「うわ・・・ほんとに逃げ切っちゃったよ」
第57回皐月賞の映像を見て、思わずつぶやく。事前に逃げ宣言をしていたというように、スタートからハナを切って逃げていった、あのサニーブライアンという名のウマ娘。その勝ち方は、十一番人気という低評価にも関わらず、非常に強い勝ち方だった。
レースの結果としては、何とか四着に滑り込んだメジロブライトを除いて、掲示板を低人気のウマ娘が占めたような状況で、有力どころが共倒れした故のフロックとも見える。しかし見るものが見ればその強さは明らかだ。最終直線を向いてからの伸びは、実力に裏付けされた持久力を持ち合わせていることの現れ。彼女の実力を鑑みれば、決してフロックの勝利とは言えない。
「逃げ宣言も自信からってことだね」
「すごいよね。スカイもやってみる?」
「まっさか~。セイちゃんはもっとしたたかに逃げるのですよ~」
私としては、この皐月賞で逃げ宣言をするのはもったいないとも、思う。サニーブライアンがどのような意図で言ったのかは知る由もないが、レース前の発言は他のウマ娘との駆け引きの一部に他ならない。ここで敢えて注目を集めていく必要はないし、凄まじい末脚で鮮烈な印象を残したスぺちゃんに警戒が集まった方が、こちらとしてはありがたい。
「・・・まあ、そんな大口叩いたところで、皐月賞は半分運次第ってとこは変わらないけどね。できれば内枠に入りたい」
「そればっかりは祈るしかないね。抽選次第だ」
枠番決定後の出走表の公開は、レース前日だ。それまではひたすら練習しながら待つしかない。私は映像を巻き戻し、繰り返しレースを見ながら研究を進めることとした。
あれよあれよという間に月日は流れて、四月中旬。既に先週末にティアラ路線の第一戦目、桜花賞が行われ、いよいよクラシック級の本番がやってきたという空気がトレセン学園にも漂う。当事者ともなれば、なおさらだ。すなわち私なのだが。
「スカイ、出バ表は見た?」
トレーニング前にトレーナーさんに会って開口一番、問われる。
「ううん、まだ見てないんだよね~」
今日は皐月賞前日。午前中には公開されるはずなので、一人で確認してもよかったのだが、何となく緊張して、トレーナーさんが来てから一緒に見ようと思っていた。
「そっか。じゃあ、これ」
「ん。・・・って、タブレット?」
トレーナーさんから手渡されたのは、タブレット端末だった。これまで使っているのを見たことがないので、思わず疑問に思う。ぱっと見た感じ、新品のようだが。
「ああ、買ったんだ。スカイが情報まとめたり調べたりするのに便利かなって思って」
「へぇ~・・・。そうなんだ」
「うん。だからスカイに渡しとくよ」
「は~い、了解です。・・・って、渡しとくよって?トレーナーさんが使うんじゃないの?」
「いや?スカイに使ってもらおうと思って」
どうやら彼は本当に最初から私に渡すつもりで持ってきたようで、しばらく持ってて、と言っている。
「いやいや!流石に悪いって!トレーナーさん使うべきだよ!」
「僕に返してもらっても寝かせとくだけだからさ。有効活用だと思って使ってよ」
「え~・・・。じゃあ、まあ使わせていただきますけど・・・」
トレーナーさんから受け取ったタブレットを改めてみると、やはり皐月賞の出バ表が表示されていた。さっとその全体に目を通す。
「・・・なるほど。運はこっちに向いたね」
表示されていた枠番は、私が二枠三番。キングが六枠十二番、スぺちゃんは八枠十八番の大外。これはかなり理想的な枠になった。何より、内枠に入ることができたことは大きい。
今回の条件で行けば、前につけるレースをする内枠のウマ娘が有利になるはずだ。なぜなら、皐月賞開催にあたって、グリーンベルトが出来ているようなバ場になっているから。どういうことかと言えば、レース場は何週間にもわたってレースを行うため、期間を追うごとに内側のバ場がどんどん荒れていく。そうなれば、内側は走りづらくなるため、外枠のウマ娘ほど有利になってしまう。その偏りを防ぐために、コース上に仮柵を立て、内側数メートル分を使わないようにすることで、芝が育つのを待つ。芝が育ち、バ場が回復してから仮柵を取り除くことで、内側のバ場と外側のバ場に差が出ないようにするのだ。
が、いつも完全に同条件になるわけではない。気候条件などで保護されていた内側の芝の成長が早かったり、外側の荒れ具合が酷かったりすると、仮柵があった内枠側だけがバ場条件がいい、走りやすい状態になることがある。この内側だけバ場が綺麗に揃った状態をグリーンベルトという。
「弥生賞より出走ウマ娘も多いからね。抜け出すにも手間がかかるし、安定を取って外を回してもロスが出る。対して君の逃げは内枠の利を最大限に活かせる。絶好の条件だ」
トレーナーさんの言う通り、枠番、バ場共にこれ以上は望めないような好条件。あとはレース展開だが、そこは運否天賦ではない、私自身の頑張りだ。
「そうだね、トレーナーさん。皐月賞、取りに行こうか」
中山レース場。ここで走るのは、もう四度目になる。勝手知ったる中山とはいえ、今日の雰囲気はこれまでと全く違うものだ。GI、クラシック一冠目の皐月賞。その開催日の中山は、弥生賞と比較してさえ足るものではなく、GIというレース、その一戦が如何に注目を集めるのかを改めて思い知らされる。
「凄い熱気だね。これだけの人が、たった二分間のレースを見るために来てると思うと、なんだか不思議な感じ」
「そのたった二分間に、あらゆる感動が詰まってるのがレースだからね。しかも今日の主役は君たちだ」
まさかその熱狂の二分間を彩る、たった十八の枠の一つに自分が入れるとは、少なくともトレーナーさんと出会うまでの私には想像もできなかった。それどころか、その勝利につながる道筋も見えている。絶対に、彼にGIトレーナーの肩書を渡してあげたい。思いを託してくれた、トレーナーさんに報いたい。
「ま、見といてくださいな。トレーナーさんにタイトル、とってきますので」
「うん。『最も速いウマ娘』になってきて」
『クラシック三冠路線、その一冠目を狙う優駿たちが中山に集結しました。一番人気に支持されたのはスペシャルウィーク。彼女を中心として、今年は三強対決と目されております!』
場内に響く実況を聞きながら、地下バ道を通ってコース上へ向かう。そのさなか、共に向かう十七人のウマ娘の中から、スぺちゃんの姿を見つけた。この皐月賞に向けて一段とトレーニングを積んできたであろうその体は、一回り大きくなったようにも錯覚させる雰囲気をまとっている。
「スペシャルウィークさんが気になるのかしら?」
「そりゃ今回の一番人気だからね、気になるでしょ。キングもそうでしょ?」
後ろから話しかけるキングに振り向く。前走弥生賞で一番人気を背負った彼女も、今回は私と同じくスぺちゃんを追う側に回った。人気は譲っても、当然勝利は譲るつもりはない。キングもスぺちゃんに照準をつけてきていることだろう。
「私は貴女の方が気になるわよ」
「私?なんでさ」
「いざレースになると、したたかなんだもの。貴女、本当に怖いわ」
キングは冗談とも本気ともつかない雰囲気で言った。賢い彼女のことだから、レース前の条件からは私に有利に条件が揃ってきていることには目をつけているだろう。キングに警戒されるのは、非常に厄介だ。だが、だからと言ってどうということはない。今回は、正面からねじ伏せると決めたのだ。スぺちゃんも、キングも。
「・・・ま、私もいろいろと考えてきてるからね」
再びバ場に向かって歩き出す。顔だけ背後のキングに向けて。
「最速、取らせてもらうよ」
「・・・以前の迷いはどこへやらって感じね。そういうところよ、貴女の怖いところ」
『初夏の汗ばむような陽気となりました、今日の中山レース場。午前中まで稍重だったバ場も、良バ場の発表に変わりました。解説にはウマ娘エイトの吉々田さんを迎えております。吉々田さん、レース展開はどう見られますか?』
『はい、良バ場に変わったと言っても、かなり稍重に近いバ場にはなってますからね。外を回ってくる追い込みウマ娘には厳しい展開になるのではないでしょうか』
『なるほど。この条件が各ウマ娘にどう影響してくるのか、皐月賞のファンファーレです!』
ファンファーレの演奏と共に、ぎっしりと人で埋め尽くされた観客席からは万雷の拍手と大声援が飛んでくる。覚悟はしてきたつもりだが、その雰囲気に気圧され、ゲートインに向かおうとする足が自然と止まってしまう。キングに大口を叩いておいて情けない限りだが、どうしてもゲートにプレッシャーを感じる。
『さあ、ゲートインが進みますが、どうしたのでしょう。セイウンスカイがゲートインを嫌っていますね』
やっとの思いでゲートに入る直前まで向かうが、無意識に後退りしてしまう。ここに入れば、レースが始まってしまう。泣いても笑っても、生涯一度きりのレースが。
「セイウンスカイさん、ゲートインをお願いします」
係員さんに声をかけられ、背中を押される。一瞬体がこわばり、抵抗しようとしてしまうが、覚悟を決め、ゲートに収まりに行く。大丈夫だ。覚悟も決めてきたし、トレーナーさんに勝つと約束したのだから。
『セイウンスカイ、係員に押されましてゲートに入りました。その他のウマ娘は順調にゲートインが進みまして、最後にスペシャルウィーク、ゲートインです』
全員ゲートに収まる。わずかな時間に最後の深呼吸をし、目を閉じて気合を入れる。よし、行こう。ぱっと目を開き、見据えるは2000m先。
『距離2000m、伝統のクラシック最初の一冠!その冠を頭上に戴くのはスペシャルウィークか、セイウンスカイかキングヘイローか!はたまた三強に待ったをかけるウマ娘か!皐月賞、今スタートです!』
ゲートが開き、各ウマ娘がざっと飛び出す。私は五分のスタートと言った感じか。全体的にもやや揃ったスタートと言った感じで、ここから激しいポジション争いに移行していく。前には勢いよく飛び出した子がぐいぐいと飛ばしていき、先頭を取ろうとしている。見たような展開だな、と思う。重賞やGIともなると、こういった手合いが出てきやすい。正攻法では厳しいので、果敢に逃げての前残りを狙う手合いだ。確かに、今回においてはバ場もいい、経済コースを通って逃げるのは有効だろうが、楽には逃げさせない。すかさず二番手に上がって、ぴったりと前をマークする。今回の私のポジションはここに決めた。
『各ウマ娘最初のポジション争いですが、内から飛ばして二番の──が逃げていきました。つられてセイウンスカイも上がっていきます二番手。その後ろでは少しバ群がごちゃついていますが、キングヘイローが三番手から四番手につけました。キングヘイロー、今日は前目からのレースです!』
最初のコーナーを前にして、後ろを伺えば、キングが内側に切り込んできての先行追走。思い切って戦法を変えてきたものだ。恐らく弥生賞でのウマ混みを抜けるのに手間取った反省と、先行有利のバ場から判断しての位置取り。流石の判断力だ。
『──先頭が第一コーナーを曲がり始めて位置取りが固まってきました。スペシャルウィークは後方三番手ほどを追走です!前走で見せた豪脚を信じて今日も控えるレースとなりました!先頭は依然飛ばしていきます──が第一コーナーを曲がり切って第二コーナーに向かおうというところ!』
バ群を避けて後方に位置するスぺちゃんの姿を何とか見つける。かなり後方から、自慢の末脚で上がってくる前回同様の展開を思い描いているのだろう。実際力強い彼女の脚なら、直線での決め手勝負となれば外側のバ場の重さも苦にせず上がってくるだろう。だから、道中で脚を使ってもらうよ。
『──第二コーナーを回って向こう正面に入ります。セイウンスカイ、少し前に行こうという雰囲気を見せています。キングヘイローも今日はセイウンスカイを徹底マークして追走。中段のバ群は若干前に詰まってきました。後ろ離れて──と──。さらにその後ろ、スペシャルウィークはじっと我慢して後方待機、最後方に──』
大勢に大きな動きがみられないまま、向こう正面の中盤を過ぎていく。間もなくレースの半分、1000mのハロンボードを通過するころだ。体感が間違いなければ、ペースとしてはミドル。
『──今、1000mを通過!1000mは60秒4、よどみない流れで前半が流れています!これは後方追走のウマ娘の脚が残るかどうか!スペシャルウィークはどうするか!』
第三コーナーに先頭が差し掛かる。スぺちゃんはどうか、また後ろを伺えば、ここで外に持ち出し、じわりじわりとポジションを上げていくような構えだ。まあ、そうなるだろうね。上がってこなければ届かない。でも、今回は、私も届かせるつもりはないんだ。
『──第三コーナー曲がってスペシャルウィークが上がってくる!今外から中段を追い越して前にとりついていこうというところ!先頭引っ張った二番の──は既に手ごたえが怪しいか!外のセイウンスカイが並びかける!並びかけて今先頭を奪いました!その後ろにはぴったりとキングヘイローがついて上がっていきます!残り400を越えていよいよ最終直線!』
「さあ、ここからっ!」
ぐっと芝を踏みしめて、弾みをつけながら最終直線に向く。瞬間的に二バ身ほどのリードを取って直線に駆け込む。残りは310m。
『大外ついてスペシャルウィークが上がってくる!先頭は三番のセイウンスカイ!キングヘイロー追い上げる!スペシャルウィークも差を詰める!』
「私も、負けられないのよっ!」
「届かせて、見せますっ!」
ぐんぐんと後ろから近づいてくるのは二人。キングとスぺちゃんだ。ここまで私をマークしてついてきたキングと、末脚を爆発させて飛んできたスぺちゃんが、体を並べて上がってくる。残りは200。運命の急坂。
『セイウンスカイが逃げる!セイウンスカイが逃げる!坂を駆けのぼってキングヘイローが追い上げる!スペシャルウィークはここで脚が鈍ったか!?』
「っ~~!追いつけない・・・!」
急坂でスぺちゃんの脚が鈍る。ここまで上がってくるのに、あれだけ脚を使わせたのだ。当然余力なんてないだろう。いける。勝てる!
「私はっ!まだあきらめてない!」
「キング・・・っ!」
最後の相手は、スぺちゃんじゃない。キングだ。彼女だってもう脚は残していないだろうに、根性で急坂を越えて追い上げてくる。残りはわずかに数十m。その勢いは衰えない。やっぱりキングは凄いな、と思う。有名なウマ娘の子供に生まれて、才能もあって、絶対に負けられない意地があるんだ。でも。
「私だって!勝ちたいんだっ!」
「届けっ・・・!」
キングの体が横に並んできて、ゴール板は、もうすぐそこ。
『──スペシャルウィークは届かない!セイウンスカイが逃げる!キングヘイロー猛追!しかし!しかし!セイウンスカイが逃げ切ったッ!セイウンスカイが逃げ切って一着ですッ!』
わずかに、わずかに凌いで一着でゴールに飛び込む。思わず、左手を観客席に向けて振り上げてガッツポーズ。大歓声が、私に降り注いだ。
少々期間をとってしまいましたが、またしっかり更新していきます。
恥ずかしながら、最近になってJRAのクレジットカードで名馬のデザインのカードが選べるのを知りました。早速ディープインパクトのデザインで申請しました。