ハイシン者:碇○○ ~碇シンジが碇レイだったり配信者してたら円環がめっちゃぐちゃりました~ 作:高城拓
碇レイが目覚めると、そこにあったのは見知らぬ天井だった。
そこはどこかの病室のようだった。
昨日何があったのか思い出す。
頭がズキズキと痛む。
人造人間エヴァンゲリオン。
あのクソ親父はそれに乗るしかない状況を作り上げた。
それでも、エヴァに乗ると心が沸き立った。
新しい楽器を手に入れたかのように。
彼女はエヴァで使徒を相手に戦った。
無論、緊張はした。
恐怖は? 多分あった。
だが、エヴァンゲリオン、その新しい楽器との対話が楽しくて、あまりにも楽しすぎて、恐怖など忘れてしまった。
あの感触はなんだろう?
まるでショパンの幻想即興曲Op.66を早回しで演奏したときのような、BPM172とかいう馬鹿げた速度のダンス音楽をピアノアレンジで演奏したときのような。
突き抜けるような高揚感があった。
使徒にとどめを刺したのは、ボクササイズで覚えた飛び膝蹴り。
無線で誰かがシャイニングウィザード、と言ったのは覚えている。
それが、使徒の赤い玉を打ち砕き、使徒は光の柱となって爆発した。
それで、まだ自分が立っていることに気づいた彼女は気を失った。
安心して?
そうではない。
使徒を倒したときの、あの途方も無い開放感!
無線の向こうで沸き起こる歓声!
自分に向けられていた胡乱なものを見る視線が、絶大な称賛へと変わる!
彼女はそれをはっきり感じていた。
配信を通じて、初めて他人に楽器の演奏を褒められた時以上の快感がそこにはあった。
配信に湧いて出るクソアンチを、歌声と演奏でねじ伏せた時以上の快感がそこにはあった。
つまり彼女は、絶頂したのだ。
◆◇見知らぬ、天井◇◆
碇レイは葛城ミサトの家に同居することになった。
ゲンドウは一緒に住まないか、と言ったのだが、レイはにべもなくそれを断った。
「僕とよく似たあの子と一緒に寝ればいいじゃない」
ゾッとするほど冷たい声で誰かが言った。
前髪の隙間から見える父がいっそおかしいほどにうろたえるのを見て、それを言ったのが自分だということに気がついた。
「それでは」
ということで、別のスタッフから一人暮らしが提案された。
もともとそういう話だったのを、ゲンドウが捻じ曲げようとしたらしい。
この男はこんなにも気持ちの悪い男だったのか。
ならば今度は、自分からこの男を捨ててやる。
レイは密かに決意した、が。
女が何かを決意した段階で、それはすでに成されている。
それを知っているほどには、レイは大人ではなかった。
「構いません。どこだって一緒です。一人は慣れていますから」
割れたガラスの鋭利な断面。
一人暮らしを提案したスタッフは、レイの声音からそういった印象を受けた。
その断面は、そのスタッフにも向けられている。
険悪どころではない雰囲気が、だだっ広いゲンドウの執務室に充満する。
見かねた葛城ミサトが助け舟を出した。
つまりはそういうことであった。
◇
不安定。
葛城ミサトが碇レイから受けた印象は、まず第一にそれであった。
初めて会ったときの所在なさそうな、弱気な姿。
エヴァで戦っている時の、いっそ艶やかですらある自信に満ちた姿。
父ゲンドウに対する、むき出しの敵意と軽蔑。
全てが結びつかない。
いやまぁ、最後の「父への反感」は、察するに余りあるものがあったが。
守護らねば。
葛城ミサトは反射的にそう思い、自分の家に住まわせます、と言ったのだ。
それはおそらく間違いではない。
ボコボコの愛車、アルピーヌA110の助手席でうつむくレイの横顔を眺める。
前髪に隠された、儚げな横顔。
守護らねば。
葛城ミサトは重ねてそう思った。
その夜レイが見上げたものは、やはり見知らぬ天井だった。
◆
「おうコラ転校生」
鈴原トウジは碇レイを校舎裏の壁際に追い込み、声を荒げて凄んでみせた。
「ワイはホンマはお前を殴りたぁてしょうがない。ホンマは殴らな気がすまへん」
碇レイは怯えて、ずる、ずる、と壁に付けた背を滑らせる。
半分は演技だ。
もう半分は本当の怯え。
父に捨てられてから如才なく世を渡ってきた彼女は、むき出しの敵意を肌で感じる距離で受けたことはあまりない。
例外は使徒との戦い。
だがあのときは、エヴァを操る楽しさが恐怖を上回っていた。
今回は楽しくもなければ、逃げようもなかった。
機を逸してしまったのだ。
どうしようもなかった。
「せやけどワシは男や。女に手ぇ上げるような真似は、ようせぇへん。やとしても、これだけは言うとかなあかん。サクラのためにも。よう覚えとけ、ダボが。一つ貸しやでのぉ!」
ベッ、と音を立てて、トウジはつばを吐いた。
「悪いね、こないだの騒ぎで、あいつの妹さん大怪我しちゃってさ。ま、そういうことだから」
相田ケンスケは茶目っ気たっぷりに謝ってみせ、立ち去るトウジの後を追う。
舐められている。
碇レイは思った。
これほどの屈辱は、配信デビューしてしばらく後にコメント欄を大いに荒らされて以来だった。
このままではいじめの対象になってしまう。
なんとか避けなくては。
第3新東京市立第壱中学校に転入早々、クラスメイトが彼女を見る目つきには、不穏なものがあったのだ。
だが同時に、仕方がない、なるようになれだ、とも思っていた。
ほんの数週間前ならそんな事を考えもしなかっただろうことに、彼女は気づいてもいない。
エヴァに乗って戦ったことが影響しているかどうかは、この時点では誰にもわからない。
◆◇(Gun)controle◇◆
「目標をセンターに入れてスイッチ、目標をセンターに入れてスイッチ……」
「そうよ、うまいわね。さすがレイさん」
ネルフ本部の初号機シミュレーター。
予備パーツを組み合わせて作られたそれで、碇レイは戦闘訓練を受けていた。
彼女を冷たい目で見ていた赤木リツコは、シミュレーターでレイが叩き出すデータに満足げな表情を浮かべている。
実際声音も朗らかだ。
それでもレイは不満を口にした。
「赤木博士。まだるっこしいです」
「どういうこと?」
「目標を照準に合わせてトリガースイッチ、というのはわかりやすいです。でも、これは、鍋つかみをしながら楽器を操作しているみたいで、気持ち悪いです」
赤木リツコはピュウと口笛を吹いた。
今している訓練内容、インダクションモードでは射撃統制コンピュータを通してエヴァンゲリオンの操作を行う。
射撃、歩行、回避行動はサイドスティックとボタンの操作で行うが、エヴァの操作を行うのは実質的にコンピュータの役割となる。
それがレイにとっては、どうにもしっくりこない。どうしても数マイクロ秒、動きに遅延が生じてしまう。
鍋つかみをしながら云々とは、そういうことだった。
「でも、通常モードで火器を扱うほうが難しいわよ? いいからしばらくインダクションモードを続けなさい」
「わかりました……ではあと10回、インダクションモードで戦闘訓練をしたら、通常モードでの火器操作訓練をしたいです。ダメ、ですか……?」
レイの落ち着いた声には、わずかにすがりつくようなイントネーションがあった。
赤木リツコはひと目見たときから碇レイが嫌いだったが、好悪と評価は別であった。
リツコにとって、レイは評価の高い人物である。理由は言うまでもない。
その人物が自分を頼ろうとしているのであれば、それは正当に扱うべきである。
最大限論理的に振る舞おうとする赤木リツコにとって、全く当然のことであった。
「いいわ。それじゃあそうしましょう。そのほうが私も多くのデータを得られるし」
「ありがとうございます、赤木博士」
レイは明るく弾んだ声を出す。
なによ、可愛い所あるじゃない、と赤木リツコは思った。
もう少し場数を踏めばレイは良い悪女になるでしょうね、とも思う。
チョロいもんね、とレイは長い前髪の下でほくそ笑んだ。
エヴァという楽器で遊ぶためなら、嫌いな女に媚びを売るのも悪くはなかった。
◇
そうしたある日、使徒がまた第3新東京市に現れた。
「作戦通り、いいわね、レイちゃん」
「はい!」
碇ゲンドウ不在につき代理指揮権を発動した葛城ミサトの問いに対し、碇レイは弾む声を抑えきれなかった。
この数週間というもの、前にも増して居場所を失いつつある学校などより、たとえシミュレーターでもエヴァに乗ることのほうが楽しかった。
しかも久しぶりに本物の初号機に乗れるとあっては、浮足立つなという方が無理である。
「行きます!」
言って射出コンテナから飛び出し、パレットライフルで赤い使徒に攻撃を加える。
無茶苦茶な乱射はしない。
セミオートで2~3発撃っては素早く遮蔽物に隠れ、移動し、また撃つ。
レイはその動きを的確に反復してみせた。
得も言われぬ快感がそこにはあった。
プラグスーツの中が、汗以外の液体で、ぬめりけを帯びる。
初号機はレイの意思に、ノータイムで的確に反応する。
視界の端で弾薬カウンターが残り3を示した。
初号機は弾倉排出ボタンを操作しながら、射出コンテナの武装ポケットから弾倉をつかみ取る。
パレットライフルを軽く振って弾倉を強制的に排出し、すかさず新たな弾倉をセットする。
全体で1秒もかかってない。
「タクティカルリロード!? いつの間に覚えたんだ」
「いや、その前にあんな動きはプログラムされていないぞ」
ネルフスタッフが驚きの声を上げる。
赤木リツコは面白くなさそうな顔をした。
あの生意気なメスガキ、通常モードだけで使徒を仕留めるつもりね。
優秀なのは良いけれど、やっぱり子供だわ。
「レイちゃん! 避けて!」
ミサトの声にレイがハッとするまもなく、赤いエビのような使徒は光る細長い触腕で初号機の足首を掴み、ぶんと放り投げた。
ずん、と山肌を崩すほどの衝撃とともに叩きつけられた。
切断されたアンビリカルケーブルが後を追う。
ネルフ本部戦闘指揮所は悲鳴にも似た声で満たされた。
ザマはないわね。
調子に乗るからよ、メスガキが。
誰にも悟られないよう、慎重に、リツコは暗く微笑んだ。
◇
『レイちゃん! 返事をしなさいレイちゃん! 大丈夫!? ダメージは?』
『大丈夫です、いけます!』
遠のきかけた意識を、無線の声を手がかりに引き寄せる。
身を起こしかけて、ハッとする。
視界の左下方、ちょうど初号機の左手が置かれた山肌に、鈴原トウジと相田ケンスケがうずくまっていたのだ。
幸い怪我をした様子はないが、目の端に涙を浮かべ、腰を抜かして立つこともできないでいる。
レイは慄然とした。
関係ない人を巻き添えで殺す。
トウジに脅されてもピンとこなかったその事象が、突然、質量を持ってレイの前に姿を表したのだ。
先程まであれ程感じていた快楽が、音を立てて引いていく。
急に強烈な吐き気を覚え、喉元までせり上がったものを、必死になって飲み下す。
『レイちゃん!』
ミサトの声と同時に、赤エビの触腕が初号機を襲った。
初号機はそれを空中でがっしりと掴み取る。
レイの手に、初号機から強烈な熱と痛みがフィードバックされた。
「ぐぅううううう!!」
くそ、こんな伊勢エビ、さっさと片付けてやりたい!
レイはそう願ったが、暴れまわることはできない。
トウジとケンスケを死なせてしまう。
そうして耐えている間にも、残り稼働時間はみるみるうちに減っていく。
トウジとケンスケが初号機のプラグに収容されたのは、ミサトの判断だった。
◇
「なんやこれ、水かぁ!?」
「うわぁあ! カメラが! カメラがぁ!」
LCLに飛び込み、驚くトウジとケンスケ。
ひとしきり騒ぎ終えた彼らが見たものは、手のひらからあぶくを立ち上らせ、歯を食いしばって痛みに耐えるレイだった。
『民間人収容完了、プラグ閉鎖位置へ』
『レイちゃん、後退よ! 退きなさい!』
無線でミサトから指示が出されるが、レイはそれを聞いていない。
何かブツブツ言っている。
「お、おい転校生。逃げぇいうとるで」
トウジが心配そうに言ったが、レイはそれを聞いていない。
何かブツブツ言っている。
「……るな。……するな。……をするな。……邪魔を! するな!」
目を見開いて叫び、触手を力いっぱい振り払う。
「僕の、邪魔を、するな!!!」
肩のウェポンステーションから、プログレッシブナイフを取り出した。
「うぅうううううううわあぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
『初号機、突撃を開始!』
『レイちゃん、命令を聞きなさい!』
バカにしやがってバカにしやがってバカにしやがってバカにしやがってバカにしやがって、
僕をなめるな僕をなめるな僕をなめるな僕をなめるな僕をなめるな僕をなめるな僕をなめるな、
畜生!畜生!畜生!畜生!畜生!畜生!畜生!畜生!畜生!畜生!畜生!畜生!畜生!畜生!
レイは無茶苦茶にナイフを使徒のコアに突き立てた。
触手が初号機の腹を貫いたが、レイはその手を止めなかった。
使徒が泡となって弾けるように崩壊したその時、電源を失い暗くなったプラグの中で、レイはすすり泣いていた。
まったく、惨めだった。
こんなに惨めなことは父に捨てられたその日以来、初めてのことだった。
トウジに脅されたことなど、今日この日に比べればどうということもない。
動画サイトのライブ配信でさえ、こんな手ひどい失敗をしたことはない。
恥ずかしさと悔しさと奪われた快楽、それでも使徒を倒せた安堵に、彼女は泣いていた。
トウジはそのレイの有様を見て、唇を引き結んだ。
◇
次の日、学校は休校で、更に土日も挟んで、月曜日にレイたちは再会した。
「手抜きはなしじゃ。ええからはよせい! せやないと、ワシの気持ちも収まらん!」
体育館へと続く渡り廊下で、鈴原トウジは叫んだ。
「え、えぇと」
前髪を下ろした碇レイは大いに戸惑っていた。
その姿は全くのところ、地味ではあるが全くの美少女に他ならない。
初号機の中で歯をむき出して唸っていた人間とは、到底思えなかった。
「ごめんな碇。こういう実直なやつだからさ。頼むよ」
相田ケンジがすまなさそうに言う。
「はよこい!」
「う、うぅ~……ご、ごめん!」
鈴原トウジは殴られる覚悟はしていた。
してはいたが、女の細腕、何ほどのことやある。
そう侮っていたことは否めない。
果たして彼の頬に突き刺さったのは、渾身のロシアンフックだった。
なんとか倒れずに踏みとどまれたのは、いかなる精神の賜物か。
「ぐぅううう……ま、まあええやろ。これで貸し借りなしや。脅してすまんかったの、碇」
頬を腫らし、盛大に鼻血を吹き出しながら涙目のトウジ。
その顔がなんだかおかしくて、レイはふふ、と笑ってしまった。
ふふふ。
ははは。
あっはっは。
三人でひとしきり笑ったあとで、レイはトウジの鼻血を拭ってやった。
これでワシラは友達、親友や。これからは碇やのうて、レイと呼ばせてもらうで!
本当にいいの?
問題ないさ。
そうか、うん、ありがと!
じゃあまた明日、と別れたあとに、物陰で3人の様子を見ていた女子たちがレイのそばに駆け寄る。
すごいね碇さん、強いんだね。
あのショーワ頭を殴っちゃうなんて、あたし胸がすっとしちゃった。
女子たちは口々にレイを讃え、今までそっけなくしてごめんね、と謝ってくれた。
碇レイは、それでようやく胸をなでおろすことができたのだった。
◆
通学路の途中の公園。
夕暮れの中で、ベンチに座ったトウジが組んだ手で手元を隠す。
「碇のことはみんなが誤解しとぉけど、親友のワシはよぉ~おわかっとる」
真剣な眼差しで、トウジはつぶやいた。
ケンジはズボンのポケットに手を突っ込み、空を見上げる。
「碇はさ、キツくても苦しくてもエヴァに乗ってるんだろ。えらいよ、碇は」
こちらはケレン味たっぷりに、わざとらしいほどゆっくりと言った。
二人は同時にため息を漏らし、同時に続けた。
「アイツは親友のワシがしっかり支えたらなあかん」
「あいつは親友の僕がしっかり支えなきゃ」