セイウンスカイに関する強めの幻覚   作:秋乃落葉

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化け物みたいな劣等感。

 私は、他者が嫌いだ。

 

 他人が嫌いなのではなく、他者が嫌い。何が違うのか、と言われれば、そこには明確な違いがある。他人というのは、自分と関わりのない人、であると辞書に書いてある。一方で、他者というのは、自分ではない、他の人ということだ。

 

 私は、他者が嫌いだ。

 

 自分と関わりのない人が嫌い。私を知ろうとしてくれない。外面だけを見て評価を下してくる。私の内面も知らないくせに、何がわかるというのか。マイペース?ゆるふわ?ふざけるな。

 いや、かつては本当にそういう性格だった、のだと思う。子供のころの話だ。何も知らなかった子供のころの話。昔はただ純粋に走ることが楽しくて、友達と走っているだけで満たされたものだった。それが今ではなんだ。勝たなくては何の意味もない。勝つことだけに囚われて走っている。そんな自分が嫌で、覆い隠すようにマイペースを装ってしまう。それがまた自分自身をいらだたせる。

 

 私は、他者が嫌いだ。

 

 家族が嫌い。父は、私が物心ついた時にはいなかった。どこにいるのか、生きているのかもわからない。母には、別に恨みがあるわけじゃないけれど、母子家庭で忙しくしていた母と出かけた記憶などはあまりない。今も微笑ましい家族を街中で見かけると、無意識に目をそらしてしまう。

 

 私は、他者が嫌いだ。

 

 友人たちが嫌い。トレセン学園に入る前は、周りの誰よりも速く走れた。努力なんてしなくても、自分が一番強かった。だけど、トレセン学園には自分より速くて強い子たちがたくさんいて、私よりもはるかに努力をしている子ばかりで。走ることで初めて、劣等感を抱いた。見よう見まねで始めた努力も、結局才能ある子には勝てなくて、劣等感、嫉妬、目のくらむような眩しさ。そんなものを感じてしまう。

 

 関わりのない人が嫌い。家族が嫌い。友人が嫌い。

 

 いや、違う。本当は、関わりのない人が嫌いなんじゃない。家族が嫌いなんじゃない。友人が嫌いなんじゃない。

 

 ただ、知ってほしくて。愛してほしくて。認めてほしくて。

 

 本当に、嫌いなのは。

 

 

 

 私は、私が嫌いだ。

 

 

 

 

 

「セイウンスカイさん、残ってもらってごめんなさいね」

「いえいえ~。で、私につくトレーナーの件ですか~?」

 

 私がトレセン学園に入学してしばらくたった。季節はもう夏に差し掛かろうというのに、私はまだ担当してもらうトレーナーが決まっていなかった。同期の優秀な子たちは選抜レースで結果を残して、とっくにスカウトされているというのに、対して私は目立った結果を出すこともできず、箸にも棒にも掛からないといった感じだった。この時期にもなると、担当が決まらないウマ娘のほうが少なくなってきていて、少しでも早く決めるために、所属するクラスの担任の先生を通して担当が決まっていないトレーナーを探してもらっていた。だからこうして、授業の後に残らされているわけだが。

 

「ええ・・・。落ち込まないで聞いてほしいんだけど、この前話したトレーナーの方ね、別のウマ娘の担当が決まったらしくて、セイウンスカイさんの担当ができなくなったらしいの」

「・・・そうですか~。仕方ないですね~」

「あまり気を落とさないでね。たまたまタイミングが悪かっただけだから、違うトレーナーさんを探してみるから──」

 

 タイミングが悪かった?違う、天秤にかけられて捨てられたんだ。私よりいい子がいたから、そちらをとっただけ。そんなことはごまかされなくてもわかってる。でもそれは仕方ないことだ。トレーナーだって優秀なウマ娘の担当をしたいに決まってるから。

 

「お手数おかけしますが、お願いします~」

「セイウンスカイさんも、またすぐに選抜レースあるから、頑張って頂戴ね。じゃあ、今日は帰っていいわよ」

 

 失礼します、と言って席を立ち、教室を後にする。廊下の窓から眺められるトレーニング場からは、トレーニングをするウマ娘たちの声がわいわいと聞こえてくる。覗いてみると、やはり彼女たちのほとんどはすでにトレーナーの決まっている子たちばかり。仕上がりが早い子はもうデビューを迎えるのだから当然か。

 しばらく眺めていると、廊下の先から会話しながら近づいてくるウマ娘がいるのに気が付き、強張っていた顔を緩めて、歩き出す。通り過ぎざま、前から歩いてきた二人組の話していることが聞きたくもないのに聞こえてきて。

 

「そういえばデビュー戦ってもう決まった?私来週なんだよねー」

「マジ?私まだ来月~」

 

 談笑しながら通り過ぎて行った二人に、思わず奥歯をかみしめてしまう。私はいつになったらデビューできるんだろう。焦燥感が苛立ちを呼び、言いようのない不快感が体を駆け巡る。

 どうしようもない胸のもやつきを払うように、小走りで廊下を進み、階段を駆け下りていく。と、そこで会いたくない相手に出会ってしまう。

 

「オウ!セイちゃんじゃないデスか!」

「あ、エルだ~。こんなとこで会うなんて奇遇だね~」

 

 エルコンドルパサー。才能に溢れ、世界を志すと公言するアメリカ生まれのウマ娘。私とは違って、すぐにトレーナーも決まり、その能力は疑いようもなくトップクラス。選抜レースではその第一回で他のウマ娘を置き去りにして一着を勝ち取った。なぜ私なんかに話しかけてくれるのかわからないくらい、完璧な彼女は、人懐っこく付き合ってくれる。

 

「セイちゃんは前言ってたトレーナーさんの話だったんデスか!?いよいよ決まったんデスか!?」

「いや~たまたま先に担当が決まっちゃったらしくてさ~。違うトレーナーを探しなおしだよ~」

「なんと、それはバッドラック!でも気を落とすことはありまセーン!セイちゃんらしくマイペースでいけば、ノ・アイ・プロブレマ!会長もこう言ってマス! "take it easy"!」

「あはは~ありがと~。次の選抜レースで選んでもらえるよう頑張るね」

 

 エルはまた人懐っこい笑顔で、頑張ってくだサイ、と言って入れ替わりに上の階に駆けあがっていく。周りまでも明るくさせるような、彼女の明るさは、今の私には眩しすぎる。気楽にいこう、だなんて言うのは余裕があるからこそ言えることだと思う。性格の悪い考えだとはわかっているけど、実際問題マイペースではいられない。なんとしてでも、次の選抜レースで勝つ。勝って、選ばれなくては、私に先なんてないのだから。

 

 

 

 

 

 選抜レースに向けたトレーニングのためにトレーニング場へ向かうと、当然ながらトレーナーを伴ったウマ娘たちがトレーニングに明け暮れていた。それらを気にかけないようにふるまってトレーニングを始める。

 しばらくトレーニングを続けていると、まだ同期の一人に見つかってしまう。

 

「・・・あら?スカイさん?」

「げ。キングじゃん」

「げって何なの!?声をかけただけでしょ!?」

 

 キングヘイロー。何といっても彼女の母親はかつて世界最高峰のレースも制した、世界的名ウマ娘。その時点で話題性に溢れた彼女だが、その能力も間違いなく受け継いでいる。エルとはまた違う方向性な部分もあるが、彼女も同期の中でトップクラスの実力と注目を集める存在。

 

「まったく、珍しく自発的にトレーニングをしてると思って声をかけたら・・・」

「心外だな~。次の選抜レースはちょっといい結果にしようとおもってるんだよ~?」

「あら・・・。ということは、前に仰ってたトレーナーを紹介してもらう件は・・・」

「あ・・・。うん、先に担当が決まっちゃったらしくて~」

 

 やめて。そんな申し訳なさそうな顔をしないで。こっちが惨めになってしまうから。貴女の憧れる、王のように尊大な態度でいて。

 

「いや~、私はキングみたいに注目されてないからさ~。選抜レースで結果残さないといけないんだけどなかなか気分が乗らないんだよね~」

 

 思いがけず口にしてしまった嫌味のような言葉にハッとした。キングは困ったような顔のまま、次の言葉を探しているような感じでこちらを見ている。その視線に耐えられなくて、思わず顔を背けてしまう。

 

「ごめんなさい。スカイさんも努力してるのに、小言ばかり言ってはダメね。きっと次の選抜レースでトレーナーが見つかるわ」

 

 謝らないでよ。言い返して、憎まれ口を叩いて。私の努力が足りないのは事実なんだから。

 

「そうだわ。スカイさん、一緒にトレーニングしないかしら?二人でトレーニングしたほうが身が入ると思うわ!」

「・・・いや、遠慮しとくよ。キングのトレーナーが決めた予定を狂わせちゃ悪いからさ~」

「ええ?そんなこと気にしな──」

 

 彼女の言葉を聞き終わる前に、走り出してトレーニングに戻る。キングが善意で誘ってくれていることはわかっている。でも、だからこそ誘いには乗れない。彼女を邪魔したくないのも本音だし、何より一緒に走ることで力量差を見せつけられるのが怖い。結局は全部私のエゴだ。

 

 ああ、嫌だ。みんな嫌になる。同期の子たちは、皆私を置いて強くなっていく。私は一人で、ずっと足踏みをしたまま。このまま日の光を浴びることもなく、終わっていくなんて嫌だ。誰かの後ろを走るだけの人生なんて嫌だ。弱い私が嫌だ。

 

 嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

 

 夢中で走って、呼吸が苦しくなり始めても走って、頭がくらくらとし始めても走って、走り続ける。今は何も考えたくないから。ただ頭を空っぽにして走り続ける。走り続ける。走り続ける。

 

「──と。ち──と!──ちょっと!スカイさん!」

「──へ?キング?」

 

 そうして走り続けて、いつの間にかキングが自分と並走していることに気づく。なんで彼女が横を走っているのだろう。そんなことを考えてると、不意に頭がふわり、として足元がもつれ、前につんのめるように倒れそうになってしまう。

 

「わ、ぁっ──!」

「スカイさん!」

 

 すんでのところでキングに手をつかんでもらい、何とか地面には突っ込まずに体制を保ちながら減速。しかし止まったところでキングが手を離すと、またくらりと頭が揺れて、芝に尻もちをついてしまった。すぐにキングが隣に膝をついて、後頭部を支えてくれる。

 

「スカイさん!どうしたのよ!?貴女、飛ばしすぎよ!」

「へぇ~・・・?ちょっと五分くらい走ってただけだよ~・・・?」

「何おかしなこと言ってるの!貴女一時間近く走りっぱなしよ!?ほら、息が落ち着いたらお水を飲みなさいな!」

 

 私を左手で支えたまま、持ってきていたペットボトルの蓋を器用に片手で開けたキングは、私の口にゆっくりと水を流し込んでくれる。こくりこくり、と水を飲みこむと、火照った体に水が染み渡っていくのを感じる。脱水状態だったかぁ、と他人事のように思った。

 

「もう大丈夫だよ、ありがとね~・・・」

「ダメよ!もうちょっとこのままでいなさい!」

 

 無理に起き上がろうとする私を抑えるキング。なんだか母親みたいに世話焼きだな、と思う。

 

「もう・・・!急に根を詰めて、本当にどうしたのよ・・・!貴女らしくもないわ!」

 

 貴女らしくない、か。私らしさってなんだろう。仮面をかぶるように装い続けているマイペースさ?呑気さ?それとも内面で渦巻く嫉妬心や劣等感、羨望をないまぜにした醜悪な本性?

 

「・・・いや、本当にもういいよ。ありがとう、キング」

「だから・・・!」

 

 また抑えようとする手を半ば叩くように払い、強引に体を起こして立ち上がる。そのまま背を向けて走り出そうとするが、後ろから左肩をつかまれる。

 

「待ちなさい!何を焦っているの!?今は休まないと──」

「焦ってなんてない。ただ、本気になっただけ」

 

 キングの手を振り払って、再び走り出す。振り替えることなんてできなかった。きっと、見せられないような顔をしていただろうから。

 

「スカイさん!待ちなさい!待って・・・!貴女が、心配なのよ・・・」

 

 私は、聞こえないふりをした。

 

 

 

 

 

 トレーニングを続けて、いつの間にか日は沈みかけていた。もうトレーニングしているウマ娘もほとんどいなくなった。私もそろそろ引き上げるか、と寮に戻ろうとすると、未だに残っているウマ娘が一人。また同期だ。

 

「グラスちゃん・・・」

「あら~?セイちゃん、まだ残ってたんですね」

「それはお互い様でしょ~?」

 

 グラスワンダー。エルと同じくアメリカ生まれのウマ娘だが、むしろ大和撫子を感じさせるような性格をしたウマ娘。エルと並んで同期の中では最強格の実力者と目され、その上で日々のトレーニングにも余念がない、ライバルにしたなら一番手強い手合い。もちろん、自分がライバルを名乗れるような存在だとは思わないけれど。

 

「セイちゃんがこんな時間までトレーニングしてるなんて、珍しいじゃないですか?」

「いや~まあちょっとね~。気が向いたってとこかな」

 

 一念発起して努力を始めたとしても、こういう努力の天才には敵わないんだろうな、と思ってしまう。それに才能まで乗っかってしまえば、だれにも止められない。

 

「それにしてもグラスちゃんは凄いですな~。元々強いのにいっつもこんなに遅くまでトレーニングだもんね~。もう誰にも負けないんじゃないの~?」

「そんなことはありません。どれだけ努力をしていても、自分で完璧だと思う仕上がりになったとしても、展開の綾で負けてしまうことは絶対にあります」

「・・・でもそれってさ~。むなしいと思わない?どれだけ努力しても、報われるとは限らないんだよ?」

「それは思いません」

 

 きっぱりと言い切られ、次の言葉に少し困ってしまう。彼女の強い意志を内包した目が、こちらをじっと見据えている。

 

「・・・なぜ?」

「全身全霊を尽くして、それでも届かなければ、納得できるからです」

「納得・・・」

「そう、納得です。例えば練習でやり残したことがあれば、負けた時には『あれをしていれば』と思うでしょう。レースで全力が出せなかったなら、『全力さえ出せていれば』と思うでしょう。しかし、自分ができることを全て尽くした時には、負けたとしても納得することができる。後悔に囚われず、次に進むことができます。『納得はすべてに優先する』のです」

 

 受け売りですが、と言ってグラスは笑う。彼女の言っていることは立派なことだと思う。でも私にはまねできないだろう。全てを出し尽くしたその先で、自分の限界を思い知らされるのが怖いから。いつまでも目を背け続けるのだろう。

 

「・・・そっか~。参考にしてみるよ~」

「是非。自分に納得するというのは存外難しいものですから」

 

 それは、痛いほどにわかってるよ。自分を認められたことなんてない。いつも何かが足りない。

 

「じゃあ、私は先に戻るね~」

「ええ、お疲れ様です、セイちゃん」

 

 自分自身と向き合うグラスが眩しすぎて、向き合えない自分が情けなくて。ただただ、うつむくことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 数日間練習を重ね、いよいよ迎えた選抜レース。仕上がりはこれまでの中でも最高。相手もここまで残っているウマ娘たちで、言い方は悪いが、その程度の相手。私自身だって同類だと言われれば何も返す言葉がないが、十分に勝機がある。一着をとって、強くアピールする絶好の機会。その、はずだったのに。

 

「うわぁ~緊張するなぁ~!選抜レース、色んな人が見に来るんだね!」

「そりゃそうでしょ~。トレーナーに走りを見てもらって、スカウトしてもらうためのレースなんだからさ~」

「そ、そうだよね・・・。でも、初めての選抜レースがセイちゃんと一緒でよかった!頑張ろうね!」

「私はスペちゃんみたいな強い相手がいるのは嫌なんだけどな~。ま、お手柔らかにね~」

 

 スペシャルウィーク。この時期に突如としてトレセン学園に入学してきたウマ娘。その半生は劇的で、産まれてすぐに産みの親を亡くし、代わりの育ての親と二人で北海道でトレーニングをしていたらしい。念願かなって、少し遅れてではあるがトレセン学園に入学した後は、あっという間にその頭角を現し、周囲の注目を集める存在となった。

 そんな彼女がこのタイミングで選抜レースに出てくるなんて。あまりにもタイミングが悪すぎる。私は、今回に全てを懸けているというのに。

 

「ま、私は今日もマイペースに行かせてもらおうかな~?」

 

 絶対に勝つ。

 

「私も負けないよ!いい結果を残して、デビューするんだもん!けっぱるべ~!」

 

 貴女はいつだってスカウトされる存在だろうに。お願いだから、今日だけは譲って。ここで勝てなかったら、私にはもう後がないんだから。勝つ。勝つしかないんだ。

 

「・・・じゃあ、いこうか」

 

 静かに闘気を滾らせ、ターフへ向かう。今日は、今日だけは。絶対に勝つんだ。

 

 

 

 

 

 ゲートを前にして、深呼吸。体の隅々まで意識をいきわたらせる。調子はいい。トレーニングで倒れかけて以降、体調にも気を配って進めてきた。気持ちを落ち着けて、ゆっくりとゲートに入る。今回の枠番は最内枠、一番。いい引きだ。スタートを決めて、迷わず逃げる。これで行くしかない。

 気になるスぺちゃんは、真ん中のほう。これがどう影響するかわからないが、やることは変わらない。

 

 ゲートに全員が収まり、少しの間をおいてスタート。飛び出すと同時にスロットルを上げ、ハナを切っていく。横目で周りの状況を見ていくと、スぺちゃんは少し出遅れ、そのほかは皆まずまずのスタートを切った感じ。このまま一人先頭に躍り出て、大きくリードを作りに行く。つられて後ろもペースを上げてくるが、構わない。ハイペース上等。後ろに他のウマ娘を引き連れて最初のコーナーへ入っていく。

 

 ちらりと後ろを振り返り、様子をうかがう。スタート直後にかなりのハイペースで飛ばした私のペースに合わせてついてきているのを確認すると、ゆっくりと、気づかれない程度にペースを落としていく。コーナーを回りながら何度か後ろを見る。距離は縮まっていない。スローペースに落ちていることに気が付いていないのだ。いける、と内心で思いながら、最終直線に向けて足を貯めておく。

 

 第四コーナーを回りきって、先頭で直線に入っていく。トレセン学園の練習コースの直線はそれほど長くない。後ろからくるウマ娘たちがスパートをかけてきたところで、こちらも貯めていた二の足を使って加速を上げる。二番手とは三バ身ほどのリードをとったまま縮まらない。残り二百を切る。いける。いける!

 

 そこで、後方から猛然と駆けあがってくる足音が聞こえてくる。振り向くまでもない。中段に控えていたスぺちゃんが上がってきている音に違いない。着実に、着実に近づいてくる。

 

「セイちゃん・・・!私、負けませんっ!」

「っ!」

 

 残り百を過ぎたところで、いよいよとらえにかかられる。うそでしょ、作戦は完全にはまったのに、と思った時にはもう遅く、体を合わされ、競り合う間もなく抜き去られる。残った力を振り絞って、抜き返そうとするが、差は開いていくだけで。体勢は変わらず、そのままにゴール板を通過。しばらく慣性が働くままによたよたと歩いて、膝から崩れ落ちる。

 

「っ!がっ、ごほッ!」

 

 息が詰まり、思いっきりせき込む。そんな、負けた?これまでで一番うまくいったレースメイクだったのに。一番いい手ごたえだったのに。負けた?負けたのか、私は。

 肺の痛みをこらえて顔を上げると、レースを見ていた多数の観客から声をかけられているスぺちゃんが目に入る。ああ、負けたんだ、私は。力を使い果たした体を何とか起こして、ふらふらと、歩き出す。

 

 

 

「──セイちゃ~ん!セイちゃんにも話を聞きたいってトレーナーさんたちが・・・ってあれ?セイちゃん・・・?どこ・・・?」

 

 

 

 

 

 少し歩いて、トレーニング用具をしまってある倉庫が見える。丁度いい。中に入って、扉を閉める。今は皆コースの近くにいるはずだから、周りに他の人はいないはずだ。

 右手でバンッと壁を殴りつけ、倉庫の真ん中でへたり込む。

 

「~~~っぁぁあああああああぁぁぁぁ!!ぅぁああああああぁぁ!!」

 

 目の前が滲んで、ボロボロと大粒の涙が溢れ出す。勝てなかった。悔しい。情けない。いろいろな思いが胸の底からせり上がり、涙になって溢れていく。ああ、みっともないぁ。本当に、みっともない。

 

「うぅっ、ひぐっ、ぅぁああぁぁ!ああぁぁっ、ごほっ」

 

 絶対に、今日だけは勝つと誓って挑んだのに、負けて、ただただ泣き崩れて。どうしようもないなぁ、私ってやつは。

 感情が溢れるままに涙を流していると、背後で扉ががちゃり、と開く。びくっとして恐る恐る振り向くと、見たことのない若い男性のトレーナーが心配そうにこちらを見ている。

 

「あ・・・、ごめん。その、大きい音が聞こえたから。大、丈夫?」

「ぁ、あぅ・・・」

 

 何か言葉を返そうとするが、うまく言葉が出ない。

 

「・・・君のレースを見てて、話したいと思って追いかけてきたんだ。落ち着くまで、外にいたほうがいいかな」

 

 ふるふる、と頭を振る。感情がぐらついて、みっともない姿を見られたくないと思いつつ、誰かにそばにいてほしくて、引き留めてしまう。彼は私の近くで壁に背を預けて座り、こちらが落ち着くまで待っていてくれた。

 しばらく泣き続けて、ようやく落ち着いてきた時に、彼はペットボトルの水を差し出してくれた。受け取って、体から出ていった水分を取り戻すように、一気に飲み干す。

 

「落ち着いた?」

「・・・うん」

「そっか」

 

 感情が落ち着くと、今度は強烈な羞恥心が襲い掛かってくる。いつも他者の前では飄々とした態度でいることを心掛けていたのに、初めてあった人の前で号泣するなんて。恥ずかしい。恥ずかしすぎる。

 

「・・・で、誰なの?これまでの選抜レースで見たことないけど」

「僕は保田 典弘。新人トレーナーってやつだね。君は?」

「・・・セイウンスカイ」

「セイウンスカイか。いい名前だね」

 

それから彼は、いろいろと話をしてくれた。以前は違う仕事をしていたけれど、トレーナーだった父に憧れて、自身もトレーナーになったこと。トレーナーとしてトレセン学園に入ってきた時期が遅くて、今回が初めて見た選抜レースだったこと。担当ウマ娘を探していること。

 

「・・・そっか~。じゃあ丁度よかったじゃん。スペちゃんを誘ったらいいよ」

「スペちゃん?あの一着の子かな。スペシャルウィーク、だっけ」

「そう。あの子、入学したきたのが最近でさ~。今回初めての選抜レースだったのに、早速一着だよ。凄いよね」

 

ドラマチックな背景、才能、努力。物語の主人公のような存在の彼女は、未だ担当が決まっていないトレーナーたちに引っ張りだことなっているだろう。早く声をかけにいった方がいい、と彼に伝えると。

 

「え?いや、僕はいいよ」

「なんで?スペちゃんまだ決めてないと思うし、なんなら紹介してあげるよ~?」

「いや、僕は君の担当をさせてほしくて来たんだから」

「・・・え?私?」

 

胸が高鳴る。あれほど決まらなくて、探し求めていた担当トレーナー。それを引き受けたいといってくれる人が目の前にいるということに、様々な思いが駆け巡る。

 

「君の走り、見てたけど凄かった。ペースをコントロールして逃げてたのは本当に上手だと思ったし、タイムもかなり良かったし」

「・・・でも、負けちゃったからさ。やっぱりスペちゃんの方が凄いって。あっち誘った方がいいよ~?」

 

反論が口をつく。褒められて嬉しい、けど。認められて嬉しい、けど。私は、負けたんだから。

 

「今回は負けたかもしれないけど、次は君が勝つかも知れないだろ?そう思わされる走りだと、僕は思ったけど」

「・・・いや、でも・・・」

「君なら出来るよ。僕が支えて見せる」

 

 彼のまっすぐな視線に、少し戸惑って、あたふたとしてしまう。ああ、何を迷っているのだろう。こんなにまっすぐに私を見てくれるというのに。

 

「・・・私、素直じゃないし。多分すごく面倒なウマ娘なんだと思う。それでも、いいの?」

「かまわない。君が走る助けになれるなら」

 

 彼の期待に応えられるか自信がない。輝かしい同期たちのように、強くなれないかもしれない。それでも。

 

「・・・わかった。私の、トレーナーになってください。お願いします」

「ああ、ありがとう!絶対に君の期待に応えて見せる!」

 

 期待に応えるのはこちらの方だ。私を選んでくれた彼の思いに応えたい。君を後悔させたくない。君に失望してほしくない。君と一緒に、勝ちたい。ああ、そうか。私って、負けず嫌いだったんだ。

 

「これからよろしくね~、トレーナー」

「こちらこそ、よろしく。セイウンスカイ」

「スカイでいいよ~。それか、セイちゃん、かな?みんなにはそう呼ばれてるから」

「じゃあ、スカイ。二人で頑張っていこう」

 

 私に同期たちのような才能はないけれど、君と一緒に努力して、勝ってみせるよ。負けたくないと思ってしまったから。弱い自分を慰めるようにふるまって、本当の自分を隠していたけれど、私は負けたくないんだ。たとえ最強のライバルたちを相手に回しても。

 誰よりも速く、誰よりも強いウマ娘になる。それこそが、それだけが、君の思いに応える方法だと思うから。それだけが、私が私を好きになれる方法だと思うから。




アニメだと前半までのスぺちゃんの中ボスみたいな扱いのセイちゃんですが、菊花賞はとんでもなく強かったと思うんですよね。

古馬でGIを一勝でもできてればもうちょっと違ったのかもしれませんが。悲しいですね。
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