Fate/GRAND Zi-Order ーRemnant of Chronicleー 作:アナザーコゴエンベエ
真骨彫ファイズのファイズフォンがポロポロするのでポロリもあるよ。
「ふふふん、ふーふーふーん、ふふーんふふーんふん、ふんふふーん」
鼻歌を歌いながら機嫌よく街道を歩む少女。彼女の上機嫌の理由は、思いがけず着る機会に恵まれた一級品の着物。周りの風景は現代人である彼女からすれば時代劇のそれだ。そんな状況と合わせ桜色の着物を着こなす髪を結ったイリヤスフィールは、存分に映画村気分を楽しんでいた。
そんな無駄にテンションの高いイリヤの背後には、いつ何があっても対処できるように藍色の着物の美遊がついている。友人というよりボディガード染みているが、まあ放っておいても問題はないだろう。
結局イリヤと美遊がおつるから着物を受け取り、立香と合わせて三人がそのような恰好で出歩く事になったのだ。後ろから着いていくオルガマリーはその光景に溜め息ひとつ。
同じく溜め息を吐きつつ、ゲイツがふとツクヨミに視線を向けた。見られている事を察し、ゲイツの方へと振り返った彼女が問いかける。
「なに、どうしたの?」
「別に大した事じゃないが……お前は着ないのか、着物」
「? あの服だともしもの時動き辛いじゃない」
「…………そうかもな」
言いながら少し歩幅を広げるツクヨミ。そんな簡単な事も着物ではそうはいかない、と言いたいのだろう。身に着ける物には機能性、特に緊急時に求められる機動性と、頑丈さこそがまず重要である。というか衣服にそれ以外を求めていない、とでも言いたげな様子だ。
そんな戦士の感性の相手から詰られたのか、とゲイツは何となく納得いかない気分になる。
「買い出しならば僕だけで済ませてしまってもいいですが、どうしますか主殿」
少女たちの散歩を見ていて、小太郎はオルガマリーにそんな提案をしてくる。用事はこちらで済ませるので、夕暮れまで憩いの時間として休んでくれてもいい、という趣旨の発言だろう。オルガマリーは軽く首を横に振ると、呆れるように言葉を返した。
「どうせ時間まで待つしかないなら、地形の把握ついでに全員で歩くのも変わらないでしょ。まあ荷物持ちはさせるけど、それで十分よ」
「御意」
言葉短く了解の意を返し、気配を薄くして護衛の任に徹する小太郎。
着物だったり洋服だったりしつつ、周囲を必要以上に見回しながら行進する、随分とごちゃごちゃした団体。認識阻害の魔術がかかっているが故にそうとは見られないが、傍目には中々おかしな集団なのだろうな、なんて。そんな事を考えつつ、立香は集団の真ん中辺りでのんびりと歩いていた。
立香の前には撮影機能を起動した二本の魔法のステッキ。彼女たちは契約者の晴れ姿を映像に収めるというレクリエーションを実行しつつ、現状の彼女たちにおける最大の急務、カルデアとの通信復旧作業を並行して行っていた。彼女たちの中で優先度がどうなっているかはさておき。
そんな中、ふとサファイアがぴくりと揺れた。
「―――? 姉さん、いま……」
「いいですよ、いいですよー。水着回に比べれば少々インパクト負け感は否めませんが、土臭い背景の時代で完全に浮いている異国人である魔法少女が、国柄に合わせて着用した着物姿が醸し出すミスマッチ感……しかしそれはただの不自然な光景に留まらず、希少性とあいまってある種の神秘性を―――」
チョップ一閃、サファイアの一撃がルビーを撃墜する。
その一撃の鋭さを目撃し、槍の宝蔵院が思わず感嘆の息を吐いた。
「どうしたの、サファイア?」
「カルデアとの連絡経路に一瞬、反応がありました」
立香が問いかければ無駄なく状況を教えてくれた。おお、と彼女が感心している間にオルガマリーがこちらまで距離を詰めてきている。すぐさまその発言について問いただす責任者。
「どういうこと? 一時的に繋がって、今はまた繋がらなくなったということ?」
問い詰められ、サファイアがステッキの体を小さく捩る。表情こそ無いが、その様子からしてどうにも言葉選び、説明の仕方に困っているように見えた。
「……いえ。現状復旧しようとしている通信網とはまったくの別経路。まるで新規の通信線が突如出現したかのような、特異な反応で―――」
「原因、アレじゃないですか?」
撃墜されていたルビーがふよふよ浮いてくる。そんな彼女が羽飾りで指差すように示すのは、前を歩いていたイリヤたちだ。少女たちは何者かに呼び止められたか、足を止めて一人の女性と話していた。
―――それは青い着物の何とも美しい女性だった。なんと頭には狐の耳、臀部からは狐の尾が見える妖艶な美女である。ルビーが示したのは、厳密にはそっちの女性なのだろう。
「あの狐の耳と尻尾は……!」
もちろん見覚えがある。当然、タマモキャットとは違う人物として。
その発言に小首を傾げて、胤舜が顎に手を添えた。
「……ふうむ、サーヴァントではない。が、なるほど」
両目を瞑り精神を整える胤舜。彼は数秒そうした後に眼を開き、そのような事を口にした。彼の口振りからは納得というか、無念感というか、何とも言えない感情が見え隠れする。
どういうことかと首を傾げる立香に対し、ゲイツが胡乱げな視線を向けてきた。
「耳だの尻尾だの、そんなもの見えないが?」
「え?」
立香にはあの女性が知己にしか見えないが、他の者たちにはそうではない、という事らしい。どうして一体そうなるのか、と考えだす前にルビーが答えを出す。
「流石の呪術師という事でしょう。どういうわけかこの時代まで隠遁していた狐です、サーヴァントであってもそう簡単に正体を暴くことはできないかと」
つまり胤舜が見せた奇妙な様子は、知った上で探っても女怪の正体を見破れない自身の未熟を猛省していたのだろう。そしてなんと彼女は現地人らしい。正体を考えればこの時代にいる筈もない。だがここは並行世界なのだ、そういう時空、時代を辿った世界であるならばおかしくはない、のだろうか。
しかし立香としては、そんな隠形の達人が素で目に映る自分は何なのだろうかと首を傾げる。魔法のステッキを除き、他の誰も見破れない正体隠匿だ。なぜ素人同然の自分だけ。
「……わたしたちはコフィンを使用した通常のレイシフトでここに来てるけれど、あなたは呪術と思しき手段で魂に干渉されてこの世界に引き込まれた結果、肉体は今もそのままカルデアに保管されている。
―――その体の面倒を見ているのは、呪術に最も造詣が深いタマモキャットよ」
オルガマリーがそう言って目を凝らす。当然、彼女もイリヤと話している美女に狐の要素など感じられない。ふと周囲を見回しても反応は困惑に近いものだ。あの女性の
何故そうなったのかという理由。更にはサファイアが言った今になって突然カルデアと自分たちを繋ぐラインが一つ増えた、という話。それを考えれば、カルデアとこの世界に特定人物が同時に存在する事によって発生した、イレギュラーな繋がりが原因なのでは、という考えに辿り着く。
となれば、現状を打破する鍵は目の前の女性以外にありえない。何よりその正体が予測通りならば、彼女は人智を超越した獣の化身にして規格外の呪術師である。未だ正体の見えない敵と渡り合うのに、これ以上ない協力者となってくれるだろう。
状況を改めて理解した上で気合を入れ直し、立香が前に出る。
「おや、あなたもおつるさんの着物を着てらっしゃる? 変だ変だ、いえ本気で頭が茹だった発言が増えたとは思っておりましたが、あの方、随分な宗旨替えをされたご様子。恩を受ける前に礼を押し売り、覗かれるまでもなくあいどるとやらを輝かせる鶴の羽織りは一夜の夢と……」
「あ、おつるさんと知り合いなんだ。玉藻の前も」
女性は玉藻の前、と呼ばれた事にきょとんとした様子を見せる。その表情、所作からは彼女が妖狐である事など伺えない。いや、そもそも彼女がこの並行世界では玉藻の前などと名乗らなかった、という可能性も無くはないのか。
「玉藻の前……生憎とそのような名前は存じ上げませんが、あなたから見て見間違うほどに似ているのですか? であれば偶然とは重なるもの、この
世の中には三人よく似た人間がいると申しますが、きっとそれなのでしょう―――」
『ウム、驚くべきはオリジナルによく似た狐はまだまだ居て、虎視眈々とその立ち位置を狙っているという事なのだが』
「ギャアアア――――ッ!?」
いつの間にやら浮かぶ映像、立香の肩に座っているコダマスイカが投影したヴィジョン。そこに大映しとなっているのは、呆れ顔の狐耳。言うまでもなくタマモキャットその人である。
それを見た瞬間、ころころと笑う上品な女性は消え去った。タマモキャットを見るやド級の悲鳴をあげた謎の女性は、思考をフリーズさせて口をぱくぱくさせている。
「ちょ……っ、どこぞの
『そもそも現世に降り立っておいて玉藻の前という名を知らぬとはお笑い草。その発言、へそで沸かした茶の湯を客に振舞うが如き蛮行の極致。マナー違反に嘘八百、これだけ悪行を重ねれば狐の悪戯にしても大概でちと、舌切り雀も呆れ顔で剣を抜こう』
正しく分身、尻尾を分けた身であるタマモキャットは言う。何をまかり間違ったか今現在に現世を漫遊していようとも、地上に降りた太陽の化身は玉藻の前を名乗り、人に混じってその末に追い立てられるものなのである。何かおかしなことがあり、それが歪んだとしたらその後の話だろう。殺生石に至るまでは変わる筈もない。
太陽が地上に降りるとはそういう事だ。星の運行の中心にある太陽の影響は正しく運命を運ぶ。玉藻の前と名乗る狐、彼女自身のものを含めて確実に。だというのに言うに事欠いて玉藻の前を知らぬとは、何と恥を知らぬ発言か。
「やーめーてーくーだーさーいー! 現世で清く正しく生きている私が何で地獄に通報されなきゃいけないというんです! そもそも私、知ってはいますが閻魔との縁なんてまだございません。数百年の間現世で活動していた私にそんな機会ありません! ええ、そうですとも! このウン百年、理想の旦那様を探しつつも独り寂しく生きてきた私が一体何をしたというのか!?」
『へぇ、この駄狐数百年もそんなさもしい生活してたワケ! マジウケるし!』
「誰ですか今の声! 声からでもそっちが恋愛弱者なの滲んでますけど!?
突然始まった二人のタマモのやり取り、そして混ざる鈴鹿御前。オルガマリーは無言で周囲への認識阻害の範囲を広げ、他の者たちはそのやり取りを何と無しに眺める事になる。カルデアと通信が繋がった事にわざわざ言及できるような状況でもなかった。
『ああ、やっと繋がった。タマモキャットのおかげ、なんだろうか?』
「……まあ、半分そんな感じみたいね」
ロマニがほっと一息つく声だけが聞こえる。
ケモミミたちのやり取りはスルーの方向で、オルガマリーもとりあえず一息吐いた。
『良かった……ご無事ですか、先輩?』
「うーん、今は無事だよ。うん」
安堵するマシュに向け、死にかけた事は伏せて現状を報告する立香。まあただでさえ騒がしいのに、マシュにまで騒がれても面倒だ。正しい報告は問題が解決してからさせればいいだろう。
その直後に音声に一瞬ノイズが走り、BBの声が聞こえてきた。
『通信の安定化を確認、特定した周波数帯を固定。原因は……うーん、まさかまさかのキャス狐さんの共鳴現象。と、まあそんな事はどうでもいいです。それよりセンパイ? コスチュームチェンジは結構ですが、わたしが手を入れた渾身の一着はどこへ?』
「色々あってボロボロになったからこの服と交換しちゃったんだけど」
『そんな……! 自分で着用済みの制服をどこぞの誰かに売り捌くなんて……!? まさかセンパイにそんなブルセラ供給趣味があっただなんて驚愕です。
実際問題必要と考えたとはいえ、少し申し訳ない。BBは揶揄うような言葉を向けてくるが、裏腹にどこか影を感じさせる声色。責めてくるような様子はないが、彼女の中では何かの葛藤があるのだろう。
しかし数秒と待たずに彼女は調子を切り替えて、颯爽と話題の変更を行った。
『それで今がどのような状況か。お話、聞かせて頂けますか?』
▽
「なるほど、なるほど?」
夕暮れ時。そんな事が有って合流も通信もできました、と。またも顔を出した立香からそう説明された蓮太郎は一度頷いて、そのまま首を横にぱたりと傾げた。だがまあ状況が良くなったのなら良いことだ、と考えるを止め、うんうんと何度も頷いてみせる。
「そんな事よりお前の前に白ウォズ……白い洋服を着た妙な男が現れた事はあるか?」
「いや、多分会ったことはないな」
蓮太郎の答えを聞き、目的は果たしたとばかりに腕を組んで仏頂面を浮かべ黙り込むゲイツ。自分たちを取り巻く環境は改善されたが、やはり敵方の目的は不明瞭だ。そもそも敵の勢力図すら判然としないのだから、そうして溜め息も吐きたくなる。
「まあ俺からは伝えるべき事は特に何も……ああ、そう言えば今日江戸から来て登城していったお侍の中に凄い剣士がいたな」
「侍? まさか英霊剣豪?」
「それはどうだろうな、俺には普通の人間に見えたが」
目を細くするツクヨミにそう言って、蓮太郎は達人に対する感嘆の表情を見せる。
別にサーヴァントでも何でもない侍ならば、何を気にしたものでもない―――とも言えないのが、宮本武蔵という例で分かっている。だが江戸から来た侍ならば、サーヴァントでも英霊剣豪でもないだろう。城下の警備が厚くなった、と素直に喜んでおけばいいだろう。
「……江戸からのお侍様ですか。そういえば来ていましたねぇ」
流れで一時同行する事になった玉藻の前が、取り繕った口調でそう呟く。
彼女の反応に気になるところがあったのか小太郎が問う。
「何か気になる事でも?」
「いいえ、気になるというほどの事ではございませんけれど。ただ尋常ならざる化け物狩りで名を馳せておられるシノビ様ほどの傾奇者が凄腕だとおっしゃるのです。今の江戸から遣わされるそれほどの腕利きとなれば、
『へぇ、なに。そっちの忍者は化け狐狩りとかしてる系?』
「いや、狐は……いなかったんじゃないか?」
ケラケラと笑いながら茶化す鈴鹿御前の声と、真面目に答える蓮太郎。口許を怒りで痙攣させつつも、ぐぐっと堪える
この心の広さこそが彼女が良妻賢母(自称)たる所以であろう。
そんな事よりも、とおたまに問いかけるのはツクヨミだ。
「それで、心当たりって?」
「……徳川家光公の兵法指南役にして江戸幕府大目付、
「―――柳生但馬守、ですか」
告げられた名前のビッグネームぶりに唖然とした様子で呟く小太郎。
この時代に生きた人間が聞かされ、こうも尻込みするのだ。余程の大人物なのだろう、というのは分かるが聞き覚えがありそうでない名前に対し、イリヤが首を傾げる
「柳生……柳生十兵衛なら知ってるけど」
「うん? というと、イリヤ殿たちの時代では柳生宗矩の名より、柳生十兵衛の名の方が有名という事になるのかな? ううむ、両人共に大人物であるが父の名のみが廃れるとは……諸行無常とは言え筆舌にし難いものがあるな」
「あ、多分わたしが全然知らないだけでそんな事は……柳生十兵衛のお父さんなんだ」
何とも言えないと、バツが悪そうな顔を浮かべる宝蔵院胤舜。
難しい顔をした彼の前でただ自分の無知だと主張するイリヤスフィール。
胤舜はそんな少女の反応に対し、からりと笑って表情を変える。
「しかし柳生宗矩殿が直々の出陣とは、家光公はこの件をよほど重要視しているのだろうな。ただその割には初動が鈍かったようにも感じるが」
「そりゃあそうでしょうとも。家光公は但馬守を選んで動かす事を決めたのではなく、今の幕府が存命を確認できている人間の中で、もう彼以外に問題に対処できる手練れがいないと判断したというだけの話なのですから」
「……ほう?」
おたまの言葉に、笑っていた僧がギラリと視線を尖らせる。
彼がそうなった理由が分からず、イリヤが戸惑うように周囲を見回す。
彼女の疑問に答えをくれたのは、隣にいた美遊であった。
「……宝蔵院胤舜の生没年は1589年から1648年。西暦1639年であるこの時代の10年前には、徳川家光の御前で槍の腕を披露した経歴もある」
「ってことは、胤舜さんってこの時代で生きてる人?」
「うん、恐らくは。ただ居たとしても、江戸からも下総からも離れて宝蔵院……奈良県にいるだろうけど」
そう言って美遊は顎を撫でる胤舜を見た。
「どうにも気にかかってはいたのだ。
まあ下総ばかりが襲われ、他所には知られてすらいないとなれば不思議ではないか、と考えて納得はしていたが……しかしこの現象は幕府も把握し、但馬守に出陣を願うほどに余裕が無いと言う。ましてこの時代、江戸に滞在している武芸者の中には、俺も良く知る宝蔵院の技を修めた名手も幾らか居る。流石に彼らがこの異常を放置して何もしていない、という事はあるまい。ではそやつらは一体どうしたというのか」
胤舜が顔を狐に向ける。
彼女は煮え滾る僧兵の様子に肩を竦め、何とも無さそうに回答した。
「私とて長年人の世を恙無く渡り歩いてきた者。その秘訣こそみこっと立てた長い耳にて常に情報を集める事を怠らない事でして。ですがそんな私の感度の高い耳でさえ、よく名を馳せていた者ほどいつからか不気味なほどその名を聞く事がなくなりましたねぇ。まあ、恐らく全員亡くなられているのでは?」
あっさりと断言する玉藻の前。
予想通りの答えに咽喉を鳴らし、苦笑に近い笑みを浮かべる胤舜。
そうした表情を変えないまま彼は続けた。
「それはまた面妖な話だ。が、一先ずはそうであるとしよう。ちなみに玉藻の前殿、その狐耳が俺の名を最後に拾ったのはいつ頃だろうか」
「はてさて、随分昔の話のように思いますが」
「では死んでいるのだろうな、この時代の俺も」
呵々と笑い、あっけらかんとそのような結論を出す男、宝蔵院胤舜。そんな反応でいいのか、という顔で彼の様子を一瞥しつつ、ゲイツがおたまに問いを重ねる。
「……そんな状態で江戸からその柳生という男を動かしていいのか?」
「はて、普通であれば考えられませんが……家光公が江戸をも襲う怪異の原因がこの下総にある、と判断したのであればそういう事もあるでしょう。いちかばちかの賭けですが、分が悪いわけではありません。何せ送りこまれたのは剣術無双、柳生宗矩。彼が負けるという結果は無いという確信があれば、後は彼が怪異を斬り捨てるまで耐え凌ぐのみ、ですので」
「なるほど……それほど強い人なのね」
ツクヨミが感心したように呟く。
腰を上げたからには必勝、必殺。敵が怪異であろうとそれは変わらない。
徳川家光がそう確信している剣士こそが、柳生宗矩である。
そしてそれはけして誤りではない、と。おたまは少々憮然とした顔で続けた。
「ええ、彼の剣士が怪異に敗れる心配などはいらないでしょう。江戸の事を心配するよりも、あなた方はあなた方の目的を果たすべく行動なさればよいのです」
「おたまさんは? 手伝ってくれたり……」
「しません、やりません。私は今は下総で暮らすただのいち芸者。そんな日ノ本を揺るがす陰謀や、怪物との命のやり取りに付き合うなんてとてもとても」
立香の問いかけに、彼女はぴしゃりとそう言い切った。カルデアからの映像があるわけでもないというのに、玉藻の前の脳内にタマモキャットが浮かび上がってくる。タマモナインとかいう謎勢力であるらしい彼女の表情は、出荷を前にした家畜を見る目であった。
その目が雄弁に語りかけてくる。『ああ何てこと。彼女の嘘に塗れた舌はすっぱり抜かれて、狐タンとして雀のお宿で提供される幻の珍味になってしまうのね……』と。
しかし当然そんな風評被害を勝手に起こされて、宿の主は黙っているわけもない。衛生的にも霊格的にもそんな論外なもの、うちで提供するわけないでち、というのが雀のお宿の方針である。
存在を知ってはいるが会ったこともない雀に、何故かどうにも責められている気分を味わう。そんな状況に何とも言えない表情を浮かべてみせる玉藻の前。
そんな彼女に対して首を傾げる立香だが、玉藻本人以外にとって重要でもない。
「……とにかく情報は得た。そいつはそれ以上話す気がないならそれでいいだろ。おい、白ウォズ……全身白一色の変な男が現れたら俺たちに伝えろ」
「それはいいけど、いきなり現れても連絡が取れないし……」
もういいだろうと話を打ち切り、蓮太郎に声をかけるゲイツ。だが現代ならば携帯電話で容易な事も、この時代では大きな手間だ。そのように言われて、ゲイツは少々顔を顰めた。
まあそうであろうし仕方なし、とツクヨミが懐からファイズフォンを取り出す。
「これなら私たちに連絡できるから使って」
「……携帯、繋がるのか?」
訝しげに眉を寄せる蓮太郎の前で、ひょひょいと軽い動作で立香の肩に上がるコダマスイカ。その頭部モニターがピカリと光ると、ツクヨミが手にしているファイズフォンXがコールを始めた。
蓮太郎がきょとんとした顔で目を瞬かせつつ、差し出された電話を受け取り通話ボタンを押す。
『えーと、もしもし?』
『こっちは聞こえてるよ、そっちは聞こえますか?』
『本当に通じてる……』
蓮太郎の声がコダマのスピーカーから出て、立香の声がファイズフォンから出る。過去に来て未来のガジェットに驚かされるとはどういう事なのか。未来、凄い。
とりあえず理屈はさておき手段は出来たと納得し、受け取ったファイズフォンを懐にしまう。
「じゃあまあ、怪しい奴を見かけたら連絡するよ。白ウォズ? だっけ」
「ああ、頼む」
更に街の状況について幾つか情報をやり取りして、彼らは解散する事にした。
カルデアの者たちは
そういう事になったのを見届けて、おたまはふらりと夕暮れの街へと歩き出す。
すっかり人通りも途絶えた大通りの光景を一瞥して、どこかガッカリしたような、けれど安心したような、どちらともつかない溜め息をひとつ。
「―――文字通りの潮時、というワケですか。まあその予兆は感じておりましたけれど」
女の勘、という奴だ。流行、世の流れに敏感な狐の耳をピコンと立ててみれば、幾らかの世情はそれなりに集まってくる。そしていつだか気付いたのだ、世の流れが如何にも滞留していると。
そもそも彼女がこの時代に至るまで残ってしまった事が怪しかった。分岐点は恐らく今よりもっとずっと前だろう。誰が、何時、何処で、本筋とは違う道を選んでしまったのかは分からない。だがどうあれ、この世界はもう手遅れなのだ。
「とはいえ折角なので波に浚われて消えるまで、この人の世を楽しむとしましょうか」
とはいえ、その事実にさほど興味も表さず。
彼女は地平線に消えていく太陽の姿を見て、静かに小さく微笑んだ。
▽
「……ずーいぶん、楽しんできたみたいじゃない?」
「えっ、その格好どうしたのクロ」
戻ってきた彼女たちをまず出迎えたのは、泥塗れで肩をいからせたクロエの姿であった。なんとすぐ傍には同じように泥にまみれた武蔵が転がっている。
戸惑うイリヤの視界の端に入るのは、何故かジオウⅡがジカンギレードで薪を割る姿。
何故変身して薪割りを? と、ジオウⅡの方に顔を向けたイリヤに、クロエはずずいと泥だらけの顔を突き出してくる。
「ク、クロ?」
「へぇ、綺麗なおべべ。わたしがソウゴに泥溜まりに突き落とされてた間、イリヤとミユったらこんな綺麗な着物を買って貰ってたんだぁ。ねえねえ、わたしにもよく見せて?」
正気とは思えぬ顔で手を伸ばしてくるクロエ。そのまま抱き着いてきそうな、妖しげな雰囲気の少女。勿論そんな事になれば、イリヤがせっかく貰ったおろしたての着物までもが泥んこだ。
少女は即座にクロが泥沼に叩き込まれた原因らしいソウゴに向かって叫ぶ。
「な、なんでそんな事してるのー!?」
「え? 村正がご飯炊くには薪が要る、っていうからだけど」
「
そんなやり取りをしている合間に、イリヤの前方に美遊が割り込む。
クロに対する盾の役割を果たすためか。
「ミ、ミユ……!」
「イリヤ、下がって。今のクロは正気じゃない!」
「服が泥で汚れるのが嫌なら変身しておけば?」
ソウゴがイリヤ達にそんな事を言うと同時、カコーンと剣に断ち切られた薪が地面を転がった。もしかしてソウゴが変身したまま薪割りしてるのは、クロに泥を飛ばされても問題無いようになのか。
そもそも何でそんな事になったのか分からないが、終わった後の憂さ晴らしすらさせないとは、何というブロック力か。内容は子供の喧嘩染みているが、王様の態度は理不尽の権化だ。
オルガマリーが眉間に指を当てて、闇がかった空をゆっくりと見上げた。
彼女のその態度に同意するようにツクヨミが深く溜め息を吐く。
狂気の表情でイリヤと美遊ににじり寄っていたクロエ。そんな少女が何かに気付いたように、少し離れた位置へと魔術によって転移した。クロが何故突然そんな事をしたかと言えば、理由はただひとつ。
一瞬前まで少女のいた位置に立っている藤丸立香の姿。彼女も着物を着ているが、クロエを抱きかかえようとしたものの逃げられ、腕を余したような体勢を取っていた。
むすー、っとしているクロエに苦笑する立香。
彼女は周囲を見回して、原因となるソウゴにぴたりと視線を合わせる。
首を傾げるソウゴに笑いかけて、一言。
「こうなったらお風呂、作ろうか。私も入りたいし」
そう言つつ立香は振り返り、更に我関せずの態度でいたゲイツを見つめた。
▽
〈アーマータイム! ウィザード!〉
〈アーマータイム! ドライブ!〉
装着されたアーマーの調子を確かめるように拳を開閉するジオウ・ドライブアーマー。ゲイツ・ウィザードアーマーは固定化された魔法陣のマントを軽く払い、溜め息混じりに周囲を見回した。
泥の海。先日の戦いの最中、局所的集中豪雨に沈んだ場所だ。周辺の木々も根から掘り起こされ、横倒しになって隅に転がされている。まずはその辺りの処理からか。
「あれも薪に出来るよね」
ジオウが肩部からタイヤを射出する。深緑のホイールはフッキングレッカー、フックのついたワイヤーが伸びて樹木に巻き付き、それを空中へと吊り上げる。運ぶ先は庵の前だ。
続けて射出されるタイヤは紫色。回転し飛行する手裏剣状のミッドナイトシャドーが、レッカーが吊るした木を次々と適当な大きさに切り揃えて並べていく。だがこれは芯まで水に浸かり切った木だ。解体してすぐに薪にする、なんて事はできないだろう。
ならばと次に射出されるタイヤは、灼熱に燃えるバーニングソーラー。陽光を放つホイールが薪の至近距離に設置され、一気に木材を乾かしていく。
「なぜ俺まで……」
一体何の工事現場だと言うのか。樹木が撤去された地面を一望し、文句を呟くゲイツ。だがやらないという選択肢はないのか、両手に黄色い魔法陣を浮かべて、彼は濡れた大地を操作し始めた。
正しく大地が割れる様に、泥の海が左右に切り裂かれていく。改めて酷い土と水の量、水を蒸発させるために炎を操る赤い魔法陣に片手を切替え、同時に地中深くから手頃な岩塊を引きずり出して下準備を進める。その際に発生する邪魔な土砂は、ジオウが召喚した黄色いホイール、ランブルダンプが除去していく。
「ゲイツ、ちゃんと女湯と男湯は分けてよ?」
「……わかってる!」
大穴ひとつで作業を進めていたゲイツにかけられるツクヨミの声。その言葉に怒鳴り返しつつ、彼は穴の中央から巨大な岩の塔を無理矢理に突き出させた。
その巨大な仕切りに合わせ、広面積化を余儀なくされる温泉。村正の庵よりも広くなってしまった範囲を見て、ジオウがゲイツに顔を向ける。
「流石にでかくしすぎじゃない?」
「うるさい、そもそもお前のせいだ」
引き揚げた土砂は捨てるべき場所もない。なので更に展開したタイヤ、スピンミキサーを用いてそれを材料にコンクリートを仕立てているジオウからの言葉を一刀両断。ゲイツは乱暴に炎を打ち切って、引きずり出した岩を削るため、その手に緑の魔法陣を展開する。
そんな態度に肩を竦め、ゲイツが無駄に広げただだっ広い穴へとコンクリートの流し込みを始めるジオウ。瞬く間に固まる特殊なコンクリート材が、泥の海を灰色に染め上げていく。
ジオウの作業を尻目に、風の刃を走らせるゲイツ。丁度いい塩梅に切り裂かれては、コンクリートに覆われた地面に敷き詰められていくタイル状になった岩塊。
タイミングを見てジオウはそれをローリングラビティの重力制御で均し、転圧していく。初めてから10分に満たない時間で、流れるように組み上げられていく人工の露天風呂。
一通り内部の作業を終えたジオウが温泉内から出ると、ゲイツが巨大な青い魔法陣を浮かべ、一気に水を放出した。溜めるためではない、広範囲を一気に流す高圧洗浄。
彼はそれを岩に向かって数度打ち放つと、残った水を操作して排出してから、今度は温水を浴槽へと注ぎ始めた。工期10分の突貫作業による温泉建築、施工完了である。
想像以上に楽な作業に、ジオウが張り終えた温泉の水面を見て一言。
「香りづけに神様オレンジの果汁とか入れてみる?」
「これ以上余計な事をするな」
ゲイツが鎧武ウォッチを出そうとするジオウの首根っこを掴み、後ろへと引きずっていく。そんなに本気の発言ではなかったのか、ソウゴも特に抵抗することもなく引っ張られていく。
代わりに準備を整えた女性陣たちがの奥まった方の浴槽に向かって歩いていく。
「わあ、わあ、すごいねぇ、これが
「だぁう、だぁ」
弟を抱き、皆の後ろについていくおぬいが感嘆する。しかし田助からしたら何やら熱そうな大きな水溜まり、近づくのを嫌がっているようにも見えた。とはいえ、しっかり者の姉がどうにかするだろう。
心無し早足の童女の後ろにつくようにオルガマリーとツクヨミが続く。
「風情の欠片もない工事現場まで見せられて異国情緒もあったものじゃないわね……」
「できるのが早い分にはいいじゃないですか?」
こいつもこいつで外れてるな、とばかりに溜め息のオルガマリー。
そのような反応を返されてツクヨミが首を傾げた。
「綺麗な着物を着て、江戸の街を見て回って、夜には露天風呂……なんかこっちに来て初めて、凄い旅行を味わってる気分!」
「江戸の街、ではないけれど……」
思えば酷いものだ。チョコの海が押し寄せる閉鎖世界に、闇の街となった新宿に、男狩りが流行の地下都市群。小学生の少女が巡るにしては、あまりにもあんまりなラインナップだろう。
別にここが良い場所だという話ではないが、旅行っぽいスケジュールを取れたのは結構嬉しい。そんなテンション高めのイリヤに聞こえない程度の小声で呟く美遊。
ウキウキの少女が過ぎ去った後に続くのは、泥を落としてから一応水を被った程度の状態である武蔵。彼女はどこか神妙な顔をして、目の前に屹立する岩の塔を見上げていた。
気を張り詰めている彼女の背後から、立香が不思議そうに問いかける。
「どうしたの?」
「……いえ、まだ話すべき時じゃないわ。行きましょう」
「?」
キメ顔でホームズみたいな事を言って、ずんずんと女湯に向けて進む武蔵。まあ大丈夫ならそれでいい、と立香はクロエの方へと視線を向ける。
クロエは戦闘フォームを解除し制服に戻った状態で、武蔵のように水を被り泥だけ落とした状態だ。立香とは少々距離を取りつつも歩幅を合わせていた彼女は、立香と顔を合わせて同じように首を傾げていた。
そうした女性陣の行軍を見送って、変身を解除して一息つく。
ソウゴとゲイツの幾ばくかの休息を挟み、彼らも月を見上げながら入浴するか、と。そんな雰囲気となった直後に、ソウゴの頭のすぐ横にあった木に一本の矢が突き刺さった。
きょとんとしながらその矢を見れば、矢には風呂敷が括りつけられていて、木に突き刺さった衝撃で強く揺れ動いている。
矢が飛んできた方向を見てみれば、体を岩壁に隠して顔だけこちらに出したクロエが、にんまりと笑いながら小さく手を振ってみせていた。
「じゃ、わたしと武蔵の服の洗濯。よろしくね、マスター?」
言うだけ言って引っ込む頭。すぐにザバンと身を湯に沈める音が聞こえてくる。
クロエが消えた後風呂敷を見て、数秒。
それを指差しつつ、ソウゴは隣にいたゲイツに問いかけた。
「俺が洗うの?」
「自業自得だ」
問いかけるソウゴに対し、けんもほろろないつも通りの態度を見せるゲイツ。
その態度に怯むことなく質問を重ねるソウゴ。
「……洗剤になるフルーツって知ってる?」
「さあな。まあ、しいて言うならオレンジとかレモンなんかの柑橘類の皮じゃないか」
じゃあやっぱり神様オレンジの出番だ、と鎧武ウォッチを起動しようとするジオウ。だがそのやり取りを傍から見ていた小太郎は、困ったような顔ですぐさまその行動を制止した。
「果物が洗濯に向くその理由について詳しくないのであれば、避けた方が良いかと。正直、また問題がひとつ増える事になる結果しか見えません」
例えば武蔵の着物から色が抜けたり、クロエの制服が黄色くなったりと。
どう考えても上手く行く未来が見えない。
ソウゴ自身も言われた事を少し考えて、おおよそ同意せざるを得なかった。
であれば普通に洗うしかないだろう。
ちらりと他の面々の確認をする。
「手伝ってやりたいのは山々だが、相手の許可なく婦人の着物に手を付けるわけにもいくまい。拙僧に出来るのは、おまえが仕事を果たすまで湯につからず待っている事くらいだな」
「同じく。申し訳ありません」
からからと笑う胤舜と、謝罪してくる小太郎。
「自業自得だ」
鼻を鳴らしてまたもそう言ってくるゲイツ。ここまで言われてしまえばもう逃げ場もないだろう、溜め息をひとつ落として、ソウゴは木に刺さった矢から風呂敷を外した。
▽
「―――いっそあの沼地を湯浴みのために改造するとは聞いたがな、限度ってモンがあるだろうよ」
ひとり庵で夕餉の仕込みをしていた村正が呆れた声を出す。
屹立する男女の境を遮る高い岩壁。コンクリートを下地にしつつ、自然の岩を切り出し配置した広大な浴場。これでもかと注がれた湯に、立ち昇る湯気。
せいぜい30分もかけていないというのに、庵に入って出たらいきなりこんなものが新築されていたらたまらない。
胤舜が見繕った枝で拵えたらしい物干し竿に、何故か武蔵とクロの服を干しているソウゴを見る。彼は村正に気付くと、嬉々として問いかけてくる。
「ご飯できたの?」
「お前らが湯浴みするってんで仕込みまでしか手を付けてねえ。んで勿論、せっかくだから
「……じゃあ俺もお風呂入る」
風呂より飯だったのか、幾分か肩を落とすソウゴ。ソウゴが反省の洗濯を終えた事で、胤舜が笑みを浮かべながらゲイツと小太郎の肩を掴んで歩き出した。
「おい」
「いつ月が
「ははは、湯につかっているだけで気を抜くような性格でもあるまい。せっかく男五人揃って裸の付き合いをする機会だろう。いつ月が変わってもいいよう、全員で見上げながらまったりするのも悪くなかろう」
積極的に逃げるほどではない二人を引込み、胤舜が浴場へと向かっていく。ソウゴと村正もそれに続き、男が五人、服を脱いで湯につかり始めた。
▽
「きもちいいねー……ねー、じいちゃま。この“おんせん”、まいにちはいれるのかな?」
「お前が毎日ここの水を入れ替えて湯に沸かせるってなら幾らでも入れらァ」
「ええぇ、そんなのむりだよぉ」
田助を立香に預け、その広さも味わい興奮しつつ声を上げるおぬいに、村正が至極落ち着いた声で答える。何せこれだけの水場だ。きっちり世話をしなければ、さっさと溜池に早変わりだろう。
後の事は考えていなかった、とむっつり顔を顰めるゲイツ。
「まァ、そこらで畑を耕すなら雨を溜めるだけで役に立つだろうが。ンな事より一回こっきりしか味わえない湯だ、次の事を気にするより今楽しんどけ」
「うん、そうする!」
そう言ってぱちゃぱちゃと湯に遊ぶ童女。
それを微笑ましげに見つめながら、武蔵はゆっくりと立ち上がった。
太助を抱きつつ、のぼせないように見ていた立香が首を傾げる。
「あれ、武蔵はもう出るの?」
「もちろんまだよ。せっかくの温泉なんだもの、最大限楽しまないと」
何やらそんな事を言って、岩場に置いてあった体を拭くために準備した大きめの手ぬぐいを取る。しかし彼女は体を拭くのではなく、何故かそのまま流れるように布を体に巻き付けたではないか。
質も良くなければ薄手の布だ。湯に濡れればそれなりに透ける上、体にぴたりと張り付いてしまって体をちゃんと隠せてるとは言い難く、本当に裸よりはマシ、程度の状態にしかならない。だが当人は気にする様子もなく、というかそれ以上の興味がその先にあるとばかりに、静かに湯を渡り始めた。気配も無く水音も立てない、それはそれは見事な忍び足である。
「最大限楽しむ……?」
岩に背をもたれ、湯をじっくりと味わっていたイリヤもまた首を傾げた。美遊も理解は及んでいない顔をしているが、クロエだけは何かに気づいたようにハッとした様子を見せる。
流石は死線を同じくした盟友、と武蔵は深く頷いてみせた。
「この岩壁の向こうでは今、こちらにはいない皆が湯に入っているわ。全裸で」
「えっ」
「私の好み的にはあの子たちがもうちょっとだけ若かったら、と口惜しさを感じないでもないけれど……それでもソウゴやゲイツくん、小太郎くんの体は見に行くに値する、と断言できる。
もちろんおじいちゃんや胤舜殿の鍛えられた肉体も別腹として全然いけますとも」
「えっ、ちょっ、それってつまり覗―――!?」
咄嗟に叫び声をあげそうになるイリヤの口を、クロエの手が予測していたような早業で塞いでしまう。内容は遮られ、こもった悲鳴だけがその場に上がる。
振り解こうとするイリヤに、押さえ付けようとするクロ。裸体の少女が二人、くんずほぐれつする有様を見た武蔵が静かに手を合わせた。宮本武蔵という女は悪人ではないが善人でもなく、美少年は好きだし美少女も好きで、更に他にも色々と拗らせている奇人変人の類であった。
「行くわ、わたしも」
イリヤの頭を沈めながらクロが断言する。流石に目に余ったのか美遊の細腕がクロエの側頭部を押し退け、イリヤへの拘束を弾き飛ばした。何とか頭を水面の上に出し、荒く呼吸するや己の半身を睨み付けるイリヤスフィール。
「はぁ、はぁ……! だめでしょ、そんな……っ!」
クロエが声を荒げるイリヤの口元に指を当てる。間に岩壁があるとはいえ、声を張り上げれば声は届く。不審な声で行動を察知されるのは避けたい、という意思の現れだろう。
そんなの知ったことかとばかりにイリヤはクロエを押し返そうとする。だがそんな彼女の耳を掠める、悪魔のような囁き。
「でも今、男湯には生まれたままの姿のお兄ちゃんの体があるのよ?」
「―――――」
いやでもそれはおじいちゃんでお兄ちゃんじゃなくて、でも体そのものは100%お兄ちゃんで出来ていて、それはつまり裸のお兄ちゃんがすぐ側にいる、という事なのでは? いやしかし……
一瞬にして混乱の極みに至るイリヤ、そして美遊。二人のそんな状態を確認したクロエは、正しく小悪魔の笑みを浮かべてゆっくりとイリヤの口から指を離した。そしてその手をひらりと返し、岩場にあった自分の手ぬぐいを掴んで体に巻く。
「まぁ、でもいいわ。イリヤたちは興味無いっていうなら、わたしとムサシだけで行くから」
「ちょ、ちょ、ちょっと、まっ……!?」
少女の正気が凄まじい勢いで削られていく。クロエの視線がちらりと横に振られれば、隣にいる美遊も同じく甘言に弄され正気度の喪失が始まっていた。温泉の隅で手拭いを頭(?)に乗せ状況の推移を見守っていたルビーが、その光景への笑いを堪えるように口元(?)に手代わりの羽飾りを当てている。
同じく美遊が拐かされているものの、サファイアは無言で湯につかるのみ。
「……止めなくていいんですか、所長さん」
「どうでもいいわよ」
その様子にツクヨミが訊ねてみれば、オルガマリーは関与する気無しとのんびり月を見上げていた。佳い月である。いつ色を変え、妖魔の時間が来た事を告げるとも知れないという事を除けば。そしてそんな月に向かって屹立する岩壁に、女がぴたりと張り付くのが見えた。音を立てず壁を上っていく様は、カエルか何かのようだ。
武蔵が征く、クロエが続く、更に正気を失ったイリヤと美遊が追う。目を開けていれば見えてしまう酷い有様に前にして、オルガマリーはゆっくりと瞼を閉じてただ全身で湯を楽しむ事にした。
如何に岩壁に高さがあろうと、何と驚くべき事に登る変人はあの宮本武蔵。彼女にかかれば安全に登りやすいルートを見極める事など朝飯前だ。彼女が登り、少女たちがなぞるように続く。あっという間に辿り着く頂上。ここからちょっと身を乗り出せば、目の前には望んだ光景がある。
武蔵とクロエは頷き合い、イリヤと美遊が挙動不審に振る舞う。
呼吸を整えるような1秒の静寂。その空白を終えるや否や、真っ先に武蔵が顔を出して少女たちも即座に続いた。だが壁の向こうにあった光景に対し、武蔵が小さく舌打ちする。
「ちっ、バレてたわね」
眼下の光景。それは水面が見えなくなるほど溢れ出した湯気。岩山から白く染まった眼下を見下ろす情景は、まるで雲の上にでも来た気分にさせてくれる。ある種楽しめる光景だが、望んでいるのはこんなものではない。
「どうする?」
「決まってるでしょ、行くわよ」
言葉少なに意思を交わし、身を乗り出す武蔵。そして彼女に続くクロエ。二人は体に巻いた布を強く押さえると、何ら迷いなく岩壁の向こうに跳んだ。
イリヤと美遊の前で男湯に落ちていく二人の女の姿。
「ちょ、え、え、ちょっと、え!? いや、あれ!?」
「イリヤ、わたしたちも」
「ちょ、ミユ、待っ―――!?」
正気を失うのはイリヤの方が早かったが、取り戻すのもイリヤの方が早かったのか。
イリヤは目の前の事態に再度混乱している内に、未だ正気を失ったままの美遊に手を引かれて、先に落ちていった二人を追って落ちていく羽目になった。彼女に出来たことは、体に巻いた布を必死に押さえ付ける事だけだ。
二人同時に、続けて二人追加で、派手に着水する。
ざっぱーんと波を起こして男湯に乱入した不届き者たちは、すぐさま顔を出して周囲を見回す。
―――が、誰もいない。
「ウソ、お兄ちゃんもソウゴも、誰もいない……!? みんな上がっちゃった後!?」
「そんな筈ないわ、気配はさっきまで確かにあった……恐らく風魔の忍術!」
少なくともついさっき村正はおぬいと声を交わしていた。その彼がこの短い時間の中で消えるのはおかしい。油断なく周囲の気配を探る剣豪はまず岩場を見回し、手拭いや服がある事を確認。続けて庵への道へと視線を走らせる。こちらに来る足跡はあるが、庵に帰る向きの足跡は一切無い。つまり湯から上がりここから離れたとは考えにくい。一瞬でそこまで看破する無駄な洞察力。
飛び込む際に空冷で頭が冷えたのだろうか。イリヤと美遊はどう動くべきかを見失い、ただ湯から頭を半分だけ上に出し吐いた息をぶくぶくと泡に変えている。そんな彼女たちから見ても、兄らの姿は見当たらない。無論、水中になどいる筈もない。
何でこんなところにまで来てしまったのか。水面に浮いては消える泡のように、そんな自問が浮かんでは消える。ああ、何だか頭痛がしてきた。耳鳴りもする、キィン、キィン、と―――
▽
―――などと、話しているようですが……
そんな風に武蔵たちの行動を事前に知らせたのは、当然のように風魔小太郎であった。如何に間に岩壁があろうと、声を潜めようと、この距離であれば忍・密偵として磨かれた彼の耳は誤魔化せない。
事前に察知して共有された情報に対して、反応はそれぞれ違った。
ならさっさと出てしまえばいい、というのがゲイツ。
こっちが出ちまう、というのは何だか逃げるようで座りが悪い、というのが村正。
ならば覗きなど気にせず泰然と湯を楽しめばいい、というのが胤舜。
そして―――
「向こうはどうだ?」
「なんか武蔵とクロが暴れてる。おのれ風魔忍法だって」
村正に問われ、ジオウが答える。
騒々しさとは無縁の露天風呂を味わいながら、男五人はゆるりと月を見上げていた。
「この静けさも悪いものではないが、森に生きる虫や動物の気配すら感じられぬというのは、些か以上に奇妙な感覚だな」
「僕のせいになってるんですか、これ……」
胤舜は面白いが気味が悪い、とこの世界を評する。
そんなトリックを風魔のせいにされた小太郎は遠い目をして辺りを見回した。静かな世界、もう何も残っていない、自分たち以外の命を感じられない
―――じゃあ、武蔵たちが来れない場所でまだ入ってようか。
基点は当然、温泉の水面。水鏡を通して彼らはこちらに入ってきた。
その世界移動を維持しているジオウを見て、呆れ顔のゲイツが問う。
「おまえ、それ温泉に入っている意味があるのか?」
「意外と温かさは伝わってくるよ?」
そう言ってジオウ・龍騎アーマーは体を伸ばし、左右の反転した月をゆったり見上げた。
風呂回。キバならば外せない。