太陽が、沈み始めた。
紅く焼けた日光が渓谷に降り注ぎ、それを映し出した水晶が見る者の視界に点という名の光を描画させる―――奥古来魂の渓谷に設置されたテントから、一人のプレイヤーがエフェクトを纏って這い出したのは、丁度そんな午後5時のことであった。
プレイヤー―――徹夜騎士カリントウは、VRシステムの鳴らす喧しい警告音を聞きながら、つい先程の光景からはとても想像できないほどに静まり返った水晶巣崖を一瞥し―――瞬間的な思考の末、一度ログアウトして1時間ばかり仮眠を取ろうと決断。昨日の午前10時ぶりに、この理想郷から現実へ戻ろうと、システムメニューを開いて手癖でスクロールを始めた―――切れかかった集中力の下でなお、彼女の指は極めて正確に、そして高速にUIを操作していく。
しかし、その指を止めるものがあった。
すなわち、システムメニューの右枠に表示された、自分の状態を軽く確認するための、簡易的な装備フィギュア―――そこから、一切の装備が消えていたという事実である。
「あれ………?」
その疑問に答えを見出すことができなかったカリントウは、呟きで以って困惑を表す。一向に鳴り止まない――それどころか、より一層強くなりつつある――警告音を無視し、脳をログアウトから推理へと切り替える。
彼女は考える―――まず、両手に握っていた勇黒の剛撃鎚が無いのは何ら不思議ではない。そもそも手持ちのアムルシディアン・クオーツが尽きた―――つまり、武器の修理手段が無くなったが故に自分はここにいるのだから、武器が壊れても特におかしくは無い……むしろ、当然とすら言える。防具についても、多少無理があるようにも思えるが……一応、同じことが言えるだろう。問題は……アクセサリ、である。このゲームの仕様では、すっぽ抜けた武器を除けば、死によって装備品がロストすることは無かった筈……にも関わらず、彼女が装備していたはずの、あの濃黒の浮遊物体……『別天津の隕鉄鏡』は、傍で夕暮れの光を反射する代わりに、空のアクセサリースロットだけを残して、アイテムとしての判定ごとどこかへ消えてしまったのだ。
「うーん………」
彼女は思案する―――どうしたものか。ひょっとしたらアップデートか何かで、特定の条件下でアクセサリが消えるよう設定されたのだろうか?自分がここ数日、外界の情報を断っていることを考えれば……知らない間にそう言ったアップデートが入っていても、おかしくはない。確かあれは大してレアなアイテムでは無かった筈だし……まあ、気にしないでおこう。
そう結論付けた彼女の再び動き出した人差し指によって、今度こそ押されたログアウトボタンは……聴覚を占拠する警告音ごと、彼女をこの開拓地から退場させた。
現実世界に戻った彼女が、視聴者から現在ネット上で起こっている炎上騒ぎについて聞かされるまで―――あと、五分。
◆
その五分を待たずして、既に事態は進行を始めていた。
水晶巣崖の狭い足場に、上手く引っ掛かったアイテムが散乱している―――つい先程行われたアップデートによってプレイヤーたちがドロップした、多彩にして多量な装備品の数々。太陽が沈むにつれ段々と光を発し始めた、無数の宝晶塔のうち一つ。その足元に、それらは山を作っていた―――山の中には、カリントウがドロップした別天津の隕鉄鏡も含まれており、相も変わらず世界を見ていた。
そして―――山に影が差した。材質の屈折率の低さが故の、夕暮れに包まれて尚薄い、視認が少々困難な影……しかし、屈折率など物ともせずに、強い存在感を保ち続けている部位も存在する―――すなわち、その影が作る特徴的な形状。夕日を背負って鈍く光るそれは―――開拓者が見れば、『♯マーク』と形容するであろう形を、棒状の水晶によって描いていた。
影の主……この山の作者にして、"皇金世代"の儀仗個体にして、金色の時代の名誉ある守護者たる水晶群蠍は、美しい曲線を描く両の鋏を振り翳し―――食事に、取り掛かった。
太陽が、沈んだ。
◆
月明かり―――厳密にはそこに含まれる魔力を受けて咲いた宝晶塔たちが、眩い光を全方位へと放つ。見る者が見れば美麗さに息を呑まれるであろう光景だが、水晶群蠍たちにとってそれは日常茶飯事でしかない。実際の所、その時6つ目に入り始めていた儀仗個体は、周囲に広がる幻想的な光景には目もくれず―――代わりに、目の前の獲物の奇妙さにアンテナを傾げていた。
獲物……反射した魔力光で漆黒の表面を輝かせる、別天津の隕鉄鏡。儀仗個体が気付いたそれの奇妙さとは、すなわちそれが消化できないという事実である―――水晶群蠍が尻尾から対象に注入し、それを水晶へと変える変換液が……隕鉄鏡には、効果を示さなかったのだ。普通の鉱物―――それどころか物質すらも、3分足らずで水晶へと置換してしまう、極めて凶悪な変換液が……一切。
儀仗個体の思考ルーチンに浮かんだ「困惑」のパラメータは、丁度先程のカリントウのそれのごとく、ただただ自信を肥大化させるのみであり……それに比例するように、アンテナの傾きもより一層大きくなる。この変換液の例外と言えば、それこそあの宝石レベルの鉱石でなければならない筈―――それなのにこの、今までに見たこともないただ黒いだけの何かは、正六角形でもないのに全く消化の兆しを見せない。
―――気になる。
シャングリラ・フロンティアというゲームにおける小型モンスターの思考ルーチンは、爆泳魚などの例外を除けば命を大事によりも、とりあえず死ぬに偏り気味と言える―――大したリソースを割かれていない(もちろん、人型NPCと比べればの話だが)ルーチンには自我が薄く、種族の内全個体が言わば"はじめて海鼠を食い出せる人"なのである。儀仗個体の性向値が「好奇心」に傾いていたことと併せて考えれば、儀仗個体が『消化液を介さず、その特殊な肉体の発達故通常種より鋭く生えた鋏角でもって、隕鉄鏡をこれでもかと噛み砕く』という行動に出たのは―――ありうるどころではなく、最早必然ですらあった。
先程見せた極めて強力な消化液耐性とは裏腹に、極めてあっさりと噛み砕かれたそれに若干拍子抜けしつつ―――儀仗個体は、7つ目へと向かった。
◆
蠍たちの命は連鎖する。
◆
時に同族の一部を食らい、
◆
食らわれ、
同族そのものを食らい、
◆
食らわれ、
◆
死骸を食らい、
◆
やはり、食らわれる。
◆
その連鎖を経てなお、隕鉄鏡はずっと見ていた。
◆
一欠けとなれど、一切れとなれど、一粒となれど。
◆
決して止まることなく、ずっと見ていた。
◆
◆
◆
◇
俺の頭上で、太陽が燦々と輝きながら、じっと惑星を見下ろしていた。
現在、土曜日の午後0時―――このゲームの太陽は割とシンプルな動きをするから、基本的に午後0時に丁度真上に位置する計算になる。まぁこれを「今昇りきった」とするか「これから下がり続ける」とするかは、見る者の考え方に左右されるだろう―――だが大事なのはソコじゃない。最終的にまた昇り始めるってのが重要なわけだ―――そこについては、両者の間でも確実に見解が一致することだろう……まあこれは武田氏の受け売りなんだが。要するに何が言いたいかと言うと、希望を捨ててはならない―――そういう事だ。だから俺が水晶巣崖に来てから30分弱を経て、なお噂の「新種の黒い蠍」とやらに遭遇できていないとしても……一概にデマと断じるのではなく、念入りに探してみるべきなのだ。そう、決して俺は、貴重な土曜日の時間をドブに捨てているわけでは無いのである……!!!!
「……とは言ってもなぁ」
思わず口から本音が漏れる。実際の所こうやって自分に言い聞かせても『実はデマなのでは』という疑念は払えない……これが例えば「鋏の形状が違う」みたいなパッと見分からないような特徴ならともかく「黒い」というこの全体的に屈折率が低い水晶巣崖では目立ちまくる特徴で、30分探してもまだ見つからないとなると……ウーム。
考えていたところ、何やら宿敵が喧嘩を売ってきたのですかさず左手に携えた大剣で反撃する。防具と武器、二つの装備品のエフェクトが重なり、極めて禍々しい黒が軌跡として現れる。オラァこちとらレベル150だぞオイ!!!!
「俺は!!!!!もう!!!!!お前らのサッカーボールじゃ!!!!!ないんだよ!!!!!」
見飽きたよろめきモーションを取る水晶群蠍に、追撃として右手に握ったハンドガンから魔力弾を撃ち込む。ホラホラホラ今まで球として扱ってきた相手に弾を突っ込まれる気分はどうだ、エェ!?!?俺は調子に乗ったが、認識外の位置から唐突に蠍の群れが現れたのを見て考えを変えた……あの、ボール如きが出過ぎたマネを致しました!!!!!許して!!!!装備ロストは勘弁!!!!謝罪しつつ喪服をはためかせ、早口で唱える―――
「【瞬間転移】!!!【転送:格納空間】!!!!」
◆
何かがおかしい。
久し振りに座る格納空間の硬い床の上。俺は先程から脳裏にちらついていた考えについて考証を始めた。
そう―――蠍たちの挙動は、前からあんな感じだっただろうか?最近のごたごたの関係で水晶巣崖に来るのは久しぶりだから、ひょっとしたらその間に噂のルーチン変更が起こったのかもしれない―――なんかプレイヤーがゾンビアタックとかしてたらしいからな。やりすぎて黒死の天霊が湧くレベルだったそうだが、それも殺し過ぎではなく死に過ぎによる物だってんだからお笑い種だ……だが問題はそこじゃない、思考ルーチンの変化程度で、果たして隠密性が変わるだろうか?VRには気配のシステムを搭載しているゲームが数多く存在し、シャンフロもその一つだ……そして俺は気配を読むことについては幕末で結構な経験を積んだ。にも関わらず、水晶群蠍が複数いるという事実を認識できなかった。なにかこう、そういうパラメータが上がっているとしか思えない……やはり単なる「思考ルーチンの変化」に済まされない、もっと大きな事態が起きている。例えば―――
「エクゾーディナリーモンスターの、誕生」
呟く。
そうだ、何かしら特殊な経緯を経て誕生した不世出のモンスター……それこそが黒い蠍の正体なんじゃないか?あの隠密性の高い蠍たちは、エンカウントしてもアナウンスが出ないことを考えると―――恐らく、付き添いのような立ち位置。"皇金世代"と一緒に湧いていた、例のアンテナ蠍みたいな役どころなんだろう―――ならば当然、本体がどこかに居るはずだ。
そうなると、俺が取るべき行動は―――
◆
作戦決行だ。
「【 転送:現実空間】」
口に出した呪文が己の耳に届き切るより先に転移処理は済み、俺の視界は既に非現実の現実に移り変わっていた…暫く見ない間にこちらにも幾つかの変化があったようで……空にあったはずの太陽は黒雲に覆われ、世界はまるで夜のように暗く、何より―――俺の目の前で、待ち伏せていたらしき蠍が、じっとこちらを見ていた。
「ッッッ!?」
予想できていてもなお湧いてくる驚きを強引に飲み込み永劫の眼起動、その速度を急速に落とす周囲に対し、諸々のバフでもって引き上げられたAGI、TEC、DEXによって速度的優位を取る―――しかし効果時間も長いとは言えない、急いで視線を巡らせ本体を探す。
……それにしても先程まで元気よく輝いていた太陽はどこ行ったんだっつーくらい面影が無いな、本当に夜が来たかのような光景だ……水晶群蠍……というかここの水晶特有の、暗い所で出されるうっすらとした光もそこら中で見られる。水晶柱がうっすらとした光を放ち、その辺に散乱する殻がうっすらとした光を放ち、目前の水晶群蠍本体も、やはり……
…………あれ?
俺はそこで異変に気付いた。その水晶群蠍は確かに他の水晶と同じように、周囲に水色を撒き散らしていた―――しかしよく見れば何かがおかしい……というのも、そいつの内部には明らかな異物が存在したのだ。黒い……粒、だな。見回せば、俺を取り囲む蠍1匹1匹が、全てその粒を内包している―――なぜ今まで気付かなかった?流石にこんな分かりやすい異変に、30分を棒に振ったとは思えないし思いたくない。何かギミックが……スキルの思考加速に自前のアドレナリンを重ね、じりじりとメーターを減らしつつある残り時間を無駄にしないよう必死で考える。
……まさか光の加減って奴か?つまるところあの黒い粒は謂わば鏡みたいなもので、日中は水晶の屈折と上手く噛み合って見えないが、辺りが暗くなると水晶が光源になっちまうせいでそれを反射して浮き彫りになってしまう、という……
「マジックミラーかよ……」
呟く。いや遅くなっている空間の中で俺の口だけが速く動くのキモいな……どうでもいい事を考えながら起動するスキルは―――運命の眼。謎の黒い粉が入ってる奴らの元締めって設定のモンスターをデザインするとすれば、俺がデザイナーなりサーバーAIなりならば―――とりあえず、黒い塊を埋め込むね。そして―――
「黒い塊ってのは、いつも弱点だって相場が決まってんだよ……!!!!!」
つまりそういう事だ、弱点という事はすなわち運命の眼の作る誘導線のターゲットになるという事だから、こんな風にスキルを使えば―――いた。
誘導線が導く先には、体の大部分を黒に染め、最早夜に同化しかけている水晶群蠍―――それも、どうやらアンテナ個体―――がいた。早速エアリアルPD……はちょっと届くか不安なのでSTINGを、いやそれだと左手の別離れなく死を憶ふの軽さがリセットされてしまうので間を取ってFF-45を取り出し―――発砲。
着弾と、永劫の眼の効果時間の終了と―――そして、それの表示は、奇しくも同時の出来事だった。
『モンスター不世出の発見!』
視線を感じる。
『討伐対象:水晶群蠍儀仗個体"剣吸包黒"』
俺を取り囲んだ蠍たちは、元締めが攻撃されたにも関わらず……急いで反撃してくるようなことも無く、じっとこちらを見ていた。
『エクゾーディナリーモンスターとの戦闘が開始されます』
パパラッチ、隠密性、そして視線―――こいつらは、つまり。
「おいおい……コソコソ隠れて撮影たあ、飛んだブラックジャーナリズムじゃないか?」
FF-45を仕舞い込み、代わりに取り出した第四仮説が……炎のエフェクトで、辺りを軽く照らした。
「見てわかる通り、こちとら真っ黒でね―――お前らに好きにされるわけにも、行かないんだよ!!!」
"剣吸包黒"の湾曲しすぎてチャクラムのようになっている鎌が振り翳され―――戦闘が、始まる。
太陽は見えなかった。