Fate/GRAND Zi-Order ーRemnant of Chronicleー 作:アナザーコゴエンベエ
マントを翻し、黒炎を打ち払う。
そうしながらギンガが、改めて現れた女を見据えた。
霊核が半分抉られ、間違いなく消滅するはずだったが……
まあそんな事はどうでもいい。
どうやって補完したかも、彼らにはまるで関係ない。
「退くぞ、これ以上ここでやるべき事はない」
アナザーウィザードが彼に顔を向ける。
くすんだ宝石の魔法使い。
その怪人は周囲の状況を見回して、小さく鼻を鳴らして同意し―――
次の瞬間、弾けるように彼方を見上げた。
火を滾らせ、水を廻して、風を唸らせ、地を揺らし。
即応するために身構えた怪人を―――ギンガがその頭を掴んで黙らせる。
掴んだそれを後ろに放り、そのまま前に出るスウォルツ。
「貴様は後ろで見ていろ」
〈ダ・ダ・ダ・ダブル! ファイナルアタックタイムブレーク!!〉
―――空を裂き。
そこに襲来するのは牙。正面きって突き進む刃の竜巻。
白と黒の嵐を前に、ギンガが腕をゆるりと上げて―――
自身を囲うように、黒白の剣が乱舞している事を理解した。
「ほう?」
空に舞う陰陽の夫婦剣、干将・莫耶。
合わせるように転移でギンガの横に現れる真紅の外套。
周囲には四つの刃が乱れ飛び。横には双剣を構えた少女が備え。
そして正面から、牙の記憶が迫り来ている。
腕の二本では凌ぎ切れまい。
ならば正面から来ている最大の一撃を逸らし、後はギンガの装甲で耐えればいい。
そのくらいは容易だが―――それでは面白くもない。
ギンガの腕がドライバーを叩く。
〈ストライク・ザ・プラネットナイン!〉
空中で生成されるエナジープラネット。無数の惑星弾。
数え切れる刃など通すはずもない、周囲を埋め尽くす弾幕。
回避しきれないように囲って追い詰める、という発想は同等。
だが勝負になどなりはしない、圧倒的な密度の差。
それを―――
「それは、俺が既に見た未来だ―――!」
ジオウが回転の中でウォッチを外す。
ディケイドウォッチからダブルウォッチを外し、別のウォッチを装填する。
加速した勢いのまま、ギンガに向かいつつ姿を変えるジオウ。
〈ファイナルフォームタイム! フォ・フォ・フォ・フォーゼ!〉
それが、惑星を模した弾丸であるならば。
水星が、地球が、木星が、土星が、天王星が、海王星がそこにある。
惑星の有する磁場が、確かにそこにある。
銀色の装甲と変わったジオウ。ディケイドアーマー・フォーゼフォーム。
『フォーゼ・マグネット』とインディケーターに記された姿。
展開するのはU字磁石に似た砲台、NSマグネットキャノン。
そこから発生する磁力が、星々の弾幕を引きずり落とす。
「なに――――?」
ギンガのコントロールする弾丸を、磁力で強引に乱す。
狙いなど付けていない絨毯爆撃。
そうなるはずだった無数の流れ星が、空中でぶつかりあって四散する。
自爆し合って数を減らした光の雨。
エナジープラネットの自爆の残滓が、夜空を虹色に輝かせる。
その合間を潜り抜けて、双剣を構えた少女が疾駆した。
「チッ……!」
ギンガがそれに対して腕を向け―――動かない。
差し出した掌にピュアパワーが生じない。
それこそ今まさに、大量にエナジープラネットをばら撒いた直後だから。
そんな事実を理解して、ギンガが僅かに身動ぎした。
動きが鈍った相手に直線に斬り込むクロエ。
彼女の手の中で鶴が翼を広げるが如く、双剣の刀身が強化された。
真紅の疾風と化した少女が、双剣を閃かせる。
ギンガのミーティア―マーが衝撃に弾け、火花が散った。
火花を散らすギンガに対して、顔を顰めるのはクロエの方。
彼女が反動に痺れた手から双剣を落とし、口元を歪めた。
「ふん、防がずともこの程度の……!」
「―――みたいね。かったいわよ、あなた。
それやっぱり……
そう言って苦笑する少女。
彼女にそう言われた瞬間、スウォルツがマスクの内で僅かに眉を上げた。
まったく同時に彼の目の前で発生する超常の磁力の渦。
ギンガに向けNSマグネットキャノンが放つ、赤と青に色付いた磁力光線。
〈フォ・フォ・フォ・フォーゼ! ファイナルアタックタイムブレーク!!〉
「ちぃ……っ!?」
―――引き寄せられる。
その引力を振り切るだけの推力は、今のギンガには出せない。
だからこそ彼は踏み止まりつつ、ピュアパワーの湧かない腕を突き出した。
ギンガではなく、王としての力を行使しようとしての行動。
そんな相手の行動を見て、クロエが笑う。
空間を跳躍する少女。その視線の先は、ギンガの背後。
彼女が消える瞬間、地面に落ちていた干将と莫耶が破裂した。
視界を覆い、体のバランスを崩させる爆風。
磁力に引き寄せられながらのそれに、スウォルツが集中を乱される。
結果として、彼が持つ王の力は放たれず。
彼の体は小さくない衝撃で僅かに揺れて―――
「―――バイバイ!」
直後に背後に出現した少女が、無数の剣群を射出した。
放たれる剣群のラインナップは、刃の鋭さより重量を重視したもの。
連続で着弾し、ギンガの背中で弾ける鉄槌の如き刃の群れ。
それによりスウォルツは姿勢を崩されて、磁力による吸い寄せに抗う手段を奪われる。
「くっ……!」
「超電磁宇宙ゥ……! ロケットタックル――――!!」
自身に向かってくるギンガに向け、ジオウが磁力のフィールドを纏って突進する。
距離が近づくごとに互いが更に加速する、引き合う作用を利用した激突撃。
それから逃れる術はない。
既に捕まったギンガは減速すら許されず、空中でジオウに衝突された。
尋常ならざる勢いで跳ね飛ばされ、ピンボールのように吹き飛ぶ人型。
撃ち出される方向は地面に向けて。ギンガはぶっ飛ばされた勢いのまま地面に突き刺さり、そのままアスファルトを削って、地面に数十メートルの轍を刻む。
―――そんな姿を見て。
「ふっ、は、あははははは――――!」
アナザーウィザードが、腹を抱えて笑った。
スウォルツに意識を向けつつ、ジオウがそちらに視線を向ける。
クロエもまた即座に退き、彼の背後に立ちつつ、その手の中に弓を現す。
「偉そうなことを言っていた割にはいいザマじゃないか!
俺に指図する前に、お前自身が自分を見つめ直してみたらどうだ?」
その笑い声を跳ね退けるように、アスファルトが爆ぜた。
地面に半身を埋めていたギンガが、周囲を炸裂させながら浮かび上がる。
そうして浮上した彼が体勢を立て直しながら。
己を嗤った相手に煌々と輝く眼を向け、逆にせせら笑ってみせた。
「フン……そうして、俺の無様を見ているだけのお前はどうだ?
俺にただ打ち伏せられるだけだった貴様と、俺の予測を凌駕した常磐ソウゴの差。これが正しく、今のお前と常磐ソウゴの間に横たわる格の差だ。その上で……今の自分にも勝ち目がある、などと思い上がれるならここで戦ってみるか?」
「………………」
「これ以上、無様に地を這いたくないなら止めておけ。どうせ貴様では勝てん」
ギンガが降り立つ。アナザーウィザードを嘲りながら。
そうしてスウォルツが、拾い上げていたアナザーウォッチを投げ渡す。
飛んできたそれを受け止めて、握り締め。
アナザーウィザードは苛立ちを抑えるように、体を小刻みに震わせる。
ジオウは最大戦力であるジオウⅡを用いることなく、確かにギンガに土をつけた。
彼では自分の持ちうる全てを懸けても、その程度のこともできない。
スウォルツが彼に向けた勝てない、という言葉は厳然たる事実。
自身の体に籠った怒りが発する熱。
それを吐き出すように、アナザーウィザードの全身から炎が漏れる。
「あんたは……」
常磐ソウゴが彼に意識を向ける。
返ってくるのは、嚇怒と憎悪。負の感情が入り混じり、煮詰まったもの。
「あんたは、スウォルツの仲間?」
「…………俺が何者か、か。決まっている、誰の仲間でもない」
アナザーウィザードが燃えた。
その姿からは、明らかに戦闘に対する意欲が感じられる。
呆れるように鼻を鳴らすスウォルツ。
投影した剣を矢として番えるクロエ。
そんな外野の状況など気にもかけず、彼はソウゴだけを見て宣言した。
「ただ―――お前の敵だ、常磐ソウゴ」
どうしたものか、と考えている内に状況が変わる。
気付いた瞬間に跳ねるように離脱。
建物の陰から飛び出し、来たる攻撃を回避した。
直後に飛来するのは無数の弾丸。
それを吐き出し続けるのは、棺桶のようなものから飛び出した機関銃。
巨大な武装を抱えてビルの谷間から躍り出るのは一人の紳士。
「と、
「ふむ、君にそう名乗った覚えはないがね?」
着地と同時に舞うロケット弾。
白煙を曳いて飛来するその弾幕を前に、アサシンがゆるりと力を抜く。
そうして当然のように、彼は己が掌底で全ての弾丸を逸らしてみせた。
「――――ほう」
機関銃の弾丸含め、一発も掠らせることはなく。
必中の弾幕を掻い潜ったアサシンが軽く笑う。
「そういやアンタがそっちについてたんだったな。
ならこの到着の速さもまあ、有り得る話か」
「まるで私を知っているかのように語るじゃないか。
私も私のことを知らないのにズルくないかネ?」
「ははは、そう言うなって。
俺も俺のことがよく分かんなくなってるからお互い様だ」
アサシンの足が道路を砕く。影を置き去りに疾る侠客。
その動きを前に、プロフェッサーが眉を顰めた。
「思考停止で弾丸ばら撒きだ! 老眼じゃあんなの見えないからネ!
あと、ああいうしたり顔の男に接近されたら死ぬって私の魂がなんか言ってる!」
機関銃展開。ロケットランチャー装填。レーザー砲充電。
準備を終えたものから次々と、止まる事なく吐き出される弾幕。
狙いは付けずとも敵を追う、オートロックオンのフルバースト。
流石にそれには踏み込めず、下がるアサシン。
「アンタの弾丸、悪魔に唆されてるみたいに追ってくるからなァ……
見られてないのに追われるなんて理不尽だろ」
「―――随分と口が軽いようだ。私に何か伝えたいのかネ?」
「別にそういうわけでもないけどな。そっちこそ訊きたい何かがあるかい?
答えはしないかもしれないが、訊きたけりゃ好きにしていいさ」
加速。レーザーが肌を掠める中、アサシンが疾駆する。
目を細めるプロフェッサー。
彼の思考が弾幕を厚くするべき空間を見定め、銃器はその意志に従う。
そんな火線の雨を潜りながら、拳士が凄絶に笑った。
「そんな余裕があるなら、だけどな!」
体勢を立て直す巨人。
胸に抱えた心臓部、男女の籠ったピンク色の塊が光を放つ。
そこから響くのは美しき歌声。
地獄の只中に残されてしまった、帰る場所を失った歌姫の声。
その音波が周囲を完膚なきまでに破壊していく。
それを止めるべく、地獄の業火を放とうとして―――
空に感じる大規模な魔力の運用に足を止めた。
見上げた夜空に展開するのは巨大な魔法陣。
極彩色に輝くそれが一際大きく煌めいて。
直後、空を裂く極光が降り注いだ。
オペラ座の怪物を撃つ、魔力光による豪雨。
魔力光線を放つのは、空に展開された魔法陣。
そしてその魔法陣を回すのは、ローブを纏った一人の少女。
魔杖を手に星空を制する彼女こそ、
「ルビー、街中でこんなに撃っても大丈夫なのかな!?」
「狙撃対策に物理保護と空間転移を常に備えてますので、攻撃にはそれほど回せません。というわけで威力はそれほど出ませんので、考え無しにばら撒いても被害はさほどではないかと!」
イリヤスフィールの体に満ちるその力の根源は、神代の魔術師。
その真名こそ、魔女メディア。
彼女の放つ弾幕が、コロラトゥーラで出来た四肢に突き刺さる。
全身を砲撃にさらされ、しかしいくら攻撃を受けようと、致命的な損傷は負わない。
威力の問題ではなく、オペラ座の怪物たるこの巨人の寿命の問題だ。
彼の経た“物語”こそが伝承に依る防御と化し、彼を守る。
「オルタ!」
その光景を見上げていた彼女に届く声。
黒炎を滾らせるオルタの許に辿り着くのは、カルデアの面々。
そんな連中を背中に感じ、彼女は口端を吊り上げた。
「随分遅かったじゃない。
ま、私ひとりでもどうにかできる予定だったけど?」
そう言って、長髪を揺らしながら振り返る。
イレギュラーな方法だったが、再臨した姿を見せびらかすように。
そうして華麗に振り向いてみせた彼女を見て、立香がきょとんとした。
オルタの視線が小さく右往左往。
そんな様子を見て、何かに気付いたように手を打つ立香。
「……あ、所長? 来てないよ?」
『……うん、まあ。いま外に出ててカルデアにもいないんだ』
「あっ……そ。ふーん」
髪をばさりと掻き上げて、どうでもいいという態度をとるオルタ。
立香とツクヨミが顔を合わせて、その話題は置いておくことにした。
「あれがなんだか分かる?」
音波を周囲に放とうとして、イリヤの実行する絨毯爆撃に呑まれる。
だが傷さえ負わず、それは即座に復帰して攻撃を実行した。
―――少女が攻撃を行う事を止める。
行使するのは攻撃ではなく、クリスティーヌが唄う音波を相殺するための魔術。
防衛戦に切り替えたイリヤが、歌舞伎町の崩落を押し留める。
「―――オペラ座の怪人よ。ファントム・ジ・オペラ。
どういう理屈か知らないけど、攻撃も効かないような無敵の怪物。
あと何だっけ……クリスティーヌだったか、アイツが執着してた女の幻霊。
それとロミオとジュリエット? が混ざったみたいね」
「どういう状況……?」
「なんでそうなったかなんて、私だって知らないわよ。
ただ多分、この場所自体、
ま、それにしたって結構無理な現象みたいだけど」
そう言って自身の体を確かめるように軽く腕を回すオルタ。
半分に割れた霊核は復帰し、霊基に不調なし。
代わりに巌窟王は消滅したのだろうが。
本来のやり方とはまるで違う方法での霊基再臨。
それは様々な状況が重なったからこその、奇跡みたいなものだろう。
まあそんな細かい話はこの戦闘が終わった後でいい。
今はとにかくあれの相手だ。
キャスターを使用するイリヤと美遊の集中攻撃。
それを回避や防御することなく受け、しかしダメージと言えるだけの傷はない。
空中を舞う二人の魔法少女が、焦るような表情を浮かべ。
……そんな光景を見上げたオルタが、頭を左右に動かす。
「どうしたの?」
「別に。妙に子供が増えてるから倒錯した猫耳女がいるのかもと思っただけ」
言いながら乱雑に剣を振るい、飛沫を飛ばすように炎を放つ。
恩讐の炎は確かに火力を増して、しかしファントムには通じない。
躯体となっているコロラトゥーラを焦がすが、それまでだ。
致命的な損傷を与えるには程遠い。
「最大出力―――
怪物が胸に抱く男女の融合核、ピンク色の霧の塊のようなもの。
それに正確無比な砲撃が突き刺さる。
だが直撃と同時に、その砲撃さえも融かされて飲み干されていく。
『ファントム・ジ・オペラ……オペラ座の怪物、霊基数値に変動ありません!
恐らくすべての攻撃が無効化、されています……!』
マシュからの報告で、美遊が眉を顰める。
オペラ座の怪物を構成するものは、人形を寄せ集めたパイプオルガンを思わせる躯体。
そして中心に存在する、英霊と幻霊の集合体だ。
そう考えれば集合体が心臓部で、そこさえ破壊すれば倒せるはず。
だが砲撃が直撃しても無傷どころか、吸収さえしてみせている。
「……っ、あれは一体どうすれば……!」
「美遊様。あれが伝承防御と呼ばれるものなのであれば、必要なのは火力ではありません。
その伝承を突破するための条件達成、となります」
サファイアの声に頷き、攻撃を続行。
魔力弾を途切れず放ち続け、音波による攻撃をとにかく防ぎ続けるしかない。
イリヤの絨毯爆撃である程度動きを止められている。
だがそれでも止めきれなかった
「このままじゃ、本当に新宿ごと更地にされちゃうよ……!」
「とにかく弾幕を絶やさず! わたしたちがまずすべきことは時間稼ぎですよ!」
ルビーの言葉に小さく頷き、イリヤが眼下にいるマスターたちを見た。
魔杖を大きく振るい、展開する魔法陣。
放たれる魔力砲は、目の前で指揮するように腕を動かす巨大な怪物に向けて。
それは怪物が吐き出す音波と衝突し、相殺する。
吹き消しきれなかった衝撃で、周囲の建造物が幾つか倒れていく。
『―――いえ、いま。今の、攻撃……いえ、彼自身の攻撃……?』
「マシュ?」
そんな有様を見て。
通信の向こうでマシュが驚く様子が見えて、立香が声をかける。
すぐさま彼女が発見した事実に声を荒げた。
『……っ、オペラ座の怪物、霊基数値微量低下! いまなお低下中!
原因は恐らく――――歌舞伎町の破壊、と思われます!』
「それって……」
崩れていく瓦礫ごと、オルタの放った黒炎が怪物を焼く。
コンクリートを消し飛ばす熱波も、怪物に瑕を負わせることさえ叶わない。
舌打ちしつつ剣を振り上げて、そこに魔力を集中させ。
「……そりゃそうでしょうね。あいつはオペラ座の怪人、怪物? まあどっちでもいいか。
この特異点の中で、あいつ自身が歌舞伎町を、“歌姫が唄うオペラ座”と定義した。
それが崩壊したら、あれはもうオペラ座の怪人じゃない。住所不定の怪人よ」
そう言って、一際大きい漆黒の熱波を叩きつける。
発生するのは、直撃を受けた巨体を揺るがすほどの衝撃。
そこでひとつ、溜め息を吐くオルタ。
彼女もファントムの無敵性に対して、その攻略法自体は見出していた。
当然、達成できない目標として。
『……オペラ座の怪人は、オペラ座の奥に潜むからオペラ座の怪人。
そんな当たり前の事だからこそ、彼の持つ伝承防御の大前提になっているわけだね。
だが、怪物となった彼はもう見境なく周囲を破壊し始めた。
このままオペラ座……歌舞伎町が崩壊すれば、彼はその真名の由来を維持できない』
ロマニがそう言うと、少しの間口を噤む。
つまり少しの間だけファントムを放置すればいいのだ、と。
そうすれば歌舞伎町は彼自身の手で破壊し尽くされる。
その後に残るのは、オペラ座の怪人という称号さえ失った巨大な自縛霊でしかない。
いま目の前にいる無敵の怪物は、オペラ座の怪人だからこその無敵。
名前を失った瞬間、その優位性はいともたやすく消えるはず。
そうなれば、さぞ簡単に倒せることだろう。
『つまり……彼を倒すためには、この街を見捨てる必要が―――』
マシュがそう呟くのを見て、オルタが肩を竦める。
そのまま彼女は振り向き、立香を見た。
立香はその視線を正面から受け止めて、強く頷き返す。
「それはいや」
「奇遇じゃない、私もよ。負けて逃げるみたいで胸くそ悪いもの。
なにより―――せっかくの姿なのに、まだ獲物の一人も燃やせてないんだから!」
言って、黒炎を放つオルタ。
イリヤの爆撃と同時に着弾したそれが、怪物の巨体を僅かに押し返した。
「慣らし運転よ、アンタたちが嫌って言っても付き合ってもらうわ!」
「……まあそんな大仰に言わなくてもいつも通りだし。
それより、どうやって倒すかでしょ。何か方法が?」
ファイズフォンXから光弾が飛ぶ。
それが直撃した巨大ファントムの動きが、数秒足らずとはいえ封じられた。
当然ファントムはすぐに四肢を振り回し、拘束を破壊してみせる。
条件を満たせない限り不死とはいえ、だ。
あの怪物の霊基自体は、特別強大なものではない。
伝承―――彼自身の物語を鎧として纏っただけ。
幻霊、あるいはシェイクスピアの宝具による補強を受けただけ。
その程度で、一個のサーヴァントを超越するものではない。
倒せない。壊せない。
それでも、何も通じないわけではない。
ならば、突破口はそこに見出すしかない。
「あったら一人でぶっ潰してるわ! そこを考えるのはアンタたちの仕事でしょ!」
『ええ……』
「……ある程度消耗させられれば、トドメは私がどうにかするわ!
だからとりあえず弱らせられそうな作戦の二つや三つくらい出しなさい!」
ロマニを呆れる声を、さっさと自分の声で塗り潰すオルタ。
マシュがそんな状況に意見する。
『街を防衛しつつ消耗させるのが最大の問題なのですが……!』
条件次第で、無敵。
現状で考えられる突破方法はオペラ座、即ち歌舞伎町の全滅。
もしかしたらクリスティーヌも弱点かもしれない。
が、ファントムとクリスティーヌは揃って怪物の胸に浮かぶ霧の中だ。
怪物の胸の中心。ピンク色の霧の塊の中、二組の男女の姿が霞んで見える。
あれがオペラ座の怪物の心臓なのだとしたら、あれだって壊せない。
それを破壊することは、オペラ座の怪人を倒すことと同義になるのだから。
「―――……ねえ、さっきファントムたちが無理してる、って言ったよね?」
そんな心臓を見上げていた立香が、オルタに問う。
「それが?」
「それってどういう意味?」
「……バーサーカーは既に霊基を半分損傷してる。如何に無敵化してようが、本来ならその時点で消滅は免れない―――っていうか、霊基が半分消し飛んだら、無敵でいられなくなるはずよ。
“オペラ座の怪人”だから無敵なのに、“オペラ座の怪人”として自分を成立させてる核を半分失ってるんだから」
そう言って、伸びた自分の髪を軽く撫でるオルタ。
彼女が立香に視線を向けて、言葉を続ける。
「だってのにアイツが未だにああしていられるのは、恐らく自分の霊基の半壊をクリスティーヌで補完したから。ただ当たり前の話だけど、普通は複数の英霊や幻霊が混ざったりしないって話。
アイツらは本来繋がらないそれを、強引に繋いでる。多分、ロミオとジュリエットが接着剤代わりになって。どういう理屈でロミオとジュリエットがそうなるのか分からないけど」
『男女を引き合わせる恋心、でしょうか……』
呆れた風なオルタにかけられたマシュの言葉。
それをおかしげに鼻で笑い、彼女は旗の石突で地面を叩いた。
「ハ! ま、そーねぇ? 周りの迷惑を顧みずに、自分たちだけの世界に酔い痴れて暴れ回る馬鹿二人……って考えればそういう能力なのは正しいのかもね」
『ええと……』
彼女たちのやり取りを聞き流しつつ、立香が顎に手を当てる。
―――
果たしてロミオとジュリエットの引き合わせる能力は、男女のそれだろうか。
彼女たちの物語の結末こそが、本命なのではなかろうか。
……だがそれは、言うなれば修復ではないか。
既に結ばれているオペラ座の二人を更に強固に結ぶものではない、はずだ。
「……つまり、ロミオとジュリエットの影響さえ排除できれば?」
「まあ、そうね。つけ入るだけの
私が十分差し込めるだけの、ね!」
オルタの意志に従い放たれる炎の槍。
それらが全てファントムを直撃し、しかし弾き返される。
ただの人形を集めた四肢にはありえない強度。
どうにかしてそれを突破しなければ、彼女の炎はあの狂人に届かない。
舌打ちするオルタの後ろで、立香がツクヨミに顔を向けた。
「そっ、か……だったら―――ツクヨミ、美遊を!」
「何する気?」
銃撃を続行しているツクヨミが、視線だけ彼女に送る。
そんな彼女に対して不敵に、しかし少しだけ申し訳なさそうに。
確信をもって言葉を告げた。
「―――物語を終わらせること、かな?」
「ああ、
おお、
二人の声は重なり続け、その恋人たちは歌い続けていた。
クリスティーヌを抱くファントムと同じ場所で。
オペラ座の怪物の持つ、無敵の心臓の中で。
―――そんな彼らの耳に、静かな少女の声が届く。
「そんな事は、ない。あなたたちの結末は此処にある」
怪物の四肢、コロラトゥーラだったものの上。
夜の闇に紛れいつの間にか、一人の少女が怪物の体に取り付いている。
鈴の音のような少女の声。
それに反応したロミオとジュリエットがまったく同じ動作で、そちらに顔を向けた。
白い躯体に張り付いた、黒い影。
そんな矮小な相手を見据えながら、恋人たちは歌いだす。
「いいえ、いいえ、わたしたちの愛は永遠に―――ロミオ?」
何故か、声は重ならない。女が喋るが、男は喋らない。
そんな事実に不思議そうに、ジュリエットはロミオへ視線を向けた。
ふと振り向いた先、男の影が己の手で首を押さえている。
もがくように、男の手は自分の首を掻き毟っている。
ピンク色に染まっていた人型が、その色を青黒く変えていく。
「あ、あ、ぁああああ、あぁ、ぁ――――」
「……ロミオ?」
何が起きているのか。
もう彼女たちに終わりはないはずなのに。
別れはこない、はずなのに。
目の前にいる男が、青黒く染まっていく。
ピンク色の塊だった彼女たち二人のうち、片方だけが。
ロミオだけが、何かに侵されるかのように。
―――そこが彼の結末。
罅割れて、崩れていく男の影。
「ロミオ! ロミオ!? ああ、ロミオ……!?」
もう、愛し合う恋人の声は重ならない。
崩れる男を掴まえようとした女の腕が空を切る。
そんな光景を前に、少女が顔に被さっていた髑髏の面を上げた。
少女の今の姿は黒くなった肌に、煽情的な肌を晒す暗殺装束。
即ち―――
アサシンのカードが繋がる英霊。
それこそは暗殺教団の教主たる山の翁、ハサン・サッバーハ。
クラスカード・アサシンの接続先は、彼ら山の翁の内のいずれか一人。
使う者によって、歴代ハサンの誰に繋がるかが変わるカード。
そしてカレイドサファイア、美遊・エーデルフェルトが扱った場合。
その接続先は―――毒の娘、静謐のハサン。
肌も、血も、呼気も、体の隅々に至るまで毒として精製した暗殺者。
彼女はオペラ座の怪物の上で一つ、呼吸をした。
もはや彼女がそこにいる、という事実だけで。そこに生きている、という現実だけで。
毒に耐性がない者は、悉くが死に至る。
それこそが山の翁の一人、静謐のハサンの業―――“
美遊の手が、腰から投擲用の短剣を抜く。
彼女はそれを軽く放り、オペラ座の怪物の心臓部へと投げ込んだ。
「……ロミオとジュリエットの結末。
それはロミオが服毒によって死亡し、彼を追ってジュリエットが自刃すること」
怪物の心臓に落ちた短剣は溶けない。
この心臓を生成するために貢献した力の源である、残された一人の女が。
その短剣が自分の許に届くことを望んだから。
ジュリエットの手が、放り込まれた短剣を握る。
「―――なんて、いじわる。また一緒に死ねないのね、わたしたち」
毒で死んだのは彼一人。毒を飲み干したのは彼一人。
彼女はまた、違う方法で後を追う。
おかしげに令嬢はそう言って、己の胸に刃を向けた。
一瞬だけ目を閉じて、美遊の体が中に舞う。
そのまま夜空に飛び出し、アサシンを解除した蒼玉の魔法少女が離脱していく。
―――心臓の中から、恋人たちの姿が消える。
同時に、その被膜が僅かに罅割れた。
その鼓動の中に残されたのは、オペラ座の怪人と彼の愛する歌姫だけ。
揺れる心臓の中、エリックの腕がクリスティーヌを強く抱きしめようとした。
が、途中で止まる。
彼自身が醜い鉤爪である己の手を見て、動きを止める。
ただし、そこ止まり。
ファントムの霊基を補完するための切っ掛けだったロミオとジュリエット。
その存在は消滅したが、怪物は崩れない。
一度成立したからには戻らない。
ここは石室。
暗く狭い、オペラ座の底にある、彼と彼女だけの世界。
誰にも侵せない、小さな鳥籠。
―――だからこそ。
次の瞬間、オペラ座の怪物の全身を打ち砕かんと、地面から無数の槍が突き出してきた。
黒い炎で織り上げられた、憎悪の槍の群れ。
それらは全て確かに白い躯体に叩きつけられ―――僅かに傷をつけるに留まった。
打ち砕くには程遠い。オペラ座の怪物の無敵解消には程遠い。
ロミオとジュリエットがいなくなっても、まだ彼は確かに無敵である。
彼とクリスティーヌがオペラ座にいる限り、“オペラ座の怪人”は終わらない。
「……では問いかけましょう、ファントム・ジ・オペラ。
―――今あなたに向けられし刃こそは、憎悪によって磨かれし魂の咆哮」
黒く燃える憎悪の使徒が、聖女のように、魔女として、告解を勧める。
そんな事は分かっている、とオルタが謳う。
怪物の四肢と炎の槍がギチギチと競り合っているのを見て、彼女は笑う。
振り上げた剣の切っ先を怪物の心臓に向け、復讐者が吼える。
「貴様がこの場で何より憎悪するものは何か!
この悪に塗れた世界か! 己を醜悪に生んだ親か! 歌姫に群がる他の男どもか!」
そんなものどうでもいいのだろう、と。
復讐するためだけに生み出された復讐者が叫ぶ。
女の愛に救われるために生まれた狂人に向け、叫ぶ。
だからこそ、彼の口が動く。
歌姫を導き、歌姫に救われ、そして永遠に閉じられるはずだった。
そんな天使の歌声が、溢れんばかりの憎悪を謳う。
「―――ああ 語るまでもなく 歌うまでもなく
私は呪う 私は怒る 私は憎む
私がそれらを向けるべきは ただひとり
他の誰でもない その者に呪いあれ その者に裁きあれ
我が呪詛 我が嚇怒 我が憎悪
それらで以て焼け落ちよ それらを抱えて地獄に堕ちよ」
クリスティーヌを手放して、男が唄う。
こんな地獄は望んでいない。
自分が地獄に堕ちるのはいい。けれど彼女を連れてきたくなんてなかった。
彼女は、彼女だけは傷つけては行けなかったのに。
この腕が、彼女までも地獄に引きずり込んでしまった。
「それこそが
堕ちろ、堕ちろ、堕ちてしまえ。
オペラ座に秘された地下の底の底、地獄を突き抜けた地獄の底まで。
心底、そうであれと男は願う。
―――彼の憎悪が向かう先は、彼自身の存在に他ならない。
傷つけてはいけない人を傷つけた時、彼は本筋から外れた無敵の魔人となった。
無敵。そう、無敵だ。そうだとも、敵などいない。
彼が憎むのは己。彼が怒るのは己に対して。彼が願うのは、この物語の破却だ。
呪わしき魔人に裁きの鉄槌を。
己の愛する者を傷つけた憎悪で、その魂の欠片も残さず焼却を。
「……そうでしょうとも。あなたを呪う憎悪は、あなた自身の裡から生じたもの。
己が裡から溢れる憎悪の炎は、やがて自分を燃やし尽くす」
切っ先を返し、オルタが地面に剣を突き刺した。
そのまま石突を叩きつけるように、もう片方の手で旗を立てる。
広がる灰色の布地、竜の魔女の紋章。
「―――その憎悪に喝采を。その後悔に嘲笑を。
地獄の炎に身投げする無様を以て、貴方の演ずる舞台に幕引きを」
炎が盛る。漆黒の、憎悪を燃やした呪いの炎。
オルタが命を懸けたとして、ファントムの無敵は突破できない。
誰が相手であろうとも、今のエリックは無敵で不死身だ。
―――だが。
黒い炎が、怪物の四肢の内側から溢れ出す。
コロラトゥーラだったものが、内側から焼け落ちていく。
ファントム・ジ・オペラが、自身に対して抱く憎悪が燃える。
彼が自分に向けて唄う、止まない怨嗟の歌。
それを燃料にして、自分自身を燃やしていく。
「――――“
炎は収まらない。火力を増し、オペラ座の怪物を呑み込んでいく。
その炎は当然のように、怪物の心臓の中にも延焼する。
当たり前の話だ。
彼が何より燃やしてしまいたいのは。彼が何より憎んでいるのは。
そこに収まっている、愛する者さえ手にかけた醜悪な怪物なのだから。
その炎は彼自身の憎悪だからこそ、彼と彼女以外入れない石室の中にさえ届く。
狭く暗い、彼が望んだ二人だけの部屋。その内部が炎上する。
黒く染まる心臓の中で、それでも―――エリックはまだ死ねない。
怪人は死なない。物語が終わるまで。
怪物は死なない。オペラ座がある限り。
だが。彼の愛した女性が―――金髪の
今のファントム・ジ・オペラは無敵だ。
彼の物語から“終わり”が失われてしまったから。
―――何故、それが失われたのか。
決まっている。彼が、殺してはいけない
彼女の心が死んで。彼の救いが消え。その事実こそが彼を無敵にした。
そして、その事実こそが彼にもう一つ。
彼の世界にあってはならない刃を、彼へと与えていた。
本来は害されぬ彼の愛した歌姫、クリスティーヌ・ダーエ。
ファントム・ジ・オペラは。本来のエリックは。
彼女だけは殺せない。彼女だけは傷つけない。彼女だけは切り裂けない。
そのはずなのに。そうでなくてはいけないのに。
今の彼には、今こうなってしまった彼には。
彼女を、殺してしまうことができる。殺してしまえるのだ。
―――殺して、しまったのだ。
「おお―――おお おお
クリスティーヌ 我が愛 クリスティーヌ 我が光」
炎上する物言わぬ人形に手を伸ばす。壊れた歌姫に手を伸ばす。
彼が欲しいものはもう与えられない。彼に救いは用意されていない。
これが、二回目だ。
一度目は心を壊した。二度目の今回は、その時の残骸を処分するだけ。
心を壊してからも侍らせていた、そんな愛する人だったものを。
せまいせまい
エリックだけのものにされて。
クリスティーヌは、そんなことに耐え切れず壊れてしまった。
もう断末魔を発することさえなく、金髪の人形が燃えていく。
彼らのいる石室を満たすこの憎悪の炎こそ、ファントム・ジ・オペラの怨嗟の声。
ジャンヌ・ダルク・オルタに増幅された、彼自身の怨念。
―――であるからこそ、この炎の中でクリスティーヌは生きられない。
たとえオペラ座の怪人に命を保障されていても意味がない。
狂った彼自身の凶行から彼女を守ってくれるものは、誰もいない。
彼女をこの石室から奪おうとする外敵は全て、エリックが打ち払うだろう。
けれど彼女を傷付けるエリックのことは、もう誰も止めてはくれない。
彼女が閉じ込められた石室の中には、もう誰からの手も届かないのだから。
歌姫を導く天使の声さえもう届かない。
残っているのは、愛する人を悪辣に、無惨に切り刻んだ悪魔の爪だけ。
―――ファントムの憎悪がクリスティーヌを灰にする。
それと同時に、怪物の四肢が内側から黒炎に喰い破られた。
炎の勢いは収まらない。崩壊を始める巨体。
その心臓に独り残された怪人が、何かを探すように腕を彷徨わせる。
「私はただ 君が 君の愛が 君を 私のものに―――」
自分で壊して、殺した、欲しかったひと。
手に入らずとも、自分をきっと救ってくれたはずの愛しい歌姫。
愛に狂った怪人が、愛するべきものを見失う。
オペラ座はここにある。怪人はそこにいる。
だが、彼が求めたものは消え失せた。
もう怪人がオペラ座に天使の声を響かせる理由はない。
怪人が怪人である謂れが、どこにもない。
オペラ座がそこにあっても、彼が怪人で在り続ける理由がどこにもない。
「では―――貴方の喜劇の生涯に幕を下ろしましょう」
灰色の旗を大きくはためかせ、竜の魔女がカーテンコールを宣言する。
最後まで舞台上に残った、唯一の役者に向けて。
延焼が加速して、オペラ座の怪物は原型を残さぬほどに燃え盛った。
怪物の心臓が漆黒に染まり―――やがて、内側から弾け飛ぶ。
無敵になってしまった怪人はもう、そこにはいない。
歪んだ物語は、結末に着陸することさえなく破綻した。
関節が砕け散り、崩落する巨体を見上げながら。
竜の魔女が剣を引き、腰に下げた鞘へと刃を納める。
「おさらばです」
最後に一言。
そうして彼女は、己を憎む心に塗れた役者を嗤う。
崩れ落ち、積み重なる怪物の四肢だったもの。
己の裡に抱えた恨みつらみを唄う、天使には程遠い声で歌い続けていた怪物。
虚ろになったその残骸が、オペラ座の舞台だった場所に転がった。