スぺちゃんがずっと先でゴール板を通過し、それから一秒ほど遅れて私も通過。乱れた息を整え、汗をぬぐって電光掲示板を見る。四着の表示に十二の数字。結局最後には後ろから上がってきた二人にも交わされて三着圏内も外してしまった始末だ。ガッツポーズを観客席に向けながら、スタンド正面のこちらへ戻ってくるスぺちゃんが見える。最高の笑顔を湛えたスぺちゃんを見るのもそこそこに、ゴールして引き上げていく面々を見回す。その中から一人を見つけ、彼女の背中を追って走っていく。
地下バ道の中ほどで彼女を捕まえ、肩を掴んで足を止めさせる。振り向いた彼女は、驚いたような顔をしていた。
「キングっ!」
「・・・スカイさん?どうしたの・・・」
「なんで逃げたのっ!?」
勢いのままに詰め寄り、ぐいっと顔を寄せてその目をのぞき込む。わずかに怯えを孕んだ目が、私の目を見つめ返している。
「なんで逃げたの!いつも通りに後ろから来てればこんな展開にはならなかったのに!」
「ちょ、ちょっと。落ち着きなさいな・・・」
「落ち着くのはキングの方だよっ!こんな大一番で奇策に出るなんて、キングらしくもない!あんなペースで逃げれば、超ハイペースになって前が総崩れになるのは分かり切ってたはずだよ!これじゃ、スぺちゃんに都合がいいように動いただけじゃない!」
「・・・」
周りの注目を集めているのも意に介さずまくしたてる。ただ思ったことを次々と、吐き捨てるように彼女にぶつけた。やがて勢い任せの言葉も尽きてきて、肩で息をしながら少しクールダウンする。そして初めて、キングの頬を伝う涙に気が付いた。
「本当にいつも通りで、貴女やスペシャルウィークさんに勝てたと思っているの?」
「っ!そりゃ、無謀な大逃げをするよりは勝機はあったよ!」
「嘘ばっかり言わないでっ!弥生賞でも、皐月賞でも・・・貴女たちには届かなかった。私はっ・・・!どうして私は、貴女たちに届かないのよ・・・!」
涙はボロボロと大粒になり、とめどなく溢れてくる。その姿に、今度はこちらが驚き、言葉を失ってしまう。やめてよ、そんな、泣かせるつもりなんてなかったのに。
「私だって、負けるために逃げたんじゃないわ!普通に走れば勝機はないとわかっているから!わざわざ奇策を取ったんじゃないの・・・!私は勝たないといけないのに・・・!どうして、私は・・・、期待に応えられないの・・・」
いつも気丈なキングが、動揺し、ボロボロと大粒の涙を流している。普段では想像できないシチュエーションに、私は一層混乱する。もともと勢い任せに言葉を発したために、言い返されることも、こんなことになるとも想定しておらず、予想外のキングの激情にどうしたらいいのかわからない。それでも顔を伏せることのないキングの何かに圧倒されて直視できず、思わず周りを見回した。不安そうにこちらを眺める人たちの間から、二人の男性がこちらに走ってくるのが見える。
「──すみません!通してください!」
「・・・トレーナーさん」
方や私のトレーナーさん。もう一人は以前みかけたことがある、キングのトレーナーだ。
「ヘイローっ!や、保田君、俺は・・・」
「はい。ユーイチさんはキングを連れて行ってあげてください」
「わかった!」
キングのトレーナーは、キングの肩を抱いてすぐにどこかに離れていく。私もまた、トレーナーさんに手を引かれ、連れられて行く。
「トレーナーさんっ!私は・・・!」
「話は控室に戻ってからにしよう。ここは人が多すぎるよ」
「・・・わかった」
トレーナーさんの後に続いて、伏し目がちに歩いていく。私を突き刺す奇異の視線が痛い。それらを向けてくる人の間を抜け、控室に入る。そこで改めて見たトレーナーさんの表情は、困惑に近いような、なんとも言い難い様子だった。
「どうしたの、口論なんてスカイらしくないよ」
「トレーナーさんだって見てたでしょ!あんなめちゃくちゃな逃げなんかしてっ!キングなら、後ろからレースをするべきだってわかってたはずなのに!」
衝動の赴くままに言葉を投げつけたトレーナーさんは、それでも優しく諭すように言う。
「キングも色々考えた末の逃げだったんだよ。普通にやったら勝てないと踏んだレースをひっくり返すための奇策。結果は伴わなかったとはいえ、それをこの大舞台でやってのけた心意気は、君が一番よくわかってるんじゃないかい?」
「っ・・・そんなの、わかんない!」
嘘だ。わからないんじゃなくて、わかりたくなかった。キングの奇策にしてやられただなんて、認めてしまえば、展開の支配者ぶっていた自分が馬鹿みたいじゃないか。まるで私は、道化だ。
「いいや、わかってるはずだ。君は賢い子だから。君の悔しさはわかるけど、キングを責めるのは違うだろう?」
「・・・トレーナーさんは、悔しくないの?」
「え?」
突然の質問に、虚を突かれるトレーナーさん。でも、聞かずにはいられなかった。だって、全てのウマ娘が、トレーナーが憧れる日本ダービーに手の届くところにいながら、私がその手から零れ落ちさせてしまった。でもトレーナーさんは、何処までも飄々としている。貴方は、悔しくないの?
「ダービーなんだよ?全てのウマ娘の夢で、私の夢で、トレーナーさんの夢!それを目の前で失って・・・!トレーナーさんだって悔しいでしょ!?私の気持ちだって・・・!」
「スカイ」
投げつける言葉を、ぴしゃりと止めるように名を呼ばれた。これまでになく真面目な視線が私を射抜く。
「・・・僕は、悔しいとは思っていない」
「っ!!」
目の前が真っ暗になったような錯覚に襲われる。どうして?貴方が一番、私を理解してくれていると思っていたのに。私と同じ気持ちだと思っていたのに。どうして。どうして。どうして──。
気が付けば、彼の前から逃げ出して、部屋から飛び出していた。呼び止める声がしたような気がするけど、ただただ走って、どこかで一人になりたかった。ああもう、なんで私はいつもこうなんだろう。頬を涙が伝うのが分かる。本当に、弱いなぁ、私。
しばらく足が赴くままに走って、いつの間にやらたどり着いていたベンチで一人俯いていた。口論とも言えない、一方的な激情で飛び出してしまった時から少し冷静になり、逆に鬱々とした思いが脳内を支配する。
「・・・こんなところに、いたか。探したぞ」
動かすのも億劫な頭を動かして、声のする方を見てみれば、金糸のように輝く髪を靡かせた女性、テンポイントがいた。
「・・・追いかけてきたんですか」
何故彼女が追いかけてきたのか、と思わないではないが、でも今はそれに思いを巡らせるほどの余裕もなかった。あれほど煌めいて見えたテンポイントでさえも、色褪せて見える。世界が曇天に包まれたようだ。
「ああ。まったく、苦労したよ。今は、君のようには走れないというのに。この老骨を、歩き回らせる、なんてな」
「流星の貴公子が、見る影もありませんね」
「ふ、言ってくれる」
一人にしてほしくて、どこかに行ってほしくて放った痛い言葉は、簡単にいなされた。そしてそのまま帰ってきたかのように、心がずきりと痛む。テンポイントは私の隣に座り、一つ息をつく。
「・・・後悔しない、ダービーだったか?」
「っ・・・」
彼女の言葉が、追い打ちをかけるように突き刺さる。
「後悔、してます。レースにも、それ以外にも」
「そう、か」
ダービーで負けたこと、キングにあたったこと、トレーナーさんから逃げ出したこと。その全てが、後悔だ。
「・・・今日は、トレーナーさんのところに戻りたくないです」
「だろう、な。今日は、頭を冷やした方が、いい。君も、彼も」
◆ ◇ ◆
夜の街を一人、浮かない顔で歩く男がいた。その様子は、街を行きかう浮ついた雰囲気の人々とは対照的だった。人々が楽し気に語り合うのは、今日の日本ダービーのこと。興奮冷めやらぬ様子のファン達は、口々に感想を言い合っている。
「いや~!やっぱスペシャルウィークの走りは最高だったな~!」
「わかる!なんというか、華があるよな。日本一のウマ娘っていう夢叶えちゃうとことかな!」
やはり、一番話題に上がるのは、今年のダービーウマ娘であるスペシャルウィーク。当然だ。全てのウマ娘が目指す栄光を手にしたのだ。仮に自分が、今彼らと同じく一ファンの身であったならば、夜通し語らっているに違いない。だが、今はそうではない。むしろ彼が沈んでいる理由こそが、ダービーなのだから、人生とはわからないものだ。
活気だつ人混みの間を抜けて、街を進んでいき、一本の路地に入る。隠れ家的に、ひっそりと居を構えるバー。しかしひとたび足を踏み入れてみれば、多くの客で賑わっている。ここは知る人ぞ知るバー、『Crime Kaiser』である。
カウンターに目をやれば、待ち合わせの相手がすでにいることに少し驚いた。
「お、保田君。こっちこっち」
「早いですね、ユタカさん」
空けておいてくれた隣の席に腰を掛ける。
「いいんですか、ダービートレーナーがこんなところにいて」
待ち合わせの相手は、今日正にダービーウマ娘となったスペシャルウィークのトレーナー。彼を祝いたい人は山ほどいるだろうに、わざわざ自分を誘って飲みに繰り出すとは。
「いいのいいの。スぺ達と祝勝会はやったしね。それよりなんか頼みなよ、奢るよ」
「どうも。では、ジントニックを。タンカレーで」
ユタカはそういうが、あわよくば彼とつながりを持ちたいと思っている者は数知れずだ。若くして多くの有名ウマ娘の担当をしてきた経歴を持つ、現役きってのトップトレーナー。既に多くのGIを制してきた彼が、最後まで残していた最高の栄誉、ダービートレーナーとなったのだから、間違いなく日本一のトレーナーだ。
「で、どうですか。ダービーを勝った感想は?」
「いやぁ、最高に決まってるでしょ。ね、マスター」
ユタカに話を振られたマスターは、カクテルを作りながら深く頷いた。
「凄かったですよ、スぺちゃん。流石は天才トレーナーのユタカさんが見出した才能と言ったところですか」
「ははは、まあね。でも、それを言ったら君のセイウンスカイも一緒だけどね」
「と、言いますと?」
「選抜レースを見た時、俺はスペだけじゃなくて、セイウンスカイもスカウトしようと思ってたからね。君に先を越されてしまったのが残念だったけど」
「そうだったんですか。なら幸運でしたね、彼女の担当になれたのは」
話しているうちに出されたドリンクに口をつける。ユタカがスカイをスカウトしようとしていたのは初耳だった。あの選抜レースを見て、即座に彼女を追ったのは正解だった。もしユタカのような実績あるトレーナーから先に声がかかっていたならば、自分のスカウトなど一瞥もなれなかっただろうから。
「三冠はもらったつもりだったのに、皐月賞は持ってかれたからね~。いいウマ娘だ、今からでも俺に担当任せてみない?」
「冗談はよしてくださいよ。スカイの担当は僕です。誰にも譲る気はありませんって」
「そう?なら早めに仲直りしたほうがいいんじゃないかな」
思わず酒を飲んでいた手が止まる。
「・・・それを言うために誘ってくれたんですか」
「というより、新人トレーナーが困ってたから話を聞いてあげようと思ってね」
正直自分もまだ心の整理がついておらず、他人と語るのに躊躇するところはある。だが、一人で悩んでいるのが一番よくないこともわかる。意を決して、事の次第を話していく。
「・・・それで、セイウンスカイに逃げ出されて、それを追っていった知り合いのトレーナーに保田君も頭を冷やすように言われたと」
「お恥ずかしながら、その通りです」
「うーん、なんでまたそんなこと言ったの。ダービー取れなくて、悔しくないなんて」
おそらく、スカイを傷つけてしまった一言。自分も焦っていて、言葉を選ばずに発してしまった一言には、もっと伝えたい意味があって。
「伝え方が悪かったとは、思います。そもそも新人トレーナーの僕が、初めて担当する子でダービーに挑戦できるだなんて思っていなかったですし、皐月賞を勝ってくれただけでも僕にとっては奇跡みたいで、十分嬉しかったんです。スカイが僕のために走ってくれる思いもわかっているつもりです。だから、それがスカイを思いつめさせたとしたら、たとえダービーが取れなかったとしても、十分思いは伝わっているってことを伝えたかったんですよ」
普段はふわふわとしたつかみどころのないような言動をするスカイだが、その内面には激情家な一面も持ち合わせる。それは出会った時からわかっていたことで、彼女のサポートをしていくうえで慎重にケアしていかなくてはならないと思っていたのに。
「それは・・・」
「それは違うだろ」
口を開き替えたユタカを追い越して、声を上げたのはマスター。
「お前さぁ、もうちょっと担当と同じ方を向いてやらないといけないんじゃねえの?」
「・・・どういうことですか」
「担当が勝ちたいと思ってるんだろうが。それをてめえが満足してるから勝たなくてもいいだァ?ふざけるのもいい加減にしろ!ウマ娘にとって勝てなくていいレースなんてねえ!ウマ娘と共に歩むと決めたなら、何処までも強欲でいろ!!」
マスターの説教に少し驚きながらも、返す言葉が見つからないのは、その妙な威厳ある声からか、はたまた図星を突かれているからか。
「大体、ダービーに負けて構わないなんて思ってるならな、お前はトレーナー失格だ。ダービーを、なめるなよ」
「・・・ごもっとも、です」
「ちょっとマスター、あんまり言いすぎないでよ。彼もまだ新人なんだから」
ユタカがマスターをなだめるように言う。でも、まったくもってマスターのいう通りだった。中途半端な覚悟で、レースにも、スカイにも向き合ってあげられなかったのだ。
「・・・まあ、初めての担当持ったばかりで、色々言うのは酷かもしれん。でもな、担当のことは、トレーナーが一番思ってやれ。ウマ娘ってのは、思いを背負って走るものなんだから、な」