フロンティアへの幾星霜(短編集)   作:Z-LAEGA

34 / 60
水面を揺らせば己の顔も散る

釣りとは。

 

父曰く、釣りとは水面を通して魚と、世界と対話する世界で最も高尚な行いである、と主張する知り合いがいた。

 

「…………」

 

ぱしゃり、と水面が揺れる。

ぐい、と竿を引けばその感触は重すぎるほどだ。間違いない、このいかにも平静を極めるように見える水色の底には、紛れもない大当たり(クリティカル)が、穏やかにして魂胆に満ちた笑顔を浮かべて潜んでいる。

だが―――斎賀玲は、決してそれに動じない。ただ水面下の大物が逃げ出さないよう、最低限の力加減を保ちながら……時を、待つ。

 

「…………」

 

父曰く、釣りをしてる最中の水面は感情を映す鏡である、と主張する知り合いがいたという。玲はそれについて、ある視点において確かに正しいのだろう―――そう思う。今の自分はどうにか平静を保とうとしているし、その過程で過去に挫折したこのゲームを起動した。だが……それはあくまで、表面的な策に過ぎない。だからこそ穏やかに見える水面の裏側では、とんでもないほどの()()が、今すぐにでも飛び出し、すべてを乱しつくしてやろうと、ただその時を待っている。

 

玲は、それを否定しない。

実際のところ、先ほど思い人との()()()が決まったときは、自分を水面に例えるとするなら、回転推進装置(スクリュー)でかき混ぜたような動揺を感じたものだ。

けれど……その動揺を、ただエネルギーとして発散するか。あるいはかき混ぜられたことで生じたエネルギーを使って、例えば何かを運んでみたり、ちょっと積極的に、何かを飲み込んでみたりするか。その決定権は、他ならぬ玲自身にあるのだ。

だから、彼女はただ……待つ。水面下の大物が動き出し、それを捉えるために自分が動き出さねばならなくなる時を、じっと待つ。

 

「…………」

 

なぜ、玲は釣りをしているのだろう。

 

勉強会があるというなら、例えばそれに向けて予習をしておくとか、参考書をそろえておくとか、できることはあるはずだ。でも、それをいったん後回しにして、なぜ彼女は、ローポリゴン極まる、解像度の低いテクスチャをした釣竿を、握っているのだろう。

いいや、いいや、理由はわかっている。それは例えば軽率に()()()()()を覗いて手が震えたせいだし、その震えが止まらないので現実にも、シャンフロにも留まれないのが理由だ。

 

つまり今玲は、興奮している。

 

「私が?」

 

この川の奥底で今か今かと時を待っているシロナガスクジラは玲の現在を暗示している。シロナガスクジラは世界最大の動物、彼女の心に獅子(ライオン)と共に眠って、時にどこかで暴発する……巨大で巨大で、巨大極まりない「感情」なのだ。

 

ではなぜ玲は釣りをしているのか?釣りたいのではない、釣りをしたいのだ。川釣りモードには様々な魚が潜む。それはどこか思い人の持つ、多彩なプレイスタイル……そして、遊ぶゲームのレパートリーにも似る。玲にとって、それは他ならぬ()()の願望の対象であり―――

 

「ゲームに、ワクワクする心……!」

 

そう、それこそが玲の持つ、恋という名のシロナガスクジラの原点。雨が止もうが降ろうが、それは常に変わらないもので……釣竿に、莫大な手ごたえがかかる!

水面は激しい飛沫を上げず、しいて言えば水面()()()()が、ざばんざばんと荒れ狂い、揺れ乱れ始める。その光景は言うなれば、()()()()()に他ならず……!

 

このかつて鯨を一本釣りできず挫折したゲーム「フィッシング・フェスティバル・ファイブ」……今こそそれに、比類なき決着をつける時だ。斎賀玲は眼を見開く。爆発するのは水面だけではない、彼女の整理されるべき感情たちも同じだ!

 

「龍宮院派生斎賀流護身術―――!」

 

1秒ごとにどんどん強くなる水面の……いやもはや水面とは言えない()()()()蠢きにどこか似た構えを、玲は全霊を込め全身で取る!

 

「―――『砕惨・瀑布』!」

 

世界そのものが水禍(すいか)水渦(みずうず)に包まれる中、玲は『砕惨・瀑布』……回し蹴りの応用によって為される一本背負いを放つ。衝撃と轟音と狂濤が、生まれ出でてはどこかへ消えていく。そして、その果てには。

 

「……ふぅ」

 

そう、一つだけ呟く斎賀玲と、その傍らに横たわる……巨大で巨大で巨大で巨大で巨大で巨大なシロナガスクジラが、付近一帯に爆心地(グラウンド・ゼロ)を形成していた。

玲は深呼吸をし、余韻に浸る。あまりに強大なクジラはすでに川には潜んでおらず、多少揺れはするものの穏やかな流れたちだけが、さらさらと行っては来たりする。玲はなんだか気持ちが軽くなったように思えた。つい先ほど、世界で最も重い生物を釣り上げたからなのかもしれない。玲には、今なら楽郎と勉強会をしても、吐きそうになったりせず、この水面のように平静でいられるような、そんな気が―――

 

「……」

 

そんな気が。

 

「……ふぇぅっぬ!」

 

そんな気がしていたがやっぱり無理だと思った玲は、川に飛び込んで感情のままに泳いでいたら偶然近くを泳いでいた毒蛇に噛まれてゲームオーバーになった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。