ハルウララのキラキラ恋物語です。
7月。暑さ厳しい猛暑の刻。
夏の訪れに早くも辟易している私の元に、春風が訪れた。
「キングちゃんキングちゃん! レースしよっ! わたしが勝つからねっ!」
「はい?」
アップを始めた私に、宣戦布告なのか練習のお誘いなのか分からない物を叩きつけたのは、私イチ推しのウマ娘、ハルウララであった。
レースは……まあ正直構わないが、今は仮にもトレーニング前。
「いいわよ。ただしウララさん、私は一流ウマ娘よ。お遊びだとは言え簡単には負けてあげないからね」
「ふっふっふ~、わたしいーっぱい練習したもん! 今日は自信あるよ~!」
よく知っている。最近のウララの練習への熱の入り用は感心する程だ。
以前は『勝てなくても楽しいからOK!』といった姿勢だったのに。何回か1着を取った事で勝利への貪欲さが芽生えたと言ったところだろうか?
何であれ彼女がやる気なのは喜ばしい事だ。
彼女の親友として、一流ウマ娘として盛大に相手をしてあげなくては!
「それでレースは短距離でいいのかしら? ダート? 芝?」
「んっと、ダートがいいかな……距離はね、えーっとえーっと……1200m!」
「ふぅん……分かったわ」
短距離もダートも、どちらもウララの得意分野だ。
私も短距離は走れなくはないが、主戦場が芝であるためダートはあまり練習をしていない。私にとって少し辛いレースになりそうだ。
芝に慣れ切ったウマ娘にとってダートは非常に走り辛い。適切なフォームを維持出来なければ、余計な力を砂に取られてスピードが乗らなくなってしまうだろう。
でも望むところでもある。
貴方の成長を一番喜んでいるのは、きっと私だ。
貴方と競い合える、これに勝る喜びは中々にないのだから。
「トレーナー! はかってはかって~!」
「分かったよウララ。……ごめんね急に。今日はよろしくお願いします」
「あら、私の器量の広さはこんな物ではないわよ。特にウララさんの願いならね……それでは、いつでもどうぞ」
スタートラインにウララと共に並び立つ。
赤いブルマが特徴的な勝負服。鼻息荒くコースの先を見つめる彼女からは、並々ならぬ熱意が感じ取れた。
「――――よーい、ドン!」
そして。風が全身に飛び込んできた。
心拍数を上げ、全身を躍動させていくと、視界の中で景色がどんどん流れていく。
隣に並んでいたウララもまた後方に流れていったが、それで安心するほど私は愚かではなかった。
練習に打ち込むようになった事で、ウララのスタイルが出来ている事は知っていた。
彼女は差し型のパワースプリンター。
小柄な体に秘めし力で後半にぐんぐんとスパートをかける。
先日一着を取ったレースにおいて、その凄まじい末脚でごぼう抜きしていたのは記憶に新しい。
(力を貯めているのねウララさん――いいでしょう。なら私は貴方の差しを防ぎきる。『一流』が口先だけじゃない事を、見せてあげるわ!)
あえてペースを落としてウララの仕掛けを待つ。
ダートは確かに走り辛いが、地道にスタミナと筋力を高めてきた私にとって、1200mならまだ余裕はある。
視界の中でハロン棒が過ぎ去ってゆく中。④の看板が見えた瞬間、後ろの気配が、いきなり大きくなった。
「行くよキングちゃん!」
「えぇウララさん……勝負よ!」
残り400m。
たった数十秒で駆け抜けてしまうこの狭い距離の中。
私とウララはラストスパートを同時にかけていた。
前傾姿勢になった事で、視界が一気に狭まる。
耳元で
時間が引き延ばされた二人だけの世界の中、私は素直にウララの実力に驚いていた。
スピードもいい。プレッシャーのかけ方もいい。
このまま普通に走っていただけでは一気に抜かされてしまう……そんな予兆が私の中にあった。
(だけどウララさん。私をそこらの凡百のウマ娘と同じだと思わないでよね)
振り向かなくとも、私にはウララの挙動を察する事が出来た。
様々な経験が、培った観察眼が。彼女がどこから抜け出そうとしているかを予測していた。
大外ではなく内側から差す。
なるほど彼女が初めて見せる戦法だ。
さしずめ覚えたばかりのテクニックを使いたいと行ったところか。
(貴方に一流のテクニックと言うものを教えてあげる)
ウララが抜こうとしたタイミングで舵切りして、進路を潰す。
ウララが右に行けば右に。左に行けば左に。
彼女の仕掛けのタイミングに合わせてスピードに緩急をつけ、相手の
思ったように進められないのは辛いだろう、苦しい事だろう。
さぁ、貴方はどう出る? ハルウララ!
「う、ううぅ~~――……うらららららら~~~~~っ!!!」
ウララは万策尽きたとばかりに力任せで私を抜こうとする。
だけど、私はそれを予知していたかのように貯めに貯めていた力を解放する。
地面をこれでもかと蹴りつけて。ぐん。ぐん。ぐん。だん。だん。だん――!
――最終的に、私は3馬身差をつけて白星をもぎ取ったのだった。
「ふぅ……私の勝ちね。ウララさん。どうかしら? これで一流の凄さが分かった?」
「…………」
「……あ、あら? ……う、ウララさん? あの……え~っと」
ま、まずい。これはまずいのではないか。
勝負だからと言って調子に乗ってしまったかもしれない。
彼女は話しかけてもだんまりで、俯いてばかり。普段のテンションを思うと、この落差が本当に恐ろしくて仕方がない。
傷つけてしまったのだろうか。嫌われてしまっただろうか。
怖くなった私が恐る恐る彼女に近寄ると……がばっ! ウララがいきなり両手を挙げたのだから驚いてしまった。
「すっっ………ご~~~い! すごいすごいすごいっ! キングちゃん強いねぇ!」
果たして始まったのは喜びの舞であった。
レース直後ではひはひと、息も切れてるのに周りをぴょんぴょん。
自分が負けたと言うのに相手の勝利を我が事のように喜ぶそれは、まさしくいつものウララであった。私はほっと胸を撫でおろした。
「ウララさんも速かったわよ。でも私の方が一歩上だったようね」
「むむむ~! やるねぇキングちゃん。今日は自信あったんだけどなぁ~」
「ウララの相手をしてくれてありがとう。流石だったよキングヘイロー、差しのテクニックを教えたばかりだったけど、やはり付け焼刃じゃ通用しなかったね」
「こちらこそありがとう。でもウララさんもいいセンスをしていたと思うわよ、鍛えればきっと強力な武器になるでしょうね」
「あぁ。自分もそう思ってるよ。ウララはこれからもっと強くなる」
「ほんと? ほんとにっ?」
「勿論だよウララ。そう信じてる」
ウララがぱぁ、と表情を輝かせる。
桜ではなくひまわりのような周りを照らす100点満点の笑顔だ。眩しくて尊い。
だが法悦を極めた彼女の行動は更にアグレッシブになっていた。
なんと彼女、無言で隣のトレーナーの手を取り、ぐりぐりと自分から顔を擦り付け始めたではないか。
それに加えて自らの尻尾を相手の足に巻き付けてる始末だ。
流石にこれは、甘えすぎではないのか?
だがトレーナーも慣れたモノなのかそのまま撫で始める物だから、言葉をなくしてしまう。
撫でられるウララの顔はこれ以上なく幸せそうで、「えへへへぇ~~……」と蕩けそうな声を上げていた。
目の前で繰り広げられる光景に、私はアレっと思った。
(ひょっとして……出汁にされただけなのかしら?)
彼女の此度の動機はレースではなく、トレーナーだったのでは?
勝負を仕掛け、そして勝って一杯褒めて貰おうとしたのではないだろうか。
勿論作戦通りにいかなかったが、当初の目的は達成出来ている。
今の彼女を敗者の姿とはとても思えなかった。
(……勝った筈なのに、なんだか負けた気分)
目の前でべったりべたべたとひっつき続けるウララに、私はため息を禁じ得なかった。
§ § §
猛暑厳しい夏のとある休日。
『キングを
秋の天皇賞までもう時間がない。
本音を言えば練習をしておきたいが、休むのもトレーニングのうちだとアイツに言われては何も言えない。今日はしっかり休んでおこうとベッドに腰かけ、天井を眺めていた。
あの子の姿は部屋には見当たらない。
最近は更にトレーニングに熱を入れ始めたらしいあの子は、今日も今日とてグラウンドで練習をしている。
……ただ、前の事を思うに熱を入れてるのはトレーニングではない気がしてならない。
「……ウララさんったら、自覚しているのかしら」
最近のウララは兎にも角にもトレーナーにべったりだ。
練習中は勿論のこと、視界に入ればすぐにトレーナーの元に飛んでゆき、用もないのにトレーナー室に入り浸っては構って欲しいと追い
この間なんて人前なのにべったべたに抱き着いており、流石にはしたない、と叱った。
そんな彼女の心情を表すかのように、壁や机に置かれた写真や絵の数は以前よりも増加傾向。比率も圧倒的にトレーナーに関する物が多く、私や会長のソレは隅に追いやられる始末であった。
最早彼女のそれが父性から来るものなのかは、私には分からない。
どう転ぶのであれ、あの子のためにも綺麗に収まってくれると嬉しいのだが……。
「ん? ……これって」
ふと何気なく散らかった彼女の机の上を見た時、見慣れぬ箱が置いてあるのに気付いた。
確かあれは、昨日夜に何度となく自慢されたトレーナー(と会長)が選んだという、新しい蹄鉄だ。
今日は練習の日の筈。だと言うのに、置きっ放しとは……溜息が漏れてしまう。
あんなに喜んでいたのに忘れるなんて、流石にうっかりが過ぎるのではないだろうか。
私はウララの元へ向かう事にした。
寮を抜け、学園に入り込み、グラウンドを見渡す。
幾ばくかの娘達が練習に励む様子が見られているが、肝心のウララの姿はどこにも見当たらない。そればかりかトレーナーの姿も見えないと来た。はて一体どこに消えてしまったと言うのだろうか。
容赦ない日差しから逃げるかのように学園内部に戻った私は、次なる目星……トレーナー室へと向かう事にした。
案外、炎天下の中でのトレーニングは避け、涼しい部屋でビデオトレーニングでもしているのかもしれない。冷房途切れぬ涼し気な廊下を渡り、一路トレーナー室へ。ウララが何度も侵入する様子を見ていたからか、自分の担当でもないのにすっかり覚えてしまった。
二階廊下。突き当りにあるその場所へと迷いなく進み。いざノックをしようとしたところで――私はその動きを止めた。
『今日の仕事はまだ終わらなそうかな?』
『ごめんルドルフ、あと少しなんだ。もう少し待って』
トレーナーとルドルフ会長だ。
二人の親しげな話し声がドア越しに聞こえてくる。
別に気にせずノックをしてもよかったのだが、その時の私はなんとなく耳をそばだてて、二人のやり取りを清聴していた。
『そう言って既に1時間は経っているじゃないか。君の言う『あと少し』は、仕事に関して言えば長すぎると私は思うよ』
『う……でも』
『分かっているさ。他ならぬ私たちの為だから、妥協したくない。だろう?』
『うん』
『嬉しい限りだ。君がこうして妥協のなく仕事をしてくれるから私達も全力を出せる。私もウララもお陰様で絶好調だ。本当に感謝しているよ』
でもね、と続けた会長の声と共に、椅子のきしむ音がした。
『君の負担を思うと……とても心苦しいよ。最近ここによく泊まり込んでいるだろう? 私も手伝える事があれば』
『ルドルフ。心配をかけている自覚はある。だけどこれは自分の仕事だ。だから』
『――それも分かっている。本当に頼りにしている。でも働き詰めはやめて欲しい。君が倒れるような事になったらウララも、そして私も耐えられない』
『ごめん。自分が未熟なばっかりに』
『あ……別に、困らせるつもりはなかったんだ。すまないトレーナー』
しばしの静寂の後、二人の微かな笑い声が部屋から溢れた。
会長とトレーナーは一流のパートナーシップを築いているように思えた。
話を聞く限り、そして今までのイメージも踏まえても。
互いに信頼を預け、尊重しあう。
その姿はまさしく私の思う理想の関係。
私もアイツとの関係性に文句はないが、ここまで清々しい関係ではないと断言できる。
今度時間があったら関係性の改善を求めようか、などと扉の前でまごついていたのが悪かったのだろう。
――次の瞬間。私は、完全に中に入り込む隙を見失ってしまう。
『……あの、ルドルフ』
『……」
『ルドルフ? これじゃあ仕事が……』
『ルナ』
『……?!』
『二人きりの時はルナと呼んでって言ったじゃないか』
扉に手をかけようとした私の脳裏に「?」の大嵐が吹き荒れる。
今話しかけているのは一体誰だ?
この限りなく会長に似ている猫撫で声は誰の口から発せられている!?
『ルナ。もう少しで終わるんだ、だから』
『……トレーナー、約束しただろう? 今日は午後から一緒に買い物に行くと。なのに1時間超過しているんだ。これは看過出来ない事だ』
『でも、だからと言って』
『いやだ。もう時間切れだよトレーナー、私がどれだけ
がたがたと揺れる椅子の音に、イメージに真っ向から相反する猫撫で声。
扉の向こうであの二人は、いや会長は一体何をするというのだ!?
顔が抑えようもなく赤くなっていくのを自覚しながら、よせばいいのに聞き耳を立ててしまう。
『大体の話……君は最近ウララにうつつを抜かし過ぎだ。私の事も構ってくれないと困る』
『別に対応に差をつけてるわけじゃ』
『分かってない。全然分かってない。最初に君がスカウトしてくれたのは私だ。そうだろう? なら、私の事をもっと構うべきだ』
『……』
『無論私もウララの事は大事に思っている……それこそ妹のようにね。でも君もまた大事に思っている。それこそ、恋人のように』
『……ルナ』
『……私は本気だよトレーナー。まだ返事は貰っていないが……出来るなら君の大事な人に、私はなりたいんだ』
『……』
『こっちを向いてくれ。……向いて。向かないと、無理矢理するよ』
『うわっ……ちょっと』
微かな空気の流れも些細な衣擦れの音も。今の私には過敏すぎる刺激だ。
あの会長が、あんな声を出して、まるで年頃の少女のような真似を!
このような場面、あの女帝が見たら卒倒してしまう事だろう!
私もまた高まる心音が聞こえないように胸を抑え込みながら部屋から後ずさり――そして、元来た道を走っていた。
会長とトレーナーは一流のパートナーシップを築いているように思えた。
話を聞く限り、そして今までのイメージも踏まえても。
互いに信頼を預け、尊重しあう。
その姿はまさしく私の思う理想の関係。
だけどそのパートナーの意味合いは最早別のものになっている……私には、そう思えて仕方なかった。
冷え切った廊下から肌のひりつく炎天下に飛び出した私は、もう一度ウララがいないか見渡した後、空を見上げて息をついた。
気がかりなのは……やっぱり同室のウララだった。
あの子を応援したい気持ちはある。だけど、彼女はまだ自分の気持ちに気が付いていない。
そんな中、会長は既に自分の気持ちを自覚し、アピールまでしていたのだ。二人の間には天と地程の差があるのは間違いようがなかった。
(ウララ……貴方の恋は、厳しい道のりになりそうよ)
かんかんに照りつける太陽の下。
私は暑さとは別の理由で苦い顔をするのだった。
§ § §
「それで? 洗いざらい話してくれるかしら?」
「え、えぇ~~? キングちゃんどうしたの?」
秋の気配はまだ遠い8月の終わり。
学園庭に散在するベンチに座っていたマヤノトップガンを、私は仁王立ちで見下ろしていた。
「ウララさんの事よ」
「ウララちゃん? マヤ、何か悪い事した……?」
「貴方なら分かるでしょ? 最近のウララの様子を」
「……! あ、分かった! ウララちゃんが恋を……もごもご!」
「声は、張り上げないで、いいのよ」
最近のウララはは少しぼーっとする事が多くなった気がする。
声の張りも鳴りを潜め、周りを意味なく走り回る事も少なくなり、気が付くとどこか熱っぽい目であらぬ所を見上げている。
風邪でも引いているんじゃないかしら、と気遣えば、慌てて「大丈夫だよ!」と太鼓判は貰う。
だがそのやり取りは5回を超えている。心配は消える事はなかった。
そんな中、ふと昼食中に拾った噂話が、まさしくウララについてであった。
『ウララちゃんはもう完全に担トレにお熱だね』
『最近はずーっとトレーナーさんに熱い視線を送っているよ』
『この間なんて抱き着いているのを見た!』
『でもトレーナーさんには会長もいるよ』
『トレーナーさんはどっちを選ぶのかな?』
『会長さんは素敵だからね~、みんなの憧れだし』
『やっぱり大人の女性を選ぶのかな~』
その時交じる事はなかったが、直後に会話の首謀者に凸をしていた。それが今の現状である。
恐らく、ウララに『恋』という概念を教えたのも彼女だという確信があった。
「むぅ~。なんなの~? ウララちゃんの恋話が聞きたいんじゃないの~?」
「違うわよ。その噂を迂闊に広めて欲しくないだけなの」
「え~~~、どうしてどうして?」
「その噂があの子に聞かれたらどうするつもり?」
「どうって……でも、本当の事だよね?」
「本当の事だからこそよ。あの子にはゆっくりと理解して欲しいの……恋はまだウララさんには難しいと思うから」
私には悪い予感があった。
周りが焚き付けた結果、空回りし、恋も実らず。
あの子の全てが台無しになってしまう……そんなビジョンが。
出来るならば彼女の恋はスローペースで進めて欲しい。
ゆっくりと自覚して、その上で自分の気持ちに従って欲しい。
これは我儘な願いなのは分かっている。分かっているけど……幸せそうにしているウララが、悲しんでしまう姿は、見たくなかった。
「うーん、分かるような、分からないような~……」
「理解して貰わなくても結構。これはお願いよ。もしもウララさんの恋路を応援するつもりなら、そっとしてあげて貰えないかしら。……あの子はまだ
「マヤはウララちゃんは恋はしてると思うけど……?」
「それは間違いないわね。けど、自覚はしていないわ」
ウララの反応は、誰が見ても『恋』特有の症状だ。それは間違いないだろう。
しかも今の彼女は心よりも先に、本能が先走っている状態だと見ていた。
恐らく今のウララは味わったことのない感情の暴走に混乱の極みなのだろう。
本音を言えば何とかしてあげたい。
ただ彼女の恋路を引っ掻き回したくない気持ちも同じくらいあった。
……経験のない私がアドバイスするなんて、おこがましいにも程があるから。
「……分かった。噂は広げないよ。でもいいの? ウララちゃんをこのままにして」
「……」
「マヤ思うんだ。会長さん……トレーナーさんの事。本当に好きだと思うよ」
「……ただ仲が良いだけじゃなくて?」
「……んっと、何となく。だけど前と何だか距離感が違う気がするから」
「……」
あの時の事がふとよぎる。
幸か不幸か、あれから会長の逢瀬は見ていないし、その関係性も以前となんら変化がないように見えているが……会長も裏で間違いなくアピールを続けているのだろう。じわじわと周りも気付き初めている。それは揺るがしようのない事実のように思えた。
「キングちゃんの気持ち、分かるよ。ウララちゃんの事大切にしてるんだね」
「……えぇ」
「でも。ウララちゃんは早めに背を押してあげないといけないような気がする。だって――」
「それ以上は言わないで」
「……」
「……分かってる。分かっているのよ。このままじゃ絶対に実らないって事は」
二人の差は歴然だ。
体型も。精神も。学力も。体力も。実力も。外聞も。名声も。共に過ごした年数も。
そして……恋への向き合い方さえも。
「それでもウララさんの背を無理矢理押すような真似は出来ない」
「……キングちゃん」
「自分で気付いてくれるならそれでいい。その時は全力で応援するわ。でも気付かないままなら……そのままでもいい。だって、そうでしょう? どちらが結ばれても……結果としてあの子は深く傷付いてしまう」
「……」
邪悪で、身勝手で、優しさを履き違えた唾棄すべき考えだ。
今考えて見ても本当にそう思う。
彼女の恋を一番応援すると言っておきながら、本心では彼女の恋を一番望んでいない。
彼女の幸せを一番願っていると
彼女の幸せは、彼女が決めるべきもの。
私の一存で決めるべきじゃあ、ないのに。
「マヤさん。私は……あの娘には、いつまでも幸せのままで居て欲しいの」
だけど、その時の私はそれが最善だと信じていた。
信じ込んでいた。
――その行いが、最も彼女の幸せから遠ざけているとも知らずに。
§ § §
残暑厳しい9月のある日の事。その日は朝からずっと雨続きだった。
まるでバケツをひっくり返したかのような大雨で、折角予定していた屋外トレーニングは中止。簡易な筋トレのみに留めて後は寮で勉強をしていた。
一流ウマ娘たるもの、座学も出来て当然。
誰もが私を見て一流の見本を学べるようにしなければ。
そんな思いで挑んだ勉強は――実のところ、あまり
頭の片隅を常に占有するのは、やはり大切な同居人の事だった。
1つページをめくるたびに。
1つ単語を覚えるたびに。
1つ公式を反芻するたびに。
1つ回答を書き連ねるたびに。
あの子の顔が、絶え間なく浮かんで来るのだ。
あれから……私は彼女をずっと静観し続けていた。
悩みのあまりトレーニングに身が入らない姿を見ていた。
扇風機のように唸り声をあげて葛藤する姿を見ていた。
食事も、授業も、全く持って上の空になっているのを見ていた。
だけど私は、世話を焼きたい気持ちをぐっとこらえてウララの様子を見守った。
あくまで恋の自覚は彼女の自主性に任せたい。その一心で彼女の近くで静かに過ごしていた。
これが本当に最善なのかは分からなかった。
ひょっとしたらこのまま自覚せず、ずっと悩んだままになってしまうかも……そんな思いも頭によぎっていた。
それでも……それでもだ。
無理矢理自覚させた挙げ句、玉砕して、
幸せなチーム内に不和が置き、
ウララの心にも深い傷がつき、
二度と笑顔を見せてくれなくなる。
そんな想像をするだけで私の胸は張り裂けそうになり、それが更に口出しを憚らせる。
今では悩んだままの方が良いのでは、と思ってる。
あわよくば恋の事を忘れて欲しいとさえも。
自分の感情はただの気のせいだ、ただホームシックが
「……ねぇキングヘイロー、貴方これで親友のつもりなの? だとしたら……本当に最悪な親友ね」
悩むウララの姿を見るだけで、こんなにも私の心が揺れてしまうなんて。
ただ回すだけになっていたペンを投げ出し、机に突っ伏す。
……幸せになって欲しい。あの子には幸せになって欲しい。
ずっと陽だまりにいて、ずっと貴方の笑顔を見せて欲しい。
恋なんて、本当はしないで欲しかった。
誰かがあの子の笑顔を、一人占めするなんて嫌だと思った。
まるで子供のような戯言が浮かんでは消え、浮かんでは消える中。私はふと窓の外を見る。すっかり暗くなった外では、弱まったとは言えまだまだ雨は降り続けていた。
「そう言えば……ウララさん遅いわね」
時刻は既に夜の21時を回ろうとしている。
でも同居人であるウララの姿は、部屋にはどこにも見当たらなかった。
彼女は1時間程前に忘れ物があると言って学園に戻っていったきりだ。
しかし忘れ物を取りにいくだけでこんなに時間がかかるのは、流石に心配だった。
外は未だに雨が降り続けている。風邪でも引かないといいのだが……。
あぁもう……探しに行こう。そうしよう。
全くもって手のつかない勉強をほっぽり出し、いそいそと外着を身に着けようとした、その矢先の事だ。扉がゆっくりと開く音が後ろで聞こえた。
「ウララさん遅かったわね。てっきり途中で道に迷ってないか心配に――な……」
私は驚きのあまり言葉を失った。
何故なら、ウララの全身は余すことなくずぶ濡れで、泥だらけになっていたからだ。
「――う、ウララさん! 貴方一体どうしたの?!」
「あ……キングちゃん」
「キングちゃん、じゃないでしょ! 早くこっちに! 風邪引いちゃうじゃないの!」
私は泥だらけの彼女と共にお風呂場に行き、彼女を洗った。
ウララの体は冷え切っており、また洗っている間何一つ口を開かなかったのが、とても恐ろしかった。
シャワーで温め直し。清潔な服を着替えさせ。
そして私のベッドの上でさし示したかのように隣り合って座った所で、ようやくウララは口を開いた。
「ごめんねキングちゃん。お風呂ありがと」
「別に良いのよ。それよりも……どうしたのよ。こんな夜に泥だらけになって」
「……」
「何か、あったの? 学園でもしかして――」
「――あのね! わたしこの前、トレーナーといっしょにお買い物しにいったの!」
脈絡の欠片もない話題転換に目を思わず白黒させる。
それは、いつものウララトークのように見える。だけどいつものそれとは明確な違いがあった。
「二人きりだったからすっごくうれしくて、すっごくはしゃいじゃったんだ~」
「でも、はしゃぎすぎじゃって、わたし、道路に飛び出そうになっちゃって!」
「その時に、トレーナーがぐいってわたしの腕をひっぱって、ぎゅ~ってして助けてくれたの!」
「そしたら……そしたらね、おむねが、ぽかぽか~ってなって、おなかがきゅーってなって……なんだか変な感じ~になって、びっくりしちゃったんだ!」
「それでねそれでね、その日だけかと思ったらねっ、トレーナーのお顔を見るとまたぽかぽか~ってなっちゃって、近くにいると、きゅーってなって……!」
「どこにいてもトレーナーの事ずっと考えちゃって……れんしゅーも……べんきょーもね、さいきん、なんだかぜんぜん楽しくなかったの」
話しているウララは、全く幸せそうではなかった。
耳をぺたんと畳み、俯いて。
まるで懺悔をするかのように語ってくれる。
「でもね、このぽかぽか~って気持ち、きらいじゃなくて……もっとぽかぽかしたくなるんだ」
「……」
「だからね。トレーナーの近くにずっといよ~っておもってたの」
「ウララさん……」
「えへへ……ごめんねキングちゃん、今日もね。トレーナーに会いたいなって思って……わすれ物ーってうそついちゃった」
……私は自然と、ウララの手に自分の手を重ねていた。
「ウララ、貴方はトレーナーさんに『恋』してるのよ」
「……わたし、みんなのことも大好きだよ?」
「そうね。でも貴方にとってのみんなへの好きと、トレーナーへの好きはきっと違うわ」
「……?」
「今から意地悪な事を言うわね……ねぇウララさん。お友達やご両親、会長さん、私、トレーナーさんの中で、二人きりで遊びに行きたいのは?」
「…………トレーナー」
「二人きりでご飯を食べたいのは?」
「……トレーナー」
「抱き着いたり、撫でて貰ったり、褒めて欲しいのは?」
「トレーナー」
「好きって、言って欲しいのは?」
「トレーナー! ……あっ」
思わず大声を挙げた彼女を咎めることなく、私は頷く。
「ウララさん。今の貴方にとってトレーナーさんはきっと友達よりも好きだし、ご両親よりも好きだし、ルドルフ会長よりも好きだし。私の事よりも好きなの」
「みんなよりも……」
「そう。特別好きになる……それが『恋』ってことよ」
「とくべつ……すき……そうだったんだ、わたし、トレーナーに『こい』してたんだ……」
恋という言葉を。
ウララは体に染み込ませるかのようにゆっくりと反芻していく。
これで私の狙い通り、ウララは自然と恋と言う物を自覚出来た。
それは誰の目から見ても明らかだろう。
だけど……私の中での嫌な予感は、消えるどころか、どんどん膨らんでいた。
「それで……学園にトレーナーさんに会いに行ってどうしたと言うの?」
「……」
「ウララさん?」
沈黙が恐ろしかった。
これ以上、聞くのが怖かった。
だけど、今更彼女から背くことなど……出来やしなかった。
「……トレーナー室にね、行ったんだ。トレーナー、いつもそこでお仕事してるから」
「……」
「トレーナーにね、差し入れしたかったんだ。ずっと前、あまーいクッキーもらったから、わたしもおかえしにあまいクッキー食べてもらおうと思って……」
「……」
「そうしたら、そうしたらね……っ」
「ルドルフさんが……トレーナーとキスしてたの……見ちゃったの」
「……っ」
重ねた手の下で、ウララの手がぎゅぅっとシーツを掴んだのが分かった。
「あのねっ、ルドルフさんもそうなんだっ、てわたし思ったの! わたしといっしょでトレーナーの事が好きなんだって……だからわたし、うれしくなっちゃったんだ!」
「だってわたしはルドルフさんのことも好きだもん! 優しいし、カッコいいし、たよりになるし……カイチョーさんだし……!」
「でもね、でもわかんないのっ。見てたら、すごくおむねがちくちくして、もやもや~ってして……! うれしい事なのに、くるしくなって、ぐるぐるってして……うわーってなっちゃって……! 気が付いたら、もどってきてたの……!」
彼女の肩に手を添える。
するとウララの体は驚く程簡単に傾き――私に体重を預けていた。
「ねえキングちゃん、これも『こい』のせいなの……?」
「……」
「きゅ~ってして、ぽわぽわ~ってなるのが『こい』じゃないの……? ちくちく~ってして、もやもや~ってしちゃうのも『こい』なの?」
「……そうね、それも恋だと思うわ」
「ううぅぅ~……そんなの、そんなのいやだよぉ……ルドルフさんも好きなら、すてきなのに……トレーナーにキスしちゃやだっておもっちゃったの……」
「……」
「キングちゃん、どうすればいい……? わたし、いやな子になっちゃったのかな……ルドルフさんのこと、きらいになりたくないよ……」
「……」
「でも、でもっルドルフさんがトレーナーにキスするのはいやなの……! トレーナーのこと、取っちゃいやなの……! だ、だってわたしっ、わたしもっ、トレーナーがすきなのっ……ずっとずっとすきなの……! すきっ、すきなのにぃ……っ」
「……っ」
「やなの……とれーなーのこと、とっちゃやだ……やだよぉ……! ふぇっ、ふえええぇぇぇぇぇぇん……!!!」
やがて……お腹に顔を埋めて泣き始めた彼女を、私はゆっくりと撫であやす事しか出来なかった。
窓を叩く雨音が泣き声と静かに絡み合って、愚かな私を責め立て続けていた。
「ウララさん……貴方は恋を知ったのね」
降り続く雨は、翌朝になっても決して止むことは無かった。