釣りとは。
父曰く、釣りとは水面を通して魚と、世界と対話する世界で最も高尚な行いである、と主張する知り合いがいた。
「…………」
ぱしゃり、と水面が揺れる。
ぐい、と竿を引けばその感触は重すぎるほどだ。間違いない、このいかにも平静を極めるように見える水色の底には、紛れもない
だが―――斎賀玲は、決してそれに動じない。ただ水面下の大物が逃げ出さないよう、最低限の力加減を保ちながら……時を、待つ。
「…………」
父曰く、釣りをしてる最中の水面は感情を映す鏡である、と主張する知り合いがいたという。玲はそれについて、ある視点において確かに正しいのだろう―――そう思う。今の自分はどうにか平静を保とうとしているし、その過程で過去に挫折したこのゲームを起動した。だが……それはあくまで、表面的な策に過ぎない。だからこそ穏やかに見える水面の裏側では、とんでもないほどの
玲は、それを否定しない。
実際のところ、先ほど思い人との
けれど……その動揺を、ただエネルギーとして発散するか。あるいはかき混ぜられたことで生じたエネルギーを使って、例えば何かを運んでみたり、ちょっと積極的に、何かを飲み込んでみたりするか。その決定権は、他ならぬ玲自身にあるのだ。
だから、彼女はただ……待つ。水面下の大物が動き出し、それを捉えるために自分が動き出さねばならなくなる時を、じっと待つ。
「…………」
なぜ、玲は釣りをしているのだろう。
勉強会があるというなら、例えばそれに向けて予習をしておくとか、参考書をそろえておくとか、できることはあるはずだ。でも、それをいったん後回しにして、なぜ彼女は、ローポリゴン極まる、解像度の低いテクスチャをした釣竿を、握っているのだろう。
いいや、いいや、理由はわかっている。それは例えば軽率に
つまり今玲は、興奮している。
「私が?」
この川の奥底で今か今かと時を待っているシロナガスクジラは玲の現在を暗示している。シロナガスクジラは世界最大の動物、彼女の心に
ではなぜ玲は釣りをしているのか?釣りたいのではない、釣りをしたいのだ。川釣りモードには様々な魚が潜む。それはどこか思い人の持つ、多彩なプレイスタイル……そして、遊ぶゲームのレパートリーにも似る。玲にとって、それは他ならぬ
「ゲームに、ワクワクする心……!」
そう、それこそが玲の持つ、恋という名のシロナガスクジラの原点。雨が止もうが降ろうが、それは常に変わらないもので……釣竿に、莫大な手ごたえがかかる!
水面は激しい飛沫を上げず、しいて言えば水面
このかつて鯨を一本釣りできず挫折したゲーム「フィッシング・フェスティバル・ファイブ」……今こそそれに、比類なき決着をつける時だ。斎賀玲は眼を見開く。爆発するのは水面だけではない、彼女の整理されるべき感情たちも同じだ!
「龍宮院派生斎賀流護身術―――!」
1秒ごとにどんどん強くなる水面の……いやもはや水面とは言えない
「―――『砕惨・瀑布』!」
世界そのものが
「……ふぅ」
そう、一つだけ呟く斎賀玲と、その傍らに横たわる……巨大で巨大で巨大で巨大で巨大で巨大なシロナガスクジラが、付近一帯に
玲は深呼吸をし、余韻に浸る。あまりに強大なクジラはすでに川には潜んでおらず、多少揺れはするものの穏やかな流れたちだけが、さらさらと行っては来たりする。玲はなんだか気持ちが軽くなったように思えた。つい先ほど、世界で最も重い生物を釣り上げたからなのかもしれない。玲には、今なら楽郎と勉強会をしても、吐きそうになったりせず、この水面のように平静でいられるような、そんな気が―――
「……」
そんな気が。
「……ふぇぅっぬ!」
そんな気がしていたがやっぱり無理だと思った玲は、川に飛び込んで感情のままに泳いでいたら偶然近くを泳いでいた毒蛇に噛まれてゲームオーバーになった。