ヒーローとしての悟空も大好きですが、父親としての悟空も大好き。
ボージャック映画のラストに出てくる父親から子への「甘ったれてんじゃねえぞ!!」がほんともう……。
夜。
僕は月を見上げていた。今日は満月じゃないから大猿になる心配はない。けれどサイヤ人の本能が刺激されるのか、嫌に気が昂る。
月光を背景にふわりと何かが降りてきた。ターバンとマントを装備したピッコロさんだった。
「約束通りあのサイヤ人はカプセルコーポレーションに捨ててきてやった」
ラディッツのことだ。治療および拘束しておくにはブルマさんのところに預けるのが一番いいと思い、僕がお願いしたのだ。ピッコロさんのことだから事細かには話していないだろうけど、ブルマさんならきっとこちらの意図を察してくれるだろう。
「傷が癒えたらオレか孫悟空のところにくるだろうが、そのあとのことは知らん。まあ闘いになれば次はオレ一人が勝つがな」
「ありがとうございます、ピッコロさん」
「ふん、礼を言われる筋合いはない。それより、行くぞ」
「行くって、どこにですか?」
あまりにも唐突だったのでつい訊き返してしまう。ピッコロさんが言わんとしていることに気付いたのは返事をした直後だった。
「修行だ。時間は一年しかないんだ、チンタラしてる余裕はない」
ピッコロさんはニヤリと魔族らしい笑い方をする。
「ま、待ってください! まだお母さんを説得できていません!」
「そんなことこのピッコロ様が気にすると思うか?」
ピッコロさんが僕の腕を掴んだ。どうやら本気で僕を連行するつもりのようだ。今の僕からすると遥かに大きいそれは本気を出せばなんとか振り解けそうだった。
「僕は……歴史を変えたいけどお母さんを悲しませたいわけじゃない……!」
気を開放。ピッコロさんに抗う。魔貫光殺砲は例外として、体力を考えなければ僕とピッコロさんのあいだには明確な差がある。僕は窓際で踏みとどまった。
「ちっ、ガキのくせに大したパワーだぜ! こうなりゃ強引にでも連れ去ってやる!」
しかし、体重は所詮5歳児だ。僕の小さな体はピッコロさんによって外へと引きずり出され、さらに草原の上に投げ飛ばされる。
「くっ! だりゃああ!!」
受け身を取りすかさず反転、僕はピッコロさんに飛びかかった。ピッコロさんは僕の攻撃を防ぐ。次も。その次も。反撃はしてこない。そうして四度目の攻撃が防がれ、やっと試されていることを悟るに至った。
よぅし、だったら……!
「はぁああああ!!」
かつては怒ることでしか発揮されなかった潜在能力を意図的に引き出す。ラディッツに大ダメージを与えられるほどのパワーは僕自身を蝕むが、出し惜しみなんかしていられない。僕はそうやってもったいぶることでお父さんを死なせたのだから。
「ぐぅっ!?」
ガードのために交差したピッコロさんの両腕が僕の蹴り上げによって弾かれ、胴体がガラ空きになる。
そこへ──。
「魔閃光!!」
ピッコロさん直伝のエネルギー波を見舞った。
「なっ……!?」
その驚きが技に対してなのか、威力に対してなのかはわからない。ただ言えるのは、ピッコロさんを退かせるだけのモノではあったということだ。
「はぁ、はぁ、はぁっ……!」
僕はたまらず地面に手足を投げ出す。一日に二度も全力を出すのはかなりキツい。まるで界王拳で体を酷使したあとのお父さんみたいだ。心臓と肺が破けそうで、両手両足が千切れそうで、息をするだけで痛みが走る。
対するピッコロさんはというと、
「な、なんてやつだ! 万全ではないとしてもこれほどとは……」
咄嗟に両手で魔閃光を防いだようだ。手のひらが黒く焦げ、煙がくゆっていた。
「悟飯!!」
ドアを突き破るような音が響き、同時にお父さんの叫び声が聞こえた。戦闘の気配を察知して来てくれたらしい。お父さんは僕を抱き起こすと、ピッコロさんに険しい表情を向けた。
「何の真似だピッコロ」
お父さんにしては恐ろしく低い声だった。月の影響か、お父さんもサイヤ人としての本能が前面に出やすくなっているようだ。
ピッコロさんは口角を上げて応える。
「貴様らがあまりにものんびりしてるんでこっちから迎えにきてやったんだ。孫悟空、やはりそのガキはかなりのパワーを持っている。一刻も早く修行したほうがいい」
「……言いたいことはそれだけか」
お父さんの気が膨れ上がる。それを読み取ったピッコロさんもまた臨戦体勢に入った。
まずい、このままだと二人が仲違いしてしまう。どうにかできないかと疲弊しきった頭をフル回転させて答えを探す。こんなときはまず現状の整理からだ。
あのとき交わした約束の内容は『ラディッツを見逃す代わりに僕がピッコロさんと修行する』というものだった。
ピッコロさんはそれを守ったが、こちらはお母さんを説得するために一方的に待たせている状態。
しかもピッコロさんとは一時共闘の関係であり、彼からすれば決して仲間になったわけではないのだから、いちいち融通を効かせる義理もない。
確かに悪いのは僕たちだ。
だけど、それが僕の誘拐を認める理由にはならない。
一人息子が攫われてやっとの思いで取り戻したと思ったらまた攫われる、なんてまともな神経の持ち主であれば絶対嫌がるに決まっている。
ましてや僕は未来からきたという特殊な事情を抱えているわけだから、あのお父さんでさえセンチメンタルになるのは仕方ないと思う。
加えて今は月の影響で気が昂りやすくなっている。
一触即発の状況が出来上がるには十分だ。
最善の選択肢はここで僕がピッコロさんについていくことだ。それで本来の約束が果たされ、二人が争う理由はなくなる。
でもそのためにはお母さんの意思を無視しなくてはならない。そうすればきっとお母さんは悲しむだろう。
誰を傷つけて前に進むか。
結局はそういう話だった。
ピッコロさんについていけばお母さんが傷つく。
家に残ればお父さんとピッコロさんのあいだに亀裂が生まれる。
歴史改変はまだ始まったばかりなのにこんなところでつまずくなんて……。
そうやって僕が歯がゆい思いをしていると、もう一つの気配が家から出てきた。
「悟空さ……悟飯ちゃん……」
お母さんだった。寝巻きにストールを羽織った姿で不安げな表情を浮かべている。
やめてください、お母さん。
そのカオはお父さんが死んでからのことを思い出してしまう。
「チチ、家ん中に入ってろ」
お母さんは首を振った。
「話は聞いてたべ。ようするに、こんな時間に争わなきゃいけないくらい悟飯ちゃんの力が必要だってことなんだべ?」
「そうだ。こいつのすさまじいパワーは必ず地球を守るのに役立つ」
「あのピッコロがそこまで言うだな……」
ピッコロさんの言葉に、お母さんは深く考え込むようにうつむいた。それから、意を決した目つきでピッコロさんに視線を飛ばした。
「わかった。悟飯ちゃんをピッコロに預けるべ」
「チチ!? いいんか!?」
「いいも悪いもないべ。悪い宇宙人がきたら地球そのものが危ねえんだろ? そしたら悟飯ちゃんはえれぇ学者さんになれなくなっちまうだ。それに……」
お母さんはお父さんの傍らに歩み寄り、僕の頭を優しく撫でた。
「未来からやってきたこの子には後悔してほしくねえだ」
「お母さん……」
「おら、今日ずーっと悟飯ちゃんのこと考えてたべ。そんでな、やっぱりどう考えてもこれしか……悟飯ちゃんが未来から理由は思い浮かばなかっただ」
お母さんはそう言ってお父さんに抱きつく。
「な……なんだよチチ……」
「あんまり言いたくねえが……死んだんだべ、悟空さ」
「へっ? オラ生きてるぞ?」
「未来の話だって言ってるべ!! ……違うだか? 悟飯ちゃん」
「────」
僕は……何も言うことができなかった。侮っていた。まさか僕が未来からきただけでそこに辿り着くなんて。
「おとうが死んで、あんまりにもつらかったからここまで戻ってきたんだべ? だったら
「お母さん……」
強い眼差しが僕を見据えている。それは子供の〝ボク〟にではなく、大人になりつつあった〝僕〟に向けられていた。……泣いてしまいそうだ。
「そんな情けない顔すんでねえ! 息子の背中を押すのも母親の役目だ!」
お母さんがもう一度僕の頭を撫でた。
「おらのことは心配しないで思うようにやればいいだよ」
「……はい!」
その言葉で決意が深まった。
絶対に成功させてみせる。
僕のせいで失ったモノを、僕の手で取り戻すんだ!
またしばらく会えなくなるのを名残惜しく思いながら、僕はお父さんの腕の中を出た。
「よかったな悟飯。ピッコロにしっかり鍛えてもらうんだぞ。父ちゃんもおめぇたちに負けないくらいしっかり修行してみせっからな! どっちのほうが強くなれるか、オラ今からわくわくすっぞ!」
お父さんはあれだけ怒りを露わにしていたのにもうあっけらんとしていた。おかげでさっきまでの険悪な雰囲気はすっかり消え、ピッコロさんも心なしか安堵したように見える。さすがにお父さんまで敵を回すのは分が悪いし、当然といえば当然かな。
「お父さんも頑張って界王様に会ってくださいね! ダジャレを連発すればきっと修行をつけてもらえます!」
「おう! まずは神様んところに行けばいいんだったな! あとは……なんだっけ? そうそう、ブルマに重力制御室っちゅーのを作ってもらえばいいんか」
「そうです。重力修行ができれば今より遥かに戦闘力が増えるはずですから」
「へへ……楽しみだぞ! ピッコロもがんばれよな!」
「肩を叩くな馴れ馴れしい! あと茶番が長いわ! いつまで待たせる気だっ!!」
わりぃわりぃ、と頭を掻くお父さんを見てピッコロさんとお母さんがため息をつく。
──そして僕は両親のもとを旅立った。
まだ飛べないからピッコロさんに抱えられて。
彼の当たりが前よりも柔らかいのは、僕が最初から闘う覚悟を固めていたからだろう。
でも、覚悟だけでは足りない。
僕がやろうとしていることには圧倒的な力がいる。
まずはそれを身につけるところからだ。