フロンティアへの幾星霜(短編集)   作:Z-LAEGA

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セプテントリオンを許すな二次


スーパーポジション

 残り五分。

 ナイフが取り出される。

 並び立つ木々の葉身たちが、女の頭上で天空を遮り、ちょっとしたカーテンを作っている。そこに生まれたわずかな隙間から、冷たい月光が漏れ出して、ナイフの鋭利な穂先に降り注ぎ、淡い銀色の輝きを生む。女がナイフを左手に持ち替えると、輝きはべつの輝きに変化した。

 そして、勢いよく。

 刃の切っ先が勢いよく、暗闇の中を弧を描くように駆ける。出発地点は虚空、終着地点も虚空。しかし、その中間には対象(ターゲット)となる存在が確かにある。女の右人差し指の、腹だ。

 結果として発生する切り口は、あまりに損傷(ダメージ)として小さすぎるようで、斬撃を示す「ざしゅん」とか「ぐさり」みたいなサウンドエフェクトが響くことはない。サバイバル・ガンマンはリアル志向のゲームなので、傷口が発光のエフェクトを帯びるようなこともない。ささやかな月光だけが、(あか)(あか)いことを証明している。

 女の指の傷口が、紅の雫を滴らせ、暗い地面がそれを吸い込む。指はそのままゆっくり進み、目の前の木の幹に到達し―――その表面を、()()()()()

 血液が幹のテクスチャに干渉する。要するに女は、その指先で()()を描いているのだった。人差し指が順調に、そして静かに着色を続ける。一文字、また一文字。もう少しで、文章全体が―――。

「―――っ」

 刹那。

 がさりと聞こえた物音に、女は手を動かしながらそっと振り向いた。長きにわたり隠れ続けていれば、物音の種類を聞き分ける技能くらいは自然と身につく。今回の場合は―――落ち葉を、誰かの靴が踏んだ音。さらに響き加減から、靴は靴でも少し濡れた靴だということも分かる。

 それは何を意味するか? 直近の二十分間では叫び声や銃声は聞こえていない。つまり、靴を濡らしているのは血液ではない。モンスターの涎というわけもないだろう。もっと簡単な答えがある。

 ()()()だ。

 残り五分というところになって、新しくかくれんぼへの挑戦者が現れたのだった。

 女が振り向いた先には、先ほどのものとはまた別の、茶色な木の幹が聳えている。そして―――それが隔てるさらに先から、また一つ、落ち葉がつぶれる音が聞こえる。

 ()()()()()()()()

「……」

 女が何かを考えるより先に、周囲の木々が微かに揺れる。恐らく、辺りに潜伏していた同胞(プレイヤー)たちのうち、能動的(アクティブ)に隠れに行くタイプが場所を移し始めたのだ。χサーバー民は全員がかくれんぼガチ勢だが、どんなものにも派閥というものがある。女は置きに行くタイプ、なるべく最初に決めた定位置を維持する方向で隠れる。とはいえ―――

 また、落ち葉の音。

 悠長にしているわけにもいかないだろう。

 女はゆっくりと姿勢を変える。腰を低くして、地面で踊る薄影を眺めながら、その全身を幹の、血文字の裏側へと隠していく。落ち葉の音が続けて聞こえようと、彼女の動きは変わらない。速くも、遅くもなりはせず、ただゆっくりと―――かくれんぼを、遂行していく。

 そして、暗闇は女を飲んだ。

 彼女は後頭部を木の幹にあてると、口を両手で塞ぎ、極力呼吸音を消そうとする。VRゲームは目を開けたまま夢を見る行為で、でも、夢の中でも心臓は脈を打つ。現実とまったく同じ緊張をもとに、まったく同じ鼓動を刻む。

 反対側から声が聞こえる。

「……はぁ」

 悲しげで寂しげで儚げな、男の声。

「……結局、見つけられねえのかよ」

 上陸者がχ鯖に乗り込むのは、どうも初めてではないらしい。つまり、彼はこのサーバーに再挑戦(リトライ)をしようとしているのだ。そしてまた、負けようとしているのだ。

 女は息を必死に殺す。男の足音が数歩続く。

「……こいつは」

 女には、彼が何を目にしたかわかる。暗闇の中でもあざやかな材質を隠さず、その紅をほんのわずかに、月光の元曝け出す―――血文字。ついさっき、彼女が描いたものだ。

『誰も見つけられなかったね』

 そう。誰も見つけられなかった。

 数々の訪問者たちは、誰も誰かを見つけられなかった。

 χサーバーの住人たちは、誰も誰かに見つけられなかった。

「……また、それか」

 男は溜息と共に呟いた。前回の上陸時も、同じ文字列を読んだのだろう。

 それは女にしてみれば、誰かに見せるつもりもなく、ただ何となく描いたものだった。いつも描いていたから今日も描いた、ただそれだけ。誰かに見つかることは想定しておらず、しかし見つかってしまった。見つかったせいで文字列に意味が生まれてしまった。

『でも、逆に言うなら』

 女は思う。

『見つからなかったら、意味なんて生まれなかったのかな』

 彼女はそこで唐突に、ひどく大きな願望を覚えた。物音を思いっきり立てまくって、無駄しかないような動き(モーション)を取って、木の幹から勢いよく躍り出たくなったのだ。暗闇なんて関係ないくらい騒ぎ立てて、とにかく男に見つかってみたくなったのだ。

 誰も見つけられなかったχサーバー民を、誰かに見せて。そして―――かくれんぼを、終わらせたくなったのだ。

「……クソ」

 でも、駄目だった。

 男が小さく呟いた後も、女の息は殺され続け、χサーバーに潜伏する、そのほか百二十四人のプレイヤーについても同じだった。誰もがかくれんぼを終わらせたがっていて、しかし、かくれんぼはわざと終わらせてはならないものだった。そういうルールだからだ。

 サバイバル・ガンマンのサービスが終わっていく。

 それによって何かが変わることはない。

 誰も見当たらない島(オンライン)誰もいない島(オフライン)に変わるだけだ。かくれんぼをするうえで、実用上の問題は一つもない。それは逆説的に、誰も見当たらない島(オンライン)誰もいない島(オフライン)同然だったということでもある。

 誰もが否定者を待っていて、それが現れることはなく。

 分解され始めた月光の下で、男がもう一度、大きく叫ぶ。

「……クソッ!」

 サバイバル・ガンマンのサービスが終わる。

 彼らの潜伏は続くというのに。

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