「驚愕っ! トレーナー業を辞するというのかね!? キミが!?」
「はい」
秋山理事長の指摘に、俺はゆっくりと首を縦に振った。
「トレーナーとしてやれる最大限をやりきりました。満足です」
「驚嘆っ! キミほどのトレーナー、まだまだやれることはあるっ!!」
「例のスペシャルなレース企画とかですか?」
「肯定っ! まだその名は明かせぬが、企画は着々と進んでいる!!」
彼女の口ぶりだと来年か再来年、いや、早ければ今年中でも発表がありそうだ。
それを待ってからでも遅くは――まで考えて、頭を切り替えた。
「そこではきっと、新しい伝説が待っています。それを作るのは俺じゃありません」
「否定っ! チームアラウンドは新企画でも輝きを放つと確信している!」
チームアラウンド。
俺と俺が担当した5人のウマ娘たちで構成される、俺にとって最高のチーム。
様々な、本当に様々な事をやったからアラウンド。
そんなチームの実績は以下のとおりである。
URA公式調べによるファン数100万人達成、ライスシャワー。
前人未到の全距離G1制覇ウマ娘、サクラバクシンオー。
変幻自在の4脚質G1制覇ウマ娘、マヤノトップガン。
クラシック3冠有マを含む8冠にして二代目全距離G1制覇ウマ娘、キングヘイロー。
ダート5冠にして芝のグランプリ有マの覇者、ハルウララ。
どれもこれも、本人たちがやりたいと言ったことを一緒に叶えた結果だ。
名前の通り、その勝利を祝福される存在になりたい。
すべての距離を制覇して、完璧な委員長であると示したい。
一番にキラキラを感じながら、みんなを魅了するウマ娘になりたい。
偉大なる母を越え、一流のウマ娘であることを証明したい。
一位になってみたい、有マで優勝してみたい。
普段の彼女たちの姿から誰もが不可能だと口にする、そんな夢を叶えてみせた。
だから世間からは4つの奇跡……先日のハルウララを足して5つの奇跡だなんて言われている。
奇跡を、5回起こした。
なら、もう十分だ。
「ありがとうございます、理事長。でも、もう決めたことですから」
「ぐぬぬ……」
「それに、俺にとっての集大成はちゃんとその企画に登場しますよ」
「初耳っ! それは一体……」
「詳しくは近々やってくる自慢の後輩トレーナーから聞いてください」
きっと、6回目の奇跡は彼女が起こしてくれる。
なにしろ俺の持てる限りの技術と彼女の家の力とで編み上げた、最高のウマ娘が来る。
(すべての距離、脚質に高い適性を持ち、芝も、ダートも、どこでだって走れる最高のウマ娘が……!)
最高のウマ娘と、それを支える才覚溢れるトレーナー。
彼女たちなら間違いなく次代を担える逸材になる、それを確信している。
そのためのコツだって、しっかり伝授済みだ。
(トレーナーにとって大切なのは鋼の意志だと、あのノートにも書き加えておいたからな!)
彼女が強い心でウマ娘と向き合ってくれさえすれば、奇跡なんて簡単に起こせるさ。
「確認っ! 決意は固いのか?」
「はい。次の時代にも間違いなく伝説は生まれます。だから俺に、悔いはありません」
「…………」
「…………」
見下ろす形だとしても、真っ直ぐに理事長を見つめる。
こちらを見つめ返す強い瞳が、言葉以上にどうして欲しいのかを雄弁に語っていて。
「……私はっ」
理事長が口を開いた、ちょうどその時。
彼女の頭の上に乗っている猫が、にゃーと鳴いた。
「っ!! ……了承っ! 手続きをするがいい! こちらも書類を受理したのち、動こう」
「ありがとうございます。では本日中に書類をお届けします」
「うむっ!」
意思を曲げ、俺の望みを受け入れてくれた理事長に頭を下げ、部屋を出る。
「感謝、しかして、寂寥……」
扉を閉じようとしたところで聞こえた、小さな声。
心の底から惜しんでもらえた、そんな本音を感じる言葉ひとつで、俺の心はいっぱいになった。
(彼女はきっと、大成する)
彼女の手腕ならURAもますます盛り上がることだろうと、あの小さな背中に俺は期待する。
右腕としてあの敏腕秘書さんもいるのだから、きっと、間違いない。
「…………ふぅ」
扉を閉じ、俺は少しのあいだその場に立ち尽くす。
知らず緊張していたのか乱れていた呼吸を整え、次にするべきことを思い浮かべる。
(上に話を通したあとは、共に時代を駆け抜けた仲間たちに、ちゃんと伝える番だ)
今日は大事な話があると、チームルームにみんなを集めてある。
なんだかんだ聡い子たちだから、どんな話が飛び出るかはそれとなく理解しているだろう。
「よし、行くか!」
覚悟を決めて歩き出す。
この時の俺は、どういう幕引きでチームのラストを飾ろうか、としか考えていなかった。
それがまさか、あんなことになるなんて。
「みんな、いるな?」
「ええ、当然じゃない!」
「うんうん! キングちゃんに起こしてもらってバッチリ!」
「ライスもちゃんと、いるよ……お兄さま」
「時間前行動は委員長の鉄則ですから!」
「それに、マヤたちにとって、今日はぜ~~ったいに、外せない用事がある日だから、ね!」
チームルームで5人のウマ娘に迎えられた俺に、ウソみたいなホントの話が、待っていた。
っていうかみんな、なんだか妙に、おめめがギラついていないかい?