煌めく星空、騒めく星海、そしてそれらが混ざりゆく地平線。サバイバル・ガンマンの光夜は、相応の音響とともにただそこに在った。煌めきが生み出す点滅が、騒めきが生み出す乱反射に乗り、無限の分岐を持つ光粒たちが世界中を埋め尽くす。一方で、何の因果関係も無い風が、自由極まりなく無意味に吹いたりすることもある。そんな、混沌として秩序立ったある日のことだった。
「……なんだ、ありゃァ」
μサーバー、海岸線を観察していた男が、半径1メートルほどの静寂を乱した。しかして、それに影響を受ける者など砂粒の一かけらとして存在せず、静かな孤島の静かな時間ははそのまま過ぎていく。男は気を取り直すと、手に持った2枚のガラス板を摘み、先程視認した異物の確認に移った。
それは、狂ったように放たれ続ける光を決して通さず、かといって反射もせず、延々と吸い取り続ける―――打ちゆく波に揺られつつ、星を黒へと置換する、一つの巨大な箱だった。
ランダムで流れ着くアイテムにここまで大きな箱は存在しない。恐らく、他のサーバーからの漂流物だろう―――男は辺りを見回すと、砂粒の一かけらとして己をわずかにでも攻撃しようなどと考えていないことを確認した。そして立ち上がると、水面の一瞬をとらえたがごとく平坦な眼前の砂浜に、己の足跡でもって段差を付けようと足を踏み出して―――
「」
―――噴き出る赤色と共に、倒れた。
幼女は右手のナイフを振り、砂浜の一部を血痕で汚すと、箱に向かって歩き出す―――後にも先にも足跡は存在せず、これからも作られることは無いだろう。彼女にとってそうなるように歩くのは造作もないことだったし、波はすべてを飲み込まんとばかりに、延々と猛威を振るい続けているのだから。
◆
μ-skYは空を見上げた。
別に、月を貼り付けた黒が見たかったわけでも、黒を彩る星が見たかったわけでも、星を眺める月が見たかったわけでもない。ただ、結果的に見上げることになっただけだ―――即ち、己のそれを遥かに凌駕する身長を持つこの大箱を俯瞰するためには、位置的に空を見上げざるを得なかった。どこまでも綺麗な空は、あらゆる孤島を同時に見下ろしていて、彼は少々の感動を覚えた。しかし彼女はそれを表に出すこともせず、箱の観察に戻る。
月明かりが照らすところによれば、この箱はどうやら梱包のようだ―――すなわち、内部に何かしらの存在が入れられている。触った際の質感から言って、外箱は木製のそれであることが分かる。漂着物である以上、確実に海水に長時間接触しているはずだが、外見から言って、内部に水が入り込んだ様子はない。恐らく、何かしらのコーティングが内側に施されている。
μ-skYはこのブラックボックスについて考える―――中には、一体何が入っているのだろう。脳内に展開した正体に関する択一選択欄が、警戒心と好奇心を同時起動させる。3分ほど悩んだ末、彼女はこの箱を開くべくナイフを取り出した。
そこに至るまでのある程度の悩みと裏腹に、ナイフはあまりにも容易に壁を突き破って―――μ-skYが開封を終えた時、そこには―――
┳α
そこには、大量の資材があった。
煙草、包帯、武器、規制済み、水、酒、規制済み、金属類、規制済み―――群れを成してこれでもかと空間を埋め尽くす、資材、資材、資材。
さしものμ-skYも、これには仰天―――というより、高揚していた。紅の瞳を輝かせ、瞳の紅を煌かせ、幼女はそれらをただ見つめた。
それはまさしく、このゲームにおいての夢の塊と言えた。そしてこの仮想夢の世界において、夢とはすなわち世界そのものに他ならなかった。サバイバル・ガンマンを構成する24+αのサーバー、それが設置されているどこかの建物の、LANケーブルから、ルーターから、終端装置から、パラボラ・アンテナから、プロパイダが管理する電波塔から、インターネットから、またもやプロパイダが管理する電波塔から、またもやパラボラ・アンテナから、またもや終端装置から、またもやルーターから、またもやLANケーブルから受け取った一つの夢を、目を閉じたまま現在進行形で見続けている彼にとっては、どう考えてもそうでしかなかったのだ。
月光が海面に呼応して揺れ始め、波音とともに何かの始まりを予感させた。
┣β
そこには、一人のプレイヤーがあった。
μ-skYはすぐさま態勢を整え、ナイフを巡手に持ち替えながら後退して距離を置く―――異常なほど煌めき続ける光たちが、男が出てくるのを演出するがごとく瞬いていた。彼女は拳銃を取り出し、ゆっくりとリロードを開始する―――静寂は最初にその装填音に乱され、その後一歩目を踏み出した男の左足によって乱され、そして……
「……すみません」
直後、男が放ったその言葉によって、
「ここって、どこの鯖ですかね……?」
乱された。
┣γ
そこには、アトバードがあった。
「ッ!!」
咄嗟にナイフを投擲したμ-skYは、その反動に単純な跳躍を足すことで一気に後退した。一瞬遅れ、凝らした目が結果を伝える―――ハズレ、である。
「ふふふ……やあ、μ-skY」
当然のように右手の拳銃でナイフを撃墜したアトバードは、顔面に張り付いた一見すれば穏やかな笑みをそのままキープし―――発砲する。どうやら湿度が高いようで、影蝕の海岸は全域にわたり破裂音に覆われた。
刹那の先にただ存在する転弾、ついでとばかりに投げ返されてくるナイフ。彼はそれらの状況を分析したうえで、どうにか体勢を立て直そうと足掻く―――デリンジャーを抜き放ち、予備のナイフを右手に収める。
しかし、それらの要素に全く臆することなく、それどころか逆に利用しようと狙い撃ってくる―――それこそが、アトバードという男なのだ。
デリンジャーを発砲、回避される。回避先を想定して撃っておいた2発目を撃墜され、、2発目を避けることを想定して撃った3発目は無駄に終わる。デリンジャーの残弾は3発、どうしてもという場合は拳銃や自動拳銃の使用も視野に入れなければならないだろう―――μ-skYは状況をそう分析し終えると、最早その強力に発露した表情を隠そうともしなくなった。
それは、二つのよく似た笑みだった。
┣δ
そこには、海水があった。
飛びのいた彼女を置き去りにして、箱は水圧により内包する塩水を噴射し始める―――μ-skYの足元が水飛沫に濡れ、潮風と液体たちが混ざり始める。回復アイテムとしても使用が可能な虫が水たまりに引っかかって溺れ始めるのが、μ-skYの高い視力には一瞬観測できた。
その視力を思い出したうえで、改めてμ-skYは箱を一瞥する―――穴だらけである。おそらくこの無数の穴から海水が侵入してきたのであろうが、漂流の途中に沈没しなかったのが不思議なほどの穴の空きようだ。ひょっとしたら、鯖癌には沈没という概念が明確に定義されていないのかもしれない。
かつて中に入っていたかもしれない何かはすべて海水に駆逐されていて、その海水を呼び出した穴たちは、何の表情も持たずに月明かりを選別していた。
ちょうど、殺到する弾丸の盾にされたような穴だった。
┣ε
そこには、爆発があった。
「……ッ!?」
箱を開けた瞬間に襲い掛かった爆風に、身を焼かれそして飛ばされつつ、μ-skYはどうにか懐から煙草を取り出す―――辺りを文字通り爆発的に埋め尽くすことになった熱エネルギーにゲーム的補正を加えることで着火を行い、吹き飛びながらの喫煙に成功―――減少と増加が食らい合うHPバーに、ひとまず生き延びることは成功したことを確認する。
感覚にラグがあるのかそれとも何か物理学的な事象ゆえか、音は衝撃の後に来た―――クソが、彼女は舌打ちをした。彼は轟音が嫌いではなかったが、彼女は轟音が大嫌いだった。静寂の対極たる轟音が大嫌いだったのだ。世界で一番嫌いである、とすら言えたのだ。なぜなら―――
―――ZOOOOOOO…………
起きやがったな。
彼女は再び舌打ちをすると、暗闇に溶け込み始める爆煙を無視して、背後……鳴き声のした方を向き、愛用のナイフを構えるのだった。
「〈プレゼント〉」というその文字は、誰の目に触れることも無く砂に埋もれた。
┣ζ
そこには、双なる眼球があった。
反射的にμ-skYが飛び退き、足元の砂海が若干の波打ちを見せる。しかしてそれが何かに繋がったり、あるいはそれに何かが繋げてきたりすることは特に無く、静寂は依然として辺りに蔓延っている。
反射的に殺意の塊と化されたナイフを構えたまま、μ-skYは思案する―――これは何だろう。ιあたりの技術で作った眼球型爆弾?何かしらの儀具?それとも、邪なる呪が込められた何かしらの宗教的存在?
μ-skYは効くの限りを尽くしている夜目を駆使し、距離を置きつつ眼球を観察してみる。暗闇の中を紅眼が光り、眼前の眼に向けて視線を送りつける―――その時。
「……ッ!?」
彼は目が合ったことを理解した。
眼前の、脈打たず、冷たく、黒ずんでいるそのただの二つの球体でしかないはずのそれらから、確かな意思を感じ取ったのだ。
「……」
だからこそ、彼女はそれを手に取った。
足を向けるは鬩ぎ合う波、音が響いて効を果たすその中心で、手にした二つの球体を、思い切り海に放り投げる―――論理は無く、直観すらなく、必然としてその行動はとられた。
瞬後に聞こえたスクリーンショット音は、果たして幻聴だったのだろうか。
┣η
そこには、もう一つの箱があった。
箱の側面には「ηサーバー全体パーティー☆人間切断マジック!!」とポップな血文字で記されており、全体的に見ても親しみのある血模様が箱を包んでいた。暗闇の中でも設計者が明るい雰囲気を出すことを意図しているのは容易に伝わってきたし、その目論見が成功した時もきっとあったのだという確信を見る者に抱かせる……そんな箱だった。
今までにこの24の孤島群で作られた箱の中で、もっとも平和的なものはこれかもしれないな―――μ-skYはふとそんなことを考えた。そこには一切の暴力が関係せず、ただパーティーというコミュニケーションのためだけに、箱は純然に作られている……まさしく、平和な箱なのであった。
しかし、その考えは間違いであった。
彼がそれを悟るのは、夜目と月明かりを頼りに覗いたその箱に、巨大なる血の海を確認した時のことだ。
┣θ
そこには、血図が描かれていた。
彼女はそれを見た。彼はそれを知っていた。血図が示すのはすなわち複雑怪奇に組まれた手、その抽象化された絵に他ならない―――それはまるでハンドサインのように……というよりも、実際のところハンドサインとして大箱の壁を侵食していて、μ-skYはそれゆえに振り向くことができなかった。
背後で音がする。風でも、波でも、虫でもない音がする。それは大箱が何かを伝えたという証左であって、彼女を瞬時のうちに窮地に立たせる主な要因でもあった。
音は止まらない。恐らく攪乱が目的だ。果たして大箱の中のハンドサインが何を意味していて、それが背後の人物にどういった情報を与えたのか―――それはわからない。しかし、どうでもいいじゃないか。μ-skYは微笑んだ。自分はμ鯖のサイレント・キル・幼女、相手が何をしようとしているかなんて、いちいち確認するまでもない。
弾を込める。ナイフを持つ。姿勢を整える。戦いの準備を、始める。
風も、波も、虫も。いつの間にか、黙りこくった後だった。
┣ι
そこには、茶色い大壁があった。
箱が開かれたことで壁という軛から解放され、茶色たち―――大量の土―――はこれでもかと溢れ出る。
「おぉう!?」
―――それこそ、μ-skYの小柄を、軽く埋め立ててしまうほどに。
土の大群から唯一露出した幼女の右腕が、握られたナイフとともに忙し気に動かされる。彼女が己の発掘に勤しむ中、内包するすべてを開放しきった箱は、物理エンジンによる極めて厳密な挙動の元、傾きと重力と摩擦とその他もろもろの影響を受け―――倒れた。
血文字で「【カタパルト】計画:第3試射」と記された、その底面を風に晒して。
┣κ
そこには、「アァ~~~~すんませェ~~~ん」
「は?」
「あぁあったあった……ごめんなさいこれちょっと我々の物なんで、回収させてもらいますね」
「は?」
「いや~~~あってよかった、しかしλ挟んで隣の島に漂着するとは、随分運が良かったなぁ……おかげで泳ぐのも十キロほどで済みましたよ」
「は?」
「あ、じゃあ失礼します!どうもありがとうございました……良い夜を!!」
「は?」
「ウオァァァァァァァァ!!!!!!」
「は?」
「は?」
┣λ
そこには、何も存在しなかった。
厳密に言うならば、この言葉は正確ではない―――箱の内部にこびり付いた血液は、明らかに箱が平和という概念とは遠くに位置することを、見る者の眼に示し続けていたからだ。それを踏まえるならば、正確にはこう言うべきだ―――そこには、何の物体も存在しなかった。
月明かりが照らすぼろつきは、その箱が明らかに長期間に渡り使い込まれたものであることを語っていた。星明りが照らすべたつきは、その血が明らかに短期間のうちに付着したものであることを語っていた。
誰かが、その中身を食らったとでも言うのだろうか。
┣μ
そこには、μ-skYがあった。
「なッ……!!」
この場合のμ-skYとは、二つ名―――つまるところ、現在高い反射神経を持ってすでに回避行動を始めている彼女を指す言葉ではない。
「……ァッ!!!」
文字通りの意味だ―――『μ鯖のサイレントキル幼女』という名前を条件として考えた場合、その達成は思いのほか簡単である―――μサーバーは行くだけならλサーバー近海巡回船に捕まりさえしなければ簡単だし、幼女に至ってはただキャラメイクで気合を入れればいいだけの話である。後の問題は―――
「……襲名、ってわけかよ、ッ!!」
―――『サイレントキル』要素、それだけである。
箱から出てこなかった方のμ-skYが初手で切り札を発砲、小さな断音が連続するも、それらが功を奏すことは無く……
PvPが、始まった。
┣ν
そこには、青い髪をした亡骸があった。
全身の傷は声高にその損傷度を主張し、装着された拘束具はそれがプレイヤーによるものであることをこれでもかと見せつける。それはまさしく死体、より正確に言えばまさしく他殺体であり―――
「……なァ~~~に持ってるかなァ」
―――言い換えれば、μ-skYの格好の餌に他ならなかった。
慣れを感じさせる手際で亡骸の身ぐるみを剥ぎ始める幼女を、仮想の月は感情なき光で見下ろしていて……
亡骸の首に提げられた「判決:死刑」という木製の板を、ついでに軽く光で照らした。
板の裏側に刻まれた二本の直線が、受けた光にその溝を浮かび上がらせた。
┣ξ
そこには、髪の毛の山があった。
箱全体を埋め尽くす髪は、月明かりを受けて絵に描いたような金色に輝き、そのうねり入り組む全貌に可視性を持たせた。髪は時に蛇行し、時に分岐し、時に袋小路を作り―――何千、何万、ひょっとしたら何十万の流れとともにそこにあった。それは複雑性を極めに極めていたが、全体的に見るとある種統一されているとも言えた。
ドリルツインテールだったのである。
μ-skYは不思議げにその持ち主なき髪を引っ張り出し始め、乾燥した金色と潮風は出会い始める。それらの作業が完了するころ、この巨大な箱の奥底に、彼女はこのような文字彫を発見することになる―――
“
偽王、その残滓
„
┣ο
そこには、衣装があった。
デザインは極めて洗練されており、そのデザインを実現するクオリティも高い。
細部まで細かく設定されたディティールはまさしく圧巻の一言であり、暗闇にも関わらずその衣装は確固たる明るさを持っている。
衣装全体が、もっと言えば箱全体が、調和の取れたバランスで周囲の感情に訴えかけている。
添えられた『かなこ様へ』と情熱を感じる血文字で記されたカードも踏まえて、それはまさしく完璧なプレゼントと言えるだろう。
もっとも、衣装全体にべたりと付着した赤黒い血液を除けばの話だが。
┣π
そこには、さらに箱があった。
μ-skYは首を傾げつつ、まあ多少の過剰包装なんてよくあることだろうと開封を続ける。それまで突き立ててきたナイフによって内部の箱は若干傷つけられており、作業は楽に終わった。
そうして開封が終えられたとき、そこにはさらに箱があった。
μ-skYはさらに首を傾げ、何かの弾みでゴキリというSEが孤島の喧騒のうち極1部を占める運びとなった。μ-skYは眼前の光景から何となく嫌な予感を感じ取ったが、それでもまだ作業を続けようと決断した。
そうして開封が終えられたとき、そこにはさらに箱があった。
彼はキレた。しかしそれを声には出さなかった。なぜかと言えば彼は同時に彼女であって、彼女はμサーバー最静の暗殺者であるからだ。この程度のことで静まり返った海岸に人声を木霊させるわけにはいかなかった。だからこそ、我慢強く作業を続けた。
そうして開封が終えられたとき、そこにはさらに箱があった。
「……」
μ-skYはもはや何も言わず、黙って延々と作業を遂行することにした。さらに箱があった、さらに箱があった、さらに箱があった、さらに箱があった―――延々と続くそのループの果て、何度目かもわからない切り開きを彼女が終えたとき―――
そこには、何もなかったのだ。
まるで、誰かに切り取られてしまったかのように。
┣ρ
そこには、拘束された小柄なプレイヤーがいた。
μ-skYは反射的に拳銃を構えたが、プレイヤーがいくら足掻こうと決してほどかれない拘束を一見した後、その必要性がないことを悟って銃を下ろした。
プレイヤーの眼―――口には、当然のように猿轡がかませてあった―――は何かを語りたがっているように見えたが、何を語りたがっていたところでμ-skYにはどうでもいい話だった。だからこそ銃の代わりに取り出したのはナイフで、これから行うのは射撃ではなく剥ぎ取りだった。
一先ずプレイヤーの息の根を止めようと箱に入り込む。反撃を絶対に受けないよう細心の注意を払って、あたりを隅々まで見渡しながら、彼女はじりじりと動いていく―――その過程で、効きすぎた夜目は見つけたのである。
『νサーバーの皆様へ』と孤島においては異常なほど綺麗な文字で題された、一つの小綺麗な封筒を。
そのプレイヤーは、青い髪をしていた。
┣σ
そこには、核兎が入っていた。
「……なッ!!」
μ-skYは跳んだ。核兎は鯖癌では珍しい大きさが強さに直結しないタイプのモンスター、その主な攻撃手段は―――
―――PHOOOOOOOO
突進、である。
彼は考察する―――大きな事と小さな事を同じ箱に入れて、とにかく何でもいいからとばかりに脳を動かす―――なぜ箱にモンスターが入った状態で漂流、なんてことが発生した?―――デリンジャーの残弾は何発だっただろうか?―――箱ってのはこれでも文明の利器だ、基本的に近くには人間がいる……にもかかわらず、モンスターが入ったまま漂流が始まってしまうことがあるだろうか?―――滞空時間は残り21フレームってところか。核兎の弱点は確か尻尾の付け根、とりあえずナイフ一本は犠牲にしていいだろう。―――そうだとするならば、つまり人間が監督できない状態があったことになる……簡単な話だ―――投擲……当たったな。―――つまるところ、文明崩壊。
異島よりの来訪者との戦闘を継続しつつ、μ-skYは夜明けまでにこれが終わるかを考え始めていた。敗北などというものは考えもせず、一つの島を滅ぼしせしめた兎たちのそのうち一匹と、ただ渡り合うことを考えた。
核兎特有のエフェクトが、周囲を自然とも文明ともつかない光で照らした。
┣τ
そこには、一束の紙切れがあった。
どこからともなく孤島へと流れ着くアイテム群には、時にボトルメールを始めとする紙製品が含まれることがある。この紙束が、それらを拾い集めて血文字にて何かをしたためたものの集まりであることは―――主に、バラバラで、しかしいずれもボロボロな紙質から―――容易に想像することができた。
生物兵器の類を危惧しつつ束を手に取る彼女の眼に、このゲームにしては異様なほどの情報が流れ込む―――
“
ライオットブラッドの"正体"こそが枝となって世界を分岐させるというのはもはや有名極まりない話だが、それは果たしてゲームの世界でも適用されるのだろうか。
ふと思い立った私は、ちょうど保管してあったライオットブラッド・フィクションそしてこの文書を大きな箱に詰めて海に流すことにした。
ライオットブラッド・フィクションの"正体"がこの世界に及ぼす影響は恐らく軽微で、せいぜいが少しの乱数を左右する程度のものだと思われる。
しかし、"大きな箱"という要素を同時に加えることで―――いわば、"型"を定着させることが可能なはずだ。
効果がいつ現れるのかはわからない。だが、この試みがもし成功したとするならば、ライオットブラッド・フィクションではない様々な箱のうち一つが、平行世界においてこの箱の代わりとして置き換えを受けるはずだ。
繰り返そう―――一つだ。決して二つはあり得ない。果実がどんなに大きくても、決して二つの枝に同時に実ることはかなわないのと同じである。この箱と置き換わらなかった箱は、何の因果の束縛も受けず、ただ想定通りの、ないし自然な場所へと流れて行って、時に流れていった先からさらに流れる。この箱の存在だけが、唯一の特異点というわけだ。
この実験の成功は、世界の枝分かれをそのまま意味する。
„
書類の裏側には何かのマークらしきものが記されていたがなぜか滲んでいて、μ-skYにはそれがτなのか┳なのかわからなかった。
┣υ
そこには、爆発があった。
「……ッ!?」
箱を開けた瞬間に襲い掛かった爆風に、身を焼かれそして飛ばされつつ、μ-skYはどうにか懐から煙草を取り出す―――辺りを文字通り爆発的に埋め尽くすことになった熱エネルギーにゲーム的補正を加えることで着火を行い、吹き飛びながらの喫煙に成功―――減少と増加が食らい合うHPバーに、ひとまず生き延びることは成功したことを確認する。
感覚にラグがあるのかそれとも何か物理学的な事象ゆえか、音は衝撃の後に来た―――クソが、彼女は舌打ちをした。彼は轟音が嫌いではなかったが、彼女は轟音が大嫌いだった。静寂の対極たる轟音が大嫌いだったのだ。世界で一番嫌いである、とすら言えたのだ。なぜなら―――
―――ZOOOOOOO…………
起きやがったな。
彼女は再び舌打ちをすると、暗闇に溶け込み始める爆煙を無視して、背後……鳴き声のした方を向き、愛用のナイフを構えるのだった。
「〈プレゼント〉」というその文字は、誰の目に触れることも無く砂に埋もれた。
┣φ
そこには、バイバアルがあった。
「ッ!!」
咄嗟にナイフを投擲したμ-skYは、その反動に単純な跳躍を足すことで一気に後退した。一瞬遅れ、凝らした目が結果を伝える―――ハズレ、である。
「ククク……よう、μ-skY」
当然のように右手でナイフをキャッチしたバイバアルは、顔面に張り付いた獰猛な笑みをさらにエスカレートさせ―――突進する。どうやら湿度が高いようで、影蝕の海岸を砂埃が覆うことは無かった。
刹那の先にただ存在する疾走、投げ返されてくるナイフ。彼はそれらの状況を分析したうえで、どうにか体勢を立て直そうと足掻く―――デリンジャーを抜き放ち、予備のナイフを右手に収める。
しかし、それらの要素に全く臆することなく、それどころか気にも留めずに襲い掛かってくる―――それこそが、バイバアルという男なのだ。
デリンジャーを発砲、回避される。回避先を想定して撃っておいた2発目をナイフで弾かれ、2発目を避けることを想定して撃った3発目は無駄に終わる。デリンジャーの残弾は3発、どうしてもという場合は拳銃や自動拳銃の使用も視野に入れなければならないだろう―――μ-skYは状況をそう分析し終えると、最早その強力に発露した表情を隠そうともしなくなった。
それは、二つのよく似た笑みだった。
┣χ
そこには、誰も居なかった。
そう箱の中身を認識した後、μ-skYは微かな違和感を覚えた―――なぜ、自分は"誰も"などという言葉を使ったのだろう?この箱を開くその瞬間まで、中に人がいるかもと思ったことこそあっても、基本的にそれは殆どあり得ない可能性だと切り捨てていた。だから本来なら、"そこには、何も存在しなかった"とでも表現するのが筋というものだろう……にも関わらず、自分は"誰も"という言葉を使ったのだ。
彼の疑問は―――非常に強いものだった。しかし、言い換えればただ非常に強いだけの疑問でしかなかった。いくら疑い問うと言っても、所詮は現実世界に起き去ってきた脳の中での話に限られる。
その疑問が何かの……例えば、その高く設定された視力でもって、一度海岸全体を見渡してみるだとかの行動につながることは、さして無かったのだ。
流れ星が闇夜を切り裂いたが、彼女が見上げた時には既に黒に隠れ切った後だった。
┣ψ
そこには、巨大なトライデントがあった。
μ-skYの身長がかなり小さい方であることを踏まえても、その風貌は依然として巨大なものと言えた。何かしらの金属が使われているらしき穂先、なめらかで整ったフォルムを持つ柄、その造形技術を見せびらかすがごとく施された装飾―――それはまさしく、文明の塊であったのだ。
「……?」
μ-skYはひとまずトライデントを認識したあと、一つの疑問を覚えた―――このトライデントがΨサーバーから流れ着いたことについては、まあほぼ確定でいいだろう。しかし……あのサーバー、文明と名の付く尽くを破壊されてなかったっけ?―――
そして、その疑問は尤もなものだった。これでトライデントが例えば骨とか、更に低いレベルを想定するなら木の棒とかによって作られているなら、それは正しく現在のΨサーバーの文明レベルを反映していると言える。そしてこのトライデントがそういった材質を持たない以上、導出できる結論は一つだ―――このトライデントが作られたのは、そもそも現在ではないのだと。
μ-skYが、箱の内側に小さく(やはり造形技術を見せびらかすがごとく)彫り込まれたメッセージを……「在りし日」という文字列を発見するのは、数分ほど先のことになる。
┗ω
そこには、大量の資材があった。
煙草、包帯、武器、規制済み、水、酒、規制済み、金属類、規制済み―――群れを成してこれでもかと空間を埋め尽くす、資材、資材、資材。
さしものμ-skYも、これには仰天―――というより、高揚していた。紅の瞳を輝かせ、瞳の紅を煌かせ、幼女はそれらをただ見つめた。
それはまさしく、このゲームにおいての夢の塊と言えた。そしてこの仮想夢の世界において、夢とはすなわち世界そのものに他ならなかった。サバイバル・ガンマンを構成する24+αのサーバー、それが設置されているどこかの建物の、LANケーブルから、ルーターから、終端装置から、パラボラ・アンテナから、プロパイダが管理する電波塔から、インターネットから、またもやプロパイダが管理する電波塔から、またもやパラボラ・アンテナから、またもや終端装置から、またもやルーターから、またもやLANケーブルから受け取った一つの夢を、目を閉じたまま現在進行形で見続けている彼にとっては、どう考えてもそうでしかなかったのだ。
だからこそ―――μ-skYは、異常なほど凶暴な爪痕を残す、ぐちゃぐちゃに掻き混ぜられた資材たちに覚えた高揚を、その場でステップすることで表現した―――見るも無残な有様の資材から、まだ見ぬ強敵たちの存在を教えてもらえたから。
夢は未だ、覚める気配が無い。
月光が海面に呼応して揺れ始め、波音とともに何かの始まりを予感させた。