「…………
エルマ=
慣用句だった。
『ダウンロード完了:汎人類向け食糧調理プログラム(アーデルハイト)』
確かに――これについては、事実だ。エルマ=317の思考プロセスには、上のような内容のメッセージが現在進行形で流しこまれつつあった。それは事実。しかし二号人類ならいざ知らず、征服人形という処理系に
二号人類がわざわざ仮想のダイアログ・インターフェースを介して行う諸々の操作……あるいはわざわざ仮想のシンセニック・アナウンスを介して聞き取る様々な情報も、征服人形なら直接的に――人類の感覚器官で例えることもできないような、独自の経路でキャッチできる。だから「目を疑う」というのは慣用句だった。実際のところ彼女が疑うべきは、目でも、耳でも口でもなかったのだから。
とはいえ。
『使用する
むしろ、目を疑うだけで済むならマシだったのかもしれない。
『難易度★3』
エルマ=317の眼球が――注視すれば渦のようなスリットが微かに彫り込まれているとわかる、精密部品を集積して作られた海色のセンサ・ユニットが。今まさに、自身の瞼によって隠されたというのに。
『愛情たっぷり込めました☆アーデルハイトのギリギリ♡義理チョコ』
サイナは若干力を入れて閉じていた瞼を、数秒のうちにぱっと開いた。上述のような理由から、閉じたところで何の解決にもならないと結論付けたからだ。そうしてちょっとした索敵サブルーチンの実行により周囲をほんの少しだけきょろきょろと見まわし、露骨にひとつため息をついた。最後に視界を遮った数秒前から、状況は何も変わっていない。
――彼女は今、
具体的にどことも明記しないが――旧大陸全体に散らばる『蛇の林檎』のうち一店。小ぢんまりとした目立たないその建物の、奥方に用意された狭い部屋に立っている。狭いと言ってもキッチンに必要な一通りのものは揃っていて、逆に言うと一通りのものが揃っているにもかかわらず狭いので、やや雑然とした印象もある。カウンターの上にはボウルが二つ、片方に張られた湯の中に、もう片方を浮かべる形で置かれている。いわゆる湯煎と呼ばれる工程だ。
――
バレンタイン・デーという
――明日が、それだ。
征服人形には
「……愛情、たっぷり」
アンドリュー・ジッタードール曰く――アーデルハイト・コバヤカワといえば、シュテルンブルーム屈指の料理上手だ。料理上手と言っても、そもそも自分で食材を刻み、煮て、混ぜるような……
「……ギリギリ、義理チョコ」
復唱は何も生まない。
サイナは葛藤していた。
「…………」
ぷかぷかと浮かぶボウルの中で、どろりと溶解したチョコレートが、覗き返すかのように身を揺らしていた。
◇
アーデルハイト=
ぐつぐつと煮えたぎる白液の海を眺めながら、レオナはシェネリーの横顔の
シェネリーについて考えればプロセッサの使用率が上がったし、もっと近づきたいとも思えた。レオナは自分が抱いたその
白液の表面には、
…………あながち、間違いでもないかもしれないし。
「確認:外見に異常なし」
そういうぽわぽわした思考を続けながら、レオナは菓子の製作を進めていく。少なくともいつか壁に衝突するまで、彼女は丸きり満たされていた。
◇
自分は誰かのことが好きだ。
ぐつぐつと煮えたぎる白液の海を眺めながら、エルマ=317は極めてうっすらと、誰かがそう囁くのを聞いた。慣用句――というか、ただの比喩だった。どこからともなく受け取ったその感覚は本当にどこからともなくて、「囁く」なんて発話表現を前提にした言葉は言うまでもなくふさわしくない。「誰か」という言葉についてもそうなのだが、これについては真実の可能性もあった。いや、恐らくそうだった。
『愛情たっぷり込めました☆アーデルハイトのギリギリ♡義理チョコ』の製作プログラムには、
それが結論ということになる。
本当に薄い――小さいというより
「
……どう思っていたのだろう?
調理プログラムに込められた感情が薄い、というのは間違っていた。本当のところは――エルマ=317が抱いている感情が、濃すぎたのだ。「N」パッチの適用は感情表現の幅を大きく広げ、逆に言えば……それまで
――それじゃあ、と。エルマ=317の思考プロセスのどこかが、考えている事実はある。
――
――違う。
それで話は終わりだった。彼女のMまでの半分とNからの半分が地続きになっていることなんて、少しでもキャッシュをさかのぼればすぐにわかる。月日の上に横たわった
「確認:外見に異常なし」
そういう