墨で塗りつぶしたような空には、カミソリのように細い三日月だけがぼんやりとこちらを見下ろしている。その空の頂である月に届かんとするネオンの強いビル『亜総義重工本社』が目に入り、少しだけ顔をしかめる。この狂った街のどこにいても視界に入る天高きそれを見ると、そこに住む支配者を倒すという目標が霧のような幻想に思えてしまうからだ。フードで視線を遮り、今目の前にある建物に目を向ける。
仕山医院。
医院とは謳うものの、実際は病院と言われても何ら遜色ない規模の建物である。亜総義市内の住民は上流階級と中流階級と下流階級が明確に区別されており、その中の中流と下流階級に位置する者が通う市に一つしかない医院だ。上流階級は仕山医院とは比べ物にならない設備の上流階級専門病院に通う。上の奴らは自分より下の奴にはほとんど興味がなく、必然として上に配備権限があるシケイの手も薄くなる。故に、亜総義市を支える上で欠かせない重要なスポットの一つなのに、容易に侵入ができるという何とも矛盾した場所となってしまっている。
警備の手が薄く、医薬品が山ほどある。このようなおいしい場所を狙わない手はなく、今日もまた避妊薬が必要なためにこの仕山医院へと訪れていた。
建物の影に隠れ、医院の廊下の窓を開けるためにあくせくと手を動かしている虎太郎。同じく姿を隠し、ヒトカリの準備をするポルノとキラキラ。そしてそれらに構うことなく大声を出し暴れまわるザッパ。
「クッソーーーーー!!! 超能力超能力超能力ゥーーー!!!」
「……まだ言ってるのかザッパ」
「まだ、って何だ! 俺が今日の昼、アジトに居ればサイキックパワーが見られたかもしれないんだぞ!? 数時間どころか数日たっても引きずるぞ!!」
ザッパが大声で騒ぎ立てるのをなだめつつ、周囲への警戒を続ける。ザッパは一度こうなると手が付けられず、無理やり押さえつけて黙らせようにも、ナユタ内でぶっちぎりの腕力を持つザッパ相手では簡単に振りほどかれる。結論としては放っておくしかなく、頭を抑えて唸る彼の姿を横目に銃の弾が込められているかを確認する。
頬に触れる外気は蒸したような熱気を持っており、正体を隠すために分厚く着込んだ服の中にじっとりと汗をかいてしまう。服の襟を掴んでパタパタと動かしつつ、片膝を地面に当ててしゃがみ手を動かし続ける虎太郎の方を向いた。
「後どれくらいだ? このままだとザッパが爆発する」
「おう、―――――よし、今できたぜ」
虎太郎の声に反応して、キラキラとポルノが顔を上げてこちらに近づいてくる。
キラキラが口につけたガスマスク越しに、手に持ったチェーンソーを弄びながら不満げに言う。
「虎太郎ー? なんで自分で『楽勝だー余裕だー』なんて言ってた仕山医院に入るのにこんな時間かかってんのー? 腕、落ちちゃった?」
「ちげーよバカ! ……なんでか知んねーけど、ちょっとだけセキュリティが厳しくなってんだよ。窓を防護する鉄柵、前はこんなもんなかっただろ? 外すのは簡単だから結局意味ねーけどな」
「内部のセキュリティも前より厳しくなってる可能性があるな……。こういう時に偵察でもできれば楽なんだが……」
「偵察できるメンバーなんていないっしょ? みんな大人しくしてるのが嫌いなタチなんだし」
キラキラがあたりを見回すのに釣られて、俺も周りのナユタの面々を見る。
虎太郎、キラキラ、ポルノ、ザッパ……。あぁ、確かにムリだった。
「……中に入るか」
「おい! お前今心の中で『確かにムリ』とか考えたろ!! 俺まで無理だって決めつけてんじゃねーよ!!」
虎太郎が突っかかってくる。
「なら今から偵察してきてくれるか? こちらとしてはとてもありがたいんだが……」
「でっ、できらぁ!! そんぐらい――――」
「トラタローが死ににいくときいて、ただいま参上」
「虎太郎、人間には向き不向きがあってだな? 別にナユタの副リーダーを信じてない訳じゃないんだが……ちょびーっと、ちょびーっと!! 不安だという気持ちがあってだな……」
「なっ! ぽ、ポルノはともかく、ザッパ!! お前までそんなこと……」
ポルノといつの間にか落ち着いていたザッパが虎太郎に乗っかり、いよいよ収拾がつかなくなってきた会話を無理やり中断させる。多少の上下変動があろうと全く問題ないほどに元々がイージーモードな仕山医院。そんな相手のヒトカリだが、これ以上緊張がほぐれるといざという時に対応できないこともある。
気分がすっかり落ち、手に持った棍を杖にしつつ医院内に侵入する虎太郎を口切りに、次々と中へ入っていく。
仕山医院内は以前と来た時とあまり変わっておらず、白を基調とした清潔感のある廊下に何本ものカラー線が引かれている。その先を目でたどっていくと、診察室や緊急治療室、院長室や倉庫などの案内文字がわかりやすい大きさで書かれていた。
廊下を歩いていた患者のほとんどは、急に入ってきたナユタの面々に咄嗟の反応をすることができていなかった。ナユタが周囲の状況を確認し終わり数秒ほど経った後に、ようやく患者の一人が悲鳴を上げる。
「こッ……抗亜だァァアアああ!!!」
廊下にその叫び声が木霊し、周囲の雰囲気が一気に浮き上がるような感覚に包まれ、パニック状態に陥る。
その患者たちを無視し医院内の廊下を目的の避妊薬、またハルウリに利用できそうなジンザイを探して走り回る。容姿のいい看護師あたりがジンザイとしては最適なのだが、上手く見つからない。大抵はシケイが警護してどこかに避難させようとしているところを見つけられるものだが。
「あーん、おっかし――ッぶな!!」
「ザッパ!? ッこの!」
ザッパが先陣切って廊下を走りつつ何かを言おうとした矢先、彼の横にあった病室の扉が勢いよく開き、ドパラタタタと軽快なゴム弾の発砲される音が響いた。ザッパが超人的な体捌きで咄嗟に後方へ吹っ飛んで弾を避ける。キラキラが腰に構えていた投擲型の、体がマヒして動かなくなる程度の神経毒ガス兵器を病室の中へ投げ込んだ。
「ぐおおっ!?!」
「ぐるぐるまきまきー」
突然投げ込まれ煙を出す毒ガス兵器に苦悶の声を上げるシケイ。声の重なり方からして何人かいたのだろう。ポルノが虎太郎とクマの体の隙間を抜けて素早く前方に踊りだし、病室の扉を勢いよく締めて二度と開かないようガチガチに縛り上げた。中のシケイが扉を開けようとするが、扉の取っ手と壁の突起物を結ぶように縛り付けられた白ベルトがかすかに揺れるだけで、開く気配は全くない。
「おいザッパ、平気か?」
「おうともよ! 元気も元気、超元気!! 元気すぎて怖いくらいだ!!」
「なんか逆に不安になるような答え方だな、おい……」
虎太郎とザッパがそうやり取りする中、クマが扉に近づく。比準が空気より重く、扉の上下の隙間からどぽどぽと漏れ出るガスを手で払いつつ、扉に耳を当てた。
野太い男……シケイの声に、タタタタとゴム弾の発砲される音。脱出しようとしているのかもしれない。そしてその流れ弾に当たったのか、女性の甲高い悲鳴が時折かすかに聞こえる。
「……もしかするとだが、仕山医院の看護師連中がここに集まっているかもしれない」
「なんだって?」
クマの言葉に、ザッパが返す。
「俺達も何度かここには来ている。上の奴らは一向に対策する気がないらしいが、医院内で何らかの避難策が取られていてもおかしくはない。例えば、抗亜侵入時には近くの看護師とシケイが固まって一つの部屋に籠城する……とか」
「……じゃあ、ジンザイは今この中で毒ガス蒸しにされてるってことか?」
ザッパが部屋の扉を見やる。女性の悲鳴も、男の声も、銃声も何も聞こえなくなってしまった。
虎太郎が手に持った棍で扉をつんつんとつつきつつ、近くにいたキラキラの方を見やった。
「おいおい、さすがに訓練してるシケイはともかく、一般人の看護師相手にガス蒸しは死ぬんじゃねーの……? キラキラ……そのガス大丈夫なのか?」
「えっ…………。い、いやいやいや! 私が作ってるわけじゃないからわかんないけど…………。く、クマ……」
キラキラが少しだけ顔を青くする。いくら何でも人をガス蒸しで殺すつもりはなかったようだが、どうしていいかわからず、クマに助けを求める。
彼が自分のマフラーを人差し指で少しだけ持ち上げ、口を隠しながら言った。
「大丈夫だろう。キラキラのガス兵器はミストレスの所で買ったものだ。そう簡単に死ぬような調合をしているとは思えないし、病室内には換気口や窓もある。酸欠で死ぬこともなかなかないだろう。……心配するな」
たかだか腰につけていくつも持ち運ぶのが前提の投擲武器に、何時間もガスが出るほどの薬剤を注入できているわけもない。キラキラの心配は全くの杞憂だ。
キラキラの青い顔に血色が戻り始めたころ、廊下の曲がり角の向こうからこちらに向かって人が走ってくる音がどたどたと聞こえてくる。ようやく周囲のシケイが動き始めたらしい。
「病室内のジンザイを回収できないのは痛いが、全員の避難が即座に完了するはずもない。ヒトカリは続行する」
「よーし! やっぱそうこなくちゃな、クマ!!」
「騒ぐのもいいが、ザッパはもう少し周囲に警戒を払ってくれ……」
右手に持った銃のトリガーに指をかける。銃床を軽く手でたたき、マガジンがしっかり装填されていることを確認し、廊下の角から現れるであろうシケイに向かって構えた。
―――――――――
「……――♪♪ ―――――♪」
「……日本語の歌ばかりか。まぁ、仕方ないな……」
プッチの横に、日本語をかなり聞き取りづらくしたような、一体どこに需要があるのか分からない曲を大熱唱するシケイが一人。
彼のホワイトスネイクは、市販の音楽が込められたCDやレコードを他人の頭に挿入することで、人を巨大な音楽プレーヤーに変化させることができる。プッチが特にCDを抜いたりなどの操作を行わない限り、唇が乾燥して切れようが、声帯が千切れて血を吐こうが、肺の中に血が貯まって呼吸困難になろうが永遠に歌い続ける。最後には音楽プレーヤーとしてその一生を閉じるのだが、プッチがそれを気にかけることはない。
「この記憶ディスクも駄目だ……クソッ。ナユタの面々に取り入ることできる『何か』、一朝一夕で入手できるものではないとわかっているが……」
彼は車の外に出て、空を見上げる。亜総義本社の近くにいたときはあんなにギラギラと光っていた太陽が、地平線の向こうへ沈んでもう久しい。耳をすませば人の騒がしい声が聞こえては来るものの、まるで結界でも張られているように、この周囲には人の気配がない。この街が一種の独裁国家のようなものだということは感じていたが、人の流れまで完璧にコントロールできるほどの支配が行われているのだろうか。
なんにせよ、街の中心部に近いこの道は昼には人通りがあるものの、夜には人が一人として通らない特異な道だ。それをよそ者のプッチが知るはずもなく、『何か』を探して彷徨っていたところをシケイに絡まれてしまう。
「こいつらの記憶ディスク……。少々手間だが、きっちりと戻して私の記憶だけ抜き取っておくか。いるかはわかないが、他のスタンド使いに見つかると面倒なんでな……」
プッチの周囲には、記憶ディスクを抜き取られて倒れ伏すシケイが五人。全員がゴム弾銃、もしくは長さ五十センチほどのスタンロッドを持っているが、一撃必殺にして不可視のホワイトスネイクを持つプッチにしては大したことのない相手であった。
ゴミの様に打ち捨てられたシケイ達の記憶ディスクにプッチの求める情報はなかった。何もかもがゴミ同然の彼らにプッチが興味を向けるはずもなく、だが神父としての優しさをもって、彼らの頭に一枚一枚律儀にディスクを刺して記憶を消す作業を繰り返す。
ようやく五人全員の記憶ディスクを入れ終わり、車の中で未だ大熱唱する男の分もやらねばと立ち上がった瞬間。車の中に設置されていた無線機から、ザザザ……ッと何者からの交信を表す異音が流れた。そちらの方に視線を向け、ホワイトスネイクに無線機を取らせる。
『
抗亜、か。
車の中に入り、合唱を続ける男から音楽CDを取り出し、無線機のマイクをオンにする。
「その抗亜の特徴は……わかるか?」
『特徴ォ? というかお前誰だ? こんな声の奴いたか?』
「今日から入った新人だ。先輩方は今出払っている。必要なら先輩の識別番号まですべて暗唱できるが……」
識別番号とは、亜総義市民全員に産まれたときから与えられる個体識別ナンバーだ。十桁にも及ぶ0~9の数字の羅列だが、亜総義市民はこれを当然の如く暗記しているらしい。プッチは先ほどシケイの男たちの記憶ディスクを読み取ったことで、この識別番号を暗記していた。無線機の向こうの音が唸り声をあげながら返事を返す。
『ぐっ……あーあーすまなかった! 俺の業務連絡のチェックミスだな。さっき入った情報によると……仕山医院に侵入した抗亜は、少年少女の複合軍団……
……当たりだ。
プッチは微かに口端を上げて歯をのぞかせつつ、服のポケットに入れたままであったパンフレットを開く。
今ナユタの面々が行っているテロ行為は、以前私も大通りで巻き込まれたテロ行為と同様のものだろう。そして彼らの中の……おそらくはクマ少年の意向だろうが。自分たちの実力と同等、もしくは余裕を持った状態での攻撃を行う節がある。記憶ディスクで見た記憶の中には、ナユタの面々が大勢のシケイ相手を見るや否やすぐに逃亡する姿もあった。
つまり彼らが今いる仕山医院という場所は、そこまで警備レベルが高い場所ではないということだ。
これからその警備レベルを数段階引き上げる。そして彼らが自分たちの実力で対処できなくなったところに私がナユタの面々と
開いたパンフレットの地図を見る。
今私がいる道からまっすぐ南下した場所に仕山医院がある。そしてその二点を紡ぐ直線から少し逸れたところに、『注目!!*』と赤いフォントの文字で大きく誇張された広場があった。地図の横にあった
無線機を掴み、ミュートにしていたマイクをオンにして言う。
「亜総義市広場の
『……は、ハァ?? よ、萬様の像の破壊って……生誕祭も近いんだぞ? 警備も鬼のように厳重だし、いくら何でも誤情報だろ』
萬様というのはこの街の絶対的存在、亜総義グループの創設者であり、神様のような扱いを受けている人物だ。独裁国のこの街で彼を、本当の心の奥底でどう思っているかはともかく、神の如く信仰を捧げないなんてことは許されない。これの銅像を破壊できれば、この街で活動するいくつかの抗亜グループの目的の半分は達成されるだろう程に影響力が大きい。故に彼の生誕祭に合わせて作成された萬像の周辺も、何十人ものシケイによって昼夜を問わずに厳戒態勢を敷かれていた。
「私は確かに言ったからな。仕山医院に、警備を向かわせて、今すぐナユタを捕えろと」
『――――あーーー! お前その言い方ずっッりィぞマジで! わかったわかった、仕山医院に人を送るよう上に申請してみるよ!』
無線機の向こうの音が吐き捨てるようにそう言い、ガチャンッ!と音を立てて無線が切れた。
半信半疑だろうな。まともな人間ならそれが普通だ。だが私がこの連絡を入れたことで、もし萬像が壊れた場合……ナユタの仕業であろうがなかろうが、彼らは動かざるを得なくなる。
プッチは大熱唱を止めてから倒れたままだった横の男に周囲のシケイと同じ処置を施し、車の外に出た。
プッチは一度決めた目的を達成するためには何でもやる。元の世界でも、こちらの世界でも。たとえ何人死ぬか分からない事態を引き起こそうとも。
――――五分後。萬像の頭部がひどく大きな音を立て、もげ落ちた。
その報告を聞いたシケイ連中が、パニックに陥る市民を押しのけ、一斉に仕山医院へと向かい始める。
シケイの車がけたたましいサイレンとまばゆい光を発しながら走る。その光の影に、白蛇を携える男が一人、同じく仕山医院を目指して歩く。
エンリコ・プッチ。
Gd.s.t刑務所で勤務する神父。
過去の体験により「目的のためには何でもする」ことを決意した男。
実の弟から、「最もドス黒い悪」と評された男である。
プッチがナユタ加入までの流れを細かく詰めておらず、少しだけ投稿が遅れてしまいました。
一応何話か先までの設定は考えたので、しばらくは投稿ペースを早められるかな……と思います。
――萬様(よろずさま)――
亜総義グループの創設者。街の中ではほぼ神のような扱い。馬鹿にすると一発でシケイにドーナドーナされてしまう。
彼の銅像を壊す=亜総義の面目を壊すなので、抗亜クランはこれを壊すことができれば亜総義一族に色々な面で大打撃を与えることができる。ただ警備が厳重すぎてまともな方法じゃ無理。
プッチさんは適当な距離まで近づいてからホワイトスネイクで首にチョップ、頭部をもぎ取った。そしてすぐに何食わぬ顔で逃走した。