フロンティアへの幾星霜(短編集)   作:Z-LAEGA

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原作と違うルートなのでこの短編集でいいのかちょっと悩んだんですけど基本的に漫画版の謎水着回扉絵時空だと思えば辻褄が合うのでまあいいかという感じに ただし斎賀玲なしです


アズ・レプリカ・レプリカ

「痛(いた)ッ」

 

 引いては寄せる波濤の流音に、半ばかき消されるような高い声が上がった。先ほどからこの孤島の浅瀬を海岸線沿いに泳ぎ回っている、金髪の髪を持つ幼女の悲鳴。その反射的な言葉を引き出したものは、彼女の細い素足の首に走った――そう、本人の言葉通り。

 痛みだ。

 脳が迸らせた神経信号にバランスを崩しかけながら、幼女はひとまずクロールの手を止め、腕を広げて浮かびつつ、足が漬かっているはずの海中へと視線を移す。今回の周辺海域調査にあたり、火薬を使うタイプの武器はすべて島に埋めてきてしまった。身を守るのに使えそうなのは――相棒(サバイバルナイフ)、一本だけだ。

 ぴちゃぴちゃという水音のかたわら、じゃきりと確かに抜き身の音が。

 

「さァて、俺に奇襲したのは……」

 

 鮮血のように紅い瞳が、広がる蒼海を深く見る。

 いや、見るまでもなかった。

 

QRAAAAAAAAAAAA

 

「……クラゲの鳴き声ってそぶへっ」

 

 いつの間にか自分の真下に陣取っていた巨大な刺胞動物が右足に突き刺した針から超高速で養分を吸い取っていくのを目の当たりにしながら、μ-skYは干からびて死んだ。

 ポリゴンの集合と化して消えていくその右手から離された、三十六本目の相棒が、揺らめく水面の屈折の向こうで、底へ底へと廻っては沈む。

 正午の出来事であった。

 

◇

 

 深々と構える群青の空を背後に、貼り付けたように巨大な入道雲がもくもくと立ち昇る。

 雄大な天空の光の中で、逆に楽郎のまなざしのほうも、やはり大空の広がりを見ていた。数々の世界(ゲーム)を見下ろすのと同様に、この現実の地球をも包み、寛容に輝く絶対のヴェール。それを突き破りでもしてしまうかのような、煌めきに溢れた視線を横に、慧は心中で――こいつは飛(・)び(・)立(・)と(・)う(・)とでも企んでいるのか。そんな風なことを、少し考えた。

 だが本題は――空ではなく。

 少々、視線を落とした先にある。

 

「……マジで言ってんの? サンラク」

 

「大マジだぞカッツォ? なんなら俺が自発したユニークの情報を――」

 

「リアルの会話のついでみたいな感じでゲームの煽り入れるのやめてもらえます?」

 

 この二人が――否、私用で数分遅れて来るという天音永遠を含めれば三人が。どうして当然のように素顔を明かし合っているのかについて、ここでは触れない。触れてどうなるという話でもないからだ。

 重要なのは……客観的な表現で言って「悪友」と呼んで差し支えないこの三人のゲーム友達が、深い青空のもとに広がる、海(・)水(・)浴(・)場(・)にやってきていることだ。

 

「……ちょっともう一回言ってよ。さっきのは俺が聞き間違えたかも」

 

 上半身に羽織ったラッシュガードの裾がめくれるのを少し気にしながら、慧が楽郎に反芻を求める。楽郎はオーケイと短く呟いて、ちょっと唇を舐めたあと、間を置いて言った。

 

「よく考えてみると俺、海水浴に来るの初めてなんだよな」

 

 事実である。

 陽務楽郎の家庭は継続的な相互不干渉状態を貫いている。それは例えば「家族での旅行」というようなイベントが皆無であることを意味するわけではなく――楽郎自身、日曜日にしては荒すぎる波に釣り糸を垂らしたり、発音しづらい名前の虫を追いかけたりした経験はある。しかし潜るタイプの漁獲は父の興味の範囲外だったので、疑似餌ではなく、自分自身の肉体を海水に漬けたことはなかったのだ。

 

「……合ってるのか……」

 

 慧が気の抜けた表情をして、やや大げさにうなだれる。頬を伝っていた大粒の汗が重力に負け、彼自身の影に包まれながら、ざらざらした石畳の上に滴った。

 

「そんな驚くほどのことか? 言っとくけど海で泳いだことがないだけだからな。泳ぐタイプのクソゲーも水泳の授業も海釣りも経験済みだぞ」

 

「そこでクソゲーを最初に持ってくるのがなんか不安なんだよなあ……。ちなみにどういうゲームなの?」

 

「陸棲モンスターに海水をかけると存在しない泳ぎモーションを勝手に参照して『無』に変化する」

 

「クソじゃん」

 

 クソだった。

 

◇

 

 結局――慧が楽郎に伝えたのは、「まあ泳げるならいいけど、クラゲに刺されるのとかは注意しとけよ」という一事項にとどまった。

 その言葉を脳裏でなんとなくぐるぐる巡らせながら、陽務楽郎は砂浜のはずれ、岩場のあたりで水面を見ていた。

 彼は現在慧と違って、上に何かを羽織るようなことはしていない。日焼け止めを塗っているとはいえ、強烈な日差しのもとに、上半身のほとんどすべてを晒している格好だ。その証拠に――というのもおかしな話なのだが。楽郎の右の前腕をつかむ、楽郎の左の手からは確かに、ラッシュガードではありえないような、すべすべした感触を感じることができた。

 

「……泳ぐ、か」

 

 本当は。

 そのとき彼が潮風の中、細く狭めた悲しげな瞳は。上昇気流が導く無限の空を思い描くというより、むしろ重力が誘(いざな)い続ける、海底への危惧か郷(・)愁(・)をたたえた眼は。慧が楽郎にゲームの内容を聞いたその瞬間、自身の明るげな声色という名の潮騒にかき消されたものと共通していた。楽郎は――確かに、想起していた。ゆらゆらと熱に冒されている地平線の向こう、なにかの標的(ターゲット)が手招いている可能性を。

 そういえば。

 そういえば、と楽郎は、人生初の海水浴のさなか思う。

 サバイバル・ガンマンはこんなに暑いわけではなかった。

 現実逃避で現実を見る、それが彼の常套手段だ。孤島に傾きかけた心は、きちんと安定化(スタビライズ)する必要がある。今回その材料にしたのは、室内で紫外線から隔離され続けてきた、色白の素肌を突き刺す太陽である。そう――サバイバル・ガンマンには季節の概念が存在しなかった。ひとまず泳げはするくらいの海水温を保ちつつ、プレイヤーが暑さを苦にしない程度に太陽光を抑える。一年にわたりそういう均一化の処理が行われていて、日々の体感温度の若干の変化は、天候や風速のような要素を日ごとに調整して実現された。

 とはいえ、天候が晴れから雨に変わって空気が冷たくなることはあっても、晴れの状態からそれ以上暑くなるということはない。孤島の気温には上限があったし、滴り落ちる汗は暑さというより熱さによるものが多かった。つまり――鯖癌は痛覚を完全再現しているといいつつ、暑(・)さ(・)に(・)よ(・)る(・)苦(・)痛(・)には目を向けていなかったわけだ。

 

「そんなので――」

 

 リアルと呼ぶなんて、と強がってみせるつもりだったのに、楽郎はそこで言い淀んだ。

 砂浜の中心部を覆う観光客たちの喧騒が、減衰されて耳を撫で上げる。

 彼は実際、聞いてきた。仮想世界の痛みに焼きつかれ、様々な部位での自傷行為に走った一部の生還者(プレイヤー)たちの風評を。その中には当然ながら――。掴んだ前腕が少し震えた。鯖癌が現実の痛みを模倣しているのではなく――むしろ鯖癌が与えた痛みを完璧に再現できる唯一の世界(ゲーム)こそ、現実(リアル)なのだと彼らは云った。

 汗雫がさらにもう一筋、前腕に浮き出た血管を、ナイフの切っ先のように横切った。

 楽郎は片足を踏み出した。

 砂浜が彼のそう細くない、ところどころごつごつした素足を受け止めて、柔らかく変形し少し沈めた。また片足を踏み出して、同じく足跡が一つ残る。片足を踏み出し、片足を踏み出して。次第に足の裏の感覚が、焦らされた砂粒の熱さから、波打ち際の湿った砂に宿った鈍重に変わり始める。つま先にさざ波が訪れて、足首をのんだあとすぐに引いた。一歩、一歩。素足を通り過ぎる液体が、次第に水位を上げていく感覚。

 クラゲはいるだろうか?

 楽郎は自問したが、きっといないだろう。最初からずっとクラゲなんて仮想現実(いなかった)。毒針が飛び出た瞬間のちくりとした痛みなんて、再現できるはずもない。そして岩々の影の中、コントラストでも描くかのように深く演出された海辺へ、μ-skYが一人沈んでいくのだ。

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