弥生賞から数日。また一週間が始まり、授業も始まっている。が、どうにも教師の言葉が耳に入ってこない。頭の中は来月の皐月賞のことがぐるぐると巡り、どう戦おうかということばかりが思い浮かんでくる。弥生賞の敗戦は、相当に悔しいものがあった。レース全体はややスローに流れ、中盤から私一人の単騎逃げの形にはまり、かなり有利な状態に落とし込んでの最終直線。そこからのよーいどんの勝負で、ゴール前でとらえられるという屈辱的な展開だ。何しろ、絶対的なスピードの違いを見せつけられたのだから。
半面、収穫もあった。中山の短い直線だからと言って、スぺちゃんの足を余させるのは難しいということが分かったこともその一つ。弥生賞では内に入り、先行のウマ娘のブロックを抜けるのに手間取ったキングとは違い、スぺちゃんは距離のロスを被ってでも外を回ってきた。ウマ混みを回避したという意味もあるが、それだけ直線での加速で前に届く自信があったということだ。
そうしたヒントを脳裏から集めながら、ぐるぐると思考を回していく。
「スカイ、お待たせ。これ、頼まれてたDVDね」
「ん、ありがと、トレーナーさん」
視線は向けずに受け取った何枚かのDVDをそのまま適当に机に置き、ついでに近くにあったリモコンを取って、テレビの映像を巻き戻す。
「今見てるのは、この前の弥生賞か」
今日のトレーニングは、このトレーニング場の片隅に設置された、いわゆる部室の一室を借りて行っている。何をしているかと言えば、レースの分析だ。まずは、弥生賞のテレビ中継を録画しておいたものから、何度も何度も繰り返し流している。
「で、何か得るものはあったかな?」
トレーナーさんは部室の壁に重ねて立てかけてあったパイプ椅子を一脚とってきて、私の隣に座った。
「そうだね・・・。何度見ても悪いレースじゃなかったと思う。前半の1000m通過タイムが61秒2、立派なスローペース。実際最後は大半の子が足を余して前に届かなかった。・・・スぺちゃん以外は」
「そうだね、スぺちゃんの最後の600mのタイムは他の子に比べて群を抜いているね。勿論差は半バ身だったし、苦しくなかったといえば噓になるだろうけど」
弥生賞でのスぺちゃんと私の差は、半バ身。この差を覆すためには、どうしたらいい?もっとラストスパートの仕掛けを早めるか?いや、それでは最後の坂でこちらの足が止まるだろう。
「ただ、弥生賞と皐月賞が同じレースの同じ距離だからと言って、レース展開の傾向まで同じじゃないってところは注意しないといけないね」
「どういうこと?」
トレーナーさんの言葉に、映像から顔をそらしてそちらを見る。トレーナーさんはDVDと一緒に持ってきていたのであろう資料を机の上に広げた。何の資料かと、そのうちの一枚を手に取り、目を通してみると、レースの着順表に、ラップタイムなどのデータが載っている。
「これ・・・過去の皐月賞のデータ?」
「うん。スカイはこういうの好きかと思って、用意しておいたんだよ」
「さっすがトレーナーさん!よくわかってますねぇ~」
何枚かまとめて手に取り、それぞれを見比べる。着順表には様々なデータが記載されているが、中でもラップタイムとペースに着目して次々とみていく。
「ん・・・なんか、ペースが比較的、なだらかに流れてる感じだね。上りが遅い・・・いや、平均ペースが速いのか」
過去のレースの通過ラップからわかるのは、スタート直後から、各ウマ娘がポジションを取っていく400mを過ぎ、レースが中盤に差し掛かっていく600m以降からのラップタイムが大きく上下していないということ。それはどういう意味か。
前走の弥生賞は前半のタイムが遅く、最終直線に入る残り400mから一気にラップタイムが速くなっている。これは、私がスローペースに落として走ったこともあるが、スぺちゃんとキングが差しのため、最後のスパートに足を残すために抑えて走っていた。それを警戒した各ウマ娘が同調するように走り、結果としてゆったりと力を残して回ってきたところで、最終直線の決め手勝負になったという形だ。
一方で、皐月賞のペースが示すのは、前半から速い速度で流れていき、中盤になってもペースが落ちず、よどみない流れで進む。そして直線でも、弥生賞で見えたような、よーいどんでの末脚勝負ではなく、手前のコーナーから積極的に仕掛けていくロングスパートでの勝負になるのだ。必然、一瞬の切れる足が使えるウマ娘ではなく、トップスピードを長時間維持できるようなウマ娘が有利になってくるのが皐月賞の特徴と言える。
「弥生賞はスカイの単騎逃げだったし、レース全体として楽な展開だった。だけど、皐月賞は一転して過酷な消耗戦になる。展開としては、前哨戦とはまるで違うレースになるはずだよ」
「消耗戦か・・・。まさにその通りだね。スタート直後の一度目の坂越え、ペースの落ちない中盤、ロングスパートからの、最後に待ち受ける二度目の坂越え。これはきついったらないですね~?」
「確かにハードな展開だ。でも、だからこそここを勝ったウマ娘は、最も速いウマ娘と言われるんだよ」
なるほど、レースの特色を分析してみれば、その意味の捉え方は大きく変わってくる。最も速いウマ娘が勝つと言われる皐月賞。これまではダービーや菊花賞と比べて距離が短いために、持久力よりも最後に切れる末脚があるウマ娘に分があるのだと思っていた。
実際は、厳しい条件に耐えながら、高いスピードを維持する持久力が必須のレース。つまり、レース全体を通して速いスピードで走り続けられるウマ娘こそが、皐月賞でいう『最も速いウマ娘』なのだ。
「これまでとは違って、速いペースを引っ張る逃げになるってわけだね・・・」
「苦しい走りになるだろうけど、君には高い持久力がある。断言してもいい、皐月賞に一番適性があるのは、スカイだよ」
「私は楽に走りたいけどね~。ま、我がままも言ってられないってとこですか」
実際、勝ちを得るには過酷な消耗戦に自ら飛び込んでいくしかないのだろう。弥生賞と同じように進めば、同じように差し切られる。勝つためには、これまでのようなペースを落として余力を残す走りではなく、最後までスピードを維持しながら淡々と逃げ続ける、持久力が試される走りをするしかない。
「皐月賞は誰もが目標にしてくるクラシックの第一弾だからね。楽な展開は望めないよ」
「それはごもっともで。・・・トレーナーさんができるっていうなら、私も全力でやってみるけどさ」
そう受け答えつつ、手元のリモコンを操作して今再生しているDVDを取り出す。入れ替わりにトレーナーさんが持ってきてくれた何枚かのうちの一つを挿入し、再生する。
『──中山の桜並木は葉桜に変わりました。難波の空に高らかにマーチが鳴り響いてから一週間。舞台は中山、第57回皐月賞──』
再生されるのは、過去の皐月賞の映像だ。アナウンサーの口上から始まり、スターティングゲートの後ろでレース前、最後のアップをするウマ娘たちが写される。当然他に何枚かあるDVDも、全て皐月賞を収めたものである。過去に行われた皐月賞を可能な限り研究し、少しでも本番につながる何かが見つかれば、という魂胆だ。
『──一番人気に支持されましたメジロブライト。この子を中心にレースが展開していくことになるでしょう──』
「あ、この人って・・・」
カメラがズームで映し出したこの時の一番人気のウマ娘には、見覚えがあった。
「マックイーンやライアンと同じ、名門メジロ家の出身の子だね。ここ何戦か負けなし、今年の春天の優勝候補の呼び声も高い。かなり実力のあるステイヤーだ」
記憶をたどれば、メジロブライトというウマ娘は実際に目にしたことがあることに気が付く。私が二勝目を上げたジュニアC、あの日の中山メインレースがGⅡ、アメリカジョッキーCだった。その時の勝ちウマ娘が、他でもない、メジロブライトだったのだ。
「そっか、あの人の皐月賞なんだ・・・」
『──やはり、大外一気に伸びてくる形になるのでしょうかメジロブライト。さあ、間もなく皐月賞のファンファーレ!』
ファンファーレと共にカメラが引き、大観衆で埋め尽くされたスタンド席が写された。弥生賞の時も凄い人だったが、来月の皐月賞では、私がこの大観衆の前に立つと思うとわずかに緊張してくる。やがて大歓声とともにファンファーレの演奏が終わると、各ウマ娘がゲートインしていく。
『さて、解説の吉々田さん、ペースですが』
『ええ、レースを引っ張っていくと思われるのは、逃げ宣言をしているサニーブライアン、それから──』
「うわぁ、逃げ宣言だって。私にはそんなことできそうにないな~」
まあ、実際のところは宣言などしていなくても、逃げで行くことになるだろう。だが、わざわざ大々的に言うことはない。過度に注目を集めれば、異常にマークが厳しくなり、結果自分が辛いレースになるかもしれないし、そのリスクを考えれば、私を見ろと言わんばかりの宣言はしない方がいいと思う。
「それだけ自信があるってことだろうね。後ろをついてくる十七人、全員を潰すペースで逃げるつもりなんだろう」
「へぇ・・・。でもそんなに人気が高い人じゃないけど・・・」
本当にそんな走りをするならば、ぜひ参考にさせていただきたいものだけど。そんな気持ちでレースが始まるのを待つ。すぐにゲートインは完了し、後はゲートが開くのを待つだけだ。
『──さあ、第57回皐月賞、体勢完了!──』
『ゲートが開いて、スタートが切られました!メジロブライトが、ちょっと後ろからという展開になりそうです!下がったのか、それとも下げたのか!』
ゲートが開き、一瞬タイミングが外れて、のそっと、といった感じでスタートを切る。またやっちったな、と思う傍らで、右を見れば一番人気のお嬢様も出遅れているのが見える。おや、と思いつつも、あちらは追い込みの脚質だ。逃げのこちらとはスタートの価値が違う。
「よっしゃぁ!逃げ宣言通りいくぞ、全員ついてこいッ!」
大外十八番という枠を引いた今回だが、あたしに限っては、この枠は思惑通りだった。自分で言うのもなんだが、あたしはスタートがよくない。逃げウマ娘なのにだ。もちろん練習はしているが、どうにもうまくなる兆しがない。だからこそ、出遅れても包まれることのない、気楽にゲートを出られる大外を引くことをとにかく希望していた。
『先行争い、何が行きますかっと、外からやっぱりサニーブライアンが行った!サニーブライアン逃げ宣言!サニーブライアンが果敢に先頭に立っていきました!』
大観衆から、おおっと声が上がる。ああそうだ、そうじゃなくっちゃな。一気に加速して先頭に躍り出たあたしに、誰もが釘付けだろう。それでいい。誰にも見向きもされないじゃ困るんだ。なんたって、このクラシックの大舞台で、全員まとめて潰して駆け抜けるつもりなんだから。十一番人気だ、低人気だなんて知ったこっちゃない。あたしについてこい。
『──メジロブライトは最後方から!メジロブライトは最後方からレースを進めています!さあ、第一コーナーを回っていきますが、この辺りで──が先頭に立ちました!サニーブライアンは控えて二番手!』
早速一人目が釣れたか。あたしの逃げにつられてスイッチが入ったのだろう子が、あたしを交わして先頭を突っ走っていく。だが、明らかにその走りは過度にペースを速めている。かかっている走りだ。自ら調子を崩した走りが長くは続くはずがない。今は彼女に華を持たせて、こちらは楽に追走させてもらう。
『第二コーナーを回って向こう正面に入っていきます!かかり気味か先頭の──。差がなく追走のサニーブライアン。その後ろに──』
向こう正面の直線に入り、前半の1000mが過ぎようとするころ。ようやく冷静に戻り始めたか、先頭を逃げ続けていた子がペースを落とし始める。引っ張ってもらったことに感謝しながら、下がってくるその子を交わして再び先頭を奪って進む。間もなく1000のハロンボードを越える。
このタイミングで後ろを確認する。後ろに続く集団は、あまり差がなく、距離を詰めて一団で追ってきているような形。最後方から追走していたメジロブライトは、内々をついてやや位置を上げてきているのが見える。
『──今1200mを通過、1分13秒の平均ペース!先頭からしんがりまでは12、3バ身という展開でありますが、先頭はまたサニーブライアンに代わっています!その後ろに十三番の──』
よどみない流れでレースは進んでいる。第三コーナーに駆け込むころにもう一度後方を確認。大きく形を崩さずに、一個のバ群でやってくる集団は、前を引っ張るあたしを意識しつつも、まとめて後方に位置取った上位人気のウマ娘のけん制に気力をさき、額に汗をにじませている。
『第三コーナーから第四コーナーに差し掛かって、各ウマ娘が仕掛けに動いていきます!外からは──と──、そしてメジロブライトも外目をついた!──も来ている!』
第四コーナー、残り400のボードを越えて、一気に後ろが襲い掛かってくる。コーナーで弾みをつけて、直線を向いたころには全力で抜きにかかってくるつもりだ。だが、そうはさせるか。こっちも淡々と刻んでいたペースを一気に速め、二番手に三バ身ほど差を作って直線になだれ込んでいく。
『第四コーナーをカーブして、サニーブライアンが先頭だ!まだ三バ身のリードがある!二番手には──が来ている!さあ──はまだか!?外からはメジロブライト!』
直線に入って50、100。後方の方でバ群を抜けるのに手間取って体力を消耗した人気の差しウマたちは一向に伸びてくる気配がない。人気を背負って飛んでくるメジロブライトも既に苦しさに顔をゆがめながら、何とか上がってきている。そのまま最後の坂を駆けあがる。あたしだって楽じゃない。最後の最後にやってくる急坂に、足が鈍ってくる。だがまだ止まらない。止まるわけにはいかない。
『残り100を切った!間をついて──!──も来ている!』
「・・・はは」
坂を登りきって、自然と笑みがこぼれた。懸命に追ってくる後ろは距離を詰めてくるが、もう届かない。
『──先頭はなんと!サニーブライアン逃げ切った~!!』
「──はははははっ!どうだッ!人気なんて関係あるか!私が『最も速いウマ娘』だッ!」
おそらく大方の観客の予想を裏切っただろう決着に、中山レース場が地鳴りのような歓声に包まれる。その声にガッツポーズで答えると、また一段と大きな歓声が上がった。
『──第57回皐月賞は大波乱!勝ちタイムは2分2秒0、上り三ハロンは36秒5!なんと勝ったのはサニーブライアン、大穴ウマ娘!』
メジロのウマ娘は今後も新規で出しやすいと思いますが、メジロブライトは来るんですかね。ラモーヌのほうが先に来るとは思いますが。
冠名付の名馬だとメイショウサムソンとかも来てほしいですね。