夜の帳が下ろされ、仕事を終えた亜総義市内の人々の動きが活発になり始める時間帯。シケイが厳重警戒を市内に引いていると言えど、一般市民からすればそんなことは露知らずである。そしてシケイの目をかいくぐる一般市民の中には、ポケットに突っ込んだ金を邪な思いで握り締め、街を進む者もいた。
プッチとクマはいつも通り、ハルウリの仕事場の地下に集まっている。クマは多数ある部屋の監視モニターを眺め、プッチはそんなクマに視線をやることもなく手に持った聖書を一心不乱に読みふけっていた。
お互いに会話をすることはなく、コンクリート造りの監視室内にしんとした空気が静まり返る。プッチの本をめくる音に、監視用の山積みされたモニターがジジジッと電子音を鳴らす音だけが空気を震わせていたかと思うと……クマがモニターの一つに目を向け、プッチの方に振り返った。
「202号室が終わった。清掃を頼む」
「…………わかった」
プッチが腰かけていたパイプ椅子から音もなく立ち上がり、聖書を服の中にしまってから、地下室の扉を開けて202号室へと歩み始めた。足を進めるその顔は不満げでも上機嫌でもない、虚無の表情をしていた。恐らく自分から努めて何も考えぬようにしているのだろう。
202号室の前にたどり着き、腰ポケットからマスターキーを出して鍵を開ける。
「……どうも」
プッチが中に居た半裸の女性に視線も向けず挨拶をし、清掃を始める。この瞬間だけはどうにも慣れることができないものであった。色々なものが混じり合った生々しい、気分を害す臭いの中でシーツの交換やゴミ箱内のゴミの回収など、テキパキと自身の仕事を進めていく。
そうしてせわしなく部屋の中を動き回っていると、服を身にまとった女性が、プッチに向かって小さな声で言葉を発した。
「プッチさん、手伝います」
「いえ……」
「大丈夫ですから」
殆ど仕事が終わっていたので手伝う必要がないという意味の「いえ」だったのだが……。内心でプッチはそう思いつつ、わずかに残っていた仕事を彼女に手伝ってもらう。一人でも十分な仕事を無理やり二人で分けたせいか余計に時間がかかってしまったが、大した時間のロスでもないのでまあいいだろう。
プッチと女性が30センチほど離れ、シーツを変えたばかりのベッドに腰掛ける。昨今亜総義内の警備が厳重になったことにより、シケイの摘発が行われる可能性を恐れたのかこの店に訪れる客の足数は減少した。実際はこのハルウリには一部のシケイが熱心に入れ込んでいるため、摘発が起きる心配はないのだが……。ともかく、そんな理由で全体的な客の数が減少したことにより、次の客とやらが部屋に入ってくるまでは時間がある。
その次の客までのわずかな隙間時間を使って、プッチは簡易的なカウンセリングをハルウリを行う彼女たちに施すようになっていた。
カウンセリングと言っても、言葉巧みに陰鬱な精神を陽気な精神へと変貌させる奇跡のような物ではない。彼が教誨師として神の言葉を説いていた時の延長線上のことを行っているだけだ。本来はこのようなことをする気はなかったのだが、男だからとクマから
と言っても、神の教えに真っ向から歯向かうような行為をしている相手に、神の言葉を説くなどという愚かなことはしない。私自身の言葉で語彙選びに四苦八苦しながらも、冷静沈着な雰囲気を努めて纏って話しているだけだ。要は簡易的なカウンセリングという名の会話を行っているだけだが、ただ人と話しているだけでも彼女たちの精神は幾分か安らぐらしい。
湿った黒髪をいじりながら、女性が私に向かって話しかける。
「プッチさんは、この街の外の人ですよね?」
「…………ええ。」
「私はこの亜総義市で生まれて、育ってきました……。何の不自由もない、どこに行っても自慢できる素晴らしい街だって思って……。でも今は、とても恐ろしいんです」
「何が、ですか?」
「この場所で亜総義市の闇を知ってから、私たちが今までどれだけ異常だったのかが分かりました。私達はみんな見えない鎖に縛られて、何不自由なく過ごしているようで、実際は自由なんて物を一かけら握ることすら許されていない……。まるで大きな大きな、歯を立てようとすら思わない強大なモノに首輪を付けられているのが怖いんです」
「その強大なモノとはとどのつまり、亜総義グループということですか?」
「違います。いえ、あながち違いませんが…………。あの日あの時、私が街を歩かずに家に居れば、こんな場所に誘拐されることはありませんでした。抗いがたい強大なモノとはつまり、そんな偶然に偶然が重なった結果、こんな状況に陥っている……巡り巡ってたどり着いた私の『運命』って奴ですよ。私たちはきっとこの運命から外れられない、『
そこまで話したところで、彼女はハッと顔を上げる。
そして少しだけ気恥ずかしそうに顔を赤らめつつ、髪の毛で上気した頬を隠しながらプッチに向かって羞恥心のこもった言葉を放った。
「す、すみません。こんなこっぱずかしいことばかり言っちゃって……」
「大丈夫ですよ、私も考えさせられることがありましたから」
プッチはそこで言葉を区切り、一呼吸する。
そして彼女に向かって、先ほどよりも一層優しく、語り掛けるように話しかけた。
「もし、あなたがこの先に続く辛い運命を知っていたとして。それに対して、覚悟を決めて幸福を掴むことができますか?」
「……それは、過去の私がもし今の私の現状を知っていたとして、という仮定の話ですか?」
「そう思ってくれて構いません」
彼には珍しく、特に裏に隠した意図はなかった。ただ、聞いてみたかったのだ。この街の闇を知って自身の異常性に気づき、運命という物に自分なりに考えている彼女に。
女性は少しだけ逡巡したのちに、にへらとかすかな苦笑いを浮かべながら、私の方を向いた。
「多分……覚悟なんて決められないと思います。幸福なんて、もっと無理で……。きっと、耐えられなくて潰れちゃいます」
「潰れる……?」
「はい。と言っても、本当のことはその時になってみないと分かりませんが。けど、辛いことが先に待っていると知って、覚悟を決めて幸福を得られる人なんてきっと……
「…………」
彼女の言葉にプッチは一瞬息を止め、地面に視線を落とす。それからわざとらしく、ポケットに入れていた携帯で時間を確認する仕草をし、彼女に別れを告げてから地下の監視室へ戻る道を歩んでいく。
やけに胸に刺さったその言葉を、なまったるい雰囲気に当てられて弱っているところに偶々効いてしまった物だと、気にしないように努める。気にしてしまうと、自分が今まで目指してきた物が根底から崩れ去るからだ。三十余年の人生の中でここまで精神が弱ったこともあるまい、この胸の突っかかりはひび割れた心の隙間に無理やり刃物を差し込まれたような物だと思うことにした。
地下の監視室に戻り扉を開けると、クマはパイプ椅子に座ったままこちらを肩越しに一瞥し、すぐに視線をモニターへと戻す。私より二回りは若いであろうに、肌色がもつれあう光景をいくつも眺めていてよくも気分を害さないものだ。私には到底できそうにない。
モニターの映像が視界に入らないように、クマを背中に向けるように置いたパイプ椅子に座る。そして服の中にしまっていた聖書を取り出し、殆ど暗記してしまっている内容を頭の中で反芻しながら読み込んでいく。そうしているうちに、このハルウリとやらの時間は自然と過ぎ去っていった――――。
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クマがハルウリ用のマンションの施錠をしている様を背に、彼から預かったままの携帯で時刻を確認する。
時計の右上部には小さく、12:00と表示されていた。夜空にはわずかに楕円形になった黄金の月が浮かび、うっすらと私たちの帰路を照らしている。
「……鍵は掛けた。帰ろう」
「ああ……わかった」
施錠を終えたクマが背後からプッチに話かけ、静かに声を返す。
時間も時間、おまけにアジトに帰る際には人の目につきにくいルートを通るせいか、静かな夜の道路に男二人が無言で歩くという何とも奇妙な光景が広がっていた。
夜だというのにむわっとした温風が吹き、プッチはひそかに眉をしかめる。日本の温暖で湿潤な気候には未だに慣れていなかった。なのに長ローブを纏うのは、彼なりの聖職者としてのこだわりなのだろう。
そうこうして5分は歩いたころ、クマが突然口を開いた。
「最近……清掃の後に、カウンセリングを始めただろ」
「……? 突然なんだ」
プッチの返答に、クマはマフラーで口を隠しながら、顔を真正面で固定したまま話し続ける。
「それを始めたおかげで、俺からのジンザイのメンタルケアが不必要になった。……感謝する」
「…………」
互いに口を閉じる。
感謝を告げられたプッチはそこまで嬉しさを感じなかった。そもそもハルウリという行為自体を嫌っている彼だ、それを支援するようなことを褒められたところで喜ぶようなことはない。カウンセリングは面倒な仕事を押し付けられたくなかった際の代案というのもそうだが、自らの罪悪感を少しでも払拭するための贖罪行為にも似たことだったからだ。そもそも最初から行わなければカウンセリングをすることもなかった、決して褒められることではないのだ。
対してクマは、物事を合理的に考える節がある。手慣れていそうで、その実手探り状態の中ハルウリを進めている彼にとって、メンタルケアという手間も金もかかることを一身に担うプッチには感謝を伝えておかなければと思ったのだ。たとえそれが、どれだけ危険な相手でもである。
再び静寂が二人の間に広がる。
……クマには一つ、確かめておきたいことがあった。
『
犯人不明、手法も不明。なぜナユタに犯人の疑いが向いたのかも不明。
この中で最も謎である『
自分を中心に最低でも半径五メートル内の距離で、不可視の物理エネルギーを操作することのできる力。こんな常識外の力があれば、シケイの目をかいくぐって萬像破壊を成し遂げることは容易だろう。
……実のところ萬像を破壊した件はどうだっていい。むしろ抗亜としては推奨すべき行為だ。
しかし、ナユタに犯人の疑いを向けたこと。
これだけは看過できない。
仕山医院では危うく全滅しかけたのだ。
これを黙って見過ごすことはいくら何でもできなかった。
萬像を破壊した人物とナユタに疑いを向けた人物が別という線もあるが……かなり低いだろう。萬像が破壊された直後にナユタが破壊したという偽情報をシケイにリークしても、流石に亜総義側もそれを鵜吞みにするほど間抜けじゃない。
まして亜総義内のメディアに一瞬で情報を流した後に、すぐに取り消すという馬鹿なことは絶対にしない。奴らにとって非常に重要な生誕祭のモニュメントに関する話題だからだ。超一級レベルの取り扱いが為されることだろう。
だが……それらのことは実際に起きている。
ナユタが犯人だと亜総義内のネットニュースで報じられ、数時間後には掻き消えていた。この街のメディアは亜総義グループからの圧力ぐらいでないと記事や意見を取り消すなどということはしない。
つまり、亜総義側は件の偽情報を一時は信じていた。
そして奴らが野卑滑稽な偽の情報を信じざるをえないタイミングとは――――萬像が『
萬像破壊なんて、どこの抗亜クランも考えすらできなかった大それた行為だ。
亜総義側の雑な対応を見るに、奴らもシケイの厳重な警備が突破されるとは微塵も思っていなかったらしい。
誰にも事前察知は不可能だった。唯一出来たのは、実際に破壊を行った犯人だけ。
つまりは、何者かが『ナユタが破壊するという偽の犯行予告を送り付けた』後に『萬像を破壊した』ということである。
――――プッチが犯人という、決定的な証拠はない。
しかし、自身が考えられる中でこれらの犯行が可能なのはこの男だけだ。
これからも協力関係を結んでいく上で、確実に問い詰めておかなければならない。
一対一で問い詰めるのはこの上なく危険だが、ザッパ達を巻き込むよりは一人でやった方がいい。クマは独断専行的に、しかし自身ではその行動が合理的だと思い込んでしまっていた。
そしてクマが足を止める。横から響いていた足音が止まったことに気づき、プッチも足を止めて振り返った。
クマは緊張気味に口を開く。
「プッチ」
「何だ?」
「少し聞きたいことが――――」
「―――おっ、キラキラのカレシではないか! しばらくぶりであるなー!」
「……アンテナか。カレシじゃない、クマだ」
自動販売機の陰からひょこっと顔を出したのは、猫耳付きのヘッドホンらしき物を被った緑髪の少女。突然出てきた彼女の姿に、クマは発していた言葉を思わず止めてしまった。
少女はクマに向かって「よっ」と右手を挙げて挨拶する。
プッチは少女の方に視線を向けつつ、クマに顔を寄せて問いかけた。
「知り合いか?」
「キラキラの友人だ。本名はアレシボ国府田恵理愛……通称は『
「アンテナ……随分と安直だな」
そう言って彼は、少女が背後に背負ったバッグに目をやった。
中には何らかの受信機器でも入っているのか、バッグ上部のわずかに開いた隙間から鉄製のピンと伸びたアンテナが一本生えている。
クマは自販機の陰から完全に体を出し、自身のヘッドホンの耳当て部に右手を添えているアンテナに話しかけた。
「一体こんな時間に、こんな場所で何をしている?」
「うむ、実はこの辺りで面白い電波を受信してな。あちこち探し回っていたのであるが~……喉が渇いたゆえに、この自販機でジュースを飲もうとしていたのだ」
アンテナは「わははは」と笑いながら、上機嫌気味に赤い自販機をバンバンと手のひらで叩く。
クマは腕を組み、冷静に彼女を見つめながら言葉を紡いだ。
「……じゃあ、なぜ自販機の陰に隠れていた?」
「むむむっ?! わ、私は隠れてなど――――」
「明らかに隠れてただろ……。大方、近づいてくる二人組に恐れて隠れたとかだな」
「う、うがーーーーーーっ!! 私は恐れてなどない、やるかお前ーーーーーー!!」
手をジタバタと暴れさせて抗議する少女の姿は、自分から「はいその通りです」と言っているようなものだ。プッチは内心で新たなアホの登場かと辟易しながら、自分も自動販売機で何か飲み物を買おうかと思い、近づいた。
……が、硬貨を入れる場所が一つもない。それどころか、札を入れる場所も見当たらない。ペタペタと普通の自販機では金を入れる場所があるところを触っていると、自販機から機械音声が響いた。
『アソポカードをタッチしてから商品のボタンを押してください。アソポカードをタッチしてから……』
「……アソポカード? ……ああ、そうか……」
プッチが聞きなれない単語を静かに反芻し、アソポという亜総義内だけで通じる電子通貨のことを思い出す。おそらくアソポカードというのは、そのアソポという独自通貨が詰まったクレジットカードもしくはプリペイドカードの類のことなのだろう。しかしアソポは現金からの変換に身分証明が必要となる。私はこの世界に流れ着いた身であるため、身分証明などしようもなく、アソポやアソポカードというものは一切持っていない。
どうしたものかと思案する男の背後でアンテナがこてんと首を傾げ、腕を組んでいるクマに話しかける。
「んっ? クマ、こっちの男は……もしかして外からの人間か?」
「そうだが」
「にゃははは、そりゃ困惑もするであろうな。よし、少し脅かしてやるのである」
アンテナがヘッドホンに触れ、数秒。
自販機からピピピピピッ!! という音と同時にすべての飲み物のボタンが販売中から売り切れ表示に変わり、ガタガタというけたたましい音を鳴らしながら、大量の飲み物が取り出し口からあふれ出てきた。
プッチも少しだけ目を見開き、サッと背後に下がる。
「わははははは! なかなか面白い反応をする奴なのである!」
「……一体何をしたんだ?」
「うむ。この自販機は販売データやらシステムを電波で送受信してるタイプなのでな。その電波を読み取って、ちょちょーっと誤情報を送ってやればこんな風に……」
「勝手にジュースが出る……か」
「理解できたか? クマもそこの男も、適当に好きな物を拾うのである」
プッチは背後で語られた説明で一体何が起きたのかを理解し、地面に転がった飲み物の缶の中からブラックコーヒーを拾う。水があればそれでもよかったが、なかったために次点で多少口にしたことのあるコーヒーを手に取ったのだ。他の物は甘ったるいジュースばかりで飲む気にならなかった。
クマはアップルジュース、アンテナは私も見知らぬ缶の飲み物を手に取る。
三人が各々の缶のふたをカシュッと開け、いざ飲もうと缶に口をつけたところで。
「……よお。ナユタの番頭じゃねえか」
私たちが歩いて来た道の方から現れたのは、白い化粧に赤鼻を付けたピエロのメイクに黒いフード、紫色のスカーフを巻いた二人組の男。フードの隙間からチラチラと見える耳には黄色いわっかのイヤリングを付けている。……今夜は客が多いな。
クマが手に持った缶を地面に落とし、男達の方を向いて身構えた。
「……フラットの連中か。他所のクランが、何の用だ?」
「大したことじゃねえよ。通りすがりの、ただのアイサツだよ」
フラットの男達がへらへらと軽く笑いながら、煽るようにクマの方に向かって言葉を放っている。
プッチも手に持っていたブラックコーヒーを地面に落とし、男たちの方を向いた。
「おいおい、女一人と男二人でデートか? しかも片方は随分とおっさんだしよ」
「デートっつう風には見えねえな。二人揃ってこれからその色気のねえガキでプライベートのお楽しみってか? ロリコンかよ」
「な―――! なんだとこら、お前ーー! 私は歴とした――」
アンテナが逆上するが、それよりも更に勢いのある大きな怒声で、フラットの一人が叫んだ。
「最近ハネてんじゃねーか、あァ!?」
「アンテナ、下がれ! プッチ、ハルウリ前後の闇討ちだ!」
男は自身の腰ポケットからバタフライナイフを取り出し、クルクルと回して鈍く光る刃を露出させた。
クマがアンテナの服を引っ張り、自身の後ろに力づくで下がらせた。突然体にかかった力にわわっと声を上げ、体勢を崩して尻もちをつくアンテナ。手に持っていた缶が地面に落ち、中身を撒き散らしながら転がっていく。
そんなことは露知らず、フラットの男はクマよりもわずかに近くに立っていたプッチの方に斬りかかってきた。
プッチは、男の右から左へと水平に薙ぐように動き迫ってくるナイフへと視線を向ける。以前の壬生菊千代の刀捌きにまだ目が慣れているせいか、あまりにスローな動きに感じてしまった。
咄嗟に身をかがめてナイフを回避し、タックル気味に男の腹へと突進しつつ、スタンドの殴打を二発みぞおちに決めた。スタンドパワーが格段に落ちたと言えど常人相手に放つには十分すぎる力だ、男は耐えきれず地面に背中から倒れ込んだ。ブクブクと泡を吹いているあたり、意識まで失ったらしい。
もう一人、斬りかかってきた男の少し後ろに居た男が、ただのタックル一発でダウンしたかのように見えた仲間の姿に恐怖する。
「……ッ!? マジかよ! 道っぱたでアイサツしただけじゃねえか!」
「そうか」
クマは懐から黒い拳銃を取り出し、ジャキッと音を立て、残ったフラットの男の方へと向けた。
「じゅ、銃……!?」
「挨拶を返すだけだ。合理的にな」
そう言って、何のためらいもなく、トリガーを二回引いた。ダンダンと乾いた炸裂音が鳴り響き、男の足元の地面に二個の弾痕が生まれる。
彼は汗を流し、咄嗟に弾痕のできた場所から飛び退く。そんな彼に向かって銃を構えたまま、クマは冷静に言葉を放った。
「今の亜総義市の状況で、そんなことを言って遊んでいる余裕があると思うか? その服、ちゃんと防弾性だろうな。どこに飛ぶかは保証しないぞ」
「あら、怖い怖い。今度からは防弾性にしないとね」
クマの言葉の後にどこからともなく響いた、妙齢の女性の落ち着いた声。
銃痕から飛び退いた男の更に背後の闇から静かに、紫白の髪を生やしたへそ出しファッションの女性が現れた。羽織った紫色の毛皮の上着がひとりでに揺らめき、彼女のファッションと共に、煽情的な雰囲気を纏っている。
その女性の背後から、新たに五人のフラットが現れる。先ほどはスタンドをなるべく隠しながら攻撃したが、この人数差だ。多少バレることを覚悟した方がいいかもしれないと、プッチはホワイトスネイクを出す準備をした。
紫白の女性を見たクマが目を見開き、銃を構えた姿勢を外す。
だが銃口を上に向けただけで、銃は握ったままだ。
「ッ! ……フラットのシオンだったか。ハルウリ前後の襲撃は反則だと認識していたが」
「ふふ、そんなのあったかしら? 知らないわね。」
「……その二人じゃ腕が足りず脅しにならなかったから、裏で控えてた自分たちも出てきたということか? そちらも挨拶をするという気なら、相手にはなるが」
「あらあら、元気だこと。……この様子じゃ、貴方たちにいくら挨拶しても効きそうにないわね」
シオンと呼ばれた女性は、クマの背後にいるアンテナに視線を向けた。
自身を舐りまわすように観察するシオンの視線に、少女はヒッと小さな悲鳴を上げる。
「そっちの女の子に挨拶すれば、少しは元気も収まってくれるかしら。ね、ナユタの番頭さん?」
「…………」
クマが無言で銃を構える。そしてトリガーを引いた。
再び乾いた炸裂音と共に、タァンと地面が撃ち抜かれる。
周囲に居たフラットの男たちに動揺が走るが、シオンは一切臆することもなく、微笑みを浮かべた。
「……嘘よ。挨拶はもう済んだみたいだしね。この間何人か下っ端が死んじゃったから、これ以上減らすわけにもいかないのよ。それに、厄介そうなボディーガードさんもいることだし」
彼女は、身構えたまま自身を睨んでいたプッチの方にチラリと視線を向ける。
そしてすぐに顔を背け、取り巻きの男にダウンした男を回収するように命じ、先ほど自分たちが現れた道の奥へと消えていった。月光の陰に隠れ、十数秒もすれば姿は見えなくなる。
緊張状態が解け、真っ先に大きな息を吐いたのはアンテナであった。ぷはーっと息を吐き、こわばっていた体を動かして立ち上がる。
「二人とも、た、助かったのである。……それにしてもクマは、ズキューン!バキューン!と相手の足元を撃ち抜いて、まるで映画みたいだったのである!」
「……全部腕を狙っていたんだが」
「ふえ?」
クマの小さなつぶやきを捉えたプッチは内心驚愕する。あの距離で腕を狙ったのに間違って地面を撃ってしまうなど、かなり洒落にならない命中精度だ。
次にアンテナがプッチの方を向き、ぶんぶんと腕を振りながら興奮した様子で言葉を発した。
「プッチ……? と言ったか? ナイフの攻撃をサッと躱して、タックル一発で相手を倒してて、カンフー映画みたいだったのである!」
「……タックルで倒せるほど鍛えていない。みぞおちに二発入れただけだ……」
「ふえ??」
彼の静かなつぶやきはクマの耳に入り、近づいた瞬間にスタンドでみぞおちを殴ったのかと納得させていた。
アンテナの無邪気な声の聞き方に、男二人は自らがズルでもしてしまったかのようで、なぜか後ろめたく感じてしまった。実際には何も小狡いことはしていないのだが。
とりあえず三人で再び飲み物を拾い飲み直してから、アンテナはすぐさま帰らせた。これ以上の夜歩きはあまりに危険であるためだ。
ひと悶着あったものの、二人とも無事に、再びアジトへの帰路を歩み始める。
そしてふと、プッチが何かを思い出したようにクマに話しかけた。
「そういえば、私に何か質問をしようとしていたが。アレは一体何だったのだ?」
「……いや。気にしないでくれ、また……いつか話す」
「……そうか」
クマはタイミングをずらされたせいか、話すことができなかった。重要な話であるためになるべく早く聞かなければいけないのは分かっていたが、それでも自分の決心がついたタイミングで話したかったのだ。
かくして、プッチとクマの重大な確執は先延ばしにされた。
ただ、そう遠くに延ばせたわけでもない。
もうすぐ、ナユタ全体を巻き込む二人の争いが巻き起こるのは、火を見るよりも明らかであった。
凄く遅れました。
そしてすごく長いです。
最近モチベが上がらず筆が進まなかったのですが、メモ帳にプロットと細かい設定をエンディングまでしっかり書き記すことで、強制的にモチベを発生させました。
エタりだけはないように頑張っていきますので、よろしくお願いします。