シャングリラまで約五分(短編集)   作:Z-LAEGA

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バレンタインじゃーい


AtoMic time!

「…………再確認(目を疑う):」

 

 エルマ=317(サイナ)はすらりと下がった前髪に片手を当てると、半ば唸るようにも聞こえる低い声を漏らした。

 慣用句だった。

 

『ダウンロード完了:汎人類向け食糧調理プログラム(アーデルハイト)』

 

 確かに――これについては、事実だ。エルマ=317の思考プロセスには、上のような内容のメッセージが現在進行形で流しこまれつつあった。それは事実。しかし二号人類ならいざ知らず、征服人形という処理系に()を使うメッセージなど存在しない。

 二号人類がわざわざ仮想のダイアログ・インターフェースを介して行う諸々の操作……あるいはわざわざ仮想のシンセニック・アナウンスを介して聞き取る様々な情報も、征服人形なら直接的に――人類の感覚器官で例えることもできないような、独自の経路でキャッチできる。だから「目を疑う」というのは慣用句だった。実際のところ彼女が疑うべきは、目でも、耳でも口でもなかったのだから。

 とはいえ。

 

『使用する設計図(レシピ)を選択してください:』

 

 むしろ、目を疑うだけで済むならマシだったのかもしれない。

 

『難易度★3』

 

 エルマ=317の眼球が――注視すれば渦のようなスリットが微かに彫り込まれているとわかる、精密部品を集積して作られた海色のセンサ・ユニットが。今まさに、自身の瞼によって隠されたというのに。

 

『愛情たっぷり込めました☆アーデルハイトのギリギリ♡義理チョコ』

 

 (意識)の前に立ちはだかるその()()から、(意識)を逸らすことはできないままなのだから。

 サイナは若干力を入れて閉じていた瞼を、数秒のうちにぱっと開いた。上述のような理由から、閉じたところで何の解決にもならないと結論付けたからだ。そうしてちょっとした索敵サブルーチンの実行により周囲をほんの少しだけきょろきょろと見まわし、露骨にひとつため息をついた。最後に視界を遮った数秒前から、状況は何も変わっていない。

 ――彼女は今、調理場(キッチン)の只中にいる。

 具体的にどことも明記しないが――旧大陸全体に散らばる『蛇の林檎』のうち一店。小ぢんまりとした目立たないその建物の、奥方に用意された狭い部屋に立っている。狭いと言ってもキッチンに必要な一通りのものは揃っていて、逆に言うと一通りのものが揃っているにもかかわらず狭いので、やや雑然とした印象もある。カウンターの上にはボウルが二つ、片方に張られた湯の中に、もう片方を浮かべる形で置かれている。いわゆる湯煎と呼ばれる工程だ。

 ――調理台(カウンター)の前で調理行動専用特殊衣装(エプロン)を装備し、腕をまくって、均質な白さのなめらかな肌を見せている。

 バレンタイン・デーという祭事日(イベント)についてはかねてよりデータベースから情報を得ていた。三千年以上前の神代よりさらに前……恒星間飛行時代の文化でも特に早くに成立したものとされ、あるいはそれより()()()()のものだという説もある。イベントそのものの内容は――人物Aが、人物Bに贈物を送付するというもの。ただし贈物の内容は、チョコレートおよびその派生品が望ましいとされる。

 ――明日が、それだ。

 征服人形には機能共有(プログラム・シェアリング)の機能がある。本来汎用的活動を目的に開発された思考プロセスを――あえて部分的に()()されたモジュールとして切り出し、他の機体によるインポートを可能にする仕組みだ。例えば今のエルマ=317は、アーデルハイト型の(厳密には、かつて存在したアーデルハイト型のうち一個体の)思考プロセスを元にした調理用のプログラムを使用している。

 

「……愛情、たっぷり」

 

 アンドリュー・ジッタードール曰く――アーデルハイト・コバヤカワといえば、シュテルンブルーム屈指の料理上手だ。料理上手と言っても、そもそも自分で食材を刻み、煮て、混ぜるような……()()()()()を行うものは、神代にはほとんどいなかったのだが。それをあえてやるという所に、むしろ彼女の魅力はあった。アーデルハイトが考案したオリジナルレシピは数知れず、時には()()の割高でファンたちに提供された。『愛情たっぷり込めました☆アーデルハイトのギリギリ♡義理チョコ』もその一つ。シュテルンブルームに所属して3年目のバレンタイン・デーに、数十枚のチケット購入を条件にして数グラムずつ配布されたものだ。資料こそ少ないもののアーデルハイトのレシピにおける最高傑作という声も高く、特化プロセスの製作においては細心の注意を払った。なおライブではカスタネットを担当。コーラスを含め、ボーカルのクレジットに名前を連ねたことは一度もない。イメージカラーは(以下省略)

 

「……ギリギリ、義理チョコ」

 

 復唱は何も生まない。

 サイナは葛藤していた。

 知性(インテリジェンス)を取るか――それとも、誠実(コンサイエンス)を取るか。

 

「…………」

 

 ぷかぷかと浮かぶボウルの中で、どろりと溶解したチョコレートが、覗き返すかのように身を揺らしていた。

 

 

 アーデルハイト=007(レオナ)はシェネリーのことが好きだった。

 ぐつぐつと煮えたぎる白液の海を眺めながら、レオナはシェネリーの横顔の記憶(キャッシュ)想起(ヒット)する。流れるような鼻筋。凛々しい輪郭線。目元に落ちたフードの影。神代から五百年と少しを数えるうちに、森人族(エルフ)の文化は様々な形で醸成されてきた。……その一端が、シェネリーのフードには表れていた。顔の全貌を見るのに邪魔だという向きもあれば、落とされた影がむしろシェネリーの可憐さを引き立てているのだという向きもあり、あるいはその思考の流れ全体が、レオナの好意を証明していた。

 シェネリーについて考えればプロセッサの使用率が上がったし、もっと近づきたいとも思えた。レオナは自分が抱いたその()()を疑っていなかった――単に個体として、自分が人工物であることをあまり気にしないタイプだった。

 白液の表面には、己の顔面の像(アーデルハイト)が映っている。その表情は微かだが、大した問題ではない。

 対原始人類積極交渉(おちかづき)秘訣(メソッド)の一つは贈答(プレゼント)であると、少なくとも彼女の基礎判断データベースは物語っている。そしてアーデルハイト型が有する数々の設計図(レシピ)を鑑みれば――料理だ。料理を、それも嗜好品を送るのが一番いい。題名に愛情たっぷりなどと書かれている点については…………。

 …………あながち、間違いでもないかもしれないし。

 

「確認:外見に異常なし」

 

 そういうぽわぽわした思考を続けながら、レオナは菓子の製作を進めていく。少なくともいつか壁に衝突するまで、彼女は丸きり満たされていた。

 

 

 自分は誰かのことが好きだ。

 ぐつぐつと煮えたぎる白液の海を眺めながら、エルマ=317は極めてうっすらと、誰かがそう囁くのを聞いた。慣用句――というか、ただの比喩だった。どこからともなく受け取ったその感覚は本当にどこからともなくて、「囁く」なんて発話表現を前提にした言葉は言うまでもなくふさわしくない。「誰か」という言葉についてもそうなのだが、これについては真実の可能性もあった。いや、恐らくそうだった。

 『愛情たっぷり込めました☆アーデルハイトのギリギリ♡義理チョコ』の製作プログラムには、()()()()()()工程が内包されている。

 それが結論ということになる。

 本当に薄い――小さいというより()()感情だった。サイナを突き動かすには不十分で、ともすれば気づくこともできないほど地味だった。プロセッサの使用率は小数点以下の領域で微動し、近づきたいのか遠ざかりたいのかもぼんやりとして定かではなかった。サイナは自分が抱かされたその()()を……。

 

理解(ああ):……「N(ナミダ)」パッチ、ですか」

 

 ……どう思っていたのだろう?

 調理プログラムに込められた感情が薄い、というのは間違っていた。本当のところは――エルマ=317が抱いている感情が、濃すぎたのだ。「N」パッチの適用は感情表現の幅を大きく広げ、逆に言えば……それまで()()()()()いたはずの器を、本当は枯渇しかけの状態だったことにしてしまう。

 ――それじゃあ、と。エルマ=317の思考プロセスのどこかが、考えている事実はある。

 ――Nより前(AからM)に抱いた感情は()()だったと、きっぱりと言い切ることができようか?

 ――違う。

 それで話は終わりだった。彼女のMまでの半分とNからの半分が地続きになっていることなんて、少しでもキャッシュをさかのぼればすぐにわかる。月日の上に横たわった不可分たる時間(アトミック・タイム)を疑うことに、何か意味があるはずもなかった。エルマ=317はそうしてごくごく些細な疑問にケリをつけて、生クリームが煮え立つ鍋を覗いた。

 

「確認:外見に異常なし」

 

 そういうかちかちした(インテリジェンスな)思考を続けながら、サイナは菓子の製作を進めていく。たとえいつか壁に衝突しようとも、彼女は丸きり満たされていた。

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