フロンティアへの幾星霜(短編集)   作:Z-LAEGA

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あとで加筆するかも


千鳥足

 七号タンクの影は長かった。

 ちょっとした幼女ひとりの細い体など、覆えるどころか、塗りつぶせるどころか――もはや()()()()()()()()()()くらいに、長く、幅広く、奥深く。赤焼けの空におりたグラデーションのカーテンの中に、切り取ったようなシルエットを、ひとつ、浮かべていた。

 彼らが気づけなかったのもそのせいだ。

 

「本当にこっちに逃げたのか!?」

 

「かなり()()()はずだ、回復される前に見つけ出せ!」

 

「これ以上……ヤツをこの島に潜伏させるわけにはいかない!」

 

 四方から聞こえる話し声の群れと対称的に、μ-skYはというと、独りだった。ただ独りで七号タンクの、木目を宿し湾曲した外壁の、ひんやりとした表面に背中を預けていた。

 七号タンクの影は長かったので、幼女の鋭い紅の眼以外、ほとんどの色彩を夕陽から隠していた。だから、血液も見えなかった。もしこれが日中の出来事であったなら、七号タンクの外壁の――μ-skYの肩甲骨が接したあたり。そこからだらだらと垂れ続ける。鈍重な血糊の鈍い朱色も、きっと白日にさらされるはずだった。

 だが――。

 目に見えないものも、存在はする。それがフルダイブVRの真実で、バークリーめいた唯我論(ソリプシズム)は通用しなかった。だいたいこの小説は三人称で、サンラクは背中の血管が脈打つのを確かに感じてもいたわけで、引き合いに出すことじたい、的外れだ。結局のところ血は流れ続けていて、ヒットポイントは減り続けていた。

 

「……ッう」

 

 回復、しなければ。

 同様に血液を滴らせている、左腕、そこに巻き付けた止血用のマフラーを、今一度強く引き絞りながら、μ-skYは無言のうちに思った。痛みのあまり苦悶の声を上げるような()()はとっくに過ぎているが、気を抜けば舌打ちや悪態が出かねない。ばらばらと聞こえてくる足音が消えていくのを、じりじりと縮むHPバーを睨みながらゆっくりと待ち――。

 静寂。

 ふぅ、と一つ、息を落とす。

 

「煙草は……」

 

 もう無い。

 ここιサーバーは資源が潤沢(いいカモ)なことで定評を持つ一方、その定評を住民たち自身も認識しているがゆえに、ある程度セキュリティが高い。真正面から筏で攻めようものなら、問答無用で()()()()()で射抜かれてしまう。なので――潜ってきた。

 平然と泳ぎのみで島から島へ移動するκ民ほどではないにせよ、近海に浮かべた筏から、潜行して上陸するくらいは、この幼女(少年)のプレイヤースキルなら十分に可能だ。ただ――少ししくじったことがある。銃の火薬と煙草が、湿気てしまったのだ。

 銃のほうは鹵獲したリボルバーで何とかなった。しかし煙草は奪えなかったし、ついでに言うとライターも湿気ている。サバイバル・ガンマンにおける回復アイテムと言えば虫・煙草・酒が代表的だが――ι鯖の沿岸部は工業化が進んでいるため、χのような未開地と異なり、適当な虫をつまんで食べるようなことはできない。そして煙草は見ての通り。自然と選択肢は、酒に絞られることになる。

 そう――。

 

「……燃料、ね」

 

 酒。

 μ-skYは七号タンクの巨躯を改めて見上げた。最新のグラフィックで描かれる橙の天幕の下、不動で佇む円柱形の構造物。あまり厳密なつくりではないらしいながら、何本か、太い配管(パイプ)が生えているのが分かる。パイプたちは絡まり合った綾取りのように空を横切ってあちこちへと伸び、六号タンクや八号タンク、そして何やら異質な機械たちと繋がっている。

 事前に聞いた噂とちょっとした拷問(おはなし)のおかげで、この区画の役割はだいたい把握できていた。ずばり――バイオエタノールの生産だ。

 幼女は周囲に気配がないのを今一度確認すると、よろよろと立ち上がり、長い細影を地面に投じながら、()のほうまで足を引きずった。この一帯に点在する無数のコンテナ、そのうち一つだ。タンクたちと比べるとざらついて歪んだ、簡単な加工しかされていないのだろう木材で組み上げられたそれは、施錠(ロック)機構なんかは有していないらしく――細腕でぐいと持ち上げるだけで、チェストボックスのようにすらりと開いた。覗いた中、肩と頭のシルエットに覆われて転がるのは――丸みを帯びた、無数の影たち。

 それはいくつもの山芋であった。

 

 

 フルダイブVRにおける物理エンジンにおいては、粒度が重要になってくる。

 例えば完璧なエンジンが――仮想世界のすべてにおける、巨大な山の聳えから、それを構成する無数の土くれに含まれる、一つ一つの原子まで。そんな細かさの領域を、完全に現実に忠実にシミュレーションしてみせるような、そんなエンジンがあったとして。それでは、()()()()()()()()()()()。現実世界を完璧に再現できているなら、魔法も魔獣も聖なる力も、全てあるはずがないからだ。

 夢の世界のディティールは、時に画素平均化(ガウシアンフィルタ)を必要とする。時に重力は無視できなければならないし、火を吐く巨獣は立ち上がらなければならない。その実装は困難を極め――とはいえ基本的にデベロッパーたちは、単にユートピア社が提供する開発パッケージを流用するだけでいい。完璧にリアルかといえばそうでもないものの、十分にリアルで、かつ破綻の少ないゲーム体験を提供できる。

 だが、サバイバル・ガンマンはキメラだ。

 開発陣の()()()()()()()()()()から、力学演算や操作インターフェース、そして感覚フィードバックの領域で、独自開発した専用エンジンをインポートしている。一方でエフェクトや光線追跡(レイトレーシング)、あと物質の化学的性質あたりは出来合いのものだ。だから――解像度には高低がある。一部分にだけモザイクをかけられた画像のようなものだ。そこには、付け入る隙がある。

 山芋の糖化は、ユートピア社の化学エンジンに沿って進行する。

 どの孤島にも存在する山林部。うっそうと茂る植物をかき分けると、頻繁に山芋を発見できる。このゲームは悪意の塊なので、もちろん食べれば回復できるどころか、むしろ毒性で死ぬ。だが、燃料にする分には関係ない。

 ιで行われているメソッドの場合、まず採集班が山芋を取り出す。山芋は定期的に自生(リスポーン)するが、なにせ必要な量が多いから、ι内に生える分だけでは心もとない。他サーバーと取引する形での調達も時には行われる。

 取り出した山芋をすり潰した後、耐熱容器に入れる。そして水を加えた後、およそ摂氏六十六度で加熱する。この加熱に用いる熱源は様々だが、燃料を作るために燃料を消費していては世話がないということで、典型的な煙草型無限熱源装置など、時間効率より燃費をとるような選択肢が取られるケースが多い。とにかく加熱する。山芋の主成分であるデンプン(C₆H₁₀O₅)ₙがいわゆる糊化を起こして不規則化し、それとは別に含まれるβ-アミラーゼが作用温度に達することで、糊化したデンプンに対し消化酵素として働く。結果として2(C₆H₁₀O₅)ₙ+nH₂O→nC₁₂H₂₂O₁₁の加水分解が発生し、麦芽糖(マルトース)C₁₂H₂₂O₁₁を得ることができる。

 マルトースがあれば、あとは鯖癌の独自エンジンの出番だ。この露悪的なゲームには当然「腐敗」のシステムがあり、微生物の働きを計算するユートピア社のシステムに置換する形で、適当な研究機関のデータセットとモンテカルロ法を用いた表層的な手法で表現されている。要するに――アバウトなのだ。アバウトだから、適当に暗くしたタンクの中に放置しておけば、酵母が存在しなくても発酵が発生する。そもそも現実ではマルトースが直接発酵するのではなく、マルターゼなどの酵素によるC₁₂H₂₂O₁₁+H₂O→2C₆H₁₂O₆の加水分解で葡萄糖(グルコース)C₆H₁₂O₆に変化したのちの発酵なのだが――それすらスキップされる。アバウトだから、解像度が低いからだ。

 最終的にはうまいこと、エタノールC₂H₅OHの水溶液を得ることができる。この水溶液を燃料にするためには単純蒸留法の繰り返しにより濃度を九十数パーセントまで上げる工程が必要になるが、いったん、そこは省略される。そもそも燃料を注ぎ込むための機体が、いまだ完成していないからだ。

 回復アイテムとしてもかなりレアな部類のウイスキーなどを直接アルコール燃料として使用するより、よっぽど手法(ソリューション)として安上がり(リーズナブル)だ――と、しきりにもてはやされる手法ではある。しかし安いか高いか以前に、そもそも飛行機(フライヤー)はまだ()()()()いない。正直なところ無駄な努力なのでは――と冷静に振り返る向きもあった。とはいえ、出来てしまったものは仕方ないのだ。例えこの生産ラインを確立する過程で、いくつもの悲惨な事故が巻き起こったとしても。

 犠牲は払われなければならない(Opfer müssen gebracht werden)

 

 

「……いやまあ、要するに酒なんだろ?」

 

 ならばやることは決まっていた。

 μ-skYは夕焼けの中、誰かにとっての残像を残しながら、ゆらゆらと、タンクの――巨大も巨大な酒樽のふもとに、もう一度戻った。そして愛用のサバイバルナイフを引き抜くと、じゃっという音が夕焼けに溶け終わるより先に、迷いなく、切っ先を七号タンクに突き立てた。作りが丁寧なだけで耐久性の高い構造をしているようなわけではないらしく、刃はすんなり奥まで通った。引き抜く。細長い切っ先の向こう側から、物理エンジンが導く水圧の摂理に基づき、エタノール水溶液が――酒が濁流をなして。露出された二の腕に少しの飛沫なんかもかけながら、さも滝のように流れ出始めた。

 

「……んあ」

 

 HPゲージがほとんどゼロに近かったことを考えると、まあ当たり前の話なのだが――そこからもやはり、幼女が躊躇することはなかった。躊躇なく口を開き、躊躇なく赤色の舌の切っ先を少し出して、躊躇なく口元を滝にあてた。同時に――。

 

「……え」

 

 二つの事実に気づいた。

 まず、HPは回復しなかった。サバイバル・ガンマンの回復システムは例のごとく独自エンジンをとっていて、酒を飲むことによる回復は、アルコールをトリガーにしたものではなく、ゲーム的に「酒」と規定された物質の摂取によるものでしかなかった。だいたい――それは、そうだった。わざわざゲーム的でない条件を付けて、()()()の製造を許す理由などどこにもない。

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()()。サバイバル・ガンマンの味覚調整システムは例のごとく独自エンジンをとっていて、酒を飲むことで舌に訪れる味わいは、アルコールをトリガーにしたものではなく、ゲーム的に「酒」と規定された物質の摂取によるものでしかなかった。ゲーム内で煙草を吸っても、本物のニコチンを摂る感覚とは程遠いのと同じことだ。()()()()()()()()()()()()()()()。ただのアルコール水溶液は酒ではない。味わいを取り繕おうという理性さえ伴わない。

 

「お、あ……」

 

 歪んだ視界の上で炎のように燃え盛る夕焼けの空がそういえば酩酊しているようだった。μ-skYはうわごとを呟きながら、倒れて――死んだ。その死体はちょうど滝が描く放物線が地面と接するそのあたりに落ちて、だから幼女の小さな身体は、こと切れてなお、濃縮された混乱に浸され続けた。でも弾みで鹵獲したリボルバーが暴発しもしたから、火が上がって――。七号タンクは瞬く間に、燃え上がった。パイプ越しに繋がった、たゆまぬ努力の塔たちとともに。

 あるいは篝火のような黒煙が、もうもうと天へ、吸い取られるかのように上がっていった。

 けれどその縄は、千鳥足を歩むように曲がってもいたのだ。

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