二月末。弥生賞を目前にした週末、私は。
「セイちゃ~ん!はやくはやく~!」
「ちょっ、待ってってぇ~・・・。なんで全力疾走なの~!?」
──ピンクの髪をした少女を追って、走っていた。
なぜこんなことになっているのか。それは朝までさかのぼる。せっかくの休日、トレーナーさんを伴って、どこかにお出かけしようと目論んでいたのだが。
「え、トレーナーさん、今日もお仕事なの?」
「そうなんだよ、ごめん!埋め合わせはするから!」
いいよいいよー、と言ってトレーナーさんを見送り、一人残された私は、当てが外れて暇になってしまった。さて、どうしたものかと思い、あてもなくトレセン学園の中をふらふらと彷徨う。正直、今はあまり一人でいたくはない気分だ。というのも、最近はなんだかナーバスな状態が続いていて、いろいろと考え込んでしまうのだ。
特に、レースに勝つだとか、負けるだとか。走る意味だとか。そんな考えても答えの出ないことばかりを無意味に考えてしまう。考え込んでも気分が落ち込むだけだとわかっているけど、自然と思考がそちらに流れてしまう。せめて誰かと話していれば多少はましなのだが、こうなってしまってはどうしようもない。せめて心穏やかに過ごそうと、腰を落ち着けて静かに過ごせる場所を模索してさらにふらふら。
「あー!!セイちゃん!!おっはよ~!!」
「あ、ウララ。おはよ~」
朝から元気いっぱいな挨拶を飛ばしてくれる、ピンクの毛色が特徴的な少女。彼女はハルウララ。何度も何度もレースに出るが、結果は毎回惨敗。それでも、持ち前の底なしの明るさと諦めない心で走り続ける、ある意味で誰よりも強いウマ娘だ。
「セイちゃん今日はお休みなの!?やよいしょう・・・?ってレースにでるんじゃなかったっけ?」
「あはは、それ来週だよ~。今日はトレーニングも休みだね」
そっかぁ!、と花のような笑顔でひょこひょこと動く彼女を見ていると、こちらも自然と笑顔になってしまう。そんな魅力を持ったウララと自分を比べてみると、少しだけ心が重たくなる。
「わたしはね~、先週レースだったんだ!何着だったと思う!?」
「え~?何着だったの~?」
「えへへ~、五着だよ!掲示板に載ったの!凄いでしょ~!?」
私は知っている。ウララが先週出走したレースは五人立てのレース。つまりは最下位だ。当然掲示板には必ず載れる。それでもそれを誇ることができるのは、能天気というべきか、それとも無限のバイタリティの持ち主というべきか。
「凄いじゃん!これは一着をとる日も近いんじゃない?」
どこまでも嬉しそうな彼女にかけた言葉に、なぜか心がちくっとする。きっと彼女は次のレースも勝てないだろう。その次も。またその次も。練習を重ねて強くなって、勝つ日が来たとしても、それはずっと先。だというのに、彼女に希望を持たせるようなことを言うのは、果たして良いことなのだろうか?彼女を傷つけたとしても、本当のことを言うべきだろうか?いや、それに何の意味があるというのだろう。わからない、彼女をどんな目で見たらいいのかわからない。
「うん!!トレーナーもね、いつかは絶対一着とろうねって言ってくれるんだ~!一着取れるまで頑張る!!」
きっと心の底からそう思っているだろう、その言葉は、とても眩しくて、力強く聞こえた。と同時に、強く疑問を抱く。なぜ彼女は何度負けても走り続けるのだろう?私なんて、レースで一度負けることを考えただけでも心がかき乱されそうになるのに。
「・・・ウララは、走るの楽しい?」
無意識に聞いてしまった。ともすれば、裏を勘ぐられそうな言葉を言ってしまってから、はっとするが、ウララは不思議そうな顔をするだけで。
「うん!すっごく楽しいよ!セイちゃんは楽しくないの?」
「・・・私は」
私は、走るのが楽しいのだろうか?勝てば嬉しいし、負けるのは怖い。でも、それらを超越して、純粋にただ走ることそのものが楽しかっただろうか?少なくとも、今はそうではないと思う。
「楽しくない・・・の、かも」
「え~!?なんでなんで!?セイちゃんこの前のレースで一着とったとき、すっごく嬉しそうだったよ?」
「それはまあ、勝ったら嬉しいけどさ。負けたらって思うと、嫌じゃない?期待してた人を裏切るのも嫌だし、やっぱり駄目だったか~って思われるのもそれはそれで嫌だしね」
「・・・?一着とれなくても、頑張ったねって、皆褒めてくれるよ?」
「そりゃ、ウララはそうだろうけどさ~」
「なんで?セイちゃんも一緒じゃないの?」
一緒、なのだろうか。私が負けても、褒めてくれる人はいるだろうか。きっとトレーナーさんは褒めてくれるだろう。でも、私はそれを望むのか。何度負けても、声援を糧に何度でも立ち上がる彼女のようになれるのか。いや、それは無理だ。私は、彼女のようにはなれない。彼女みたいに、強くはない。
「・・・みんな、どんな気持ちで走り続けるんだろうね」
「みんなの気持ち・・・?う~ん、わたしもわかんない・・・」
皆、どんな気持ちで、覚悟でレースに挑むのだろう。勝って何を感じて、負けて何を感じるんだろう。それがわかれば、私もレースと向き合えるのかな。
「あ~!そうだぁ!」
さっきまで頭に両手を当てて考え込んでいたウララが急に叫び、両の掌を打ち合わせた。突然の大声と音にびくっと跳ねる私に構わず、何やら思いついたことを教えてくれるようだ。
「わかんないから、みんなに聞きに行ってみよ~!今日お休みの子たくさんいるから、いっぱいお話できるよ~!!」
「え?ちょ、ちょっと待って、そんな急に・・・!」
止める間もなく、ウララは他のウマ娘を探しに走り出していく。そんなウララを放っておくわけにもいかず、私も続いて、彼女を追って駆ける。こうして、穏やかに過ごそうと思っていた私の休日は、一転して、ウララとトレセン学園を駆けまわることとなったのである。
ウララを追ってしばらく走ると、たどり着いたのはトレセン学園の食堂。朝とはいえ、朝食には少々遅い時間帯だが、そこには山盛りの白米とおかず、それを黙々と食べ続ける白髪のウマ娘がいた。
「オグリちゃん!おはよ~!」
「ああ、ウララか。おはよう」
ウララは気軽に話しかけていくが、私は少しためらってしまう。なぜかといえば、彼女があのオグリキャップだからだ。
彼女の異色さは、その出自からくる。私たちが通うトレセン学園は、URAの主催する、中央レースへ出場するウマ娘たちが中心の学園だが、彼女は元々、いわゆる『地方』と言われるトレセンに所属する、地方ウマ娘だった。岐阜県に位置するカサマツトレセンに入学してからしばらく地方のレースを走り、地元では負け知らず。そのあまりの強さに、中央に移籍してきたというわけだ。
移籍直後は、如何に地方で強かったとはいえ、中央で通用するのかという声もあったのだが、いざふたを開けてみれば連戦連勝。初のGI挑戦で、あの『白い稲妻』ことタマモクロスに敗れ、中央初敗北を喫するが、そこからはさらに同期のスーパークリーク、同じく地方出身のイナリワンを加えた四人で、世間を大いに沸かせたアイドル的人気を誇るスーパーウマ娘なのである。
「と、その後ろにいるのは、セイウンスカイ、だったかな」
「あ・・・、私のこと、知ってるんですか?」
「もちろん知ってるぞ。同じ葦毛だからな」
そういってどや顔をするオグリキャップに、どういうことだろうと思いながら、苦笑いを返す。
「ねえねえオグリちゃん!オグリちゃんは走ってる時ってどんな気持ち!?」
「走ってる時・・・?勝つぞーとか、おなか減ったとか・・・か?」
「へぇ~。だって!セイちゃん!」
違う。そうじゃない。 違う。そうじゃない。いや、間違ってはいないのかもしれないけど、私が聞きたいのはそういうことじゃなくて、勝負に向かう心構えだとか、そういったメンタル的なところが聞きたいのだ。ウララには、細かいニュアンスが伝わっていなかったようなので、致し方なく自らオグリキャップに説明する。
「レースに向かう時のメンタル?難しいことを気にするんだな、スカイは」
「ええ・・・まあ。凄い結果を残しているオグリキャップさんのお話が聞きたくて」
「うーむ、応援してくれる故郷の人達の声援に応えたいとか、クリークやイナリ、タマに負けたくないとかはあるが」
オグリキャップは食べる手を止めずに答える。どうやら彼女は私のようにレースに出る前にうじうじと考えて気分を乱すことはないようで、すぱっと割り切るタイプのようだ。
「じゃあ、オグリキャップさんがレースに出るモチベーションって何ですか?」
「モチベーション・・・。走った後のご飯が美味しい、というのはどうだ?」
どうだ、と言われても困るが、とりあえずなるほど、と相槌を打っておく。
「あとは、皆と走るのが楽しいからかな。タマ達みたいな強いウマ娘と走るのがとても楽しいんだ。・・・すまない、あまり参考にならなかったかな」
「いえ、そんなことは。ありがとうございます」
オグリキャップにお礼を伝え、会釈する。彼女の心境は、ウララに近いものなのかもしれない。勝ち負けなどの結果には左右されない、走ること自体に楽しみや意味を見出している。だからこそ、人々は彼女に魅入られるのかもしれない。
「わかった!オグリちゃん、またね~!!」
そう言い残して、だっと駆け出して行ったウララを急いで追いかけようとする。
「あっ、ちょっともぉ!オグリキャップさん、すみません、ありがとうございました」
「うん。また話しかけてくれ。次はもっとゆっくり話そう」
食堂を出て、辺りを見回す。特徴的なピンクの尻尾が廊下を駆けていくのがすぐに見つかり、それを追いかけていく。
ある程度走ったところでウララを見失い、その姿を探してうろうろとしていると、中庭の一角で地面にしゃがみこんでいるウララを見つけた。近づいていくと、何やらごそごそと地面をいじっているようだった。
「ちょっとウララってば~。おいてかないでよぉ~・・・」
「あ、セイちゃん!セイちゃんも四つ葉のクローバー探そー!」
「四つ葉のクローバー?」
唐突な言葉を聞いて足元に目を落とすと、確かにここには一面にクローバーが根を張っていた。なるほど、先ほどから地面をいじっているのは、四つ葉のクローバーを探していたのか。いや、なるほどではないが。
「もう、他のウマ娘に話を聞きに行くんじゃなかったの~?なんで四つ葉のクローバーなんて・・・」
「あ・・・、ごめんなさい!ライスがウララちゃんを誘ったの・・・」
「はい。ウララさんに先約があるとは知りませんでした。謝罪します」
背後から二人の声が聞こえる。振り向いてみれば、それはまた知った顔。と言っても、こちらから一方的にではあるが。
「ライスシャワーさんと、ミホノブルボンさん・・・?」
「ら、ライスでいいよ?」
まず私にそう返してくれた黒髪の小柄な少女が、ライスシャワー。一見ただの気弱な少女であるが、レースでは漆黒のステイヤーの呼び名もあるように、こと長距離では凄まじい実力を見せるウマ娘。他のウマ娘の大記録達成がかかるレースで、度々それを阻止した実績から、ヒールともいわれることもある彼女。
「私もブルボンで結構です。貴女は、セイウンスカイさんですね?」
そして、茶髪にクールな無表情が印象的な、ミホノブルボン。彼女こそ、皐月賞、日本ダービーを勝って、三冠に王手をかけながら、菊花賞でライスシャワーにその達成を阻まれたその人。そんな因縁あるといっても差し支えない二人だが、不思議とよく二人でいるのを見かける組み合わせだ。
「あ、わ、私もスカイでいいです・・・」
「では、スカイさん。貴女の前走、お見掛けしました。素晴らしい逃げでしたね」
ブルボンさんの誉め言葉に、胸がどきっとする。何を隠そう、ブルボンさんはスズカさんと同じく、逃げの名手なのだ。しかし同じといっても、そのスタイルは大きく異なる。スズカさんの逃げは、類稀なるスピードを活かした、他のウマ娘を置き去りにする唯一無二の大逃げ。それに対し、ブルボンさんの逃げは、他のウマ娘がついていけば、必ずつぶれてしまうようなペースを淡々と刻み、そのままゴールまで走りきる、また別の唯一無二。計算されたペースを正確に、顔色一つ変えずに走るその様を評して、サイボーグと呼ばれる。だが、それは比類なき鍛錬を重ねた末の賜物であるのだ。
「いやいや、そんな、へへ・・・。じゃなくて!ど、どういうことなんですか?四つ葉のクローバーって」
「あのね、ライス四つ葉のクローバー見つけたことなくて・・・。ブルボンさんが一緒に探してくれるって言ってくれたから、探してたの。そしたらウララちゃんが何してるのって聞いてくれたから・・・。ライス、迷惑なことしちゃった・・・?」
ライスさんが目にうるうるとうっすら涙をにじませて、私を見る。それはあまりにもずるい表情だろう。元より責めるつもりなどないが、その顔を見て、誰が責められるのだろうか。
「い、いえ、そんなことはないです」
「ほんと・・・?」
「えへへ、セイちゃんは優しいから怒ったりしないよ!ねえ、セイちゃんもライスちゃんのために四つ葉のクローバー、探そうよ!」
二人のちびっ子に──方や先輩であるのだが──じっと見つめられ、答えを迫られる。思わずたじろいで、ちらとブルボンさんの方をみるが。
「スカイさん、私からもお願いします。よろしければ、ライスさんの四つ葉のクローバー捜索を手伝っていただけませんか?」
ぺこりと頭を下げられた。こうなっては、もうお手上げだった。
「・・・わかりました。一緒に、探しましょう」
ライスさんの表情がぱあっと明るくなり、ブルボンさんも少し顔をほころばせて、ありがとうございます、と言う。こうして、ウララとの追いかけっこから一転して、四人でしゃがみこみ、四つ葉のクローバーの捜索が始まった。
「あの・・・、スカイ、さん」
「はい?なんですか、ライスさん」
早速その場で探し始めた私のところに、ライスさんがとことことやってきて、隣にしゃがんで話しかけてきてくれる。何だろうと思って彼女を見ると、大きな耳をぴこぴこと動かして、少し恥ずかしそうに言った。
「あのね、私も、ウララちゃんと同じで、・・・セイちゃん、って、呼んでもいい、かな?」
「あ、え・・・っと」
参ったな。これは可愛すぎる。つい言葉を失っていると、少し不安げな様子で、私の顔を覗き込んでくる。
「だめ・・・かな?」
「いや、大丈夫です。その、呼んでください」
「やったぁ!えへへ・・・!頑張って四つ葉のクローバー探そうね、セイちゃん!」
かなり長くなってしまったので、後編に続きます。
お恥ずかしながら、競馬好きであるにも関わらず履修していなかったみどりのマキバオーを読み始めております。滅茶苦茶面白いです。