「放送席、放送席。第64回日本ダービーの勝利ウマ娘となりました、サニーブライアンさんのインタビューです」
レースを走り切り、引き上げていくと、すぐにマスコミ連中が寄ってくる。最初に来たのが、有名なウマ娘番組の中継だった。
「サニーブライアンさん、ダービー制覇、おめでとうございます」
「あ、はい。ありがとーございます」
どうもこの取材されるというのは苦手だ。ただ走ることだけに向き合っていればいい、純粋なレースの世界とは違って、いろいろと求められてることがわかっちまう。あたしは、そういうのに向いた、きらきらしたウマ娘じゃあないから。
「ダービーウマ娘の感慨は、いかがですか?」
「ああ・・・いいですね、やっぱり」
「予定通りの逃げだったと思いますが、今日のレースを振り返って、手ごたえはどうでしたか」
「手ごたえは十分です。・・・あとは自分を信じて、いくだけですから」
レースの時の言動に比べて、淡泊な受け答えだな、と思われてるんだろうな。レポーターも若干テンポが悪そうに質問をしてくるが、あくまでこちらは淡々とコメントをする。アッパーなテンションなのは、あくまでターフの上とウイニングライブでだけだ。
「──正直、皐月賞を勝った割には、評価が今一つだったかなというのがありますが、サニーブライアンさん的には、どんな風に感じてましたか?」
「評価なんてどうでもいいです。・・・一番人気はいらないから、一着だけほしい。そう思っていました」
そう、あたしが欲しいのは一着だ。当然、秋の京都でも。暮れの中山でも。
「──当然、三つ目のタイトルも見えていると思います。淀の3000mでも、逃げますか?」
逃げますか、だと?愚問だ。そりゃ当然。
「逃げます」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
動画を見終わり、思わず感嘆の声をもらした。スズカさんが憧れるのもうなずける、ハイレベルな走りだ。日本ダービーは『最も運のいいウマ娘』が勝つといわれるレース。その一方で、東京2400mというコースは、確かな実力を問われる紛れの少ない条件だ。長い直線、最後に待ち受ける坂、何よりダービーという場の空気に吞まれない精神力。そんな資質が必要と言える。
サニーブライアンは、その重圧のかかるレースを終始先頭で引っ張り、最後の直線で後方を寄せ付けずに勝ち切っている。迷いも紛れもない走りだ。いざ一月後、私がダービーの舞台に立った時、そんな走りができるだろうか?・・・いや、できるかじゃない。やらなければならないのだ。
しばらく他の動画などを見ていたが、お手洗いに行こうとタブレットを置き、部屋を出る。薄暗い寮の廊下を歩いていき、トイレで用を済ませて帰る道すがら、とある部屋の中からくぐもった話し声が聞こえる。初めは夜更かしか、私と同じように目が覚めてしまった子たちがお話ししているのかと思ったが、少し聞き耳を立てると、どうやら片方の子がぐすぐすと泣いている。ぎょっとして思わず壁に張り付き、悪いと思いつつ、扉に耳をつけ、ウマ娘の鋭敏な聴力をフル活用して声を聴く。
「うっ・・・ぐすっ・・・うぁぁ・・・トレーナーぁ・・・どこぉ・・・?」
「ウララさん、落ち着いて・・・。貴女のトレーナーはずっとそばにいるわ」
「違う、違うよぅ・・・。ほんとのトレーナーは・・・?どこなの・・・?」
「っ・・・!・・・何言ってるの、ずっと最初から、あの方だったでしょ・・・。ほら、落ち着くように暖かいものでも持ってきてあげる。ちょっと待ってらっしゃいな」
パタパタとスリッパの音を立てて歩く音が聞こえ、こちらに歩いてくるのがわかる。まずい、と思い、身をよじって立ち去ろうとするが、慌てるあまりに体勢を崩し、尻もちをつく形で転んでしまう。部屋から出てきた彼女は、こちらを見つけると、一瞬驚いた顔をして、その後、何とも言えない表情をする。
「スカイさん?・・・何をしているの、こんなところで」
「あ・・・キング。ちょっと、お手洗いに・・・」
へへ、と頬を搔き、目をそらしながら答えると、キングは閉じた部屋の扉をちらりと一瞥し、小さくため息をついた。
「・・・何か暖かい飲み物を買ってくるから、それから話しましょう。待っていてくださるわね?」
「・・・うん」
廊下を急ぎ足で駆けていくキングを見送り、私は廊下の壁に背中をつけて、体育座りで膝を抱えて待つ。すぐに彼女は戻ってきて、部屋の中に戻っていくと、ものの五分ほどで再び出てくる。
「ウララは?」
「寝かしつけてきたわ。さて・・・貴女、部屋は一人だったわね?とりあえずスカイさんの部屋に行きましょう」
「・・・わかった」
二人で私の部屋に向かい、私はベットに、キングは私の勉強机の椅子に腰かけ、向き直る。しばらく重たい空気が横たわっていたが、やがてキングが口を開いた。
「・・・ウララさんと話していたこと、聞いていたのかしら?」
「ごめん・・・。盗み聞きするつもりじゃなかったんだけど・・・」
「いえ、私も責めたい訳じゃないのよ。ただ・・・」
そこまで言って、キングは次の言葉を言い淀んだ。
「やっぱり、ウララのトレーナーは代わってるんだね?」
「知っていたの?」
「知ってたってわけじゃないけど、おかしいとは思ってたよ。あんなに綺麗な人、一度見たら忘れるはずないもん」
「まあ、そうでしょうね。私も驚いたもの」
ウララのトレーナーとして紹介された女性は、今でもはっきりとその姿が思い浮かべられる。絶世の美女と形容して差し支えないその人をあの時初めて目にしたというのも、最近になって代わったというのならば納得はできる。
「・・・様子を見るに、円満に交代したってわけじゃなさそうだね」
「・・・他言無用よ」
キングは、ウララのトレーナーが交代するに至った経緯を、彼女が分かる範囲で教えてくれた。曰く、彼女についた初めのトレーナーは、ある時を境に、急に姿を消したらしい。その日から二日経ち、三日経ち・・・、流石に何かおかしいということで、キングがウララと共に学園側に問い合わせたところ、失踪が発覚したということだ。
「何それ、トレーナーが担当を捨てて逃げ出したってこと?そんなの、酷すぎるじゃん」
「意図はわからないわよ。当の本人がいないんだもの。でも、ウララさんはそう思ったでしょうね。勝てないからトレーナーがいなくなったって。・・・相当なショックだったんでしょうね。日中は記憶に蓋がされてるみたいに、前のトレーナーのことが思い出せないみたい。たまに、こうして夜中に目を覚ましては、その時だけ思い出してるみたいで、泣いてるのよ」
「・・・全然気が付かなかった。走ってるのが楽しくて、勝ち負けなんて気にしてない子だって思ってたよ」
実際ウララとトレセン学園を回った時も、そんなことがあった素振りは一つも見せなかった。能天気で、明るくて、太陽のように眩しい子だと思っていた。
「それは間違ってないと思うわよ。そんなことがあっても、走ることは嫌いにならなかったみたいだもの。だからテンポイントさんもウララさんのトレーナーを引き受けてくれた訳だし」
「そうなんだ。・・・って、テンポイント!?TTGの、テンポイント!?」
「・・・知らなかったの?私、貴女のトレーナーのお母様がトウショウボーイだから、てっきり・・・」
キングはあからさまに口を滑らせた、と苦々しい顔をしていた。しかし、あの人がテンポイントか。もちろん噂には聞いている。『流星の貴公子』という異名が示す通り、トレードマークの流星と、ウマ娘の中でも突出して美しいと言われた容姿。黄金にも見える栗毛。言われてみれば、その特徴と完全に合致している人だった。最も、だいぶ昔に一線を退いた人物で、顔までは知らなかったのだから気づきようがない。
「当然誰にも言わないよ。・・・というか、多分誰も信じないでしょ、ウララのトレーナーがテンポイントだなんて」
「そうね・・・。私も目を疑ったもの」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
とある街角のバー。アメリカ禁酒法時代の隠れ家的な意匠をこらされたその店は、既に夜も遅いことも相まって、ほとんど貸し切り状態だった。そのカウンターでストレートのバーボンをちびちびと飲みながら、人を待つウマ娘が一人。やがてまた一人のウマ娘が来店し、その隣に座る。
「ご注文は?」
「ジントニック。タンカレーでね」
バーテンダーはかしこまりました、と言ってカクテルを作り始めた。注文を済ませた彼女は、待たせていたウマ娘に、懐かしさを孕んだ声で話しかける。
「待たせて悪かったわね、こっちから呼んだのに」
「いや、構わない。君と違って、独り身だ。時間の自由は利く」
「あら。といっても、最近は忙しくしてるんでしょ?トレーナーになったんですってね。貴女が競争の世界に戻ってくれて嬉しいわ、テンポイント」
テンポイントは一口バーボンを飲み、グラスを置く。薄明りに照らされて黄金に輝く液体は、しかし彼女の髪の美しさには敵わない。
「・・・やよいに声をかけられて、トレセン学園を見に行ったのよね?もしかして息子に会ったりした?」
「いや。残念だが、まだ顔を合わせてはいない。だが、その担当ウマ娘には、あったよ。賢そうな子だ。皐月賞を取ったのも、納得だ。流石君の子供の担当、というべきかな、ボーイ?」
今では呼ばれることも少なくなった愛称を聞いて、トウショウボーイは笑う。
「まだまだ若造よ。旦那にもいろいろ聞いて必死で勉強してるとこ。もちろん私もアドバイスはしてるけどね」
「・・・お待たせしました。ジントニックです」
「ありがと。・・・で、なんでトレーナーになったのよ。流石の私も驚いたわよ?長いことレースの世界から離れていた貴女が戻ってきたこと自体も、ね」
「・・・なんてことは、ない。走らせてやりたい、存在にあってしまったから」
僕がトレセン学園に足を運んだのは、やよいに声をかけられたということがあるにせよ、ほんの気まぐれだった。あるいは、うわさに聞いていた、トレーナーになったというボーイの息子を一目でも見られるかもしれない、という打算があったのかもしれない。とにかく、初めに頼まれたような、トレセンの職員としてもう一度レースに関わってみないか、という誘いに乗るつもりは、この時点ではまるでなかった。
トレセンを自由に回りながら、グラウンドを駆ける若駒たちを眺める。私にも、あのように駆けまわれる時代があったな、と懐かしく思う。そのことを苦々しく思っているわけではない。もう何年も前のことだし、後悔がないと言えば噓になるが、共に走ることができてよかったと思える相手にも恵まれた。それなりに、自分の競争人生には満足していたのだ。そんなことを考えていた時だった。その子に声をかけられたのは。
「あの・・・。人違いだったら、申し訳ございません。貴女は、テンポイントさんではありませんか?」
「・・・!?」
まさか、生徒から声をかけられるとは思っていなかったのだ。現役を退いてから何年もたっているし、引退してからもメディアの前に姿を現すようなウマ娘とは違って、僕は一切そういったものに関係を持たなかった。
「・・・人違いだったかしら。申し訳ございません」
「待て。・・・確かに、僕はテンポイント、だ。君のような、若い子に名を呼ばれると思っていなかったので、ね」
「やはり・・・!私は、キングヘイローと申します」
少女の名には、聞き覚えがあった。というよりも、その親の名前に、だろうか。彼女の親は知らぬ人の方が少ないと言っても過言ではない、世界的な名ウマ娘。その娘ということで、どこかで耳にはしていたはずだ。
「初対面で、不躾であることは承知でお願いいたします。貴女に会ってほしいウマ娘がいます」
「・・・おいおい、どういうことだ?急に、そんなこと・・・」
「お願いします。私には、どうにもできないのです。誰に頼っていいかも、わからないのです」
キングヘイローは、あまりにも深刻そうな顔をしていた。その雰囲気に、断るという選択肢は思いつかず、気が付けば頷いていた。
そのまま、彼女に連れられて、あるウマ娘に会った。そのウマ娘の名前は、ハルウララというらしい。事情は道すがら、ある程度は聞いた。酷い話だ。ハルウララは、グラウンドの片隅に立つ木の下で、膝を抱えて座っていた。ここ数日、ずっとそうしているという。
「ウララさん、大丈夫?」
「あ・・・キングちゃん。えへへ、いっぱい走りたいんだけどね、トレーナーがまだ来ないんだ。・・・あれ、でも、私にトレーナーって、いたんだっけ?・・・忘れ、ちゃったのかなぁ・・・」
「・・・!」
思わず息を吞む。ストレスからくる記憶障害だろうか。元々は非常に明るい子だというが、その明るさは鳴りを潜め、何処か空中に視線を惑わせながら、濁らせた目に涙を浮かべている。
「・・・やあ、こんにちは」
「お姉さん、だれ・・・?」
「僕は、テンポイント。君は、ハルウララだね。ウララって、呼んでいいかな」
うん、とウララは頷く。僕も片膝をついてしゃがみ、ウララと視線の高さを合わせて話す。
「テンポイントさんは、ウマ娘・・・?」
「ん、ああ・・・。最近ずっと帽子をかぶっていたから、忘れていた。ほら」
帽子を持ち上げ、耳を出してぴょこぴょこと動かして見せる。少しは気を引けただろうか。
「えへへ、おっきいお耳・・・。ライスちゃんみたい・・・」
「・・・ウララは、走るのは、好きかな」
「うん!大好きだよ!・・・でも、あんまり速く走れないの・・・。でも、走るのは楽しくて、あれ?速く走れないと走っちゃいけないんだっけ・・・」
「・・・ウララ、よかったら僕と、一緒に走ろう」
ウララの手を取って、引っ張り、立ち上がらせる。少し戸惑いを見せながらも、そのまますっと起き上がってくる。小さな子だ。
「でも、トレーナーが・・・」
「大丈夫。トレーナーがくるまで、走るだけだ。トレーナーが来たら、キングヘイローが教えてくれるさ」
キングヘイローにさっと目くばせし、彼女も頷く。
「ええ、私が代わりに待っていてあげるから、ウララさんは走ってらっしゃい!キングが待っていてあげるんだから、特別よ?」
「・・・うん!キングちゃん、ありがと!」
キングヘイローに目線で礼を伝え、ウララと共にグラウンドに出る。走るのはもう何年ぶりだろう。当然、あの頃のように疾走することなど、できない。軽くランニング程度に走り始め、ウララと並走する。だんだんペースを上げていく。速度としては、普通の人の全力疾走程度。まだ、この程度ならば走れる。そのままグラウンドの外周を回っていき、半分ほど過ぎたころに、ウララに声をかける。
「・・・よし、残りはキングヘイローのところまで全力で走ろう」
「うん!行くよー!」
ウララはぐんと加速し、どんどん前へと進んでいく。対する僕は、これ以上は速度が上がらない。心肺能力には、まだまだ余裕がある。でも、足が言うことを聞かないのだ。僕は、今となっては、人並みにしか走れない。だが、それでも。
「ああ・・・。やっぱり楽しいな、走るのは・・・!」
ウマ娘に生まれたからこその喜びだろう?走ることは。それだけは忘れないでほしいんだ。
結局僕が一周回り終わるころには、当然とっくにウララは走り終わっていて、大きく遅れての到着となった。
「はは・・・!参ったよ、ウララは、速いな。久々に走れて、楽しかったよ」
「私も思いっきり走れて楽しかった~!テンポイントさん、ありがと!」
キングヘイローと共に待っていたウララは、いい笑顔をしていた。ああ、よかった。走る楽しさは、まだ忘れていないでくれた。
「・・・よかったら、ウララがよかったら。これからも一緒に、走らないか」
「え?どういうこと?」
「僕を、ウララのトレーナーに、してくれないか」
「・・・まあ、そんなわけで、その後は無理を通してもらうために、キングヘイローと二人でやよいに頭を下げにいった。そんなところだ」
「そんなことが、ねぇ。まあこの際部外者の私はどうこう言えたことはないけど、難儀な道を選んだわね。ウマ娘ってところは無視しても、女でトレーナーとなると、結婚もおちおちできないわよ~?」
今ですら相当行き遅れなのに、と無遠慮に言って、トウショウボーイはジントニックを呷る。それに腹を立てることなどなく、ふっと鼻で笑って、テンポイントもまた一口飲む。
「どのみち、相手もいない。・・・僕は、今でも君が好きだから」
「お生憎様。もう人妻なので。・・・酔ってるの?」
「ふっ・・・。どう、かな」
テンポイントは、頬をわずかに赤くして、残り少ないバーボンを飲み干す。
「君が叶わないというのなら、君の息子でも、悪くない」
「はぁ~?年の差いくつだと思ってんの?同期を義理の娘にはしたくないわよ~」
「・・・妙な雰囲気のとこ悪いが、もう店じまいだぞ。どうすんだ?」
先ほどまでピシッとしていたバーテンダーがその態度を崩して、二人に聞く。彼女もまた、ウマ娘だ。
「店、閉めてきなさいよ。せっかく同期三人が集まったんだから、ゆっくり話しましょ。そのつもりでここ来たんだから」
「まあ、そうなるよな。閉めてくるわ」
バーテンダーのウマ娘が店の出入り口に向かい、扉に懸けられた木の札をひっくり返して、『closed』の表記に変える。
「前から思ってたけど、このバーの名前、『犯罪皇帝』って、悪趣味じゃないのぉ?あんたの名前にちなんでるのはわかるけどさぁ」
「ふふっ、全く、だな」
「うるせぇ!俺の競争人生最大の誇りなんだよ、お前を倒して、ダービーを取ったのがな!」
その隠れ家的バー、『Crime Kaiser』は、一線を退いたウマ娘の間では有名な店だ。今日も又、夜遅くまで賑わっていたのだった。
寄り道回です。
次回、いよいよダービーの予定です。