクで地上を駆けるセイバー。
歌舞伎町周辺で戦闘しているアヴェンジャー、ジャンヌ・オルタ。
呼び出されたから何なんだ、と崩れた本屋で読書をしていたキャスター、アンデルセン。
この異常に恐らくカルデアが動くだろう、と情報収集に回ったアサシン、ハサン。
そして彼、もう一人のアヴェンジャー。
イレギュラークラスの被りだが、それで五騎。
黒幕が確保した聖杯が従える五騎。
狙撃手のアーチャー、ライダー、アサシン、シェイクスピア、バーサーカー。
そのサーヴァントたちに対するカウンター。
「別に俺が暴いたわけではない、あれを暴いたのはハサン・サッバーハ。
奴を仕留める前に、聖杯側のアサシンが自分で名乗っていた」
「うん? なんだ、見過ごしたのか」
「……ああ。奴の能力を見て、俺が奴の前に出るわけにはいかなくなった。
確実に撃破できるならともかく、な」
口惜しそうにそう言葉にする彼を見て、アンデルセンが目を細める。
アサシンで直接戦闘力がアヴェンジャーに匹敵する、と。
それも状況から言って、ハサンと二対一に持ち込んでなお仕留めきれないと断定したのだ。
「で? そのアサシンの正体は」
「
その宿星を聞いて、アンデルセンが顔を顰める。
なるほど、確かに技巧に優れた拳法家なのだろうとも。
だが、それを理由にこの男が退いた?
それがあまりにも納得に足りず、眉を大きく吊り上げて。
ふと、何かに気付いたように。
アンデルセンが男を―――巌窟王、エドモン・ダンテスを見据える。
「ああ、そうか。この特異点でお前は、
何故って? 決まっている、お前は
―――だが貴様、今回は完全に不調だったんだろう。お前自身分かっていなかったその原因が分かったのはついさっき。カルデアのマスターがレイシフトしてきた瞬間だ。その瞬間、霊格がガタ落ちしたんだろう? どうして? 勝利の女神が降臨したからだとも! 勝利と達成感を永遠に得られないからこその
「…………………………」
とても楽しそうに笑うアンデルセンに、巌窟王が溜め息を落とす。
絡むのが死ぬほど面倒だ、と。
確かにそういうことだろう。彼に勝利はなく、報いもない。
それが
だがそんな彼には、勝敗を託した共犯者がいる。
彼女たちの戦いの果て、確かに彼は得られるはずもなかった“勝利”を手にした。
勝利してしまったら。愛に救われてしまったら。
それは巌窟王に非ず。
人の愛に報われ復讐を捨てた一人の男、エドモン・ダンテスに変わる。
―――無論、本当に彼がそんなものに変わるはずもない。
だがこの特異点の中では、彼は“勝利”を得た時点で結末を迎えてしまう。
恩讐を置き去りに、愛を与えた女と共に、船で新たな門出を迎えてしまう。
彼は即興詩人の言葉を聞き流して、そのまま次の話を投げ込む。
「……だろうな。俺の召喚も予測されていた、その上で完全に潰された。
一枠無駄に消費させられた、と言ってもいい」
「その上でやはり妙だな。つまり勝利者に対する対策も万全というわけだ。
“物語”で勝利を収めているお前は完封された。
対してアサシンはやはり敗者だ。騙された主を止められず、失意と共に姿を消している」
高らかなほどの笑いをさっさと引っ込め、アンデルセンが肩を竦める。
そんな彼が言及するのは、アサシンの末路。
だからこそ、“続編”を作れなくはない。
『数年後、彼は帰ってきた』
そのフレーズだけで、アサシンは再び物語を始められる。
そう語るアンデルセンの視線を受け、エドモンが目を細めた。
「……俺が対策されていた、という事実はいい。だが誰が、という話だ。
―――俺がこの状況で積極的にカルデアの防壁になりにくる、など。
それを理解できている存在が一体どれほど存在する」
「今どれほどいるか知らなくとも、少なくとも72柱いたという事実はあるわけだ」
「―――――やはり、そうなるか」
アンデルセンの言葉を聞き、エドモンが僅かに顔を伏せた。
恐らくそれしかない、とは思っていたが。
自身とアンデルセンで同じ結論に辿り着くなら、もはや疑う余地はない。
「で、あるならば―――これは
微かに苛立ちを混ぜ、一つ舌打ちする巌窟王。
監獄塔シャトー・ディフ。
魔術王ゲーティアが藤丸立香を捕らえた呪い。
この世の地獄と悪性を詰め込んだ、巌窟王の古巣の模倣。
「というと?」
「前回、奴らは監獄塔に人の悪性だけを煮詰めた。
その上で藤丸立香をそこに閉じ込め、消し去ろうとしていたが……」
どれだけ悪ばかりに見えても、確かにここには善良なものもある。
特別な何かを仕込んだわけではない。
ただごく当たり前の人の世を舞台に、世紀の大悪党が尋常ならざる悪事を企んでいる。
本当にそれだけで―――ここは、その結果だ。
善良なものを邪悪なものが踏み躙る、当たり前の結果として発生した場所。
「ほう、悪性だけ。だが、今こうしているという事は確かに理解したわけだ。そんな紛い物では何の意味もない。呪詛にするには脆すぎる。人の世界は悪だけで成り立っているわけではない。小さくとも、弱くとも、善なるものは確かにそこにある。そしてその小さな善性こそ、世界を満たして見える悪性さえも乗り越えていく人の力なのだ、と。
そんなものは無価値だ、何も変わらない、変えられないと。そう逃避するのは止めた。我らは貴様たちが示した光から目を逸らすのは止めたぞ―――という宣戦布告も同然だな」
「宣戦布告、か。つまり、これは―――信じているわけだな。
ここは確かに人の世のカリカチュア。あるのは当たり前の悪性と、当たり前の善性。
そして善人を食い物にしようとする悪人がいるだけの場所だ」
だからこそ少年少女は突き進むだろう。
行き過ぎた悪事を打ち砕くため、当たり前のように。
悪人を挫くために、当たり前の善良さでもって。
そんな未来予想図が容易に浮かび、巌窟王が顔を顰める。
問題は、そこから先だ。
これだけの前提条件を理解した上で、この特異点の方針。
ごくごく当たり前に訪れるだろう物語の結末。
このままではそうなるのは明らかなのに、一体何故この方針を選んだのか。
「―――……先程話した、黒幕が今度こそ勝利できるシェイクスピアによる“続編”。
これが相手の計画、だという可能性はどれほどだと思う」
「イマイチだな。だが全く可能性がない、というわけではない。
うまいこと当て込めば、あらゆる事象を強制できる―――かもしれない。
それなら……いや、だが」
逆転、に届くかというと。
仮にそうなったところで、流れは変わらないのだろう。
結局のところ、彼の終着点は敗北だ。
蘇った魔人は復讐のため、探偵の周囲で暗躍する。
死んだ筈の仇敵の気配を察知し、渦巻く恐怖と疑念。
物語の佳境、遂に顔を合わせる好敵手。
今度こそ、彼らの最期の戦いが開幕する―――!
と、言った流れになるだろう。
だから流れは変わらない。
今度こそ完全に敗北して、死に絶える悪の首魁。
そこに一つの決着を見て、名探偵は新たな謎へと挑み続けるのであった、と。
「順当に滅ぶべきものが滅び、残るべきものが残る舞台を整えて。
その上で
だが無理だ。勝利を引き寄せることはできても、それでは敗北を引っ繰り返せない。
運命を従えるには限度がある。シェイクスピアであっても限界がある。
単純にそれより強い
僅かに顔を顰めてそう口にするアンデルセン。
―――そうとも。
そう簡単に引っ繰り返せるならば、それこそ巌窟王が縛られる筈がない。
時間に、空間に、監獄に、一切縛られないからこその巌窟王。
だというのに、彼はこの特異点の状況から確かに干渉を受けている。
状況が整えば、絶対に勝利すべきものと敗北すべきものは引っ繰り返らない。
黒炎が奔る。
アスファルトを溶かし、一直線を描く炎の軌跡。
それを飛び越えた黒衣が、外灯の上へと軽やかに降り立つ。
そうして。
髑髏の面は、炎上する灰色の旗を見下ろした。
「―――さて。これは一体どういう了見でしょうか」
「なに、いちいち説明しろっての?」
灼けたアスファルトを踏み躙り、舌打ちする黒い聖女。
彼女を見ていたアサシンは小さく喉を鳴らし。
―――次の瞬間には、まるで別の姿へと変わっていた。
現れるのは、闇に潜む黒衣の髑髏面とは似ても似つかない男。
派手な刺青を刻んだ上半身を、惜しげもなく晒した美丈夫。
「いやぁまったく、説明されないでも分かるとも。
そりゃあんな光の柱が立てば分かるだろう。カルデアがいるのはあそこ。
なのにこんなとこに連れてきたってことは、そりゃ罠でしょってね」
男は彼方に視線を馳せて、仕方なさそうに微笑んだ。
「応とも。ハサン・サッバーハは俺が討ち取った。
誇り高き暗殺者だったとも。
前に出て武を競うものではなかろうに、武侠である俺と対等に張り合った。
全てはいずれ此処に来たるだろう、カルデアにいる主のためか。
暗殺者であり武人でないものの武を讃えるのは、礼を失するかもしれないが。
奴は真に忠義に篤い、一角の戦士であった」
「―――へえ、そいつの姿を利用して私を罠にかけようとした割りに?
随分と饒舌に敵のことを褒めるじゃない」
オルタが目を細め、アサシン―――先程まで確かに、ハサンだったものを睨む。
「……ま、そりゃあな。命を懸けて主人を守ろうとしたのだ。そんな流儀を持ち合わせていない無頼漢であろうとも、その在り様には敬意を抱くとも。
その姿をこうして利用し、罠に使ってる男の言う事じゃあないけどな」
苦笑しながらそう言って、彼は軽く自分の髪を掻き乱す。
剣と旗を構え、オルタが踵で地面を削る。
アサシンと一騎打ちならまだ望むところであるが、歌舞伎町にはバーサーカーもいる。
というか、その挟撃がアサシンの目的だったのだろう。
「―――んで、今度はあんたを討ち取って。そんで次はあんたの皮を被ってカルデアに合流して、不意をついてマスターの一人でも首を取れれば大金星。立身出世も思いのまま、ってね」
やらねーけど、と。心中で吐きながら、アサシンが笑う。
彼の仕事はジャンヌ・オルタとバーサーカーを会わせること。
倒しても逃がしても任務失敗だ。
カルデアのいる方向がバレた、ということは。
彼女がそちらに向かい、積極的に逃走する理由が生まれたわけだ。
そうされては不味いので、どうにかここで開戦しなくてはいけない。
その上でバーサーカーの位置まで押し込む必要がある。
オルタの心情は今のところ撤退寄りだろう。
歌舞伎町にはコロラトゥーラが馬鹿みたいにいるし、当然バーサーカーもいる。
彼女がここで特攻を選ぶ理由が一切ない。
(あー、えー、バーサーカーがあっちで、クリスティーヌも一緒にいるはずで。そんでロミオとジュリエットも近くにいたか。リア王は……歌舞伎町だと邪魔になるから置いてなかったっけ?
つーか、こういう追い込みってアーチャーの仕事なんじゃないか?)
彼は拳士。出来るのは接近戦だけ。
今さっき空を割ったビームとか、さっきから目の前のが出してる炎とか。
そういうのを相手取るには向いていない。
倒せないなどとは言うはずもないが、ちまちま戦って誘導するのは少し厳しい。
至近距離に持ち込めばまず勝てると確信している。
が、一発逆転できるだけの火力をあの爆弾女は持っているだろう。
一発逆転を許さず。誘導しようとしてることを察知させず。
その上で目的を果たせるか、というと……ちょっと無理めだ。
「皮を被る、ね」
オルタが剣の切っ先を揺らしながら、僅かに目を細める。
アサシンの能力を見定めんと、少しの情報も聞き逃さないという意志。
それを見て、彼が小さく口端を上げる。
「―――応ともさ。俺は幻霊“ドッペルゲンガー”を宿した男。
ご存知の通り、霊基すら誤魔化す変身の達人さ」
だから、情報を撒くことにした。
彼女には情報は足りない。カルデアにも多分、足りてない。
そうなればジャンヌ・オルタは、可能な限り情報を拾おうとする。
これは、オルタがアサシンを一発逆転で殺せない理由になる。
カルデアの連中のためになんだかんだでそうしてしまう善良さ。
というか人の良さ? 的な、まあそういうのを利用するわけだ。
嘘は吐かない。ドッペルゲンガーの力でなりきりはしているが、そういう嘘八百が得意な人間だと思ってはいないから。嘘を嘘と態度に出さない自信がないのだ。
実際問題、状況的な判断以上にハサンの真似に綻びがあったから、彼女は迷いなく攻撃を実行してきたのだろうし。
「ドッペルゲンガーを宿した……?」
オルタが眉を顰め、彼の言葉に反応を示す。
(で、どこまで話していいんだ? 俺が持ってる情報全部セーフ?
教授が流しちゃダメな情報を俺に教えてるわけねーし、全部セーフでいいんだよな?)
アサシンが身を翻し、街灯から道路に降り立つ。
距離を離すように後ろに跳ぶオルタ。が、逃げる姿勢は見せない。
撤退するにしても、アサシンから可能な限り情報を絞ってからだろう。
ありがたい、と。彼は自信満々に笑顔を浮かべる。
「応さ、我ら幻影魔人同盟は英霊と幻霊、あるいは幻霊同士が混ざり合ったもの。
俺がこの身に宿らせしは己が宿星と、幻霊“ドッペルゲンガー”。
貴様たちを“バレル”に近づけさせぬため、拳を振るう闇の侠客である!」
「闇の侠客……!」
(“バレル”じゃなくてそっちに反応すんの?)
闇の侠客という単語の響きに唇を噛み締める竜の魔女。
そんな彼女に表情を崩すことなく、構えを取るアサシン。
ひり付くような、張り詰めるような、そんな空気はほんの一瞬。
直後、弾けるようにアサシンの体が舞った。
一切の加減無し。
さっきまでの思考は一体何だったのか、と言いたくなるような。
心臓を撃ち抜かんと奔る、影を置き去りにする身のこなし。
―――
それを理解した瞬間、オルタが狙いをつけず四方に黒炎を乱舞させた。
「おっと、踏み込みすぎた」
即座に前進を取りやめて、その足の動きを鈍らせる。
踏み込みよりは緩慢に、周囲の炎から逃れるようにアサシンが退く。
影さえ捉えられぬ速度―――以上に、歩法。
速すぎて目に映らない、というより目に映らないように疾るのが巧すぎる。
「ちぃ――――!」
だから彼女は周囲一帯を燃やす以外に彼を退ける術がない。
そうなれば必然、魔力消費のレースが始まる。
技術でしかない歩法に、魔力を消費する炎熱以外で対処できない。
そうなれば当然の結果、確定で負ける。
ただでさえ聖杯の後押しがある黒幕側のアサシンと、野良である彼女。
魔力保有量には絶対的な差があるのだ。
(だったらどうするって!? 逃げる? 冗談!
(しくじったな。何で今の流れで必殺仕掛けにいくのかね。
何でこうなっちまうのか、俺自身でも分からんのが手に負えん)
軽く頭を振りながら、アサシンが表情を変えず舌打ちを噛み殺す。
追い込みが仕事だ、と分かっているのに殺しにかかっていた。
幻霊との融合措置の弊害だ。自分の意識がたまに飛ぶ。意識を失うわけではない。
自分でも何でそんな事するか分からない、意図不明な思考で動いてしまうのだ。
今のでこっちの迫真さは伝わったが、警戒レベルを跳ね上げては意味がない。
(相打ち狙いされるか? 情報ばら撒いて生還意識させねえと。
俺の真名……は、俺とここで相打ちすりゃもういらねえ情報になる。価値無し)
(―――最悪、あいつが突っ込んできたタイミングで宝具、か。
ええ、一方的に殺されてやるわけないでしょ。
こっちが死ぬなら道連れ、辺り一帯ごと燃やし尽くしてやろうじゃない……!)
間違いなく彼女は彼を道連れにできる。
彼の拳が彼女に届いた瞬間、宝具で自爆すればいい。
彼はそれを凌げるタイプのサーヴァントではないのだ。
足は止まらず。アサシンが踏み切り、オルタに向けて跳ぶ。
近づければ拳で打ち据えられる。
たかが拳、確実に耐えきれる―――とは言えない。
こういう武を重ねたタイプのサーヴァントの拳打は、注意を払うに値する。
オルタは火力を落とさない。
常に黒炎を纏い、周囲に発散し、アサシンの踏み込みを阻み続ける。
(どっかの化け物みたいに呪詛の炎を真正面から踏破はできないタイプ。
つまり燃やせさえすれば、ほぼ確実にぶっ殺せる。
こっちが息を切らせてみせて、炎の守備範囲に穴を開けて、そこへの踏み込みを誘導する。
そのタイミングを計って宝具、なら。見えなくても関係ない……!)
(真名……俺とバーサーカーの真名に情報としての価値なし。
同じくアーチャーの名前もバラしたって意味がない。
となるとライダー、教授……丁度いいのはライダーか?)
この新宿の世界観では、真名の価値は通常の聖杯戦争を凌駕する。
それさえ把握できれば、攻略の難度がガタ落ちするほどに。
だからこそ、ライダーだ。この新宿で誰もが知っている、最大最強の脅威。
その真名が判明するチャンスがあれば、是非とも掴みたいだろう。
オルタの頭上に生成される黒炎の槍。
連続射出されるそれを潜り抜けながら、やはり笑みを崩さないアサシン。
それに怒るように、オルタが更に火力を増加させた。
マスターを持たないはぐれサーヴァントでは、魔力の補充だって容易ではない。
そんな状況で後先考えない攻め。消費の増加は加速度的に。
彼女が全力で戦闘できる時間が目減りしていく。
(ライダーの真名に繋がる情報を意気揚々と語り、近場のビルに蹴り込む。
逃がさねえようにカルデアの連中方面に繋がる道に陣取る。
そうすりゃ情報を持ち帰るために奴も一度潜むはず。そっからどうする?)
(……っ、鬱陶しい! 踏み込んできなさいよ!
こっちを削ることに終始して時間切れ待ち!? 絶対に丸焼きにしてやる!)
剣術に長けるわけではない。棒術を修めているわけではない。
ジャンヌ・オルタの攻勢は技巧から程遠い。
彼女の戦い方は、もっとシンプルでプリミティブなスタイルだ。
元が元なのだから、それも仕方のないことではあるが。
旗を大振りに。
溢れる炎で接近してきた相手を退かせて、彼女は舌打ちする。
炎の壁に大人しく退いた男が笑う。
「ははは! 怖い怖い、いやホント怖い。生憎、燃やされりゃ普通に死ぬんでな。
―――つっても、形振り構わないってわけじゃないんだな。アヴェンジャーなんて言うから、てっきり
「―――――」
ライダー。国道を縄張りとして走破する、アナザーライダー。
その情報の片鱗を耳にして、オルタが荒げた呼吸を整える。
「それこそアイツもアヴェンジャーとか、そういうのがあってそうだよなァ。
なぁんで人間の街なんか縄張りにしてんだか。
むしろアイツ、
馬鹿みたいに語る彼に、ジャンヌ・オルタが目を細め。
荒い呼吸を何とか沈めながらも、しかし力の行使にはまだ乱れがあり。
そうした瞬間、アサシンがその歩法を実行した。
影さえも追えぬ神速の拳。
潜り抜けるのは炎の結界の薄い、彼女の左側から。
(ここで自爆すんなよ! そのために情報渡してんだから!)
(宝具の火力じゃ死ぬのは私自身ごと……!
ったく、こいつ諸共自爆して嗤ってやるのが一番気が晴れるってのに!
マスター持ちのサーヴァントは辛いったら!)
―――爆音。
意図的に薄くされた黒い炎の壁をアサシンの襲撃が突き破る。
同時、そこに迸る彼女が通常に行使できる最大熱波。
炎を突き破り、アサシンの蹴撃がオルタの胴体を蹴り抜いた。
まったく同じタイミングで、逆流してくる黒炎に呑み込まれるアサシン。
互いが互いの攻撃で吹き飛ばされ、距離が開く。
吹き飛ばされたオルタが激突するのは、近くのビルの四階の窓。
硝子を砕いて、建物の中に消えていく相手。
全身を黒い炎に焼かれながらそれを見送るアサシンが、流石にそこで膝を落とす。
全身を焼く呪詛に表情を歪めながら、まだまだ続く嫌な仕事に頬を引き攣らせた。
(こっからは―――仕方ねえ、やりたかないがバーサーカーに化けるか。俺自身はここで獲物を甚振り高笑い。奴が潜んだら、バーサーカーになってコロラトゥーラを動かし誘導。竜の魔女は雑魚を差し向ける馬鹿な指揮官の隙をついて逃げ出そうとして、目出度く本物のバーサーカーの劇場にご到着、っと。あー、バーサーカーにはなりたくなかったなぁ。俺、頭おかしくなるんじゃねえか。はは、そもそもとっくにイカれてるか! こうなったら折角だ、俺の情報も持ってけ!)
黒炎を払いながら、彼は膝を落としたまま胸を張る。
「ハハハハハハ! どうしたどうした! そのまま逃げる気か!
馬鹿め、この天罡星三十六星が第三十六席、天巧星を前に逃げられるとでも思ったか!
逃げるというなら狩るだけだ、竜の魔女!」
ドッペルゲンガーの力を発揮する瞬間、霊基が悲鳴を上げるように軋む。
その嘔吐感にも似た感覚を飲み干して、彼は力を発揮する。
幽鬼の如く立ち上がり、彼の姿は変貌を開始する。
衣装は黒い燕尾服。指を鉤爪の如く尖らせて、仮面に顔を隠した異常者。
己ならざる風貌と記憶に染まり、彼がゆるりと腕を掲げた。
窓硝子を突き破ると同時、すぐさま体勢を立て直して。
彼女はアサシンから逃げるように距離を取っていた。
そのままビルの対面に向け走っていた彼女が、相手の声を聞いて眉を顰める。
(……頭がイカれてんのはそうでしょうけど、それにしたって小物臭い。
さっきのハサンへの態度がたぶん素に近い、と思うけど。混ざりものだから精神が不安定ってわけ? 武侠ってのと、今の小物らしい態度が繋がらない。嘘くさい。わざとらしい。
正面きっての衝突では勝ち目が薄い。
マスターがいればまだしも、はぐれのままでは魔力の限界が低すぎる。
いまある魔力だけでは、軽く周辺一帯火の海に変えたら、そのまま消えてしまいかねない。
そんな状態であのアサシンとはやりあえない。
「――――火の海、ね」
ビルの中を疾走しながら、オルタが小さく呟いて。
次の瞬間、そこに幾体かのコロラトゥーラが飛び込んできた。
人型の白い躯体。バーサーカーのしもべにして、歌姫のための観客。
彼女を追うようにやってくるそいつらを見て舌打ち一つ。
一度足を止め、突っ込んでくる一体を蹴り飛ばす。
それが窓硝子に突っ込み、地上へと真っ逆さまに落ちていく。
オルタも即座にそれを追い、他の連中を躱して外へ。
飛び降りると同時、彼女は黒炎の槍を蹴り落とした人形に叩き付ける。
地面に叩き付けられ、更に炎の槍で炎上する白い躯体。
彼女が着地するや、それを旗の穂先に引っかけ、近場にあったパーキングに全力で投げ込む。
更に熱量をそこに追加。黒炎を浴びせかける。
熱に覆われ、拉げ、溶け落ち―――爆発炎上を始める複数の自動車。
燃料に引火し、空に向かって立ち上る炎の柱。
それを見届けることはなく、オルタは疾走を再開していた。
「―――おお おお 我が劇場 我が舞台は 君のために
クリスティーヌ クリスティーヌ
陽の光届かぬ 鎖された空 この空の外には何もない この街の外には何もない
君が逃れる場所はない 君が想いを馳せる地上はない もうどこにも
この地こそ 我が愛が求めた場所 私と君の 我が愛の晴れ舞台……」
そんな逃避行をビルの上で見下ろす怪人。
その姿がブレて、再びアサシンの姿が戻ってくる。
彼はそのまま自分の頭を抱え、その場に蹲った。
「……ああ、頭いッてェ……! クソ、これ以上は無理だ……!
精神汚染と狂化って合わさるとこうなるのか……!?
もうこれ、自分が何喋ってるかも分かんねえんだが……!」
頭痛を堪えている彼が、窓辺に寄り掛かりオルタが向かった方向を睨む。
「つーか不味いな……不味いのか、これ?
アイツがオペラ座に設定した歌舞伎町で、爆弾がところ構わず爆発してる、ってことだろ?
なんか本来の物語でもオペラ座に爆弾仕掛けてたんじゃなかったか」
爆弾ではないが、少なくとも爆発物だ。
彼女は今もなお、そこらの建物や車に炎を撃ち込んでいた。
立ち昇る炎の柱。舞い上がる黒煙。
ジャンヌ・オルタの目的は恐らく、狼煙だろう。
彼女がここにいる、とカルデアに示したのだ。
大規模な戦闘が行われているならば、カルデアは間違いなく向かってくる。
それはいいとして―――
怪人、ファントム・ジ・オペラの領域だ。
オペラ座の爆破は、果たされなかったオペラ座の怪人の最終手段。
だとしたら、それはオペラ座の怪人の末路だ。
オペラ座を破壊する爆弾。
本来はその役目を果たす事のなかった、怪人の最後の足掻き。
では、もしそれが実際に破壊をもたらしていたらどうなるか―――
窓辺でずるずると壁にもたれ掛かり、アサシンが目を細めた。
「……オペラ座は壊れる。バーサーカーはクリスティーヌと無理心中?
つまり致命傷だ。実際にはそうならなかったはずでも、今こうなってる以上意味は生まれる。
―――だとすれば、本人が怒り狂って止めにくるはず」
カルデアを呼び込むための目印。
それを作る代わりに、彼女はオペラ座に与えてはいけない損傷を与えてしまった。
バーサーカー……ファントム・ジ・オペラはそれをけして許さない。
彼女を追うアサシンと、彼女に立ちはだかろうとするファントム。
これで挟み撃ち。竜の魔女とオペラ座の怪人の邂逅、目的達成だ。
「……カルデア到着まで幾らかかる? 発見、偵察、急行―――早けりゃ先行のサーヴァントが十数分、ってとこか? ならそこそこ余裕あり、だ。
なんか予想した流れとは違ったが……とにかくこれでよし、だな」
未だ悲鳴を上げる頭を軽く振って、アサシンが立ち上がる。
彼は拉げた窓枠に手をかけると、そのまま軽やかに外へと飛び出していった。
新素材用のフリクエは解放しといてくれないとスキル上げ出来ないんですけどー!