征服人形個体名エルマ=317に直接指令として"追跡"が下されて、およそ1時間が経過した。
意外なほど簡潔な追跡理由―――即ち「盗難」の二文字は同時に、恐ろしいほど強大にその危うさを示してもいた。征服人形が動くレベルの「盗難」と言えば、それが意味するところは一つしか無い―――店の商品が万引きされただとか、持ち逃げ詐欺によって誰かの装備が盗まれただとか、不意打ちによりレアカードが市場に流されただとか、そんなレベルの話では無く、つまるところ。
蒐集物が、盗まれたのだ。
「沈黙:」
増設双駆動型ブースターを最大出力で吹かし、エルマ=317は緑の上の空を行く―――太陽はすっかり沈んでしまって、無限の日光は無限の夜光へと移り変わり、魔耀溢れる月夜は既に顕現していた。
エルマ=317の主にマナ粒子転用生体ナノマシンによって構成された網膜には、外面レベルで映像が投影されている―――盗品に関連付けられていた座標割出機構による、怪盗の現在位置のマッピングである。
それによれば、怪盗はエルマ=317から2キロメートルほど離れた位置にて静止しており、そこが樹海の真っただ中であることから、盗人がかなりの隠密性能の持ち主であることも自然とわかった。切られる風、撒き散らされる光、そして
「威嚇:あ?」
委縮させられるドラクルス・ディノコアトルを生みながら、エルマ=317はただ低空を、まるで烈風そのもののように流れ行く。
◇
一条の、光である。
空を、闇を、夜を。焼いて暴いて突き進み、成層圏近くまでの世界に亀裂を走らせる光。それは紛れもなく盗品たる神代の光、規格外遺機装の光に他ならない―――もっともその機装は、遂にして実戦運用を行わないままに蒐集された試作機であったから、「遺された機装」という言い方には、少々の語弊が存在したかもしれなかった。
「分析:規格外エーテルリアクターの過剰運転による超高出力光線攻撃」
一方のエルマ=317は、己を照らす爆発的な光に一片とて動じずに、ただ冷静に状況を解析した。怪盗―――恐らく、短距離転移魔法の使い手―――が放つ破壊の光条たちは、ただでさえ許容運転量が大きい規格外エーテルリアクターのリミッターを、さらに外したがためのそれである、と。
実際の所正しいものであるその推測を、いったんは不要な物であると副記憶に退避させ―――エルマ=317は、「化粧箱」を取り出した。
「分類:―――回収目標重要度、総動員級」
そして、まるで何かを踏み締めたように加速し―――ただ一点へと、向かった。
◇
パラサイトテンタクルの思考回路は、必ずしも単純な物とは限らない。
基本的にパラサイトテンタクルは常に剥奪する側であるが、時に対象の思考に汚染を受けることもあるのだ―――そして今回の場合の対象とは、即ち黒死の天霊である。
人類に対する異常なまでの敵対意志を始めとする様々な感情は、操る側であるはずのパラサイトテンタクルに操られる側を兼ねさせ―――触手は黒く染まり、束ねられ、まるで一つの器官であるかのように振舞った。全体として見れば黒死の天霊は人形でしかなかったが、その黒が、影響を与えたということの象徴がごとく闇に溶け込んでいるのも―――やはり、まぎれもない事実であったのだ。
かくして、闇夜に限界まで溶け込んだ死触の怪物は、光輝を限界まで増幅した死線の光条を解き放つ―――仕様故に不自然なほどに小さな効果音の先に発生した破壊は、それでも目標を屠るには至らず、食い破った暗闇を少々巡らせるに終わった。それでもパラサイトテンタクルは諦めず、そのどす黒い触手で再装填を―――
ぐちゃり。
―――できず、代わりに粘液をと共に肉体の一部を飛ばされた。それは紛れもなくガトリングモードに変形された「化粧箱」によるものであって、より広義に言うならば―――
「的中:転移手段持ち現生生物の高知性獲得体……あなた、忍び込んで盗みましたね?」
―――瞳が撒き散らす微量の青光を携えて背後に立つ、一人の征服人形によるものであった。
◇
現在進行形で組み替えられ始めた「化粧箱」は、約5秒の内にその形態変更を終える―――変化の先は注射器、本来己の体力回復のために使用する物だが、黒死の天霊と言う敵においてはその限りではない。
「インテリジェンス・投擲……っ!」
かくして癒活の針は黒を切り裂き夜に刺さった。黒死の天霊はその思考を捻じ伏せられているが故特定のアクションこそ起こさないものの、内部的なヒットポイントは確実に増え始めている。それを正面に見据えると、エルマ=317は駆け出した。「化粧箱」はDoTに使用する必要がある、一般の物理攻撃が効かない以上、彼女が取るべき行動は簡単だ―――避け続ける。それこそが、確実な任務の完遂に繋がるのである。
リチャージが終わったのか、再びの光線が闇を光に塗り替える―――それを避けながら、エルマ=317は今後の予定を立て始めていた。
「回避:」
そう。
「呼出:クラスVI装備―――絶磁衛護盾!!」
さながら。
「散布:指向性信号阻害マナ粒子!」
己の、契約者のように。
そうして、夜を背後に黒が倒れたのは、エルマ=317にとってごくごく短い時間の後だった。
◇
「……回収:盗難蒐集物」
一向に空を占拠し続けている月の下で、エルマ=317はその光線砲を手に持った。
征服人形のインベントリは簡易的なそれであるため、安易に仕舞い込む事はできない。そもそも巨砲は彼女に関連付けられていなかったから、そもそもそのような行動は不可能だった。
「溜息:ふう」
そう一言呟くと、彼女は月だけが食い破る、黒を見上げて夜を見て……そして、増設双駆動型ブースターを噴かそうと―――
ぐちゃり。
―――できなかった。
足にしがみ付く者がいる。それは闇と同化するほどの黒色を持っていて、征服人形のファーストセンサで視認するのは非常に困難と言い切れる色合いをしていた。
「……ッ!?」
触手が登り始める。ゆっくりと、しかし確実に、獲物をまだ回収していないエルマ=317の思考を乗っ取るべく。
再申請までは残り2分かかる。固定された足場は武装へと手を伸ばすことの不可能を意味する。インベントリにこれといった武装は入っていない。それは、異常なほど小さな存在によってもたらされた、異常なほど大きな危機―――
「回収完了、切除します」
―――ではなくて。
征服人形の両手―――そう、回収者が円周運動を取る両手―――に握られていたのは、いつの間にか双剣モードへの展開を済ませた「化粧箱」であった。実際は危機では無かったただの小さな存在は、神代の刃を前に抵抗の術を持たなかった。
◇
「化粧箱」をニュートラルモードに戻したうえで仕舞い込むと、エルマ=317は再び居住まいを正し、今度こそ頭上の黒を見た―――ブースターの出力を徐々に上昇させる。次第に訪れる浮遊感に、ただただその身を任せる。
そして彼女は、黒を踏み締め夜を行く。