響子さんは、身支度を整えると一刻館を出た。一体どこへ向かったのだろうか?
丁度その頃、、賢太郎君と郁子ちゃんは音無家へ着いたところだった。
「あら?郁子じゃない?学校はどうしたの?それに、そちらの方は?」
「お母さん。昨日と今日はね、お休みをもらったの。出張ってことになってるんだけど・・・」
「それから、こちらは一の瀬賢太郎君。一刻館の一の瀬さんのところの息子さんよ」
「そお・・・やっと郁子もボーイフレンドを連れてくるようになったのね・・・良かったわ」
「・・・・・・・」
郁子ちゃんはそれ以上何も言えなかった。
「あ、あの。一の瀬賢太郎です!朝早くから本当に済みません」
賢太郎君は動揺を隠しながら、何とか挨拶をした。
郁子ちゃんの母親は穏やかな人だと、響子さんから多少聞いていたにせよ、内心では流石にビクビクしていた。
「とにかく、上がってくださいな・・・」
「お邪魔します・・・」
賢太郎君は、音無家にとうとう足を踏み入れた。
自分の恋人で、結婚することになっている郁子ちゃんの自宅。
子供の頃から色々とお世話になった管理人さんが以前嫁いでいた音無家。
そして・・・将来親戚になるであろう音無家・・・そこにとうとう足を踏み入れたのだ。
「おや・・・君は確か・・・」
奥から音無老人が出てきた。賢太郎君とは、わずかだが面識があるのだった。
「お、お早うございます。朝早くから済みません・・・」
「いやいや、いいんだよ。響子さんと五代君、元気にしとるかね?」
「ええ、とっても元気にしてますよ」
賢太郎君は、もう何が何だか・・・上手くしゃべれていない。
しかし、賢太郎君はさっきの響子さんの言葉を思い出していた。
『でもね・・・賢太郎君が、本当に郁子ちゃんのことを真剣に考えていて、幸せにするんだ、幸せになるんだっていう気持ちをしっかり持っていれば・・』
『・・・きっとお義姉さま夫婦も分かってくださると思うのよ・・・』
賢太郎君の決心は固まった!勇気が湧いてきた。
「あっあの!」
一瞬の沈黙がその場を制した。
賢太郎君の鬼気迫る雰囲気に、郁子ちゃんも含めたその場の人々が呑まれていた。
「郁子ちゃんと・・・結婚させて下さい!!」
「え・・・・」「!?・・・・・」
郁子ちゃんの母親も、音無老人も絶句した。
「実は・・・・実は・・・郁子ちゃん、妊娠しているんです!僕との赤ちゃんを・・・お母様!おじい様!申し訳ありません!!・・・」
そう言って土下座し、深々と頭を下げた。
「賢ちゃん・・・」
郁子ちゃんは、ドキドキしながら賢太郎君の姿を見ていた。
「郁子・・・」
「はい・・・」
母親の言葉に素直に反応する郁子ちゃん。
「この人の・・・賢太郎君だったかしら。言っていることは本当なのね?」
「うん・・・赤ちゃん、出来ちゃったの」
「それで?」
「それでって・・・」
郁子ちゃんは、温厚に対応してくる母親の様子をみながら、話していた。
「賢太郎君の言うように、結婚するつもりでいるのね?」
「そうなのか?郁子」
音無老人も話に入って来た。
音無老人も、郁子ちゃんの母親同様に穏やかな口調だった。
「うん・・・私も賢ちゃんも、そうしたいって思ってる・・・あのね・・・響子おば様や、五代のお兄ちゃん・・・」
「・・・それに賢太郎君のお母様にも話してあるの・・・」
「そうか・・・」
音無老人はそう言うと、ふぅ~っと息を吐いた。
「なぁ・・・わしはもう口を出すような立場でもないし、何とも言えんが・・・わしは、若い者は若いもの同士で任せていいんじゃないかって思うよ」
「郁子も、こちらの賢太郎君も・・・真剣そのものじゃあないか・・・」
郁子ちゃんの母親は黙ったまま土下座している賢太郎君とうつむいている郁子ちゃんを見詰めていた。
「お母さん、私、本気で賢太郎君との結婚を考えているの。赤ちゃんが出来たらからとか・・・そういうんじゃないの」
「例え赤ちゃんが出来てなくたって、将来絶対に結婚したいって思ってたわ。子どもが出来たのはただのキッカケ・・・だから!」
それ以上先は言わせてもらえなかった。母親の平手打ちが一閃!
郁子ちゃんの頬に飛んで来たのだった。
「おかあ・・・・さん・・」
「お・・・おい」
音無老人も声を掛ける。
しかし、郁子ちゃんの母親は視線を郁子ちゃんから離さなかった。
「郁子・・・お母さんがどうして叩いたか、分かる?お母さん・・・悲しいわ」
母親同様、郁子ちゃんも涙目である。
賢太郎君は唖然とその場を見ているしかなかった。
「赤ちゃんが出来て・・・いきなり結婚するって・・・そういうことを言われて悲しいんじゃないの。お母さんはね・・・」
「どうしてそういうことを、真っ先にお母さんに相談してくれなかったのかって・・・それが、悲しいのよ」
そう言う母親の目には、大粒の涙が浮かんでいた。
そして、一粒落ちた・・・
「お母さん・・・そんなに信用できない?確かに言いにくいことかもしれないわ。けどね・・・響子ちゃんや五代さんに迷惑かけて・・・」
「いや・・・それは・・・わしが何かあったら相談してみろと言ったもんだから」
音無老人が口を挟むものの、母親の話は続いた。
「お父さんは黙っててください!」
「う・・うん・・・」
「郁子・・・お母さんはね・・・嬉しいのよ。郁子が自分の幸せを自分で見つけて、そして結婚まで・・・」
「どうして最初から言ってくれなかったの?言ってくれればお母さん、一生懸命応援したのに・・・」
「おかあ・・・・さん・・・・」
「郁子・・・」
「おかあさん!!」
郁子ちゃんは母親の胸に飛び込んだ・・・そう・・・まるで小学生の子供のように。
その様子を賢太郎君も、音無老人も目を潤ませて見ていた。
「賢太郎君、いいえ、一の瀬賢太郎さんでしたわね・・・」
「はい!」
「郁子のこと・・・宜しくお願いしますわ」
「は、はい!」
かくして、賢太郎君と郁子ちゃんの決心は、最高の結末を迎えたのでした。
・
・
・
さて・・・・響子さんは一人、ある場所へ向かっていた。
#ぶうう~~ん#
バスが停まった先は・・・妙法寺・・そう、音無惣一郎さんが眠るお寺である。
響子さんは、お墓参り用の花束と水を入れた桶を持って、音無家の墓へと向かった。
時期外れということもあり、響子さんの他には誰もいなかった。
響子さんはお墓の前でしゃがむと、惣一郎さんと「会話」を始めたのだった。
(惣一郎さん?私、お義父様からお願いされちゃったの・・・)
(音無の家と一刻館をもらってくれって・・・)
(お義姉様夫婦も、関西へ引っ越されるそうなのよ)
(そうそう・・・郁子ちゃんがとうとう結婚するかもしれないのよ)
(相手はね、あの賢太郎君なのよ。びっくりでしょ?)
(わたし・・・)
心で惣一郎さんに声を掛ける響子さん。
(わたし・・・どうしたらいい?あなたと過ごした音無の家を・・・)
(裕作さんという素敵な男性と可愛い娘の春香と一緒に幸せに暮らしているのに、もらっていいの?)
(わたし・・・どうしたらいいか。 分からない・・・)
しかし、響子さんの心の声に、惣一郎さんは何も答えてくれない。
五代君と再婚する前までは、響子さんには惣一郎さんの「声」が聞こえていた。
いや、正確には聞こえてくるように感じられていたのだった。
だがもう、響子さんに惣一郎さんの「声」は聞こえない。
その理由は、響子さんには分かっていた。
今の自分が・・・惣一郎さんではなく五代君との結婚生活を、心の底から幸せだと感じているから・・・
惣一郎さんはそんな響子さんを見て、””自分がいなくてももう大丈夫だ””、””そう思えた””、だから、惣一郎さんの「声」が聞こえなくなったのだと・・・。
(惣一郎さん・・・分かったわ。わたし・・・決めました)
(自分の意思で裕作さんとの結婚を決めたように・・・)
(今度のことも、自分の意思で、自分にとって一番いい結論を選びます)
(いきなり来てごめんなさい・・・もう、大丈夫です)
そう言うと、響子さんは帰り支度を始めた。
そしてその場を立ち去ろうとする響子さんに、妙法寺の住職と思われる人が声を掛けてきた。
「もし・・・?」
「あ、はい。何でしょう?」
「いや・・・あなたが来る前にもね・・・若い男性がそこに座って一生懸命語りかけようとしていたようじゃ・・・お知り合いかと思ってな・・・」
「えっ?それって、いつですか?」
「本当に少しだけ前でしたな~ひょっとしたら、近くにいるかもしれませんぞ。では・・・」
そう言うと、住職さんは去っていった。
響子さんは、小走りで辺りを探してみた。
すると、響子さんが入ってきた場所とは反対の出入り口の辺りで、いつもの見慣れた背中を見つけた。
「あなた~っ」
「ん?きょ、響子じゃないか。どうしたんだい?こんな所で」
「あなたこそ・・・」
少し息を切らせながら五代君の所まで来た。
「惣一郎さん・・・何か教えてくれたかい?」
「え?・・・あなたには何もかもお見通しね・・・ううん・・何も言ってくれなかったわ。けどね、私、分かったの」
「何も言ってくれなかったから、分かったの。私、決めたわ。一刻館のこと・・・音無の家のこと・・・」
「そうか・・・うん。響子に任せるよ。どんな結論だって、応援するから」
「ありがとう・・・」
そう言うと、響子さんは五代君と腕を組んでバス乗り場へと向かった。
「響子・・・今度の日曜に音無家へ行こう。オレもついて行くから・・・」
「ええ・・・さっきね・・・」
一の瀬さんと四谷さんに話したことを伝えた。
「そうか・・・そうだよな~よし・・・」
「え?」
「日曜日・・・一の瀬さんも四谷さんも連れて行こう!賢太郎と郁子ちゃんのこともあるし、一の瀬さんは連れて行った方が良いよ」
「けど、四谷さんは・・・・?」
響子さんも、正直、四谷さんを連れて行くことには抵抗があるようだ。
五代君も正直その気持ちだったが、隠しても多分ムダだし、それに隠すことでもないと思っていた。
「色々あるけど・・・一刻館のみんなは、家族のようなものだろ?だから、四谷さんも一緒に来て欲しいし、朱美さんにだって声を掛けてみないか?」
「・・・・ええ」
響子さんは、五代君の堂々とした言葉に心打たれた。
しばらくして、響子さんは五代君と別れて時計坂駅方面のバスに乗った。
その車中・・・
「みんな・・・家族・・・か・・・」
響子さんは思わず口ずさんでいた。
そして同時に、一の瀬さんや四谷さんや朱美さん、そして二階堂君の突拍子もない発言・行動を思い出しては、顔を緩めていた。
(みんな、私の大切な家族・・・)
(少し変わっているけど・・・とてもいい人ばかりで・・・)
響子さんは、一刻館の魅力を再確認したのでした。
以下、次回