それが最後の死体になった。
「……クソ」
そんな呟きを暗闇に放り捨てながら、バイバアルは『両手が冷たい』と思った。かぎりない冷気が掌の皮膚を蝕んでいるかのように感じ、肌が凍り付くような感触を覚えた。
錯覚だった。
実際のところ彼の両手は、そのほかの身体部位と同様に、興奮や激しい運動によって結構な熱を帯びていた。真夜中の涼風の中にあって、僅かな汗を滲ませてすらいた。バイバアルが感じた冷たさは、世界のどこにも存在しない虚構だった。
しかし果たしてフルダイブVRに、錯覚ではないものが存在するだろうか?
「ハァ……ハァ」
バイバアルは荒い息をしながら、早く冷たさから逃れてしまおうと、半ば無意識に両手を開く。それによって、その手中に収まっていた一本の細首が解放される。
首の肌には白色が広がり、闇の中でも存在感を放っている。つい先ほどまでマフラーに覆われていたので、ほかの部位と違って返り血には濡れていない。
唯一、その表面を汚すものがあるとすれば。
荒々しく残された、一筋の絞殺痕の他にないだろう。
「……やった」
どさり、と。
幼女の死体が地に落ちる。
今夜は月が出ていないから、辺りの闇は一段と深い。
バイバアルの高い視点からは、足元で横たわる幼女の浮かべる表情とか、装備する武器とかはわからない。
しかし彼にとっては、これだけわかれば十分なのだ。
φの野人が呟きを落とす。
ぽつり、と。
「……勝った」
それだけ言うと、バイバアルは屈みこむ。一度は手放した幼女の死体に、もう一度触れる。再び訪れた存在しない冷たさに耐えながら、彼は物言わぬ幼女を軽々と抱き上げる。
そして、暗闇の中を歩き出す。
死体を処理しなければならないのだ。
◆
サバイバル・ガンマンでは死体が残る。
理由については諸説ある。リアリティを重視した説がある一方、リスポーンの概念がある状態で何がリアリティだという反論もある。食料にするため説がある一方、そんなイカれたことをするのはλの連中だけだという反論もある。建造物の素材にするため説は既に唱えられていない。ιの死体飛行機は無残に爆散した。
何にせよ、サバイバル・ガンマンでは死体が残る。
死体が残る以上、処理しなければならない。
「―――よし」
バイバアルは、死体の山の前で呟いた。
φサーバーには素手縛りという暗黙の了解があるが、部分部分で例外が生じる。例えば、この状況における松明がそうだ。ごうごうと燃え盛る橙色の炎は、砂浜に無造作に突き刺された棒の先端で、周囲の光景を照らしている。
バイバアルはそれを頼りに、辺りの様子を確認する。
まず、目の前の死体の山。
確認した限り、どうやら『今回』の死体はこれで全部らしい。島中からかき集めて積み上げてみると、バイバアルとしては「随分殺したな」と言う他にない。
そして、それを囲む自分以外のプレイヤーたち。
φサーバーでは時に殺し合いが起こることもあるが、プレイヤー間の関係は、少なくとも協力して筏を作れる程度には良好なものだ。今回もこうして協力し、発生した死体を集めたのだ。
最後に―――。
「よぉ……っと」
バイバアルは、両手に抱えていたそれを、死体の山の頂上に移す。
―――μ-skYの、死体。
改めて炎光の中で見てみれば、その肉体には外傷がない。ご丁寧に月のない夜を選んで他サーバーに潜入し、他者を斬り、撃ち、噛んだというのに―――彼女の身体の紅は、全て返り血が生むそれだ。唯一の例外は、その開ききった瞳孔の奥で、薄く輝く血のような赤だけだった。
「……燃やすぞ」
バイバアルは唾を飲む。全てが終わった後だというのに、なぜが彼には緊張があった。
ひょっとすると、つい先ほど。
闇を貫いて自分を睨んだ眼光を、視界に焼きついた太陽の影のように、いまだ忘れられないからかもしれなかった。
◆
死体は処理しなければならない。
第一に、放っておくと腐臭が漂って不快だ。第二に、その腐臭におびき寄せられたモンスターがやって来て惨事が起こる可能性がある。σサーバーで発生したスタンピードイベントの一因は、目先の戦力強化を重視しすぎるあまり、死体の処理を怠ったことにあるともいわれている。
そういうわけで、死体は処理しなければならない。問題は処理方法にある。
例えば簡単なものだと、せっかく孤島なのだから近くの海に捨てればいいという考え方がある。しかし海に捨てられた死体もまた、水棲のモンスターをおびき寄せないとは言い切れない。しかも、このゲームのサメは陸に上がってくるのだ。遠洋に捨てれば問題は無いが、そんなことを気軽にできるサーバーは少ない。泳いで行けるκか、人間砲台を開発したιくらいだ。
食べるという選択肢を選べる者は、ほとんどλに集中している。
近くの海と同様に、地面に埋めるのも駄目だ。このゲームのモグラは空を飛ぶ。それを安定して仕留められるのはγだけだ。
酸か何かで溶かすというのは悪くないが、貴重な薬品系資源を無駄にすることになる。そもそも資源を活用する気のないηにしかできない芸当だ。
死体蹴りを大衆娯楽化する文化はνにしかない。
そして、その他ほとんどのサーバーでは。
「……」
死体は、燃やすことになっている。
バイバアルの見上げる先で、投げ込まれた松明から広がった焔が、μ-skYの死体を飲み込んでいく。飲み込み終えるのを待たずして、焔は頂上から別の死体へと燃え移る。立ち昇る煙を照らす炎光が、いっそう明瞭さを増していく。
光が強くなったことで、バイバアルは一つの事実を知った。
「……へっ、被ってやがる」
山の表面を埋める死体たちは一見すれば大量だが、強い光の中でよく見ると、まったく同じ顔をした死体がいくつもある。それはきっとキャラメイクが被ったとかそういう話ではなく、一度殺されてリスポーンしたプレイヤーが更に殺されたことで発生した重複だ。
「ってえことは……」
目の前の死体の山も、『種類』の数で言えば大したことはないのかもしれない。
バイバアルはそう考えた。案外山を崩して並べてみれば、顔が同じ死体が四つも五つも見つかって……被りを弾いたうえで数え直せば、そう多くは残らない可能性もある。
とはいえ。
彼は山の頂上を見る。現在進行形で他者へと炎を伝播させていく、熱の中心。幼女の死体。いくら被りを排除しようと、絶対に減らない
バイバアルは一人で呟く。
「……あいつの―――」
一人で呟く?
それはおかしな話だった。そう、おかしかった。バイバアルは静寂に気付いた。
「……チッ、気付いたか」
高い声が。
「テメェ……ッ!」
聞こえて、サバイバルナイフに付着した血液が、炎光をぎらりと跳ね返した。
「
再上陸した金髪の幼女が、微笑んでいる。眼光がバイバアルを鋭く突き刺す。
「上等だよ……ッ!」
バイバアルは熱光を受けながら、ふたたび太陽を直視した。