朝4時。日の光が夜の闇と緩やかに混じり始める時間。
亜総義美術館で二つの抗亜クランが起こした騒ぎの熱もようやく冷め始めた。
相当な人数を動員したにも関わらず、ただの一人として抗亜を捉えられなかったシケイ。
彼らの落胆ぶりは相当な物だった。
……それもそうだろう。
最近のシケイは萬像破壊、仕山医院でナユタを取り逃がす等の失態続きだ。絶好の名誉挽回チャンスであった今回の件でさえ成果なし。
成果が出ず、亜総義の上層部から突っつかれて焦るも、また成果なし。士気が下がるのも仕方ない。
まあ、意地の悪い亜総義のことだ。
「抗亜を捕まえられませんでした」なんて自身に都合の悪いニュースは一切流しはしないだろう。
……それでも、今まで散々苦汁を飲まされてきた亜総義とシケイの失態続きは、見ていて実に面白い物である。
朝一番のニュースで、今日のシケイの騒ぎをどう言い訳するのかが楽しみだ。
「ククッ……」
悪どい笑みを浮かべる男。
革張りのソファーに腰かける男は、足を組み変え、顎に頬を乗せる。
男がいるのは、恐らく地下であろう。
窓はなく、外の時間も気温も分からず、紫色のライトがぼんやりと部屋の中を照らしている。
ともすれば、落ち着いた雰囲気のバーとも取れなくはない部屋の中。
しかし、男の前にある、シックな色合いのテーブル。
その上にある山積みの現金が、この部屋の主が異常……正常な道を歩いて生きている者ではないことを表していた。まさに悪の組織のアジト、と表現するのが正しい部屋である。
「随分と上機嫌ね、『
部屋にある螺旋階段からコツコツと踵を鳴らし、降りてくる、蠱惑的な格好の女性。
名前を呼ばれた男、ムラサキは顔に浮かべた笑みを崩さす彼女の方に振り返った。
「そりゃそうだ。手間こそ掛かったが、もとに想定してた以上のリターンが返ってきたからな。呂布さえ出なければ完璧だったが……唯一画竜点睛を欠いた。」
「想定してた以上のリターン……まあそうね。
クランふたつを潰し合わせて、混乱の隙にヒトカリをするって話だったけど……。
まさかシケイの殆どが美術館の方に流れていくなんてね。そのせいで警備はどこもスカスカ、おかげでやりやすかったわ」
そう言うと、シオンはムラサキの前の机に紙束を投げた。
ヒトカリで捉えた人間の情報か何かだろうか? 少なくともあまり良い物ではないのは確実である。
ムラサキはその紙束を一瞥した後、顔を横に一度振る。
そして懐からスッと、1枚の写真を取り出した。
「ヒトカリの方もそうだが……もっとデカい成果がある。これだ」
「何この写真? …………これは……」
受け取った写真を見て、シオンは目を見開き、言葉を失う。
その写真に写っていたのは。
腹から大量の血を流し、息絶え絶えの状態で東雲派の若衆に担がれている『品須』の姿だった。
「東雲派の品須が死にかけてるって報告が上がった。その出血量だと今頃死んでるかもな。」
「確かに、これは……『想定以上のリターン』ね。」
「ああ。その傷と出血量じゃあ九割九分品須は死んでる。例え助かったとしても、しばらくの間は動けはしない。
――………ククッ、ハハハハ!! 東雲派は敵じゃあなくなった、ナユタなんざザッパだけ気を付けてりゃそう怖い相手じゃねえ!! 街の勢力図が一気に変わりやがった!!」
心の底から笑いを抑えられないと言った風なムラサキ。
一方、シオンは冷静な面持ちで写真を眺め続けている。唇の下に指を当て、熟慮したのち、口を開いた。
「……まあ、上手く行っているのはいいのだけれど。こうも街のバランスが崩れると、少し不安ではあるわね」
「ククッ……。たしかに、亜総義が今まで以上にしゃしゃり出てくる可能性はあるな。ハルウリは分散して規模を縮小、ヒトカリもしばらくは控えめにする。」
「あら。せっかくの機会なのに、活動は抑えめで行くの?」
パサリと、シオンは手に持っていた写真を机の上に放る。
「今は事を進める時期じゃあない。今必要なのは…………揺れる盤面の上を歩ける『駒』だ。」
身体を沈み込ませる茶革の椅子はよく磨き込まれており、天井から吊るされた照明の光が白くまばらに反射している。
両者の静かな息遣いが、部屋の何処かから微かに響く通気口の音に紛れて聞こえる。
――ムラサキは分かっていた。
今まで散々と手間を掛けさせられた、死なずの品須。
抗亜きっての武闘派である東雲派の大幹部は、シケイはおろか、ナユタにだって引けを取らない。たとえ相手が複数人だったとしてもだ。
そんな男が致命傷を負わされるとすれば。
今までにはいなかった……想定外としか言いようがない『何か』に殺られたとしか考えるほかない。
そして、その想定外の『何か』を、ムラサキは知っていた。
萬像が破壊された時。シケイが仕山医院に総動員したにも関わらず、ナユタが逃げ延びた時。そして恐らく、今回の亜総義美術館にも。
不可解な現象が起きた時、いつもその場にいる人物。
神父服を身に纏った黒肌の男。『見えない何か』を操る男。
――――『
(…………駒としてこっちに引き込むことが出来れば、文句もねえ。
だが一番ヤバいのは、『ナユタ』か『東雲派』のどっちかに完全に取られちまうことだ。)
現在、プッチはナユタの下にいる。しかし、ナユタの活動へ積極的に協力しているわけではない。
つまり本気を出していないのだ。
……だが、もしプッチが気を変えて、どこかの勢力へ完全に協力する気になったら?
他の抗亜クランを、想像もつかないような
(核兵器みてーな奴だ、アイツの存在で戦力比が傾いちまう。
『1:1:5』って具合にな。
その5が俺達『フラット』ならいい。だがもし、ナユタか東雲派が『5』の座に座るってんなら………………。
――――『1:1:1』に戻すために、プッチを
ムラサキがそう、思い至った所で。
騒々しい足音と共に、フラットアジトの唯一の出入り口である、螺旋階段を登った先にある扉が勢いよく開かれた。
そこから顔をのぞかせたのは、フラットの一般構成員であるフードにピエロの化粧をした男。
しかし、化粧が醜く崩れていることから、何か大量に汗をかかざるをえない事件が起こったことが伺えた。
「どうした? 何があった」
「む、ムラサキさん……! 表に変な男がいて、しかもムラサキさんに会わせろって……ッ!」
「今は駄目だ。追い返せ」
階上の男を静かな表情で見つめつつ、そう答えたムラサキ。
彼は口から漏れる生暖かい息を呑み込み、呼吸を整えながらも、焦った様子で話し続ける。
「俺達もそう思って追い返そうとしたんです! けどそいつは無理やり進んできて、止めようとしたら十人以上が一瞬でやられて……!!」
「十人以上が一瞬……。まさか、呂布でも来たか?」
「ちがいッ……うっ…………ッッ!!」
そこまで話したところで、突然。
男が首を抑え、苦しそうにもだえ始めた。
口の端から白い泡を吹き、『
次第に、彼の身体は宙に浮き始める。
長い間空気を据えていなかったからか、首と共に頸動脈まで絞まっていたのか。男は気絶し、紐の切れた操り人形のように手足をだらんと下げた。
「………ッ!!」
ぼとり。
彼の身体が無様に地面へ落ちる。
それと同時に、キキィと、蝶番がこすれる音と共に扉が動いた。
「話がある」
その声は、男と言うにはやや高く、女と言うにはやや低く……恐らく青年の声と表現するのが一番適切だ。
扉の向こうから現れた彼の姿は、プッチよりも身長が幾分ほど小さい。体格も特別優れていいとは言えない。とても、何かしらの武器があったとしても、十人以上を一瞬で叩きのめせるような体ではない。
そんな体でも、フラットのアジトまで無傷でたどり着いた、ということは……やはりそれ相応の理由があるのだろう。
先ほど報告に来た男の首を、『目に見えない何か』で絞め上げたように。
「……なるほど。一体どういう要件かは知らねえが……その『
ムラサキは階上にいる男を見据え、口角を吊り上げる。
その表情はまさに、『
――――――――――――――――――――――――――――――
「ギャハハハハハ!! たっちゃんマジやべーッてそれ!!!」
「ハハハハハ!! おめー限度ってもんがあんだろ限度がよ!!」
「うるせえ!! お前らしっかり見とけよ!!」
日の光も刺さぬ路地裏。
室外機の唸り声が響く狭い道の中に、16~17ほどの青年が3人集まっていた。
『たっちゃん』と呼ばれた青年は、やけに慣れた手つきで、ドブネズミの身体に爆竹を括り付ける。
そしてライターで爆竹の導火線に火をつけ、ネズミを地面に放った。
ネズミは素早い動きで三人から逃げていき……数秒後、「ヂッ」という声と共に、血液と肉片を散らして死亡した。
三人はその、ネズミの生き汚い姿と惨めな最期を見て大笑いをする。
彼らの周りにはいくつもの鼠の死体が転がっていた。
カッターで尻尾と四肢を切り落とされそのまま失血死したネズミや、全身を裁縫用の針で刺され、まるでハリネズミのようになって死んでいるネズミもいる。
顔がぽーっと赤くなっていることから、三人には微量のアルコールが入っているようだ。
そして未成年にも関わらず、全てが徹底的な管理下にある亜総義市で酒を飲むことができると言うことは、亜総義内でも上流な立場にある人物の息子たちということである。
三人は酒で理性のブレーキを壊し、自身の残虐性に物を言わせ。
誰が最も面白くネズミを殺せるかと言う競争をしているようだった。
「あー、面白かった…………これたっちゃんの優勝じゃね?」
「だろッ!? んじゃ酒の代金はお前ら持ち……」
「おい待て待て待て! 最後俺にやらせてくれよ!!」
「は? まっつん、まだなんかあんのかよ」
室外機の上に座っていた、まっつんと呼ばれた男が、室外機から降りる。
そして、糞尿まみれの虫かごの中に入っていたネズミのしっぽを掴み、持ち上げた。
「最後の一匹が残ってんだろー? たっちゃんのは確かにすごかったけどよ、俺の方がもっとすげーぜ!!」
そうして、まっつんは自身のリュックサックの中を漁る。
中から取り出したのは、桐製のやや細長い木箱。
「んだよ、その木箱?」
まっつんはその言葉に答えるように、パカリと箱を開ける。
そうして中から取り出したのは。
『
「……矢? そんなもんどっから手に入れたんだよ」
三人の中の最後の一人、とっさんがそう問いかける。
「この前よ、街中ブラブラブラブラ歩いてたら、突然目の前に降ってきたんだよ」
「はあ? 降ってくるわけねーだろ矢なんかよ」
「まあ見間違えかもしんねー。酒入って酔ってたからな。それよりも、だ」
まっつんが矢を握り、ネズミの胴体へと矢先を向ける。
「この矢、マジですげーんだぜ。何度かネズミをぶっ刺してみたんだけどよ、一瞬でグズグズの腐った肉みたいになんだ」
「おいおい、それマジ!?」
たっちゃんが大声で反応する。
とっさんも興味ありげに、矢の切っ先にいるネズミへと視線を向けた。
「ほら、いくぞ。せーの!!」
ネズミの胴体へと、矢の切っ先が勢いよく向かっていく。
矢を握っているまっつんの思惑では、ネズミの身体を矢が貫通し、一瞬でグズグズの腐肉もどきに変貌するはずだった。
「…………え?」
矢が自分で意志をもって動いたかのように、吸い込まれるように、ネズミの首元へと深く突き刺さった。
普通なら即死。だが、鼠は「ヂヂッ……」と汚い声を漏らしながらも、頭をピクピクと震わせている。
「ま、まっつん。なんかその鼠、おかしくね……?」
青ざめたたっちゃんが鼠を指さす。
鼠の首にある傷からの出血は既に止まっていた。
やがてまっつんの矢を握る手が震えてしまうほど、鼠は全身を痙攣させ始める。
「何かヤバいってまっつん!! 速くそいつ放せよ!!!」
すっかり酔いの冷めたとっさんが焦った様子で叫ぶ。
その言葉に触発され、ハッと息を呑み、手の内に居る
「ヂヂ―――――ッッッ!!!」
その瞬間。つんざくような絶叫を合図にネズミが痙攣を止めた。
そして、自身の尻尾を掴むまっつんの方を、血走った眼で睨みつけ。
彼の頭部に、『
遅くなって申し訳ありません。
リアルの方でずっと忙しい状態が続いており、中々投稿する速度を上げられずにいます。
これからは投稿する速度を上げるため、一話ごとの分量を約1万文字から5~7千文字程度に落とそうと思います。
一話当たりの文量がごっそりと減ってしまいますが、何卒ご容赦ください。