音無老人から呼ばれた響子さんは、着の身着のまま、音無家へと向かった。
娘の春香ちゃんを連れて・・・。
#ガタンガタン・・・ガタンガタン・・・#
電車に揺られながら、なぜ急に呼ばれたのか・・・何か大切な話なのだろうか・・・色々考えていた。
(去年も惣一郎さんのお墓参りに行ったし・・・)
(命日まではまだまだ日にちがあるわ・・・)
(やっぱり郁子ちゃんの話かしら・・・)
色々な思いが錯綜していった。
音無家への道を歩きながら、響子さんは昔を思い出していた。
「あれから・・・もう10年以上・・・か・・・」
思わず独り言を言っていた。
あの頃・・・最初の結婚で幸せいっぱいだったこと・・・だが半年足らずで・・・突然の夫の死で辛くて辛くてどうしようもなかったこと・・・
色んな喜怒哀楽の思い出が詰まっている坂道だった・・・
~音無家~
「響子さん、もうすぐ来ますよ。お父さん」
郁子ちゃんの母は、音無老人に伝えた。
「ああ・・・なぁ、あの話、進めていいんだろう?」
「ええ・・・それが、一番いい方法だと思いますわ」
一体全体、どんな話なのだろう。
#ピンポ~ン#
響子さんが到着した。
「おお・・・響子さん。久し振りじゃな」
「お義父様!寝てなくて大丈夫なんですか?」
そう言うと、響子さんは慌てて肩を貸した。
「響子ちゃん、お父さん、あなたが来たものだから頑張っちゃって・・・」
「そんなことないぞ・・・せっかく響子さんが来たのに、寝たままでは失礼だろう・・・」
「ほらほら・・・お父さん・・・」
「あの・・・お義父様。横になってください。私、全然気にしませんわ」
そう言って、音無老人の寝所で話を聞くことになった。
「どうぞ・・・」
郁子ちゃんの母がお茶を用意してくれた。
「春香ちゃんには、ジュースでいいかしら?」
「え、ええ。済みません、本当にお構いなく。ほら春香、ちゃんとね・・お礼を言いなさい」
「ありがと!」
「い~え~。響子ちゃん、いい子ね・・・春香ちゃん」
「ええ、優しい、素直な子になってくれればって思ってますわ」
「さて・・・響子さん」
音無老人が口を開いた。
「響子さん、あんたは、今は五代家の人間だ。けどね、私は、響子さんは音無家の人間ではないけれども縁が有る人間だと思ってる」
「お義父様・・・急にどうしたんです?もちろん私もそう思ってますわ。私には、家族が普通の人よりもいっぱいいるんです。とても、幸せに思ってます」
「うんうん・・・それを聞いて安心したよ・・・」
「ええ、お父さん。いいんですね、あの話」
「うん。・・・響子さん、突然かもしれないけど、一刻館とこの家、もらってくれないか?」
「えっ?・・・・・・・・・」
突然の話に、響子さんは呆気に取られている。
一刻館と、この家をもらってくれ・・・・寝耳に水である。
「どうしたんですか?お義父様。急にそんな・・・」
「私から説明するわね・・・いいでしょ?お父さん」
「うん・・・頼むよ」
郁子ちゃんの母は、音無老人に代わって話し始めた。
「響子ちゃん、ちゃんと聞いてね・・・実はね・・・お父さん、もう長くないのよ・・・」
「えっ・・・そんな・・・」
「・・・・・・・・・・」
音無老人は黙ったままである。
「今すぐって言う話じゃないのよ。それでね・・・色々考えたのよ、音無家のこと・・・主人がね、関西に転勤なのよ」
「私一人でこの家にいるより、主人と一緒に関西に行こうかなって。郁子も、もう社会人だし、アパートでの一人暮らしでやっていけるって言うし」
「そんな・・・だからって私がもらうわけには・・・」
「響子さん・・・五代君とも話し合ってみてはくれないか?一刻館のことは、今まで通り、響子さんに管理人を続けてもらいたいって思ってる」
「ただ、住み込みじゃなくって、ここに五代君と一緒に住んで、一刻館に通うって形にはなると思うが・・・どうだろう?響子さん。考えてみてはくれないか?」
「郁子ちゃんが、この家に残るっていうのは駄目なんですか?あたし、この音無の家に住むのが嫌とかじゃないんです」
「私よりも、郁子ちゃんっていう血縁の適任者がいると思うので・・・」
「そうか・・・・それじゃあ今度、郁子も交えて話をしてみよう。響子さん、その時はご主人の五代君も連れて来てはくれないだろうか?」
「響子ちゃん。私からもお願いするわ・・・」
「え・・・ええ・・・分かりました。主人にも話してみます」
そうして、今度の日曜日に、大会議を開くことが決まった。
(賢太郎君と郁子ちゃんのことも、一遍に話をする必要があるわね・・・)
響子さんはゆっくりと帰路に着いた・・・。
一刻館へ帰る途中、響子さんは時計坂商店街で夕飯の買い物をしていた。
「管理人さん!」
「あ、あら、一の瀬さん。一の瀬さんもお買い物ですか?」
「ああ、父ちゃんの明日の弁当のおかずをね。・・・どうしたんだい?管理人さん、浮かない顔をして」
流石に一の瀬さん。響子さんの、ちょっと変わった部分は見過ごさないようだ。
もう10年近くの付き合いだ。
ただでさえ顔に出やすい響子さんだから尚更ではあるが。
しかし、響子さんはいつもの台詞みたいな口癖を言う。
「え・・・い、いやですわ。一の瀬さん、何でもありませんよ」
「本当かい?私に隠そうったって、そうはいかないのくらい、分かってんだろ?」
「だろ?」 ・・・・・いつの間にか、背後に四谷さんが!
久し振りに登場して、その最初の言葉が「だろ?」・・・・
全くもって、得体の知れない人だ。
「管理人さ~~ん、何を、お隠しておいでやすの?」
四谷さんが詰め寄る。
「な・・・何でもありません!」
響子さんは必死に否定しようとしている。
「そんなに、隠すことなのかい・・・」
一の瀬さんは、いつもの勘で、何かあるに違いないと決め付けているようだ。
「管理人さ~ん?昨夜、賢太郎くんと、なにやら密談をされておりましたね?」
(ギクッ!!)
「ねぇねぇねぇ、賢太郎が何かあったのかい?」
心配一割、興味九割で一の瀬さんが追求する。
(ギクッ!ギクッ!!)
確かに、よく考えてみれば、“あの”四谷さんがあの話を見逃すわけが無い。
プロ顔負けの「覗き見・盗聴」の特技を持つ、“あの”四谷さんが。
(と言うことは・・・今日の昼間の郁子ちゃんの話も??)
「そう言えば・・・さっき、賢太郎くんと郁子ちゃんが一刻館から 出て行くところを見ましたね~」
「賢太郎と郁子ちゃんが、かい?」
一の瀬さんは、気になって気になって仕方の無い様子だ。
「何でもありません!んもう、四谷さんも勝手に色々言わないで下さい!」
「・・・・・・・・・・・」
響子さんの剣幕に、四谷さんもその場は引いた・・・が!
~その夜~
賢太郎君のプライベートルーム(=五号室)では、四谷さんと一の瀬さんが、壁穴越しにプチ宴会を開いていた。
「何だって!賢太郎が?」
「そうなんですよ、そのことを管理人さんと五代君に相談していたようです」
「馬鹿だねぇ、賢太郎のやつ!相談する相手が違うだろってんだよ」
「ええ。全くです」
「五代君なんかに相談するなんて」「五代君なんかに相談するなんて」
・・・二人同時に同じことを言っていた。
~一方の管理人室では~
「あなた、ちょっと大事な話があるの」と響子さんが神妙な面持ちで語り出す。
「ん?何だい?」
「今度の日曜なんだけど、一緒に音無の家に行ってもらえないかしら? とても、大事な話があって・・・」
「大事な話?何かあったの?」
「ええ・・。実はね・・・・」
響子さんは、今日聞かされた話を五代君にも伝えた。
「ええっ!ど、どうして。そういう訳にはいかないだろう。流石に。 郁子ちゃんのこともまだ完全には収まってないんだし」
「・・それに、音無家には、ここの一刻館のことだけで十分お世話になっているのに」
五代君は、そんなとんでもないという反応だ。
それもそうだろう。
響子さんが管理人を続けさせてもらえているおかげで、五代家の住まいは家賃が無料で確保されていた。
余り多くない・・・平均よりも少ない収入ではあるが、住まいの心配が全く無いからこそ、 家族3人、細々とではあるが何とか生活が出来ていた。
その後ろ盾になってくれたのが、音無老人なのだから。
ここまでお世話になりっぱなしで、未だに恩返しらしいことができないでいる。
それなのにその上、音無の家までも貰い受けるとなると、どんな事をして 恩返ししたら良いのか・・・想像できない。
「ただでさえ、音無家にはお世話になり続けているのに、これ以上は、申し訳が無いよ。響子・・・お前はどう思う?」
「え・・・」
「音無の家、どうしたらいいと思う?」
「私は・・・」
響子さんは、ずっと昔のことを思い出していた。
初めて結婚して、幸せの絶頂にいたころのことを。
音無の家には色々な思い出が詰まっている。
前夫の惣一郎との結婚、幸せな新婚生活。犬の「惣一郎さん」との出逢い。
ごく短い幸せの時間を奪った、夫の急死。その後の、抜け殻のような生活・・・一刻館の管理人就任後の、少しずつ変わっていく自分・・・
響子さんにとって、喜怒哀楽の全てが詰まっている家だった。
五代君と響子さんの深く長い相談が始まった。
・
・
「響子が・・・響子が、音無の家に住みたいというのなら、それでもいいよ」
「え・・・?」
「もともと、響子はあそこに住んでいたんだ。だいぶ時間は経ったけど、台所とかの使い勝手とか、やりやすいんじゃないか?」
五代君なりの精一杯の笑顔を浮かべた。
響子さんは、五代君の優しさを改めて感じた。
「あなた・・・違うのよ。私、あの家に住みたいって思ってるわけじゃないのよ。あなたの勘違い・・・」
「だって、私は五代響子ですもの。音無の家とは、親しい関係でいたいですけど、音無家のことは音無家の方たちが解決することよ」
「私には出来ないわ。決して、冷たく突き放しているわけではないんです。それに、一刻館だって、家主は音無のお義父さまです」
「私じゃないわ。私は、これまで通りが一番いいんです」
響子さんは、音無家で過ごした過去を、思い出として胸に刻みつつ、今は五代響子であることが一番の幸せだと、改めて思ったのだった。
そんな響子さんの言葉に、五代君は改めて心を打たれた。
目の前にいる女性、彼女は五代響子であって、音無響子ではない。
自分の、最愛の妻なのだと・・・
「けど、音無の家や、一刻館の家主は、どうなるんだろう。音無さん、あんまり長くないそうだから・・・」
五代君は、何ともやりきれない表情でいた。
五代君にとって、音無老人は学生・・・正確に言えば、浪人時代からお世話になり続けている。
その音無老人が後先短い・・・そして、音無の家と一刻館をもらってくれと言っている。
(もしも、例えば響子の再婚相手が三鷹さんだったら・・・やっぱり同じだったかな?)
(響子だけでなく、オレも少なからず関係あるのかな、こんな話を出されたっていうのは・・・)
この事は、運命なのだろうか・・・響子さんと五代君と音無家、そして一刻館・・・
「音無の家には、郁子ちゃんがいるから、それいいんじゃないかしら?」
考え事をしている五代君に向かって、響子さんが提案した。
「でも、まだ知らないんだろ?賢太郎と郁子ちゃんのこと」
「ええ、そうだと思うけど・・・ねぇ、その事も含めて、今度の日曜に話をしに行きましょう。・・ね・・・あ・な・た♪」
響子さんは、滅多に見せない子猫のように甘えるという感じで五代君にお願いした。
結婚して何年も経ったが、響子さんにこういうお願いの仕方をされると・・・何にも全く・・・全然断れない五代君であった。
「う・・・うん」
~時計坂商店街の、とある喫茶店~
賢太郎くんと郁子ちゃんは、一の瀬さんと、郁子ちゃんの親にどういう風に言おうか思案していた。
「ねぇ、賢ちゃん。おばさんは、反対するかな?」
「ええっ!それはないよ。反対するっていうよりも、面白がりそう・・・それよりも、郁子ちゃんの両親が何て言うかの方が心配だよ」
「うん・・・・やっぱり、怒るかな・・?」
「うん・・・多分ね。郁子ちゃんに怒るっていうよりも、オレに言うんじゃないか」
「賢ちゃん・・・頑張ってね!」
「え・・・ああ・・・うん」
「んもう!頼りないんだ~賢ちゃん」
ちょっと意地悪して、冷たくしてみた郁子ちゃんである。
「だって・・・俺、まだ学生だし、結婚してないのに、子供まで出来ちゃって・・娘を持つ普通の親だったら、怒るでしょ・・・やっぱり」
「そうよね・・・でも・・」
「でも?」
「私を、愛して続けてくれるって言ったわ。だから、私、賢ちゃんのこと、信じてるからっ!!」
「・・・う、うん!大丈夫、説得してみせるよ!!」
賢太郎君と郁子ちゃんの関係は、もう何ともなさそうだ。
郁子ちゃんは、賢太郎君の性格をしっかり理解しているようだ。
なかなか良い夫婦になりそうである。
しかし! 問題は『郁子ちゃんの両親』だ。
そんな二人は、音無老人が響子さんにあの頼みを言ったことを知らない。
そして、今度の日曜日に、大切な話をするということも。
「まずは、うちの父ちゃんと母ちゃんから、話をつけていこう!」
賢太郎君は、そう言うと、早速一刻館に電話をした。
こういうことは、早目早目に整理していきたい、そう考えたのだった。
以下、次回